Schwaches Licht(FF1) - 2/5

                 2019.4/18
第二章 周知

 

「朝食は大食堂で儂と摂る。昼と夜は儂が戻れぬときは、この部屋へ運ぶように手配をかけておく。お前は手洗い以外、この部屋から出るな」
「はっ?」
 今、なんと言った? この男。何故私がそのような窮屈な生活をしなければならない。私は先ほど不意打ちの口付けをしてきたこの男──ガーランド──を、ぎりっ、睨みつけた。
「そろそろ起きて準備をせねば。部下がやってきおる」
お前もいつまでもその姿でおるでない。ガーランドは寝台を下りると、私をそのままにして隣の部屋へ行ってしまった。私は慌ててガーランドのあとを追いかけた。
 私が執務室へ入ると、すでにガーランドは着替え始めていた。黙々と白銀の鎧を身に着けていくガーランドを、私はただただ見ているしか出来なかった。
「そのように見られても、この鎧には何の仕掛けもないが?」
「違っ! そういう意味で見ていたわけでは……すまない」
 私がじっと凝視していたのに、どうやら気付かれていたようだ。私は慌てて顔を逸らした。
「お前も早く鎧を身に着けろ。共に行くぞ」
「行くとはいったい?」
「この国で滞在するための許可を得るために、国王に謁見してもらおう」
「私がか?」
「お前以外に誰がおる? なんなら儂が手伝ってやろうか?」
「いい。自分で出来る」
 私はまずアンダーと腰布の姿になり、それから部屋の端に纏められていた鎧を装備した。全ての装備を身に着け私が角兜を被ると、ぐい、すでに装備を終えていたガーランドに腕を引かれた。
「準備は出来たか? 行くぞ」
「……」
 この男は相当せっかちな人間のようだ。そういえば……私は思い出した。ここではない世界で死闘を繰り広げたあのときも、この男は何かに急いていた気がする。それが何かは私の知り得ることではないが。
 私はガーランドに腕を掴まれたまま、部屋を出た。私はここに留まると言ってしまったことを、もしかして早まってしまったのだろうか?

「……」
……なんだ?
 何故かすれ違う者全てから見られる。それほど外部の人間が珍しいのだろうか? それとも、ガーランドが連れを連れていることが珍しいのだろうか? 私は少し考え、ひとつの結論を出した。
……そうか、この鎧……。
 この青の重鎧は、このコーネリアという地ではあまり見ない型の鎧だからか。珍しさから皆が見てくるのだと私は思い、そういや……と昨夜のガーランドの話を思い出した。
……それでこの国の服を……と言ったのか。
 私はようやく納得出来た。珍しい型の鎧というだけでこれほど見られるなら、確かにガーランドの言う通り、この国の衣類をなるべく身に着けた方がいいのだろう。
……王への謁見が終わり次第、ガーランドに頼んで服を見に行こう。
 私は周囲からの視線に耐え、ガーランドに腕を引かれたまま謁見の間に向かった。

