2022.3/07
終夜 最後の輪廻
カオス神殿の内部に入った青年は、仄暗い回廊をずっとまっすぐに歩いていく。この回廊──否、この神殿自体に、青年は覚えがあった。今の姿となって脚を踏み入れるのは、今回が二度目になるというのに。しかし、青年のこの〝覚え〟というのは、別のところにある。謁見の間の奥にある祭壇、そして、そのさらに奥にある時を越えた場所を、青年は長いこと忘れていた。そのことに、青年は妙な違和感を胸に抱く。
『この気配はカオスだろうか? それとも、ガーランド──?』
記憶はあるはずなのに、どこか〝覚えのある〟回廊を青年は突き進んでいく。腱が切れているとは思えないほどの軽快な脚取りは、それだけ青年の体力を奪っている。健常であることをガーランドに知らしめておかないと、また繰り返される……そう感じていた。
弱みをひとたび見せれば、そこに付け入れられる。〝カオス〟の恐ろしさは、子どものころよりコスモスから何度も聞かされている。現に青年はカオスと対峙し、命の危険にさらされるほどの行為を受けた。
青年ひとりでどうすることもできなくても、〝ガーランド〟に戻すことが可能になれば、あとは本人──ガーランドに任せることが可能になる。
青年は緊張から激しく拍動を繰り返す心の臓のあたりを手で押さえた。ひんやりとする青の重鎧に遮られ、心音を手のひらで直接感じることはできない。それでも、とくとくと振動だけは伝わってくる。生きている──カオスに生かされているのだと……感じた。
ガーランドほどの力量のある者ならば、青年を一撃で葬ることはできたはずだった。それをせず、腱を切って凌辱をしただけだった。
青年をあの場から動けなくするための処置なのはわかっている。ガーランドになにか理由があったのだとしても、青年は急がざるを得ない状況に陥っていた。すなわち、青年が自身の血液を口にしたことによって──。
長い回廊に、コツコツと青年の鉄靴の足音がこだまする。しん……と静まったこの回廊には、どうも異質な音に聞こえた。それでも、脚を踏みだすだけで、とてつもない闇の波動を感じる。
ガーランドがそれだけの覇気を出しているということは、おそらく青年が神殿内に脚を踏み入れたと気づいている。
カオスからガーランドに戻っているのなら、青年にも勝機は見いだせる。青年はガーランドを──内に潜むカオスを滅するために、ここに来た。気づかれているからといって、引き下がることはできない。
……今度こそ、私の手でガーランドを滅してみせる。
青年は拳を強く握り、瞼を閉じた。赤い髪の青年のときから心に決めていたことを、一度も違えてはいない。カオスを滅することで、ガーランドを救うことができると。時の鎖に縛られたガーランドの時を戻してあげることができると。これまで信じて疑わなかった。そのために、青年は闇の眷属としての吸血鬼となり、こうして存在している。
……コスモス。これが、あなたの望みなら──。
カオスを封じるには、ガーランドの持つ闇の力を光に変える必要があった。それも、ガーランドと対をなす者の力で──。そうした理由から、コスモスは赤い髪の青年の躰から出した書を用い、ガーランドに光の属性を備え付けさせた。
しかし、それだけでは不十分だった。カオスを完全に滅するには、次に光と闇の力が揃わなければならない。光となるガーランドと、闇となる対なる者を。
そのために、青年はコスモスによって、本来持っていた光の属性から闇の眷属へと変えられた。闇の属性を持つ種族として吸血鬼にされてしまったのは、ガーランドに近づきやすくするためだった。
青年の血液適合者としての光属性を持つ者は、後天的になされたものであっても、この世界ではガーランドしかいない。これは、記憶を失ってしまう青年が、相手を間違えることのないようにするためでもあった──。
『着いた……』
数時間前、ガーランドおよびカオスから凌辱を受けた謁見の間の扉の前に青年は立っていた。思いだすのもおぞましい悪夢のような行為に、青年の躰はぶるっと震える。
意を決した青年は謁見の間の扉を開け、中に踏み込んだ。が、青年はすぐにピタリと立ち止まった。
謁見の間全体になにかの魔法がかけられている。それも正体のわからない魔法が──。ごくり、青年は息を呑む。いったい、どのような魔法なのか? 青年はそっと脚を踏み出して暗い謁見の間を覗き込んだ。
青年が先に通されたときは、ガーランドが魔法を使ったことで石壁に並んだ燭台の蝋燭は炎をまとい、ゆらゆらと小さな灯りを揺らめかせていた。だが、今は真の闇だった。
奥でギシリと音が聞こえる。ウォーリアの耳は音を拾い、そちらを向いた。見れば暗闇のなかで、ガーランドが玉座に肘をかけて座っていた。まるで、青年を待っていたかのように。
「ほう。良い目つきをしておるではないか」
『……ガーランド、か』
玉座に悠々と腰かけているガーランドに、青年は眉を僅かに動かし見据えた。カオスではない。昨夜一晩をともにした、あのガーランドだった。
