第一幕 運命の輪廻 - 1/5

                 2022.8/24

第一章 偶然からのはじまり

 

『これは……?』
コーネリアから近くもなく遠くもない辺境の地で、ウォーリアオブライト──ウォーリアはポツンと捨て置かれた小さな小屋の残骸を見つけていた。木造の壁はボロボロに朽ち、ところどころに穴が空いている。一夜を過ごす程度なら構わないだろうと、この残骸のような廃屋の中にウォーリアは入った。扉は錆びついているが、一応施錠ができるようになっている。だが、壁に穴が空いているので、錠の必要など皆無に感じられる。
『誰も住んでいないのか。それなら、ここで……いいか』
灯りもない状態で、ウォーリアは床に腰を下ろした。天井に空いた穴から綺麗な星空が見えている。
朽ちてかなりの期間放置されていたのなら、ここに住みついても誰も文句はないだろうと。一晩だけと考えていたウォーリアは、思いなおしていた。誰からも忘れられてしまった世界で、独りっきりでここに住むのも悪くはない──と。
これまで旅を続けていて、ウォーリアは立ち止まることをしてこなかった。だけど、すべての役目を終えた途端、なにをしていいのかわからず途方に暮れた。これからをどうするか。
時間は悠久のようにあった。それなら世界をもう一度旅をするつもりで、ウォーリアはカオス神殿をあとにした。
しかし、宿敵としてこれまでに何度も相対してきたガーランドのいるコーネリアにだけは、どうしてか立ち寄るつもりはなかった。ガーランドは元の騎士に戻り、これまでのような善良なナイトとしてコーネリアを護っていると風の噂で聞いた。
コーネリアを護る騎士の元へ知らない戦士が訪ねたところで、城門で門前払いされるのは目に見えている。ガーランドが闘争を望んでいないのなら、余計な刺激は避けて互いの道を歩みたかった。
それでも、このコーネリアから離れられないのは、ガーランドを監視しておきたいと……心のどこかでわだかまりが残っているのかもしれない。ウォーリアは胸に手をあて、ふふと小さく微笑んだ。
この心が胸に根付く限り、ガーランドに異変が起きればすぐに気づいてあげられる。会う機会が完全に途絶えることになっても、ウォーリアとしてはそのほうがいい。
ウォーリアは朽ちた壁に手をつけ、そっと囁いた。聞いているものなど、誰もいないのに──。
『これからは、私と一緒だ』
捨て置かれたもの同士、ウォーリアはこの小屋と仲良く過ごしていこうと決めていた。それからは修繕の日々だった。