***

……何だろうか?
 ここは先以上に見られる。それほどこの鎧が珍しいのだろうか? 私は首を捻った。この青の鎧が珍しい型のものだとするのなら、ガーランドの白銀の鎧も負けていないと思うのだが。
 むしろガーランドの鎧の方が、外見的に厳つくて目立つのではないか? 私は思うのだが、周囲の者はそうでもないらしい。
「──」
「────」
 ガーランドが王に説明をしてくれている。やはり私の存在は稀有なのだろう。この謁見の間で、とても浮いた存在に見える。もし、この国の王が私の滞在を認めてくれないのなら、それを理由に、私はこの城を出ることが出来る……。
 王の隣の玉座に鎮座する女性が、ガーランドに美しい笑みを向けていた。薔薇色の美しい髪を結わえ、薄いヴェールで顔を覆い隠している。その顔に私はどことなく見覚えがあった。
「ねえ、ガーランド。わたくしにもその方を紹介してくださらない?」
「セーラ姫……」
「姫……?」
 この方はどうやらこの国の王女のようだ。その姫がヴェールを外し、私を見てきた。私は驚いた。この国の王女は、私にとても似ている……。
……そうか、だから先から皆に見られていたのか。
 私は納得した。昨夜の大浴場でも、この謁見の間に向かう途中でも、そして今も。ずっと私は周囲の視線を浴びていた。この国の姫に似た外部の人間を、騎士団長であるガーランドが連れ歩いていれば、確かに目立つかもしれない。
「あなたがウォーリアオブライト……」
 くすり、高貴な姫が含むような笑みを浮かべる。ゾクッ、私の背中が総毛立った。すごく嫌な予感しかしない。この姫に関わらない方がいいと、脳が警鐘を鳴らしている。
 硬直してしまった私に代わり、ガーランドが私と姫との間に入ってくれた。
「姫。ウォーリアは客人であることをお忘れなきよう……」
「あら、いいじゃない。客人であるなら、ふふ……」
ウォーリア、あとでゆっくり話をしましょう……。ゆっくり、ね……。美しい姫はにこり、優雅に微笑んだ。私に美しい顔を見せてから、再びヴェールで顔を覆い隠してしまった。
「……」
 私は言葉を失っていた。蛇に射竦められた蛙のように身体まで硬直する。背中に伝う違う汗が気持ち悪い。警鐘が、ガンガンと脳内に鳴り響く。
「姫、いい加減になさっ」
「ガーランド、わたくしに命令するのですか……?」
「いえ、ですがウォーリアは私の客人。どうかご容赦を……」
「ガーランド。それは、わたくしが決めることです。あなたではありません」
「……は」
「……」
……すごい。あのガーランドにあそこまで言えるとは。
さすが一国の姫なだけのことはある。私は感心した。警鐘は相変わらず鳴り響いているが、もはやどうすることも出来なかった。
 玉座を立った姫は、自ら私の元へと来てくれた。沸きあがる周囲のどよめきの声が、私の耳にも響く。とても優雅な立ち振る舞いで私の前に立った姫は、すっと手を差し伸べてくれた。
「さあ行きましょう、ウォーリア。堅苦しい話にあなたが付き合う必要はありません」
「姫、ウォーリアを何方へ……?」
「行く場所はひとつです。ガーランド、あの針が上に来たらウォーリアを迎えに来なさい」
広い城内は迷うでしょう? くすり、ヴェールの下で美しい笑みを浮かべている。しかし、それがとても含んだように見え、私は後ずさった。
「私をいったい……」
どうする気……? 私の警鐘はいよいよ本格的なものに変化した。ガンガンと打ち鳴らす鐘の音を聞かないように心を鎮め、姫に一度向きなおった。
「どうする気? 男女が部屋に入れば……、することなどひとつでしょう?」
 くすり、姫が妖艶な笑みを浮かべる。ぞくり、先ほどから感じる嫌な予感がいよいよ本物となり、私は自分の顔が青褪めていくのが分かった。
「姫! そのようなこと……」
「ガーランド、あなたはわたくしに口を出す気……?」
「しかし……」
「いいわ。ウォーリアをこの城に留めてくれただけで、あなたの役目は終了です。さ、ウォーリア、わたくしといらして」
「……」
「……」
 私とガーランドは互いに眼を合わせた。どうやらガーランドも警鐘が鳴り響いているらしい。必死になって姫を止めようとしてくれている。
 それほどこの姫は危険なのだろうか? だが、私は自身の脳を打ち鳴らす警鐘を無視し、姫と共に行くことに決めた。このままではガーランドの立場が悪くなる、そう……思えた。
「決めたようですね、ウォーリア。では、わたくしと此方へ」
 こくり、私は無言で頷いた。私達のやりとりを見ていた周りの家臣達から、一斉にどよめきが上がった。しかし、そのどよめきの種類が違っていたことに、このときの私は気付いていなかった。

「姫、何を?」
「ウォーリア。鎧と着ている衣類を全て脱ぎなさい」
下着はそのままで結構です。姫のサロンに連れてこられた私は、姫と数人の従者に囲まれた。姫は優雅に椅子に腰かけ、従者に淹れてもらった茶を飲んでいる。
「さっさとしてくださらない? 時間を無駄には出来ません」
「いやだ……っ、やめッ」
ガーランド……っ、たすけ……。私の叫びは周囲に聞こえるはずもなく、従者にいいように装備を剥がれていった。