まるで……ではなく、本当にガーランドは青年を待っていたことに、青年は薄く唇を開く。〝カオス〟でも〝ガーランド〟でもどちらでもいい。ガーランドが青年に対して慢心しているのなら、その機に乗じるだけだった。
『────、』
ガーランドに組み敷かれたときに、唱えようとして遮られた魔法の言葉を、今度は最後までしっかりと詠唱できた。詠唱した途端、青年の躰から光が飛びだし、ガーランドに向かって放たれた。
「むっ、」
しかし、それはガーランドが装着していた濃紫色の外套で弾いてしまった。弾かれた光は閃光のように瞬き、そして闇に消えていく。だが、青年の躰から発せられた光はひとつだけではない。何発もの光が球体となり、ガーランドを目がけて飛んでいく。それは、さながら夜を彩る大輪の花火のようであった。真っ暗だった謁見の間は、この瞬間のみ全体が見渡せるほど眩く照らされた。
「これは光の力、か? 貴様は闇の眷属ではないのか?」
『……』
青年のすべてを賭けた一撃だった。書に記載されていたもので、一番強力なものを唱えたはずだったのに。ガーランドは外套で身を庇うようにして、青年の光の攻撃を耐えきっている。
ガーランドが腕を下げて唸るように呟いていても、青年は何も答えず無言のままでいた。この一撃に効果がなかったこと……というより、外套に防がれてしまったことが、少なからず青年に衝撃を与えている。
濃紫色の外套の一部は火花が散っているが、焦げることもなく綺麗なものだった。青年の光の力は外套によってすべて跳ね返されたことになる。外套に強力な魔法防御力を練り込んで織られていることを、青年はここで悟った。
『おまえは……』
そして、青年は思いだした。コスモスを喪って泣いていたあの時、ガーランドは子どもだった青年に白銀の外套をかけてくれたことを。あの外套はガーランド本人に返したばかりだが、この十五年という月日のあいだに、劣化もせずに青年を守ってきた。
コスモスのいない状態で、独りでこの世界に立たされた子どもは、あの外套にすがって日々を過ごしてきた。それは凍てつくような寒さ、季節的に訪れる強い突風や雷雨などの自然現象が多かった。それでも、闇の眷属として人間を頼ることのできない子どもには、それがどれほどの効力を持ち得るか……計り知ることはできない。
『そうか……。おまえが〝ガーランド〟だったのか』
「なにが言いたい」
この謁見の間全体を覆う魔法の正体に、青年はようやく気づいた。これはこの神殿に脚を踏み入れるときから感じていたものだった。
ガーランドは自身でカオスを内に封じようとしている。なにがガーランドをそうさせているのか、それを本人に訊くかは躊躇われた。それでも、そのせいで青年は完全に戦意を失っていた。
『……』
覚えていたはずなのに、忘れていたことをここですべて取り戻す。青年は言葉を出せずにいた。唇をふるふると震わせるだけで、発するものはない。瞼を閉じて脳の中を駆け巡る記憶を受けとめるのに精一杯だった。
「答えられぬのか」
ガーランドに問われても、青年は黙っていた。ガーランドの苛立つような口調を耳にしても、青年は答えない。否、応えられない。
青年の脳裏によぎるのは、ほとんどがガーランドに対してのことだった。子どもは何度も繰り返しコスモスに訊いていたというのに。コスモスの命の灯火が潰えるその瞬間まで──。
『……私の知る〝ガーランド〟とは随分違うと思ったから』
「人違いと言いたいのか」
青年はふるふると頭を何度か左右に振った。そして瞼を閉じる。コスモスから聞かされていたことは、断片的な記憶として青年の心の中にあった。それでも、子どもの記憶としてあったのは、そのほとんどが〝ガーランドがコスモスを滅した〟ということだった。
曖昧だった記憶は、これまでにいろいろな矛盾を生みだしていたらしい。赤い髪の青年が願ったことと、今の青年が願うことは完全に相反している。これは記憶を失った青年──子どもが成長していく過程ですげ替えられたものなのか、それとも、単に記憶違いを起こしているのか……。
そのために、青年はガーランドを滅することだけを考えていた。ガーランドを救いたいと願うのは──すなわち死をもって、この世から完全に消滅させてしまうことと同義としていた。だが、それは間違いだと気づいた。
『違う。おまえは〝ガーランド〟だ。そして、闇の力を持つ、世界を脅かす者──カオスだ』
クリスタルの化身──コスモスから〝ガーランド〟は世界を闇に覆う存在であると、子どものころに聞かされていた。そのために、子どものときに出会ったガーランドが、そこに該当する〝ガーランド〟であったとしても、どうしても信じることはできなかった。
あの時に出会ったガーランドは、子どもであった青年を心の底から心配し、立場をわきまえずに保護してくれようとしていた。外套をくれようとしてくれた。子どもが立ち去ってからも、コスモスを弔った場所で膝をついてくれた。それは、昨夜一晩をともにして青年が知った、ガーランドの人となりだったはずだった。
『〝滅する〟も〝救う〟も、結局は同じことなのかもしれないな。私の手で……今度こそ終わらせる』