***

──そして、数日が経過した。
「これで、住めるか」
ボロボロだった小屋の残骸は、ウォーリアの慣れない手つきの修繕により、少しは改善されている。穴の空いた壁は樹木を切り倒して木板に加工したものを貼り付け、小屋に残されていた錆びた釘を打ち込んだ。
朽ちて崩れた屋根は大きな防水布をコーネリアで購入し、瓦に重しを載せて固定させた。これなら晴れた夜は防水布を取り払うことで、満天の星空を室内から一望することができる。我ながらいい案だと……ウォーリアは自己満足していた。
実際はいびつな木片が壁に釘打ちされているだけで、隙間風はビュービューと吹き込んでくる。それに、天井に布をかけただけなので、壁と相まって防寒にはならない。防水布といっても、結局は布でしかない。大雨が降れば天井から雫をポタポタと落としていた。
それでも、今のウォーリアの技量ではそれが精一杯のものであったし、夜露を凌ぐことができさえすれば、それで今は十分であった。
「すまなかった。君を随分と改築してしまった」
ウォーリアは律儀にもボロボロだった廃屋──もう、立派な小屋とするべきか──に声をかけた。もちろん返事はない。元々誰かのものであったこの小屋を勝手にいじったのだから、形式だけでも謝罪と感謝をしておきたかった。
小屋に声をかけてから、ウォーリアは水をケトルに移し、暖炉にかけた。それから小さなテーブルの席に腰かける。
水は近くにある湖から汲んできたものだった。水辺が近いと生活をするうえでなにかと助かる。ウォーリアがこの小屋を選んだのも、そのあたりを踏まえてのことだった。
家財道具はコーネリアで購入したり、元々この小屋にあったものでまだ使えるものを使用している。ウォーリアがひとりで使うものだから、必要最低限の数だけを揃えていた。
シューシューとケトルは音を立てだした。そろそろ湯が沸くのだろうと、ウォーリアは席を立った。そのときだった。
コンコンコン
「誰か、居られるか?」
扉を叩く音と、続いて男の声が外から聞こえてきた。ケトルを持ち上げようとしていたウォーリアは、手をそのままにピクッと身を動かした。声に聞き覚えがある。嫌な予感が胸をよぎり、ウォーリアは返答もできずに扉を凝視していた。
コンコンコン
「すまぬ。火急の用だ。怪我の治療だけでも、させてもらえぬか」
「怪我……?」
警戒していたはずのウォーリアは、その言葉だけですっと扉へと向かっていった。ゆっくり扉を開ける。そこには腕を怪我した白銀の重鎧をまとう男が立っていた。
「突然の訪問すまぬ。儂はコーネリアのガーランドという者でな。この傷を少しばかり治療させてもらいたくて伺っ……たのだが、どうした?」
ガーランドは押さえていた腕を青年に見せ、早急の治療が必要であると告げようとして、言葉を途中で詰まらせた。扉を開けてくれた青年がガーランドを見た途端、眼を丸くさせて吃驚している。どうして青年がそこまで吃驚するのか、なにを見てそこまで驚いているのか、ガーランドには詳細が掴めない。
青年の瞳が驚愕で丸くなっていたのは瞬間的なものであったが、逆にそれはガーランドの心に引っかかりを残していた。
「なんでもない。それより、それは……ひどいな。湯ならある。使えばいい」
やはり……ウォーリアは思わずにはいられなかった。嫌な予感が的中してしまったことに、ウォーリアは宿命ともいえるこの縁を少し呪ってしまった。ガーランドとの接点を断ち切ったはずなのに、こうして当人がここにやって来てしまうとは。これは完全に想定外だった。
「助かる……」
沸騰した湯と布を青年から受け取ると、ガーランドはテーブルの席について治療をはじめだした。篭手を外し、湯に浸らせた布で外傷を拭っていく。布はすぐに赤黒く染まっていった。
「……貸せ。私がしよう」
「よいのか?」
「片腕では難しいのではないか?」
「そうだな。……では頼む」
このままガーランドが治療を終え、出ていくのを無言で見届けるのが最適解なのであろうが、ウォーリアにはそれができなかった。怪我しているガーランドの利き手に布をあて、血液と付着した粘液質なものを丁寧に拭き取っていく。
この粘液質のものは魔物の血液であった。怪我した腕についているということは、傷口を介してガーランドの血液中に入り込んでいる可能性もある。
「実はな──」
「……」
ガーランドに詳細を聞き、ウォーリアは眉を顰めていた。魔物討伐の帰りに、偶然この家を見つけたのだと……ガーランドは説明してくれた。
魔物はさほど強くもなく、引き連れた隊はすぐに帰還させた。
残っていた魔物の亡骸を始末し、ガーランド自身も帰還しようとして、背後から残存していた魔物に襲われたという。魔物の鉤爪を利き手の篭手で受け止め、ガーランドは周囲にたつまきを呼び寄せた。魔物は肉片と化し、周囲にちらばった。その際に魔物の体液がガーランドにも降り注ぎ、負傷した腕にもかかってしまった、と──。
「……今宵は熱が出るかもしれないな。なにもないが、泊まっていくがいい」
説明を聞いていたウォーリアは、怪我の具合を見て納得をしていた。それと反して、ガーランドの背後をとるほどの魔物が存在していたことに、内心で驚愕もしている。だが、言葉には出さず、別のことを告げていた。
ここからコーネリアまでは徒歩で半日程度かかる。いくらガーランドでも、毒に侵されたような状態で歩き続けることは困難ではないか。それを踏まえてのウォーリアの言であった。
ウォーリアの言葉は半分が建前、半分が本音を含んでいた。ガーランドに近づきすぎると危険と理解はしていながらも、今の状態でコーネリアに帰還させることの難しさも知っている。
「では、その言葉に甘えさせてもらおうか」
ガーランドはそんな青年の心境をすべて察したうえで、甘えることにしていた。というのも、腕の治療を黙々としてくれている青年に、ガーランドはどこか懐かしいものを感じている。しかし、感じるだけで、その正体までは掴めない。
すぐに気のせいだと思い込んだのだが、青年の物腰や雰囲気は気のせいだけではない。頭の奥底に隠された先に見える〝なにか〟のようで、ガーランドは瞼を閉じた。その〝なにか〟を探ろうとしたのだが、結局はうまくはいかなかった。

