2022.8/03
「あれは手作りか? 美味かったぞ」
一日の業務を終え、ガーランドは自宅に戻った。玄関先で出迎えてくれたウォーリアに鞄を渡す。それからネクタイを少し弛め、鞄をしっかりと抱きしめているウォーリアの頭を優しく撫でた。
ウォーリアの氷雪色の髪は玄関先の間接灯に照らされ、不思議な色合いに光り輝いている。髪をくしゃりと撫でてからは、ウォーリアの白い頬に手を添えた。それだけでウォーリアは嬉しそうに綻ばせている。
「そうか? 作り方をフリオニールに教わっ……ん?」
だが、返された言葉はガーランドの望むものではなかった。そのために、添えていた手の親指を使い、ウォーリアの唇を押さえた。ウォーリアのさくらんぼのような潤いの柔らかい唇はむにっと潰れ、ガーランドの指に感触が伝わった。
「儂の前で、勝手に別の男の話をするでない」
「だが、あの梅のお菓子は……んっ、」
それでもまだなにかを伝えようとするウォーリアの唇に、ガーランドは撫でるようにそっと指の腹を動かしていく。意図を孕んだ指の動きは、それだけでウォーリアから力を削いでいった。
ふにゃりと力の抜けたウォーリアを片腕だけで鞄ごと抱きしめる。すると腕の中からウォーリアの抗議の声があがった。
「おまえは……っ、『人の話は最後まで聞け』といつも授業で言うくせにっ。私には言わせてくれないのか」
「……」
今日の授業ではウォーリアがさっと折れたために言わなかったが、これは衝突して言い合う際にガーランドがよく使う言葉だった。早い話〝授業に戻らせろ〟と暗に示しているのだが、ウォーリアは言葉どおりの解釈をしているらしい。
「わかった。説明しろ……ただし。このままで、だ」
「う、……わかった」
ここは諦めてウォーリアの言い分を聴くことにした。しかし、それだけでは手が寂しいのでウォーリアを抱きしめたまま、頬に添えた手もそのままで……ということで話を進めさせた。ウォーリアの頬は色よく朱に染まり、震える艶めいた唇がガーランドの情欲を煽るようだった。
「あまり妙なことを教えてくれるようなら、夕食の前にお前から食う。……わかっておるな?」
「妙なことかはわからないが……。オムライスの約束は?」
「お前を食ってから作る。それだけであろう?」
「〜〜〜〜っ、」
話の流れがウォーリアの思っているものと異なる方向へ行こうとしている。このままでは確実に食べられてしまうのはウォーリアだった。察したウォーリアはガーランドに説明すべく、添えられた手に頬を擦り寄せるようにして口を開いていく。瞼を閉じて、これまでを思いだしていくように……。
ガーランドが夏のはじめに梅を砂糖で漬けるのを、ウォーリアは一緒になって見ていた。そして最近になって、ようやく梅のシロップとして完成した。
けれども、ガーランドは元々は梅酒を漬けるために、その梅を購入してきたことをウォーリアは知っている。ウォーリアがまだ飲酒ができないからと、ガーランドは梅酒を漬けるはずだったものをシロップに変更してくれた……。その事実にウォーリアはずっと感謝をしていた。
だが、甘いものをほとんど食べないガーランドが梅シロップなど、作ったところで飲むはずもなかった。梅酒にするにしても氷砂糖の量を極端に減らし、梅本来の味を引き出すように漬けているくらいなのに。ならば、ウォーリアにできることはひとつだった。シロップを漬けたあとの梅も含めてどうするか……ということだった。
シロップ自体は飲めなくても、それや梅の実を使ったなにかを作ることはできないか。そのことを一学年下で料理上手と有名なフリオニールに相談したところ、何種類かお菓子の作り方を快く教えてくれた。
『これで……失敗なく作ることができるんじゃないかな』
学年が上のウォーリアのいる教室まで、フリオニールは授業終了のチャイムが鳴ると同時にレシピを届けに来てくれた。ウォーリアにレシピを手渡すと、フリオニールは笑顔を浮かべて周囲を見まわしている。
フリオニールにとって、ウォーリアのいる教室というのはかなり新鮮だった。セシルがちらちらと小さく手を振ってくれているのを見て、フリオニールも同じように手を振り返した。
