2019.4/07
この世界は南北に別れた大きな大陸より成り立っていた。そのひとつ、南の大陸の中央に存在する大きな内海の北部に、その王国はかつて建国された。
王国の周囲は、緑に包まれた自然豊かな土地が広がっていた。鳥は舞い飛び、動物たちは自由に駆け跳ねる。人間が近寄っても逃げることのないほど、自然界の動物たちはこの地の人間に慣れていた。
この地に住まう人間たちも自然界の掟に倣い、動物に対して干渉を行わなかった。すなわち、不要な乱獲をすることはない。その日の生活分、および、朝市で売り切ってしまうだけの量を捕獲してきた。
そんな平和な土地に築かれた王国の近くには、壮大な湖が存在している。その湖からも一望出来る大きな白亜の古城が、今回の物語の舞台のひとつとなる。
その古城──コーネリア王城の周辺には大きな栄えた町があり、多くの人々で大変な賑わいを毎日見せていた。
早朝から森で捕らえた動物が捌いて売られ、収穫した色彩豊かな旬の野菜が並べられている。湖や近隣の海で釣られた様々な種類の魚介類も軒を揃えていた。
このコーネリアではもはや当たり前の光景で、まさに朝の風物詩となっている。この街の住人たちも必要なものだけを揃え、朝食準備に取りかかる。
そして、コーネリアの王城の内部では──。
***
城下町ではまだ朝市の賑わいを見せる早朝、寝台で眠っていたウォーリアオブライト──ウォーリアは、ふと眼を覚ました。広いが、この大きな寝台と備え付けてある小さな引き出し、ランタンしか置かれていない少し生活感に欠ける部屋の中だった。
「ガーランド……?」
ウォーリアは横になったままで、さっと周辺を見まわした。広い部屋にはウォーリアしかいない。この寝所と隣の執務室の本来の持ち主である、男の姿がどこにも見当たらない。
ウォーリアの隣でともに眠りに就いた、ここコーネリアで騎士団長の任に就く男──ガーランドがいなくなっている。
「……鍛錬、か?」
ひとつの可能性に思い至ったウォーリアは、起き上がり、ガーランドが寝ていた場所の敷布に触れた。敷布の柔らかいさらりとした感触に、ウォーリアは手のひらに擽ったさを感じた。くすりと少しだけ口元を緩める。
だが、敷布は完全に冷めており、ガーランドが不在になってかなり時間が経過していることがわかる。
「かなり……経過しているな」
ガーランドは城内の修練場で、毎朝自主鍛錬を行っている。ウォーリアがこの地にたどり着く前からの習慣だと聞かされ、はじめは言葉を失った。
この世界とガーランドは、本来在るべき正しい姿を取り戻している。それなのに、異質な私がここに存在することは、この世界にとってどう作用するのだろう? ウォーリアは何度も考えた。そして、ウォーリアは何度もガーランドの傍から離れようとした。
しかし、そのたびにガーランドは激怒し、見つけ出したウォーリアを叱責しては、強く抱きしめた。
『お前が何処かに行くたびに、儂はお前を探さればならなくなる』
何度も耳許で囁かれ、その夜は激しく愛されることになる。意識がなくなっても続けられるその行為に、翌日は動けなくなるほどウォーリアの躰は疲弊してしまう。そして結局、任務時間をずらしたガーランドに、身の世話をすべて任せることになった。
『儂が無理をさせたのだから、儂がすべての面倒をみる』
そのように言い、甲斐甲斐しく世話をする騎士団長なんて、どこにいるだろうか。ウォーリアは顔を朱く染め、離れようとした仕置きとも解釈できる、ガーランドからの恥ずかしくも手厚い介護を毎回受けていた。
それを幾度と繰り返し、いつしかウォーリアもガーランドの傍を離れることはなくなった。恥ずかしい介護は別として、ガーランドがそこまで激怒するほど心配するのなら、それもまた行ってはいけない行為なのだと思うことにした。