結末が悲しいものになったとしても、それを望んだのは赤い髪の青年だった。ただ違うのは、赤い髪の青年はガーランドと寄り添うことを願ったはずであった。ガーランドが闇に堕ちないように。堕ちてしまうようなら、闇から光のもとへ<ruby>誘<rt>いざな</rt></ruby>い、その先まで導くことができるように。
それがこうなってしまったことに、闇の眷属となった青年は憤った。覚えていたのに忘れていたことを、青年は後悔する。ガーランドを目の前にしてようやく思いだせたことに、青年はぎりりと歯噛みした。
『魂の救済ができれば、おまえはきっと──、うぅっ』
ぐっ、声を詰まらせ、青年はその場に蹲る。自身の血液を体内に取り込み、そして書の言葉を何度も詠唱したことが、青年の躰に変化をもたらせていた。
「ふん。くだらぬ世迷い言だ。それより……儂の問いに答えてもらおうか」
青年が闇の眷属であるはずなのに、使うことのできないはずの光の力を使ってきた。これは、ガーランドと全く同じだった。ガーランドも光の魔法は使えないはずであった。以前にコスモスより書を預かったことで、ガーランドは光の力を得た。そのために一般に出回っている市販の魔道書を使えば、ガーランドは光の魔法を唱えることが可能となったのだが……。
ここでガーランドは蹲る青年を見下ろした。青年は一冊の書を手に持っている。コスモスより受け取った書だった。そのために剣と盾を使うことなく、青年は光の魔法を使ってきたのだと見抜いた。
「そうか、その書のせいか」
くくっ、ガーランドは口角をいびつに歪めていた。昨夜、青年が執拗にこの書について説明を求めてきた理由がここにあったと……詳細までは知らなくとも、だいたいのことは得心する。
青年が家にあるものを勝手に持ちだし、その結果、自身の身をもって反動を食らっている。これ以上の宴はないと、ガーランドは外套を戻して脚を組みなおした。青年から攻撃を受けることはないとの判断だった。
蹲ったまま、はっはっ、と荒い呼吸を繰り返していた青年は、一度瞼を閉じて呼吸を整えようとした。ガーランドが青年の様子を眺めるために戦意を喪失させているのなら、今が絶好の好機となる。青年は機を見て反撃するつもりだった。
だが──。
『……おまえは、私をどうしたい?』
ついて出た言葉は、青年の意図しないものであった。躰からなにかが滲み出てくるような感覚が気持ち悪くて、青年は無意識に手で胸を押さえつける。鎧のひんやりとする冷たさを拳に感じ、青年は躰の内に巣食うような得体の知れないものを追いだそうとした。
「ほう? それは、どういうことだ?」
ガーランドは目の前で蹲る青年を凝視した。書によって光の力を引きだされた闇の眷属の青年……否、その光が闇に飲まれようとする青年を。どうやら、青年の心に闇らしきものが巣食っている。
けれど、それはおかしなことであった。青年は闇の眷属でありながら、闇の力を持ってはいなかった。ガーランドが感じていたのは、どちらかといえば光に近いものであった。
説明のできない妙な違和感を覚え、ガーランドは首を傾げる。しかし、違和感は拭えない。青年に説明を求めても、じろりと睨まれただけだった。
『私は私だ……。以上でも以下でもない』
「答えになっておらぬ。だが、まぁよいわ。貴様がどうなろうと、儂の知ったことではない」
ぷいとそっぽを向いた青年に、ガーランドは昨夜のやりとりを思いだした。頑固で素直でないのは変わらないようで、訊くだけ無駄だと思いなおす。
そんなガーランドの対応に、蹲っていた青年はゆらりと立ち上がった。先ほどまで苦しそうにしていた青年の瞳は、鳩の血のような闇色の深紅に輝いている。
『ならば……どうして私に固執する? このまま、この光が潰えるまで見届けておけばいいものを……』
くすり、青年は微笑う。感情表現に乏しい普段の青年からは、とてもではないが考えられないほど黒く妖しい……蠱惑的な笑みを浮かべている。
『──ありがとう。いつか、かえしにこよう。そのときは、おまえを……』
──おまえを滅する、と。確かにあの時、子どもは言ったはずであった。風に舞ったあの言葉が、当のガーランドにはどのように伝わったのか。それは当時の子どもだった青年にもわからない。
受け取った外套に身をくるんだ子どもは姿を消してからも、ガーランドが弔ったコスモスに危害を与えないかの確認だけは行った。土を掘り返してコスモスを暴くようなことがあれば、刺し違えてもこの場でガーランドの生命を奪うつもりだった。しかし、ガーランドにその様子はなく、逆に膝をついて悼んでくれた。
それをすべて見届けた子どもは、ガーランドから離れて足早に森を駆け抜けていった。今はまだガーランドを滅することはできない。子どもが完全に力を取り戻すまで、どこかに隠れている必要があった。そのために場を離れた。
そのことまで思いだした青年は、ふっと不敵に微笑う。約束を違えることなく、こうしてガーランドと対峙ができる。今度こそ、ガーランドを完全に滅するつもりで、青年は唇を動かした。
『────』
「む……」
