Schwaches Licht(FF1) - 3/5

                  2019.5/14
第三章 好むもの

 

「ガーランド、これは……?」
「もらってきた。要るなら食え」
「食欲は……それよりどうしてこれを?」
 テーブルの上には豪華な食事の数々が所狭しと並べられている。私はそのテーブルに載せられた料理に、ポカンと釘付けになっていた。驚きもそうだが、それ以上に誰がこれだけの量を食べるのか? そちらの方がむしろ気になった。
「晩餐会の残りだ。全て処分されるものでな、それならば」
お前と共に……。ガーランドは鎧を端に纏めていたので、その表情は窺えない。だが、この大量の食事は、どうやら私のためでもあるらしいことは理解出来た。
「……ありがとう」
 私は嬉しかった。ここに留められ、まともに部屋を出ることも叶わない。窮屈かと問われれば、否定は出来ない。いつも部屋の窓から見える修練場や、王城の向こうにある壮大な湖を見ては、ひとりで小さな溜息をはいていた。
 ガーランドはしばらく無言で、何かを考える様子を見せていた。だが、ごそごそと懐を探りだし何か始めた。私はガーランドを見つめていた。
「これもやろう」
「……いいのか?」
「お前が呑めるクチならな」
 ガーランドに酒瓶を渡され、私はまた驚いた。瓶のラベルを見れば、結構度数は高い。私は強い方でもないが、弱い方でもない。それよりこのように度数の高い酒を呑むというのならば、心配事は別に生じる。
「お前……、明日も鍛錬があるのでは……」
「これを一本空けたところで酔わぬわ」
呑めぬなら、儂がひとりで呑むが? ぶんぶん……私は頭を左右に振り続けた。ガーランドとこのように酒を交わせることなんて、そのような日が訪れるなんて、私は思ってもいなかった。
 私は少しだけ笑みを作り、ガーランドと酒を呑み交わした。あまりガーランドが酔わないように、私自身も酔いつぶれてしまうことのないように制御して。