教室内には、この時間の授業を担当していた体育教師のジェクト先生がまだ残っていた。ジェクト先生はウォーリアとフリオニールの様子を黙って窺っている。だが、『学年が異なるから教室に戻れ』というわけでもなく静観してくれているのは、ウォーリアとフリオニールにとってもありがたい。ウォーリアはジェクト先生の沈黙を了承と捉え、フリオニールのレシピをじっと読み込んでいった。
『すごい……フリオニール、これなら』
『家庭科室が使えるようなら、材料さえあればすぐに作れると思うよ』
『材料なら持ってきてはいる』
教室の出入り口での立ち話だというのに、ウォーリアは周囲の注目を無視してレシピとフリオニールを交互に何度も見つめていた。
フリオニールが紙に書いてきてくれたのは、ガーランドでも食べやすいようにと甘さ控えめに加減されたお菓子のレシピであった。それをひと目見て、ウォーリアは喜んだ。これならシロップも梅の実も、余すことなく使うことができる。
それにレシピから見るに、ウォーリアからすると少し甘みが物足りなく、ガーランドにすればちょうど良い甘さに調整されている。しかもフリオニールの考えてくれたこのレシピは、ありがたいことに短時間で作れるものばかりであった。これなら少し不器用なウォーリアでも簡単に作ることができ、失敗することはなさそうだった。
『感謝するっ‼︎ フリオニール!』
ウォーリアはその場でフリオニールにぎゅっと抱きつき、感謝の態度を表した。普段は凍てつくような氷の無表情を見せる男子学生服を着用したウォーリアのこの行動に、クラスの生徒はもちろん、ジェクト先生までもが唖然とした顔を見せていた。
ウォーリアが男装した女子であることを知らない者は、この学園にいないと言っていい。そのウォーリアがとった大胆な行動に、教室の内外から大きなどよめきがあがった。
『次の長休みなら、家庭科室は空いているよ』
ここで、セシルから助け舟とも窘めとも解釈のできる言葉をかけられた。ウォーリアとフリオニールの話を聞いて、家庭科室の空き状況を調べてくれていたらしい。家庭科室の使用には家庭科担当のゴルベーザ先生の許可が必要になるが……セシルがいる限り、その問題はなさそうだった。
『兄さんには僕から話をしておくから、材料があるなら早く作ったほうがいいよ』
聡いセシルは話の内容から、ウォーリアがなにをしようかまで察してしまった。だが、ここでその名を出すほど無粋でもない。セシルは席を立つと、それとなくフリオニールとウォーリアのあいだに入り込んで控えめにそっと伝えた。
『フリオニール、もう次の授業のチャイムが鳴る。君は早く戻るんだ……ジェクト先生も』
『わかった。……じゃあ、ウォル。頑張って』
『いけねッ。次の授業が始まらァ!』
ウォーリアから引き離されたフリオニールと、ずっと様子を見ていたジェクト先生は、二人揃って慌てたように教室を出ていった。くすくすと小さく微笑うセシルはウォーリアの肩に手をあて、口元に立てた親指を添えた。
『あまり大きな声と、目立つ行動は避けたほうがいい。どこで、誰が、見ているかわからないからね』
『……わかった』
セシルから少し高圧的なものを感じ、ウォーリアは肩を下げた。嬉しさのあまりフリオニールに抱きついたり、それをジェクト先生に見られてしまったのは後々の面倒事に繋がりかねない。気を引きしめるようにして次の授業を受け、次の長休み時間にウォーリアは家庭科室でレシピどおりのお菓子を数点作りあげたのだった──。
「なるほどな」
ここから先は昼休みの顛末となる。ガーランドの居る準備室まで突撃したウォーリアは、長休み時間中にお菓子を作り終えラッピングしたものを無事に渡せたわけだが……。そのお菓子はすでにガーランドが胃の中に収めている。五限の終わりと放課後に珈琲とともに、しっかりと食べきっていた。
甘いだけなら苦手であるが梅の酸味がほどよく効いており、美味といってもいいくらいであった。お菓子を食べてから職員室に寄ったガーランドは、ここで思いもよらない情報を得ることになった。