青年は書の言葉を唱えている。気づいたガーランドは、咄嗟に衝撃を抑える障壁を作りだした。青年から発せられた光の筋は、幾重にも渡って障壁に当たり弾け飛ぶ。
ぞくり……ガーランドの背中に戦慄が走る。この青年に対して決して持つことのなかった感情に、ガーランドは兜の中で小さく舌打ちをした。心に闇が見える限り、この青年は元に戻らない──、ガーランドは青年を見遣ると小さく嘆息した。
「そうか、コスモスとか言ったあの時の女の力か」
ガーランドが書を受け取ったときに、言われた言葉──部下の騎士に一度は遮られてしまったが、どうにか最後まで聞くことはできた。あの時は意味も不鮮明なまま、書を持ち帰っただけだった。しかし、あの女性が云わんとしたことは、今なら容易に伝わってくる。
ガーランドに書を通じて後天的に光の力を与えたこと。それによりガーランドの持つ闇の力は、光に抑えられることになる。それと同じことが、この青年にも行われているのだと。異なるのは、青年のほうは元々の光の力を、闇の眷属とすることで抑えつけているのだと……。青年に書を返すのも、こうなることを見越していたからではないか。ガーランドは違えずにすべてを識る。
子どもであった時分にガーランドと出会ったときは、まだ完全に闇に堕ちてはいなかったのだろう。コスモスが傍にいて、子どもを守っていたのなら。だが、そのコスモスは命を落とした。
今まで子どもが独りで生きてきたなかで、光が闇に飲まれることなく大きく成長できたことは奇跡に等しい。闇の眷属であるなら、なおさらだった。これなら、この青年が闇に堕ちることはない。しかし……。
「……」
この青年が闇に飲まれることはないだろうと思っていただけに、ガーランドとしても衝撃の度合いはかなり大きい。このまま放っておいてもよかった。青年が勝手に闇に堕ち、本来の闇の眷属としての力を発揮するのなら、ガーランドとしても都合の良いものとなる。
だが、それを赦すことはできない。コスモスから青年──ウォーリアを託されたことが脳裏によぎる。子どもが大きくなれば、書を返すように言われていた。ということは、青年が闇に堕ちることは予期されていることであり、元々が闇の眷属ゆえにいつ起きてもおかしくはない事象となる。
書を通じて己に光の力を分け与えたがために、この青年が闇に堕ちてしまうのなら。それに青年が抗おうとするのなら、ガーランドは放置するつもりだった。それは青年自身の問題であり、ガーランドが関与することではなかった。しかし、青年はこれを享受しようとしている。これにはガーランドとしても本意ではない。
ガーランドは玉座から立ち上がると目の前で巨剣を出し、青年に向けて振り投げた。巨剣はまっすぐに青年をめがけて飛んでいく。
キィン‼️
「ほう……」
青年は素早い身のこなしで巨剣を躱していた。先まで青年が立っていた場所に、巨剣の刀身が深々と刺さっている。闇紅の瞳の青年はなんでもない顔をして、ガーランドに視線を向けてきた。
これは両足首の腱を切られ、満足に歩くことのできなかった青年の動きではない。青年が闇に支配されようとしている。それも時間の問題だった。
「それもまた、一興かもしれぬが」
『っ、⁉』
いかに青年の身のこなしが早かろうとも、腱を切られていることで結局は動きが鈍っている。そこに青年より早いガーランドが本気で動けば、結果は自ずと見えてくる。
『くっ、』
光が潰えてしまいそうになる青年の身を押さえつけ、ガーランドはひとつの言葉を唱えた。それは、先から青年が唱えていたものと同じものだった。
「────」
『ううっ、……くぅっ、』
苦しそうに身を捩る青年を押さえつけるのではなく、ガーランドは抱きしめることで拘束をした。ガーランドの胸の中に閉じ込められた青年は、脱出を試みようと躰を動かしている。
書に記された言葉の内容が青年にも効果があることを知り、ガーランドは立て続けに唱えた。青年が唱えたときと違うのは、ガーランドの詠唱は光の力が攻撃手段となって相手に向かわないことだった。
『どうして、おまえが……それ、を』
「儂に宿らされた光の力のおかげだな」
青年が遠まわしに『ガーランドは後天的に光の力を得た』と言っていた、あのときの言葉の意味を理解できれば、なにも恐れることはなかった。
カオス神殿で一時的に得た光の力とは違う、ガーランドに宿る光の力──。コスモスから受け取った書を通じて得た光の力は、消えることなくガーランドの中にずっと残っていた。
書の本来の持ち主である青年の持つ光の力が強すぎるがために、ガーランドは光の精霊と契約を交わすことも、ましてや使役することもできなかったのだと……。ガーランドは苦笑した。長年の疑問がここで解消されたことに、呆れと反面……感動にも似た感情を得ている。
ガーランドを光の属性とすることが、どういった意味合いを持つのか。コスモスからも、青年からも説明はされていないが、ガーランドは察した。それは青年の血液適合者となり得るのだと……。そして、ガーランドは知っている。この世界に光の属性を持つ人間は誰もいないということを。そのためにガーランドは国王の命令を受け、カオスの討伐に何度も神殿へ部下と向かっている。