「そろそろ寝るか……」
「そうだな。ガーランド、ありがとう……」
 程よいほろ酔いで私達は寝台に上がった。風呂はまだだから、なるべく起きていたい……酔いにより眠気がきているので、今宵も無理かもしれないが。
「何が望みだ?」
「何の話だ?」
 突然聞かれても、何を指しているのか私には解らない。寝台で寝転がるガーランドの隣で、私は首を捻っていた。
 ガーランドは私の腰に腕をまわし、私を引き寄せてきた。私はガーランドの広くて厚い胸の中に収まり、ガーランドとより密着した。
 いたたまれなくなり、私は顔を逸らした。頬が熱くなっていくのは、そう……きっと酔いのせいだと思う。ガーランドに見つめられているからでは……ない。きっと。
 薄暗く落とされたランタンの灯りの、チリチリと燃料を燃焼していく音だけが寝所に響いていた。そんな静寂な寝所のなかで、私達の息遣いだけが繰り返されている。
「望みのものをやろう……言え」
「それは……」
ここから出たい。それを言えば、ガーランドはまた怒るのだろう。それならば……。私は兼ねてより欲しいと思っていたものを口に出した。
「ガーランド、書くものと書き留めるものが欲しい」
「何……?」
「私はこの国を何も知らない。私は勉強をしたい」
私なりにこの国を知っていきたい……。私のこの発言の最後は尻窄みになってしまった。ガーランドの険しい顔を見てしまったから。どうしてガーランドはそのような表情を見せるのだろうか……。私には分からない。
「そのようなものを何故望む?」
「何も知らずにここには留まれない。この世界でこれからを在るなら……私には必要だ」
 私はガーランドをじっと見つめた。ランタンの落とされた灯りのなかでも、ガーランドの黄金の瞳はぎらぎらと獣じみた色を放っている。私は続けて口を開いた。これは何度もバッツに教えられた。生きるために必要なこと……。
『まずレベルを上げること。それから世界の理を知り、知識を得ること。生き抜くための技術や力を付けることも必要になる』
 私はバッツに教えられたことを、そのままガーランドに伝えた。ガーランドはポカンとして、意外なことを聞いてしまったような微妙な表情を浮かべている。
「……なるほど。あの旅人も珍しくまともなことをお前に教えたのだな」
「失礼だぞ、ガーランド。バッツはいい加減なことを教えることはしなかった」
 そうだ、バッツはいつも私にいろいろ教えてくれた。私はそこから学び……今が在るというのに。私が不機嫌になったのが分かったのだろう。ガーランドは私の頭をさらりと撫でてくれた。
 これだけで私の頬が熱を帯びるのが分かる。私は優しく見つめてくるガーランドの黄金の双眸に魅入っていた。しかし、ガーランドの口からはとんでもない言葉が飛びだしてきた。
「儂の前で他の男の名をこれ以上出すでない」
「……何を言っている?」
酔っているのか? ガーランドの方から話を振っておいて、私がバッツの名を出せば何故不機嫌になる? 理不尽もいいところではないか?
「お前は儂だけを見ておればよい」
「……」
 ガーランドは私の頬をするりと撫でてきた。続いて私の少しだけ開いていた唇を親指の腹でなぞっていく。まるで、これ以上私に発言させないように。この男、もしかして私より酒に弱いのか? そう、思わざるを得ない。先ほどから会話の内容が支離滅裂で、全く話が通じ合っていなかった。
「もう寝ろ」
「……」
 私を胸に収めたまま、ガーランドは背中をトントンしてきた。私は子供ではないと反論してやりたい。だけど、悔しい。これをされてしまうと、私はすぐに眠りに就いてしまう。それはきっと……この男の体温や匂いも関係しているのだろう。
「ガーラ……ガーラン、ド……私はまだ、風呂、に……」
 悔しいが、私の意識はここで途絶えてしまった。

「……ウォーリア」
「どうした? 私ならここに……」
 日も落ちかけた夕刻だった。いつもより早くガーランドは帰室してきた。早い戻りに私が眼を丸くしていると、ガーランドは室内をざっと一望した。そして私の姿を捉えると、小さく安堵していた。
 私はここにいると言っているのに、一度離れた程度で何をそこまで疑心になるのだろうか。……違う、そうさせているのは、私……か。私はガーランドへの視線を逸らした。近付いて『おかえり』くらい言ってあげたいのに、上手く伝えられない。
「何も言わなくてもよい」
 私の気持ちを組んでくれたのか、ガーランドの方から私に近付いてくれた。私の髪をするりと撫で、ひたいにちゅっ、唇を落としてくれた。私の頬に熱が籠る。
 この男はこういうことを何事もないように行ってくる。その度に心の臓が大きく跳ねてしまう私の気持ちを少しは理解して欲しい……。
「これを……お前にな」
「私に?」
 ガーランドは私にひとつの包みを差しだしてきた。私は受け取り、その場で開封していった。ガーランドから何かをもらうなんてこと、実は初めてだった。
 先日城下街へ出たときは、私が勝手に離れてしまった。そのためにガーランドは街中を探しまわり、結局衣服ひとつ購入することなく戻ってきてしまっていた。
「っ、ガーランド!」
「欲しがっていたものだろう?」
 包みから出てきたものを、私はぎゅっと抱きしめた。ガーランドは私に筆と帳面を買ってきてくれた……。それだけで嬉しかった。ぎゅうぎゅう帳面を抱きしめる私を、ガーランドは包み込むように抱きしめてきた。
「抱きしめるなら儂であろう?」
「……」
 耳許で囁かれ、私は耳から朱くなっていったのが分かった。手に帳面と筆を持ったまま、私は腕を伸ばしガーランドを抱きしめた。ひんやりとした白銀の鎧のおかげで、火照った私の体温は急速に冷やされた。むしろ冷たくて心地よかった。
……これで勉強が出来る……!
 書はこの部屋にたくさんあるので、事欠くこともない。ただし、内容は難しいものばかりではあるが。今の私には時間がたくさんある。ここでしっかりこの王国や近隣諸国のこと、歴史や文化まで知識を得ることが出来れば……このときの私はそれだけを考えていた。