「寝場所はすまないが、この部屋になるが……」
修繕がざっくりと終えたところとはいえ、居住できる空間はまだ少なかった。今ウォーリアたちがいる暖炉のある部屋でしか、まだ使うことはできない。必然的にここでふたり揃って眠ることになるのだが、ウォーリアは特に睡眠を必要とはしていないのでガーランドに譲っていた。
もし、ガーランドに異変が起きようなら、ウォーリアがコーネリアまで医師を連れてくるつもりでいる。
「儂は何処でも構わぬ」
腕の治療を終えてから、ガーランドは装備をすべて外して部屋の隅に置いていた。青年から新しい布を借り、躰全体を拭いていく。汗や魔物の体液の付着した身を拭いた布を青年に渡すと、綺麗に湯で洗ってからもう一度手渡された。
二度拭けと言われているようで、ガーランドはくっと苦笑した。青年の態度は素っ気ないが、決して突き放しているわけではない。見ず知らずの他人に、ここまでできる者はそうそういない。そう考えると、この青年は相当不器用なのだと判断ができた。
「ここを使うといい」
適当な台にありったけの布を敷き詰めて作った簡素な寝台だが、一晩程度ならガーランドの体重にも耐えられるようにしてある。鎧の置いていないほうの部屋の隅に設置した寝台を指で示すと、ガーランドはよろよろとした脚取りで向かっていった。
「すまぬ……っ、」
ガーランドはあまり動きたくなかったのか、ウォーリアの言うままに用意された寝台に寝転がった。腕を押さえているところを見ると、かなりの激痛に襲われているのかもしれない。ウォーリアは今から医師を呼びに行くかを考えた。
「……ところで、おぬしの名を訊いてもよいか?」
「……」
考えている最中に急に声をかけられ、ウォーリアは戸惑った。というのも、ウォーリアに名はない。この〝ウォーリアオブライト〟も、ここではない神々の闘争する世界で、当時の仲間たちからそう呼ばれていた。それを今でも使っているにすぎない。
「答えられない、か? 答えたくない、か?」
「っ、」
随分鋭いところまで訊いてくるガーランドに、ウォーリアはどう答えたものか思いあぐねた。寝転がりながらでも真摯に見つめてくるガーランドに、唇をふるふると震わせる。
「私のことは……」
「ぐっ、」
「ガーランド?」
急に苦しみだしたガーランドに、ウォーリアは駆け寄った。このような問答をしている時間があったなら、やはり医師を呼びに行くべきだった。ウォーリアは後悔した。
「……儂の鎧の懐に、毒消しが入っておる。それを──」
「毒消し? 持っていたのか?」
持っているなら、早く教えてほしかった。だが、それを言い合う時間ももったいない。ウォーリアは急いでガーランドの鎧の中から該当する毒消しを見つけて水と一緒に持っていった。
「ガーランド、飲めるか……?」
ガーランドを仰向けにして、少し首を上に上げさせる。それから水のグラスを口元へと運ぶ。だが、ガーランドに飲み込む力はないのか、水は零れて流れていく。
「すまない。こうするしか……」
ガーランドの呼気は荒く、熱も出ているようだった。とりあえず毒消しを飲ませておきたくて、ウォーリアは決断した。毒消しを口内に含んで噛み砕き、それから次に水を含ませる。それをガーランドに口移しで飲ませていった。苦い毒消しの水をガーランドが誤嚥しないように、ウォーリアは舌を絡めて飲み込ませていく。
「んっ、んんッ?」
ごくんとガーランドの喉から嚥下音が聞こえ、安心していたら思いがけないことをされた。動かないようにと絡めた舌は、逆にウォーリアに絡みついてくる。上になっているはずのウォーリアの後頭部にガーランドの怪我していない手が伸び、逃げられないように押さえられた。
「ふっ、んぅっ……んッ、」
ただの口移しのはずが、毒消しの残る苦く深い口づけとなってウォーリアを翻弄していく。それと同時に、ウォーリアの心にちくりと刺さるものがあった。ガーランドは名を問うほどの見知らぬ者に、こういったことができるのかと──。この行為に意味はない。それでも、ウォーリアには哀傷だけが残された。
「んっ、……っ」
絡んでくる舌が緩んだのでウォーリアが逃げるように顔を離すと、後頭部にまわされた腕もパタンと寝台に落ちた。ガーランドは気持ちよさそうに眠っている。もしかしたら意識を手放しているのかもしれない。頬をペチペチと叩いてウォーリアが様子を窺っても、ガーランドに動く気配はない。ただ、苦痛に歪んでいた表情は穏やかなものに変化しているから、毒消しの効果は効いているように思われた。
「〜〜〜〜っ、」
ウォーリアはその場にペタンとへたり込むと、寝台に突っ伏した。熱に浮かされたガーランドが無意識に行ったのだろうから、本人がこのことを覚えていないのなら、ウォーリアもそれで通すつもりでいる。行為に意味はあったのかと、わざわざ問い詰める気はない。
「長い一晩になりそうだ……」
ちらりとガーランドを伏し目がちに見て、ウォーリアは自身の唇に指を伸ばす。ガーランドに起きる気配はない。すぅと寝息を立てているガーランドのあの唇と先まで触れ合わせていたのだと思うと、指は勝手にウォーリアの唇をなぞっていった。
「私の気も知らないで。おまえは……」
頬が熱くなっていくのがわかる。ガーランドの熱が移ったかのように、頬だけでなく全身が紅潮していくようにも感じられる。せっかくガーランドから離れたのに呼び寄せてしまったうえに、宿敵のときでは考えられないような行為を受けてしまった。ウォーリアははぁと溜息をつき、この宿命を違う意味でもう一度呪うのだった。
それでも触れ合った唇の感触が忘れられず、ウォーリアは一晩中、唇をずっと指でなぞっていた。