***

ガチャ

「ウォーリア!」
「ガーランド……」
私はもう、この城から出たい……。姫のサロンに焦燥したガーランドが来てくれた。私はガーランドに駆け寄り、懇願した。この場にガーランドしかいなければ、姫や従者達がいなければ……私はガーランドにしがみついていたかもしれない。それくらい私の全身は疲弊していた。
「あの程度で……情けないですこと」
 くすり、姫が嘲笑する。私は姫の顔を見ることも出来なかった。姫と従者に全身を見られ、恥ずかしい姿を晒すことになってしまった。今は元の装備に戻り、一見何もなかったようには見えるが──。
「姫……彼はこの地に辿り着いたばかりで、まだ疲労が残っている身。これ以上の無理は」
「だからそんなに細いのね? なら、尚さら好都合よ」
まともに食べてこなかったのでしょう? しっかり食べさせてもいいけど、彼はこのままの方がいいかもしれませんね……。薄いヴェールの下で姫は優雅に笑んでいる。
 いい加減しつこいかもしれないし、どうでもいいことかもしれないが、私は秩序勢の中で一番体躯がしっかりしていた。それを細いだと? いくら高貴な姫でも言っていいことと悪いことが……好都合? 聞き捨てならない言葉を私は拾い、姫をじっと凝視した。姫は相変わらず優雅な笑みを浮かべている。
「ウォーリア。有事の際はわたくしの影武者として存在してください」
それが、あなたがこの城に滞在するための、わたくしからの条件……。優美な笑みのなかに妖艶さを含ませ、にこやかに姫は言い放った。伝えたことに満足したのか、姫は茶をひと口、こくりと飲んだ。
「なっ?」
 私は刮目した。元々私はこの城に留まりたいわけではない。この国から出たいとも、今は思わない。ただ、この城からは出たい。それは切に願う。それなのに、どうしてこのような条件を飲まねばならない? 私は姫に物申そうと口を開いた。
「姫、ウォーリアは男性で」
「承知です」
 姫はガーランドの言いたいことが分かったのだろう。ぴしゃりと遮り、ガーランドをじろり、見上げて睨みつけた。
「男性だからいいのです。女性には危険すぎて……わたくしの影武者など任せられません」
「……」
「……」
 姫の言葉に、私もガーランドも沈黙した。確かに姫の影武者ともなれば、危険はつきものだろう。その危険な役を女性にさせたくないという姫の気持ちに、私は胸を打たれた。この姫は多少強引な手段を用いるが、根は優しい方なのかもしれない。私は姫の印象を変えた。
「了解した、姫。何かあれば協力しよう」
「ありがとう、ウォーリア。もういいわ、下がりなさい」
疲れたでしょう? ゆっくりしなさい。やはり、この姫は優しい。出来るなら、影武者の役があたることのないように願うしかない。私はガーランドと共に、姫のサロンをあとにした。

「昼から休みを取得した。街へ出て買い物に行くぞ」
「買い物?」
 私達はガーランドの部屋に戻ってきた。ガーランドの淹れてくれた茶を飲みながら、昼からの話を始めた。ガーランドの立てた予定に、私は疑問符を飛ばした。服を買い求めるだけの買い物なんて、別に私ひとりでも行ける。
「服と、身のまわりのものが主だって必要だろう。お前だけでは迷うから、儂も共に行こう」
「……」
結構だ。私は言いたかった。だが、先に茶を飲み終えたガーランドは準備を整え始めた。パチン、兜の留め具を留めたガーランドは椅子に座る私の隣に来ると、私の鎧を脱がしていった。
「なに、を……?」
「お前のその姿は目立つ。儂の傍におれば何も起こらぬ」
よいな。何故か圧を含む言い方に、私は眼を細めてしまった。言われ方が気になったのもある。