『ならば……その力を使い、自らへ撃て』
「……」
胸の内でもぞもぞと動く青年を押さえつけるのは苦ではないが、さすがにその言葉は躊躇が出た。青年を抑えるために唱えるのと、自身に向けて唱えるのでは意が異なる。死を恐れるわけではないが、今度こそこの青年を独りにさせてはならない。そのようにガーランドは感じていた。
『早くしろ。おまえの中に巣食うカオスがまた出てしまえば……今度は私も命はない』
「……」
不器用な青年だと思えば、随分と頭は回るらしい。言葉選びが巧みで無駄がない。虚をつくことなく、正直に告げてくるさまは称賛ができる。ただ、これが闇に堕ちようとする青年の持ち得るものなのか、この青年本来が持つものなのかは、これからの判断が必要になるが。
「ひとつ、儂と約束でもしてもらおうか」
『……なんだ、』
ここにきて急に話題を変えてきたガーランドに、青年は訝しげな表情を向ける。鳩の血のような闇紅の瞳はそのままで、どこか妖艶にも見える青年の視線は、ガーランドを囚えて離そうとはしなかった。
「お前の〝これから〟は、儂がもらい受ける。よいな」
『──……っ、⁉』
元々あの時の童子に片想いをしていたのだから、大きく成長した青年にも同じことがいえた。もう、同性や種族が異なる……などといった理由で、青年を蔑視することもない。この青年はガーランドを滅すると言っていたが、当の本人は娶る予定を立てていた。これには青年も眼を丸くする。
「もうひとつ約束だ。儂の中に巣食うものがなくなれば、お前はヒトの世界へ来い」
闇の眷属だから闇のなかでしか生きられない、というわけではないことを、青年は前もって教えてくれている。共存が可能なら、今後の未来はともに歩める。そのことを口早に伝えると、青年の頬はみるみるうちに薔薇色に染まっていった。
『〜〜〜〜っ、』
少し困り顔になっている青年の初々しい表情を見下ろし、ガーランドは兜の中で眉をぴくりと動かした。燃える深紅の瞳を持つ青年のことが、ガーランドの頭の中を掠めていく。
それは、かつてカオスと化していたガーランドを救おうとやってきたひとりの青年だった。その青年は煌めく深紅の瞳と輝くような赤い髪を持っていた。この青年の瞳と、カオスを倒した赤い髪の青年の瞳の色は同じ色合い──ガーランドは大きく頷いた。
「そうか。あの時の赤い髪の青年であったか」
かつてカオスだった時分に倒され、自身の中に封じ込んだのは、永劫に続くこの輪廻を終わらせたいと願うひとりの青年であった。当時の<ruby>自身<rt>カオス</rt></ruby>は一笑に付したが、赤い髪の青年はずっと願い続けてくれたのだろう。そうでなくば、このようなことにはならない。
「姿を変え、記憶を失ってまで……か」
『あの時の私は必死だった。またおまえがカオスになり、そしてガーランドに戻って……私が輪廻を断ち切ることで、終止符を打つことができるなら』
姿を変えたのも、記憶をなくしたのも、青年の求めるものではなかった。だが、経緯はともかく、こうして〝本来の〟ガーランドに戻すことはできる。これならコスモスも納得してくれるはずだ……と。青年は安堵から気が緩みそうになった。
『──……っ、くっ、』
気を少し緩めた途端、青年の内の闇は広がっていく。このままではカオスを封じるより、先に青年が闇に堕ちてしまう。それでは効力がない。光の力を内に持つ闇の眷属としての青年の力が必要なのであり、完全な闇に浸された力ではカオスの力を増長させてしまう。
『それはそうと、』
「むっ、」
そのようななかで、青年は表情を歪めてガーランドに問いてくる。呼吸を荒らげる青年を見下ろし、ガーランドはひと呼吸おく。青年に異変があればすぐに対処できるように、あらゆる可能性を考えた。
『おまえは……どうしてここに来ていた?』
「……儂の中に巣食うものを封じるためだ」
しかし、青年の問いはガーランドの思惑とは異なるものだった。思わず拍子抜けしかけたが、ガーランドは簡潔に答えた。
『それは……』
これには青年も驚愕する。ガーランドのこの言い方は、まるでカオスの存在を知っているかのようだった。コーネリアでカオスのことが噂にあがるたびに、ガーランドは毎回疑われてきた。そのことで今回も討伐隊を編成し、カオス討伐に向かったのかと青年は考えていたのだが……。
「噂があった。〝白の魔物〟は夢魔であると。血液を差しだせば身を惜しげもなく捧げ、男の精を摂り尽くすのだと」
『…………? それは、誰のことだ?』
闇に飲まれようとするなかで、青年は眉間に皺が寄るほど思いっきり柳眉を顰めていた。よりによって夢魔とは。青年はこれまでに誰の血液も、ましてや精など口にはしてこなかった。コスモスがそのような噂をばらまくはずもない。白の魔物として生きていくうちに、〝白の魔物は夢魔〟だと……余計な偽りの情報まで広まっていったのか。吸血鬼と疑われたコスモスのように。
『そうか。だから、おまえは──』