***

そして、翌日──。
「どうだ?」
目を覚ましたガーランドに、ウォーリアはすぐさま問いかけた。早く治ってもらって、ガーランドにはこの小屋を出ていってほしい。これはウォーリアの本音だった。これ以上は踏み込まれたくなくて、言い方も素っ気ない。
「治っておる」
「それはよかった」
これで、出ていってもらえることが確定した。ウォーリアは表情を変えることなく、ガーランドに熱い布を手渡した。夜中にガーランドは寝汗を大量にかいている。躰を拭いて、すっきりして帰路についてもらうためのものだった。
「すまぬな」
「構わない。治ったならコーネリアに早く戻れ……。任があるのだろう」
躰を拭いているガーランドを見ないように、ウォーリアはそっぽを向いている。それをどのように受け取ったのかは知らないが、ガーランドはくくっと嗤っていた。

「感謝する。おぬしが居らなければ、儂はコーネリアに帰還できておったか……」
「礼はいい。早く行け」
治療も完全に終え、鎧もすべて身にまとったガーランドは、兜を外して改めて青年に声をかけた。青年は相変わらず素っ気ない態度をとっているが、ガーランドは気にする様子も見せなかった。ガーランドにとってこの青年は命の恩人であり、またどこか気になる存在にもなっていた。
青年はガーランドとの関係を、ここで断ち切りたそうにしている。それは青年の態度を見れば、一目瞭然であった。だが、ガーランドはここで終えたくはなかった。出会ったときから気になるこの青年をどうにか繋ぎ留めておきたくて、少し思案する。そして答えを出した。
「また、来てもよいか?」
「……」
これでガーランドと縁が切れると思っていたウォーリアは、衝撃を受けると同時に悩むことになった。返答次第では宿命の輪が廻ってしまいそうで、返答ができない。しかし、ここで断ったところでガーランドに住まいを知られた以上、勝手に来られてしまう可能性もある。それなら……。悩んだ結果、ウォーリアは首を縦に振った。
「そうか。なら、儂がこの家をもう少し住みやすくしてやろう」
宿の礼も兼ねてな。青年が名を名乗らなかったので、ガーランドも深く追求するのをやめていた。それに、この青年の名を、ガーランドは知っている……覚えていないだけのような不思議な感覚がある。
それを知りたくて、ガーランドはこれからも青年宅を何度も訪れるようになっていった。

──それからのこと。
ガーランドは怪我の治療以来、頻繁にウォーリアを訪ねてきては小屋を改築していった。そんなガーランドとウォーリアが、仲良く茶を飲む友人になるまでに、そう時間もかからなかった。茶を飲むだけではなく、時々はガーランドに誘われて、ふたりで出かけたりもするようになった。
その回数は日を追うごとに増えていき、本来ならガーランドと離れたかったはずのウォーリアは、また別の意味で頭を悩ませることになるのだが……。