***

 コンコン
 ガチャ
「今いいかしら?」
「……っ⁉」
 急に扉を叩かれ、私が返事する間もなく部屋の扉は開かれた。突然のことに私は驚き、目の前にいる人物を凝視することしか出来なかった。どうしてこのような場所に、しかもひとりで……従者も連れずに来るのだろうか。私は眼の前が真っ暗になりかけた。
「中に入っても?」
「……」
 固まる私をじろりと仰視して、美しい碧の瞳を細めたその人は、私の返答を待つこともなかった。私を押し退け、勝手にズカズカと室内に入って来た。
 騎士団長を務めるガーランドの部屋は、一般の兵士より広い部屋が割り当てられていた。私がひとり増えたところで、ガーランドには何の影響もない。強いて言えば私の私物を揃えた棚を新調してもらうのに、少し悶着があったことくらいか。
 日中の今は陽光で室内も十分明るい。照明は必要なく、灯りの点さないランタンが天井から吊り下げられている。テーブルには先ほどまで、私が勉強していたノートとペンが無造作に置かれている。
「あら……、勉強している最中でしたか?」
「……この国の言葉や歴史に触れようと、私なりに少しずつ学んでいくつもりだ」
「教師を付けましょうか?」
「不要だ。私が誰かと二人きりになれば、ガーランドは何故か不機嫌になる……」
「…………そう」
ご馳走さま。小さくその人は呟いた。何がご馳走さまなのだろう? 私は理解出来なかった。とにかくこの人を立たせたままではいけない。そう思い、私は慌ててテーブルの上を片付け、椅子に座ってもらった。
「そちらではないのですね。私がここに来れば、ガーランドはそちらに案内してくださるわ」
まあ、わたくしはどちらでもいいですけれど。近くには長椅子もあり、その人──セーラ姫──はその長椅子を指さした。
 確かに長椅子でも良かった。ただ、あれはガーランドが寛ぐときに座るものだから、この高貴な姫に座ってもらうのは如何なものかと私は考えた。だが、それは浅慮だったようだ。私は姫に頭を下げた。
「すまない……」
「構いません。それより今から出ます。すぐ用意してください」
「……どこに?」
「城内です、心配には及びません」
「……」
 私は無言でたっぷり数十秒は考えただろう。この姫に関わるとロクなことにならない。とはいえ、わざわざ姫がこうして私を迎えに来たのなら、それは決定事項。私に否定権はない。私は諦め、姫とこの部屋を出た。