***

「……」
 何故だろう? 私が歩けば皆が振り返る。今は青の鎧を脱いでいる。アンダーと腰布だけならばさほど目立たない、そう私は考えていたのに。
「これが……」
 すごい。私は正直に思った。この街の賑わいが、溢れかえるような人々が。私は周囲を見まわした。たくさんの露店や店が軒を連ねている。
「ガーランド、ここが……っ 」
 私はその先を続けることが出来なかった。ガーランドの周りには人だかりが出来ていた。そこで私は納得した。視線を集めていたのは、私がガーランドと歩いていたからだと。
 白銀の鎧に身を包んだ、この壮大なコーネリア王国の騎士の全てを統べる騎士団長──。そういえば、修練場でもガーランドの話を耳に出来た。それほど人気がある人物の傍に、得体の知れない私がいれば、それは見てくるだろう。
 くすり、私は苦笑するしかなかった。これでは、私の入る余地がない。いや、入ってはいけない場所なのだと、これ以上踏み込んではいけない場所なのだと……無理にでも思い込ませねばならない。
 私はそっとガーランドから離れた。あれだけの人だかり、加えて今の私は鎧を着ていない。少しは時間も稼げるだろう。
 私はこのままガーランドの前から消えてしまおう、そう考えた。ガーランドの部屋に残してきた鎧は……ガーランドの職務中にこっそり兵に頼んで取ってきてもらおう。最悪……あの鎧を諦め、この国の鎧に身を包んでもいいかもしれない。むしろ、その方がいい。目立たなくてすむ。
 私は考えながら街を歩いていた。噴水の側で踊り娘が踊っている。こちらはこちらで人だかりを作っていた。だけど、私は興味を持つこともなく、横目に通りすぎた。
 いろいろ見てまわり、ふと防具屋の前を通った。店頭に置かれている赤い鎧が、私の眼に飛び込んできた。私が着ていた青の鎧とは真反対の色に、何故か心が惹かれてしまっていた。
 ふらり、私は防具屋に入った。店頭に飾られている、あの赤の鎧がどうしても気になった。
「着てみるかい?」
「私は金を持っていない……」
 防具屋の大将が声をかけてくれた。申し出にはありがたかったが、私は持ち合わせを持ってはいない。
 この国で買い物をする際に必要な貨幣は、全てガーランドが持っていた。この世界に来たばかりの私が到底持てるはずがない。
「試着だけでもいいぜ、兄ちゃんなら似合いそうだもんな」
「いいのか? なら……頼む」

 赤の鎧を試着してみて、思いの外しっくりしていた。もし、青の鎧を手放さなければならなくなれば、次はこれがいい……私は思った。思ったが、私には支払う貨幣がない。思いきって私は大将に切りだした。
「良い品だと思う。しかし、私は持ち合わせがなく……」
申し訳ない……。続けようとした私に、大将は大笑いしてきた。何故笑われるのか? 私は顔を上げて大将を凝視した。
「兄ちゃんの髪でいいぜ」
「この髪を?」
 私は吃驚し、自身の髪を見た。傷んで綺麗とは言い難い。それでも、防具屋の大将は私の髪をじっと見つめ、声をかけてくれた。
「兄ちゃんのこの髪なら、多少傷んでいても高く売れるよ」
この辺にはない髪色だからね。髪を売り、貨幣に変えることは聞いたことがあった。なるほど、それで周囲の者は私を見てくるのか。私の外見が珍しいこと、ガーランドが私を連れているから、と。
 私は暫し考えた。この髪に未練がないとは言いきれなかった。
『もったいないよ。ウォルの髪は手入れさえすれば、光り輝くほど美しいんだから……』
僕のオイルならいくらでも分けてあげるから。よくセシルが零していた。私は男だから不要だと、いつも断っていたが。さらり、私は自身の髪を見た。昨夜までは傷んでいたこの髪を、ガーランドは綺麗にしてくれた……。
「──ちゃん、兄ちゃん。どうすんだい?」
「っ! ああ、すまない。やはりやめておく」
 大将が声をかけてくれていたのに、私は髪を見ていてなかなか気付くことが出来なかった。慌てて大将に向きなおる。せっかく大将が申し出てくれたが……セシルが何度なく褒めてくれたこの髪を、私は売ることは出来ない。それに──。
……ガーランドも。
 時々だが、私の髪に触れ撫でてくれていた。それに昨夜は手入れまでしてくれた。私はさらさらになった傷んだ髪をひと掴み取った。防具屋の照明にあたり、艶のなかった髪が今はキラキラと輝いている。
「ま、いいや。金が出来たら来なよ。兄ちゃんの予約済ってことで、この赤の鎧は売らずに置いといてやるよ」
「すまない、店主」
「店主なんて硬っ苦しい! 大将でいいぜ」
 もし、青の鎧を諦めねばならないのなら、次はこの赤の鎧にしよう。私が結論を出したころ、先にいた広場から何か騒ぎのような声が聞こえてきた。
 もしかしたら、私が離れたことにガーランドが気付いたのかもしれない。私は大急ぎで店を出て、この路地から離れた。