ガーランドもカオスも、青年が様々な男と情交を繰り返してきたようなことを言っていた。ガーランドが問いただそうとしていたのはこのことだったのかと、青年は思い至る。噂話を鵜呑みにして青年に問うつもりが、あのような凌辱に至ってしまったのだと。
『おまえは自らで、内に潜むカオスを封じようとしているのか』
「……」
青年に対して行った残虐な行為を悔いているのか、ガーランドは無言になっている。胸がつかえるような苦しい状況のなかで、青年は小さく微笑んだ。後悔があるなら、ガーランドはカオスを抑えつけることができる。あとは、青年に残された時間との勝負だった。
「お前を無理に暴いたこと、儂の中に潜むものを抑えられなかったこと……すまぬ」
『いいっ! そのようなこと、……もう、済んだことだ』
ガーランドが自らの中に在るカオスを封じるために、自身ごと神殿に封じようとしていたのだと。青年は理解を得ると同時に、何度も頭を左右に振った。青年が行わねばならないことを、ガーランドが自身で行おうとしていた。そのことに青年は否定をする。そのようなことをしても、結局は繰り返される。根本であるカオスを完全にガーランドから出さない限り──。
『ガーランド、早く。私もすぐに……』
青年は何度でもガーランドを救おうとする。青年自身が闇に堕ちようとしていても、優先的に考えるのはガーランドのことだった。これにより、ガーランドも決意を胸に宿す。
「────」
ガーランドは自身に向けて書の言葉を発した。ガーランドから発せられた光は大きくなってふたりを包んでいく。
『────』
闇に飲まれようとする青年が唱えたものは、ガーランドと同じものだった。ガーランドの光と青年の闇が、書を通じて重なった。青年から発せられた黒い光は、ガーランドの光に負けないほどの大きさだった。これもふたりを包み込んでいく。
「ぐうっ、うっ、』
躰の内側が引き裂かれるような鋭利な痛みに、ガーランドは唸るような声を発した。内に潜むものが叫んでいるのだと、苦しむなかでガーランドは立て続けに詠唱を続ける。
青年も詠唱をやめることはしない。こちらも早くしないと闇に堕ちてしまう。完全な闇になる前にカオスを滅してしまわないと、今度こそガーランドを救うことはできない。ふたりして一言一句間違えることなく、阿吽の呼吸で詠唱を繰り返した。
やがて──。
「ぐおおおぉぉ…………、っ、ぐあァっ、』
大きな咆哮がガーランドの内側から聞こえてきた。同時にガーランドの詠唱は止まり、青年を抱きしめていた腕はだらりと力なく下がった。
『ガーランド……くっ、』
崩れ落ちようとするガーランドを支え、青年は小さな声を発した。両の足首がズキズキと痛む。しかし、そのせいで青年は心の中に潜もうとする闇を僅かながらに引き離すことができた。痛みで正気に戻れている今、青年はガーランドの手をとり、青い鎧の胸の装甲に押しあてた。
『ガーランド、おまえの光の力を私に!』
「っ、」
一瞬だけ、ガーランドは意識を失いかけていた。そのせいで躰が崩れ落ちようとしていたのだが、青年が身を呈して支えてくれている。青年の苦悶の声を、ガーランドはしっかりと耳に入れていた。
一度は崩れかけた身を踏ん張るようにして、ガーランドは詠唱を繰り返す。自身の中のカオスの気配はすでになくなっている。ならば、次は青年のほうだった。手のひらを青年の胸につけさせられたまま、ガーランドは最後の力を振り絞るように唱えた。
「────」
『くっ、……うぅっ』
子どもだった青年が『私では光の力が足りないし、得ることができない』と言っていた。コスモスを助けること、カオスを滅することと同時に、このことを示していたのだと、ガーランドはかつてのことを思いだしていた。
青年は子どもに戻り、記憶を失っていても真実をガーランドに伝えようとしていたのに。気づかなかったのはガーランドのほうだった。……もっとも、あのような説明で理解しろ、というほうが難題ではあるが。
胸を押さえる青年を包むようにもう一度抱きしめ、ガーランドは詠唱を続けていた。青年から闇を払わねば。そう思っていると、青年の内からかすかに光の力を感じだした。
『うっ、』
「戻ったか……」
青年の内に光が宿るとともに、ガーランドからは光が徐々に失われていく。これで青年の身に光の力が戻るのだと、ガーランドは確信した。青年が手に持っていた書を手に取ると、ガーランドは最後の頁を開いた。そこには、青年に巣食おうとする闇を封じる言葉が書かれている。
『それは……』
最後まで書を読む時間をとることができなかった青年には知ることのないものだった。ガーランド自身、この瞬間までこの記載の意味に気づかなかった。ここで使うのだと、感覚だけでガーランドは詠唱をはじめた。
「────」
青年の身から完全に闇は消え、本来の光が戻された。青年の闇紅だった瞳は、いつものアイスブルーに戻っている。
『すまない……』
「構わぬ」
いつになくしゅんとしている青年を抱きしめたまま、ガーランドは一点を見つめていた。そこには、闇色に輝くクリスタルがある。ガーランドは手をかざし、もう一度詠唱した。
パァン!