「ここは……?」
 私は城内の大食堂に連れてこられた。最近はガーランドが朝早いので共に来ることは減ってしまった。だけど、以前は毎朝連れられて、ここで朝食を摂っていた。それが、どうして姫は私をここに? 私は理由が分からず、姫をちらりと見た。
 姫は私と目が合うと、ふふ、にこやかに笑んだ。おそらく私の考えを見越しているのだろう。姫は落ち合った数人の従者と話を始めだした。
「こちらよ、ウォーリア」
「……」
 続いて姫に連れられ、私は奥の厨房へと入った。意味が分からない。どうして姫は私をここへ? 私の脳内に疑問符が飛び交う。
「あなたはここで料理の勉強もしなさい」
「……は?」
 思わず間抜けな声を出してしまった。部屋で勉強していた私がどうして料理の勉強を? 呆然と姫を見つめていると、姫は私の視線に気付いたのだろうか、にこりと微笑み返してくれた。
「この間の晩餐会の残りのお食事、ガーランドが持って行ったの……ご存知ですか?」
「確かに……食べきれないほどの量を」
テーブルに並べてくれた……。私はあのときを思い出した。しかし、今とそれに何の関係がある? いよいよ私は分からなくなり、姫を凝視した。
「あれ……作ったのはわたくしです。全てではありませんが」
「……ッ」
 姫はなんでもないように言ってのけた。私は顔が強張っていくのが分かった。私は息が詰まりそうになっていた。あのときガーランドは何と言っていた?
『残れば処分されるものでな』
 だから、持ち帰ったのか。姫の作ったものだけでもと……。私はあまりの衝撃に声を出すことも出来なかった。姫を幼いころから見ているガーランドならば、どれだけ姫を大切に思っているか……私だって分かる。それでも……。
 つきん……、何故だろうか。胸が痛む。私は胸を押さえた。呼吸に乱れは感じられない。私の気のせいだろうか? 姫は私を心配げにじっと見つめていたが、大丈夫と判断したのか、そのまま続けてくれた。
「料理長にはわたくしから話を通してあります。あなたにはこれから必要でしょう?」
聞きましたよ、小屋のこと。続けられた姫の言葉に、私は刮目した。吃驚して言葉が出ない。私は姫の言葉を脳内で反芻していった。これから……必要? 何が? 小屋のこと? どうして姫がそのようなことを知っている? 疑問ばかりが浮かび上がる。私は姫をじっと凝視した。
「わたくしでも……人に振る舞えるものが作れるようになりました。ですから、あなたも頑張りなさい」
「……そうだな」
 この姫は意外と世話焼きなのかもしれない。なんだかんだで私にいろいろと助言や、ここで過ごすための手助けを申し出てくれる。影武者に対する対価かもしれない。それでも良かった。私は姫の申し出てを受けることにした。私は改めて料理長と向き合った。
「では、料理長。これからよろしく頼む」
「いいぜ。セーラ王女様もこうやって、暇な時間帯に教えたもんよ!」
 恰幅のいい料理長はガハハと笑いながら、さっと右手を出してくれた。私も同様に右手を出し、がしりと握り合った。
「じゃあ。ウォーリア、でいいのか? 時間帯は今のこの時間に頼むぜ」
 昼を過ぎた今が、厨房は一番空いた時間帯になるらしい。もう少し経てば、今度は夕食の仕込みの時間帯になる。料理を教えてもらえるのは僅かな時間だが、それでも私は嬉しかった。
 外部の人間……それも素性も不明な人間を快く王城に滞在させ、この城を出たときのために料理の技術まで学ばせてくれようとする……。私は姫の采配に感謝の言葉しか出なかった。
「姫も……それに料理長も、すまない」
「いいですか? ウォーリア。ガーランドのいない午前中は私のサロンに居なさい。昼は可能ならガーランドと食事して、午後からはここで料理を学ぶのですよ」
「姫、サロンで何を……?」
「あなたが誰かと二人っきりになれば、ガーランドは怒るのでしょう? でしたらわたくしの教師に学びなさい」
わたくしももちろん一緒ですよ……。姫の言葉に、私はまた驚いていた。きょとんとする私に、姫はくすくす、とても愛らしく笑いだした。
「……ウォーリア。あなた……、鏡を見ましたか?」
「鏡?」
 私は姫の言いたいことが分からず、眼を丸くしたまま姫を見つめていた。
「顔に手形がはっきり付いていますわよ……。その腕にも、ね」
「ッ!」
 腕の痣には気付いていた。しかし、顔の方は……。ガーランドの部屋には鏡はあるが、私はいちいち見ることがなかった。私は男だし、特に身の手入れが必要なわけでもない。
「……」
……それで、か……。
最近、周囲がまた私を見ていたのか。変な注視をよくされているな……とは感じていた。そうか。顔にも痣となって残ってしまっていたのか。私は自身の頬に触れ、そっと瞼を閉じた。あのときのガーランドを、私は絶対に忘れてはいけない。この先……、私に何があろうと。