 どのくらい歩いただろう。私は街外れに来ていた。
……これは?
空き家だろうか? かなり古くなった、小さな小屋が建っていた。人が不在になり、年月が経っているのだろう。もう建て直ししなければならないほど、ボロボロに朽ちた小屋が私は気になった。ふらり、誘われるかのように、その小屋に入っていった。
 小さなキッチンと寝所に使うような小さな部屋、大きめの部屋……これはリビングだろうか。あとは風呂と手洗いが付いている。私は天井を見た。相当古いが、雨漏りの心配はなさそうだった。
……ここなら。
 朽ちた小屋に誰かが住みついても、持ち主が現れない限りは文句を言われることはないだろう。少なくともテントよりは雨風を凌げる。
 ガーランドの部屋に荷物の全てを置いてきてしまっている。そのため、あるものはこの身ひとつだった。それでも、私はこの小屋で新しい生活を送れるかもしれない……そう考えた。
 あとは、ガーランドに見つからないようにするだけ……。私はガーランドと交わした約束は守る気でいる。この国に留まると交わし合ったのだから、勝手にこの国を出て行くことはしない。ただし、ガーランドの傍にいることは出来ない。
 ガーランドはこの国の住人にも愛されている。私に目を向けている暇なんて、どこにもないはず──。
 ふるふる…。私は頭を左右に振った。もう考えるのは止めておこう。ガーランドから離れ、この小屋を見つけた。それだけでいい。あとは私の存在を、ガーランドは忘れゆくだけ……。
「何を泣いておる?」
「……っ!」
 何故ガーランドがここにいる? そして何故、怒りを含んだ声を発している? それより、ガーランドは何と……? 私が泣い、て……? 私は自身の頬に触れた。確かに温かいものが流れている。私は手の甲で両頬の涙を拭い取った。
「ガーランド……何故」
ここが分かった……? 私の問いかけには無視し、小屋の扉の前にいたガーランドは、広い部屋の中央にいた私の元まできた。私は後ずさり、逃げようと部屋の端に向かった。小さな部屋には窓もあった。上手く逃げ込めれば、もう少し時間を稼げる。
 私は少しずつ動き、小さな部屋の扉を目指した。あの部屋に入り、施錠さえしてしまえば……。ちらり、扉を確認した私は、ガーランドから眼を離したため、素早いガーランドの動きを捉え損ねた。
「何処へ行く、ウォーリア?」
「ぅあッ!」
 ぎりぎり……、音がするくらいの強い力で、ガーランドは私の腕を掴んできた。痛みで声が出ない。私は腕を振りほどこうと、必死にもがいた。だが、腕を振り、身を捩ろうとも、ガーランドはビクともしない。私が抗えば抗うほど、掴んだ腕に力を入れてきた。
……これほどの差が……。
 私は苦痛に顔を歪めた。ぎりぎりと骨の軋む音が私の耳に届いてくる。このまま折られてしまうのか? 私はぼんやりとガーランドを見上げた。
「ガーラ……」
 硬質なフルフェイスの兜は何も映し出さない。それでも、ガーランドが怒りに震えているのが分かった。掴まれた腕が震えている。何故ガーランドがそこまでする? 私は理由が分からなかった。
「貴様は何故……」
儂から離れようとする? 心の底から響くような声で、ぽろりと洩らされた。私は腕にかけられた痛みで聞き逃してしまった。もう一度言って欲しくて、痛みに歪んだ顔で懇願した。
「ガーランド、聞き取れなかった。もう一度……」
 痛い……。折るつもりなら、いっそのこと、早く折って欲しい。苦痛に頭が麻痺し、思考能力すら奪っていく気がする。
「っ、貴様は!」
 ガツッ
「ッ、痛ぅ……っ」
 ガーランドの大きな手のひらで、私は顔面を掴まれた。ものすごく強い圧力と痛みを顔面に感じた次の瞬間、私の身体は宙に浮き、床に後頭部から落とされていた。後頭部に激痛、次に肩と背中を痛打した。
 私は痛みにガーランドの手の中で顔を歪めていた。腕は掴まれたままで、私の身体にガーランドがのしかかってきた。腕と顔面の痛みと、のしかかってくる巨躯の加重に、私の身体は少しずつ震えてきた。
「ガ……ラっ?」
……貴様?
 私は気付いた。今のガーランドはあのときのガーランドだと。恐ろしい力で私を無理に蹂躙し、挙句屠ってきた負の衝動に駆られたガーランド……。輪廻の鎖を断ち切り、無事に解き放てたと思っていたのは、私だけだったのだろうか……。
 白銀の騎士の鎧を身に纏っていても、強烈なほどの闇の力を感じる。混沌に呑まれてしまったのではないかとすら思える闇の力に、私の身体はあのときを思い出し、カタカタと大きく震えだした。瞳に水膜が張ってきたのが分かる。
……私がそうさせた、のか……。
 それならば、私が鎮めなければならない。このガーランドをこのままにしてはいけない。私は震える身体を叱咤した。ガーランドの強すぎる闇の色を纏う紅く染まった黄金の双眸をぎっと睨み、何とか声を出した。