それが、休み時間に起きたウォーリアとフリオニールの件であり、ガーランドは職員室で捲し立てて話すジェクトに殺意を抱きながら怒りを必死に抑えていた。
「──全く。見境なく男に抱きついて、ふしだらと思われたらどうするつもりか」
「……」
そのようなつもりはないと、表情で訴えるウォーリアに、ガーランドは頬に添えた手をゆっくりと動かした。ウォーリアの言いたいことは、ガーランドとしても理解のできるものであった。そのことについて言及するつもりはない。ただ、釘だけは刺しておかないと、セシルが懸念していたものと同じことをガーランドも考えている。
頬に添えた手で優しく触れ、親指の腹で掠めるように撫でていく。慈しむように触れたウォーリアの肌は、弾むような質感があった。澄んだ白磁の肌に触れるだけで、ガーランドは多少の罪悪感に駆られていた。
「…………。男装など、無意味なことをしおって」
「……」
ウォーリアの本当の性別を知る人物として、両親以外ではガーランドとジェクトがいる。実はウォーリアの傍にいるあの三人も知らないことであった。ウォーリアが言わなくても、もしかしたらあの三人は黙っているだけで察しているかもしれないが。
「そもそも、女子などと偽る必要もなかろうが」
「それは……っ、おまえが」
呆れたように嘆息するガーランドに、ウォーリアは反抗するように顔を上げた。頬に添えられた手はそのままなので、手のひらから感じる熱にウォーリアの心は大きく高鳴っている。
「儂? 同性だとお前に不都合なことでもあるのか」
ガーランドにここで否定をされてしまえば、ウォーリアのこれまでが台無しになってしまう。認めてほしいわけではない。ただ、ウォーリアは理由が欲しかった。
「まだ、この国では同性愛に理解は少ない。だから──」
「だから? 女と偽って儂の傍に居る……と? 女装とも男装とも言えぬ中途半端な姿を晒してまでか?」
「……」
これはウォーリアにも否定ができない。女装ができないから、考えに考えた苦肉の策だったのだが、どうやらガーランドはお気に召さないらしい。それもそうだった。良くも悪くも実直で頑固なガーランドに、このような妙策は通じない。それなのに、ウォーリアが世間を騙し通しているという事実が、ガーランドは気に入らなかった。
「儂がそのような世間のくだらぬ事情に囚われると思っておるのか」
「そんなことはない。おまえは……いつだって、私を。だから──」
今を失いたくない……。か細い声で訴えるウォーリアの躰を包むように、ガーランドは抱きしめた。男性用の部屋着に身を包むウォーリアの躰は昼間と違い、胸や腰に柔らかさを感じない。
「愚か者が……。女と偽った躰より、儂はそのままのお前の躰が好いがな」
「それは……っ、どういう」
「言葉どおりの意味だが?」
かあぁっと一瞬で頬を薔薇色に染めたウォーリアの平たい胸に手をあて、ガーランドは心音を確かめるようになぞるように触れていった。学校に居るときには存在する胸の膨らみが今はなくなり、ウォーリアの真の姿をさらけ出している。
「だが……。儂だけの秘密、と考えると悪くはないのかもしれぬな」
正確にはガーランドだけではなく、ジェクトやウォーリアの両親も知り得ることなのだが。しかし、この場合は省くことにする。この部屋に居るのはガーランドとウォーリアのみで、昼間の準備室のように男女……ではない。
ウォーリアが実は男性で、ガーランドと一緒になりたいからというだけで性別を偽り、女性として過ごすようになった。
しかし、女性と偽るには抵抗があったウォーリアは〝女性が男性の姿になる〟という妙な策を思いついた。男性の身に胸と腰にのみ詰め物をして、外見上は少しだけ女性らしさが出るように姿をも偽るようにした。
女性らしく見えるようにとの理由で、唇には桜色の薄いリップを塗った。素肌が白磁のように艶めいているし、氷銀色の睫毛は元々が長いので、メイクは特にする必要もなかった。声は男性特有の低めの声色であったが、ウォーリアの声が澄んだものであったために、女性が男性のふりをしているからと……どうにか誤魔化すことができていた。