心地よい澄んだ音が響くと同時に、闇色に輝いていたクリスタルの色が急速に失われた。辺り一面は静寂な闇となり、互いの姿を確認することも難しいほどになっている。
「……炎を灯すか」
ガーランドはそう言うと、パチンと指を鳴らした。それだけで小さな光が舞い、石壁の燭台の蝋燭に次々と火が灯されていく。炎の精霊を使役して使う初歩的な魔法のひとつだった。
『──おまえ
は』
「どうした?」
胸の内でしおらしくしていた青年は、ガーランドがほのおの魔法を使うさまを黙って見ていた。ガーランドの使う四大元素の魔法は、四体の<ruby>魔物<rt>カオス</rt></ruby>の力を使っているものだと青年は考えていた。しかし、そうではなかった。精霊と契約を交わして唱えられるようになる純粋な魔法を使用している。
『なんでもない。それより……おまえは私を待っていてくれたのか。ここでカオスを封じようとして、来るかもわからない私を』
魔法の疑問が解けても、まだまだ訊きたいこと知りたいことは多い。痛む両の足首を庇うようにして、青年はガーランドの鎧にそっと体重を預けた。ガーランドが抱き留めてくれているので、それに甘えるつもりでいる。
「……来なければ、ひとりで行うつもりであった。儂を殺す良い眼をしておったから、その心配もなくなったがな」
煽るような言葉と態度は、青年の戦意を高めるためと知った。青年の胸はじんわりと温まる。ガーランドの本質は変わっていなかったことに、滅することだけを考えて近づいた青年は大きく後悔した。
『すまない』
「何度も謝らなくてよい」
青年の脚のこともあり、ガーランドは近くの石壁に背をつけるようにしてゆっくり腰を下ろした。ガーランドに抱きしめられている青年も、一緒に腰を下ろすことになる。脚に自重の負荷がなくなったことで、青年は小さくふぅと息をついた。相当痛みを我慢していたことが、ここからも伺える。
「帰ったら脚の治療をせねばならぬな。相当無理をしたのであろう」
『こうしたのはおまえだろう……』
くすっと微笑い、青年は鉄靴の上から足首を撫でた。鉄靴の隙間から、血液が滲み出ている。
それを見たガーランドは、濃紫色の外套をビリビリと引き裂いていく。これには青年も驚愕する。魔法防御力の高い外套を躊躇いもなく破いていくガーランドを、青年は声をかけることも忘れて、ただ凝視していた。
「これでよいな。応急処置程度のものだが」
『……』
ガーランドは青年の脚から靴を脱がすと、てきぱきと外套を両の足首に巻いてくれた。しっかりと巻いてくれたので、足首は固定されて動かすことも難しい。どうやって歩こうかと思っていた青年は、脚のことを考えることをやめた。それより大切なことが別にある。
『聴いてほしい。……はじめは、おまえを滅するつもりで近づいた』
そう切りだしてきた青年の言葉に、ガーランドは黙って頷いた。青年を見つけた昨夜、出逢いはあまりにも不自然であった。ガーランドが先を促すと、青年は告白を続けていく。
『おまえにあれだけの凌辱を受けたのに。私はおまえを滅するつもりでいたのに。それなのに、私は途中からおまえを救いたいと思った。……そうだ。あの時からだ。闇に覆われたおまえの輪廻を断ち切りたいと……あの時は、そう思った』
だから……。このようなことになったのだと、青年の口調はどこか淡々としており、感情の伴わないものでもあった。子どもから青年へと成長していくあいだに、すべての感情は忘却させられ、本来持っていたものは心の奥底に沈殿してしまっている。歪んだ記憶とともに、青年の表面上は無機質で澄んだ佇まいだけを見せていた。
ガーランドが知るのは、青年のそんな上辺だけのものだった。だが、それは誤りであったと、ガーランドはすぐに気づくことになる。赤い髪の青年は不器用ではあったが、一途でまっすぐでもあったはずだった。
「あの時か……」
ガーランドが赤い髪の青年について覚えていることを教えると、青年は急に涙を流しはじめた。青年自身が忘れてしまっていたことを、ガーランドは覚えてくれていた。心の奥底に沈められたものはガーランドの手によって引き上げられ、青年もようやく自身を見つめなおすことができる。
ほろほろと美しい涙を流している青年を、ガーランドはそっと抱きし寄せた。胸の内で嗚咽を洩らす青年の後頭部と肩を強くしめ、落ち着くまで待ってやることにする。小刻みに震える青年が、とても小さく……儚く感じた。
まさか自身を救うために、闇の眷属に身を堕とし、こうして現れるとは。ガーランド自身が赤い髪の青年の存在を覚えていなかったとはいえ、これは考えに及ばなかった。
青年の涙が落ち着くまで、どのくらい経ったか。青年はもちろん、ガーランドも時間を気にしてはいなかった。
燭台に灯された蝋燭の炎はゆらゆらと燃えている。ふたりしかいない静寂な場で、青年はゆっくりと告げた。
『おまえが欲しい。ガーランド……、私をヒトに』
戻してほしい──。詠うように紡がれた言葉と、にこりと綻ぶように微笑まれて、そのように言われてしまえば、ガーランドに抑えることはできない。魂が求め合うかのように、青年を強く……強く抱きしめた。