「……好きにして構わない、ガーランド」
「何?」
「お前がそれほど憤怒することを、私がしてしまったのなら……構わない。この身体を……屠るなり暴くなり、お前の好きにすればいい」
何をしてもいい。だが、そのあとで、あのときのように確実に屠って欲しい……。私はガーランドの大きな手のひらの中で、両眼を閉じた。眼の横を伝い、涙が流れる。
 どのみち私の命はここで潰えるのだろう。ならば少しでも早い方がいい。もう浄化することもないだろう。ガーランドの記憶の中に、私が少しでも留めてくれるなら……それだけでいい。私は本来、あのときに消えゆくはずだったのだから──。
「んっ、ぅうッ」
 ガーランドの手のひらが外され、顔の圧迫感と痛みがなくなった。それと同時に私は唇を塞がれていた。私は驚愕し、眼を見開いてしまった。
「口付けのときは目を閉じよと言ったはずだが?」
「ガーランド……?」
 互いの吐息がかかる至近距離で、ガーランドはぼそりと囁いてきた。私がきょとんと見つめていると、ずっと掴んだままだった腕を離してくれた。
「すまなかった。怒りに我を忘れてしまった……」
怖い思いをさせてしまったか? 口当てを外しただけのガーランドの表情は窺えるはずもない。それでも、先の強い闇の気配は感じることはなくなった。私が無言のままでいたからだろうか。パチン、ガーランドは兜の留め具を外し、兜を床に置いた。
「何故儂から離れようとした?」
「……お前は人気があるようだから」
 至近距離で見つめられ、私は瞼を伏せるしか出来なかった。強く鋭い黄金の双眸で射貫かれれば、私の心の奥底まで見透かされそうだった。
「……は?」 
 だが、私の返答にガーランドは間抜けな声を出していた。私は何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
 かくかくしかじか……
 私はこの街でガーランドが人気者であること、その人気者の傍に私がいては邪魔になることを伝えていった。何故か分からないが、ガーランドは間抜け面で唖然としている。私は何か間違っていただろうか?
「……愚かな奴だ」
「……?」
 誰を指して愚か者と罵っているのだろう? 私がきょとんとしたままでいると、至近距離で見つめ合うガーランドの顔がさらに寄せられた。私の後頭部は床と接触しているので、当然逃げ場はない。もう闇の気配のない黄金の双眸に見つめられるのが、私は何故か照れくさくて、咄嗟に瞼をきつく閉じてしまった。
「ぅん……っ」
 それを口付けの合図と捉えられてしまったようだった。ガーランドに触れるだけの口付けを何度もされた。この男との口付けは決して嫌ではない。温かくて優しくて……むしろ好きだった。
 ガーランドは部屋以外でなら、一切の遠慮はしないと言っていた。なら、ここで行為が行われるのだろうか? 私の身体は震えだした。ガーランドに気取られたくはなかったので、首にではなく重厚な背中に腕をまわす。ガーランドの鎧の厚みなら、もしかしたら震えが誤魔化せるかもしれない。私はそう考えた。
「んぅ……」
 けれど、唇は離された。私の口端を伝う唾液は大きな指の腹で拭われ、頭をさらりと撫でられた。私はとろりと蕩けてしまい、ガーランドの一挙一動に反応出来ない。脳も身体も……何もかもが融かされてしまっていた。
「その髪は売るでない。欲しいものは全て儂が買ってやる」
「……」
 何故そのことを知っているのだろう? ガーランドは私の足跡を追ってくれていたのだろうか。もしかしたら防具屋の大将から、私のことを聞いているのかもしれない。
「此処での生活は儂が全て賄う。お前は何も気にするでない。ときに……」
この小屋が気に入ったのか? ガーランドはどこか気まずそうにしている。この小屋の持ち主を知っているのだろうか? それは、ガーランドならばあり得ると……私は思ってしまった。ここコーネリアに在るガーランドなら、建造物の持ち主くらい把握していたところで、何もおかしくはない。
「……」
 こくん、蕩けた頭で私は頷いた。言葉として伝えたかったが、唇ははくはくと動くだけで言葉にならない。先ほどの荒々しい口付けに、私の唇は完全に麻痺してしまっていた。
「そうか……」
 ガーランドは少しだけ眉を下げ、小さな笑みを作りだした。私の身をそっと起こしてくれ、乱れた髪を綺麗に指で梳かしてくれる。ガーランドはやはりこの髪を気に入ってくれているのだろうか? ここまでされると、そのように考えてしまう。
「じきに日も暮れよう。戻るぞ」
「……」
 こくりと私が無言で頷けば、ガーランドはどこか納得した様子で私の手をぎゅっと握ってきた。驚く私をそのままに、ガーランドは小屋を出る。当然、私も共に。