こうして女性のように振る舞うだけで、なにも知らなかった周囲は勝手に〝ウォーリアが男子の真似をしている女子〟であると勘違いをしていった。これはひとえにウォーリアの外見が、見まごうほどの麗容を極めていたからできたことでもあったのだが。
なお、学園内の公式の場……生徒会などでは、男装が通じない。公の場で、偽りの性別である女性として、女子の制服を着て全校生徒の前に立たなければならない。ウォーリアが生徒会に所属しないのは、このことが理由にあった。そのかわり、生徒会所属のあの三人がウォーリアを守るような位置にあるわけだが……。
「おまえだけの秘密……? それなら、ジェクトが……んぅっ、」
伏せようとしたことをわざわざ紡ごうとするウォーリアを唇を塞ぐように、ガーランドは唇を重ね合わせた。抱きしめてウォーリアの本来の躰つきを確かめているうちに、ガーランドとしても燻るものが躰に灯ってしまっている。
ウォーリアの言わんとすることは、ガーランドもよく理解しているつもりだった。だが、ウォーリアの唇からほかの男の名など聞きたくはない。そのために、ガーランドはウォーリアの口内に舌を入れ、くまなく蹂躙していった。
ウォーリアが男装女子として学園で過ごすために、協力者として選ばれたのが体育教師のジェクトであった。ガーランドとの関係を知る唯一の第三者であり、学園生活を送るためにはウォーリアにとって絶対に重要となる人物となってくる。
まだウォーリアが幼少の頃だった。ガーランドとジェクト、それからウォーリアの出会いがこの三人の運命を大きく変えてしまったのだが……それはまた別の話で語ることにする。
とにかく、ウォーリアの本来の性別を知っていてなお、ジェクトはひとりの女性として扱うことにしていた。体育もそうだが、保健体育などもそうであった。ウォーリアの都合に合わせ、ジェクトは体育の授業時のみ女子学生を担当している。男子のほうは別の教員に任せ、なにかあればウォーリアのフォローができる立ち位置に入っていた。これもまた、ウォーリアが学園生活を円滑に送るためにはありがたいことであった。
もちろん、これはウォーリアの両親からの理解も得ている。そうでなくば、両親が理事や校長を務める学園をウォーリアは選んだりしない。というより、ウォーリアが両親の庇護下にあるからこうして性別を偽って学園生活を送ることができるわけであるし、ジェクトのような協力者を得ることもできた。もっとも、両親もガーランドとジェクト、そしてウォーリアの幼少の頃のことを知っているからこその、今があるのだが──。
「んっ、……ふぁ、っ……んぅ」
ウォーリアからくぐもった声が出る。膝がガクガクと揺れだしているが、ガーランドに両腕でしっかりと抱きしめられているために崩れることもできない。大きな舌に舌を絡まされてしまい、ウォーリアの口端からどちらのものかわからない唾液が溢れ出ている。
「んっ、」
ウォーリアから完全に力が抜け、持っていたガーランドの鞄が床に落ちた。それを合図とするように、ガーランドはウォーリアから唇を離した。ウォーリアが息をつく一瞬の隙にさっと横抱きをし、部屋へと入っていく。これに驚いたのはウォーリアだった。
「オムらいす……たまごがトロトロのものを私はたべたいのに」
口内を蹂躙していたせいで、ウォーリアから舌足らずで呂律のまわらない言葉が返ってきた。何度もオムライスと言ってくるあたり、ウォーリアは期待をして待ってくれていたのだろう。それこそ、楽しみにして──。だが、今のガーランドはオムライスどころではなくなっている。
「ふむ。トロトロか……」
ふたりが並んで寝ても余るくらい大きなベッドの上にウォーリアは下ろされていた。ポスンとバウンドするウォーリアの上にガーランドはのしかかり、逃げ場を完全に塞いだ。
「ならば、儂がもっと蕩けるものをくれてやろう」
「──……っ、」
ガーランドの言葉の意味するところを察し、ウォーリアはこくりと息を呑み込んだ。ここから先は強制的な大人の時間となってしまうことに、ウォーリアは瞼を閉じて腕をガーランドの首にまわした。