「儂を欲しい、とは。随分大胆な告白をしてくれる」
『ちが……っ。私が言いたいのは、おまえの力のことで……』
真っ朱になってしどろもどろになる青年に、ガーランドはくくっと意地悪げに嗤う。わかっていても、青年の言葉足らずを指摘しておきたかった。
そうでなくば、いろいろと語弊が生じてしまう。
「書をお前の中に戻せばよいのだな」
『そうだ。……以前の姿を取り戻すことはできないが』
青年の外見にこだわりはない。そのため、ガーランドは書の一番最初の頁を開いた。そこには青年に書を戻す魔法の言葉が綴られている。
「────」
ガーランドがその言葉を唱えると、書は宙に浮かび上がって光りはじめた。眩い光を至近距離で浴びたふたりは、腕で目を覆うように隠す。
光が少し落ち着くと、書は青年の胸の前でふっと消えてしまった。青年の体内に戻ったのだと確信を得たのは、青年の内側からの変化だった。
『うっ、……くぅっ、」
闇の眷属となる際、赤い髪の青年は氷雪色の髪を持つ青年へと変化した。それは書を体内に戻したところで変わることはない。以前と異なるのは、氷雪色の髪の青年の瞳は深紅に変わらなくなった。時おり見せていた赤い髪の青年の名残……それがなくなることに、青年もガーランドももの寂しく感じてしまう。
青年から闇の眷属特有の気配がなくなると、周囲もまた静寂さを取り戻した。燭台の蝋燭の炎は変わらず揺らめいている。
「……先の言葉、おまえは本気で言ったのか?」
「儂は先ほどお前に伝えたはずだが。それ以上の言葉を必要とするか」
先に言葉足らずとはいえ、『おまえが欲しい』と伝えてきたことをしっかりと耳にしていたガーランドは、この後に及んで迷いを見せる青年をじろりと見下ろした。とはいえ、無理もないことだった。闇の眷属として生きてきた以上、ヒトに戻ったことに多少の不安もあるのだろうと。
ガーランドがつらつらと考えていると、青年はぼそりと告げてきた。
「忘れることができないほどの強烈な存在を、私の心に植えつけておいて、おまえはよく言う……」
これにはガーランドもくっと嗤った。ガーランド自身も否定はできない。青年が逃げようとしないことをいいことに、ガーランドは顎に指をかけると、くいと上に上げた。これまで青年にあった鋭い犬歯がなくなっていることに、ガーランドはふっと嗤う。上を向かされた青年の瞳は、少しばかり不安に揺れていた。
「はっ。諦めようと思い、それでも忘れることができなかったお前を……これで、ようやく手に入れることができる。持ち得る強運をここぞとばかりに発揮してやろう」
ガーランドは素早く兜の留め具を外し、青年に覆い被さった。組み敷く下では、頬を朱く染めた青年が瞳を逸らして瞼を伏せている。青年が逃げようとしないので、ガーランドはそのまま巨体を倒した。犬歯のなくなった青年の色よく輝く唇に、怖がらせることのないよう……そっと重ね合わせていく。唇を重ね合わせると、遠慮をすることはない。ガーランドは貪るように青年の口内を味わった。
「……ん、……ン……っ」
ガーランドのこの行為に、青年は胸が痛くなるほどときめかせていた。ガーランドから与えられる激しさと優しさの混交した口づけは、舌が絡むほど心地好い感触を得ている。
自身にはない男のむせ返るような芳香に、酔ってしまいそうにもなる。唇を通して交わる唾液も影響しているためか、ふたりの口づけは止まることがなかった。
口づけを受けたまま、青年は身を剥がされていった。もう、引き返すことはできない。今度こそ対価を支払う──否、今度こそ本当の意味でガーランドと身を繋げることになるのだと、青年は自覚する。不思議と怖いとは感じなかった。あれほどの凌辱を受けたのに、躰も心も早く早くと急かしている。
「コスモスであったか? お前の母親とやらから、ウォーリア……お前のことを託されておる。これも運命と思い、儂を受け入れよ」
「ガーランド……」
こくりと頷いた青年──ウォーリアをガーランドは抱きしめ、真の意味で交わらせた。ガーランドとしても充たされた気分だった。部下からの情報を信じ込み、青年に問い詰めてもはぐらかされて、激昂して襲ってしまったというのに。青年はすべてを赦してガーランドに身を委ねてくれている。
心と躰を奥深くまで繋げ、行為が終えてからもふたりは寄り添うようにして、この謁見の間で少しばかりの休息を得た。満ち足りたふたりの様子は、蝋燭に灯された炎の揺らめきだけが知っている。
結ばれてしばらくしてから、ガーランドとウォーリアはカオス神殿を出た。ウォーリアの脚の治療のためと、この地でふたり生きるために。
「少し揺れるが我慢せよ」
「……」
ウォーリアはガーランドに横抱きされ、少し顔を赤らめている。誰にも見られることはないだろうが、それでも羞恥は伴った。首に腕をまわして恥ずかしがるウォーリアに、ガーランドも兜の中でだらしなく表情を緩めてしまっている。
その後、ふたりの姿を見た者はいない。妖精も、竜も、青年を探そうとはしなかった。ふたりの行く末をただ信じて──。
──了