「ガーランド、その……」
 あまりにスタスタ歩くものだから、私は思わず口に出してしまった。だって、ここは街外れ。誰にも見つかることはないが、じきに街の中心部に差しかかる。いつまでも手を握っていたら、誰に見つかるか分からない。
「迷子を城へ連れ帰るのに手を握っておる。何か不都合でも?」
「……」
 そのように言われては、私に否定なんて出来るはずもない。やはりガーランドの方が私より上手だと認識せざるを得なかった。私はふるふると頭を左右に振った。満足気な様子のガーランドに、やはり声はかけられた。
「おや、ガーランド様。その御方は?」
「儂の連れだが?」
 ガーランドはどこにいても注目を集める。すぐにまた集まってきた街人による人だかりに、私は居心地悪くしていた。先と違い、ガーランドは私の手を強く握りしめ、決して離そうとはしてくれなかった。
 道行く街人に声をかけられても、ガーランドはさっと躱している。街人は一度私の顔を見て、納得しているのかしていないのか分からない。微妙な笑みを返してくれる。
「この者は此処に来たばかりで道理を分かっておらぬ。もし、この者がふらふらと街を歩いておれば、すぐ儂に知らせて欲しい」
「ガーランド⁉」
 人だかりの中心で、ガーランドは深々と頭を下げた。騎士団長様とやらがそのようなことを、このような場で行って大丈夫なのか? 私は吃驚を通り越していた。周囲の者達も似た反応をとっている。
「ガーランド様の願いじゃなぁ……」
「聞くしかないよな。お兄さん、ふらふらしてたら騎士団がお出ましになるぜ」
「困ったことがあったらいらっしゃい。私はそこで宿を営んでいるから」
「……」
 私は言葉を失っていた。ここの街人達はどこまで頭が柔らかいのだろう。そして人が良いのだろう。ガーランドが連れているというだけの、身元不明の私を受け入れてくれるというのか?
「この者は今は騎士団寮に居るが、いずれは街に住まうことになるだろう。その時は……頼む」
 ガーランドの真摯な挨拶に、街人も私もかける言葉を忘れていた。ただ黙って、姿勢良く頭を下げるガーランドを見つめていた。
「……っ!」
 握られていた手にぎゅっと力を込められ、私の頬は熱くなっていくのを自覚していた。夕暮れ時の紅い日の光のおかけで、私の熱い頬はどうにか誤魔化すことが出来たようではあるが……。