傍にいてもいいのなら。また、それをガーランドが望んでくれるのなら……。この世界のことは成り行きに任せていいかと……本来ならば、あってはならない不謹慎なことまで、考えるようになった。
それでこの世界の均衡が失われることになり、再びガーランドと剣を交えることになったとしても、〝今〟を在りたかった。〝これから〟のことは、その先に考えればいい。今をガーランドとともに在りたい……。ウォーリアはそう、強く願った──。
ガチャ
扉の開く音が響き、そろそろ壮年を迎える端整な部類の外見の大男──ガーランド──が入ってきた。寝台に全裸で起き上がっているウォーリアを見て、眉を顰めた。
「ウォーリア。いつまでもそうしておらずに、さっさとアンダーを身につけろ」
ガーランドが少し洩らしただけで、ガバッ! ウォーリアは慌てて飛び起きた。
くっ、ガーランドが横で嗤うのも気にすることなく、ウォーリアは替えのアンダーを着ていった。黒のアンダーに腰布姿になったウォーリアに、ガーランドは執務室へ行くよう促した。
「まだ時間はある。茶でも飲め」
「……いただきます」
……熱い。
ガーランドの淹れる茶は熱く、ウォーリアはすぐには飲めない。フーフーするが結局飲めず、テーブルに戻した。少し冷めるまで待ったほうが賢明。ウォーリアは判断を出していた。
「それで? どうして私が王に謁見しなければならない?」
「お前が……というより、儂とお前が、だな」
「だから、なぜだ?」
ガーランドはいつも言葉が足りない。これはウォーリアがいつも思っていることで、何度ガーランドに伝えても一向になおしてくれない。
培われたガーランドの人となりのせいでもあるのだが、ウォーリアとしては納得いくまで説明がほしかった。熱い茶がほどよく温くなるころに、ようやくウォーリアは概要を説明され、納得することができた。
「──それでは、……私はここで留守番か?」
「謁見の際に正式な命令が下される。場合によってはそうなるな」
「……」
……騎士団長としての務め、か。
納得したくはないが、無理に心の奥底に留めた。ここでウォーリアが無理を訴え、ガーランドの迷惑になるようなことだけは避けたかった。茶を飲むこともできず、瞼を伏せた。自然と顔も下がっていた。
「お前も来るか?」
「馬鹿な。私は団に所属しているわけではない。おまえが勝手に決めていいことでは……」
ガーランドの言葉にハッと顔を上げたが、すぐに下を向いた。ガーランドの顔を見ることもできず、下を向いた状態で答える。
ガーランドのいない数日を、この広い部屋でひとり過ごすなら、どこか違う土地を旅するのもいいかもしれない。ウォーリアは温くなった茶を啜った。もはや味もわからない。
「王はお前も来るように言われた。ならば、お前にも遠征の命令が下ってもおかしくはないと思うが?」
「……」
なにも答えられなかった。否、答えたくなかった。そのようなことはあってはならない。王から直々に勅命が下らずとも、ウォーリアはこの城内では好きに行動ができた。
ウォーリアが自ら王に進言すれば、ガーランドについて遠征に行くことも可能になるだろう。しかし、ウォーリアはそれをして良いものか躊躇った。
ウォーリアは、このコーネリア城では特別客人扱いを受けている。騎士団長で独り身のガーランドの、唯一の身内ということで、国王には紹介されていた。
ただ、それだけの関係ではないことは、国王には伏せている。しかし、この王国の第一王女だけは内情を知ることとなってしまった。女の勘……そう言えばいいのか、王女──セーラ姫はガーランドとウォーリアの関係を一瞬にして見抜いた。それでいて、同性婚の認められないこの王国で、ふたりになにかと支援をしてくれている。
これにはガーランドも感謝するしかなかった。下手をすればガーランドは騎士の称号を剥奪され、この王国を追放されかねない。味方についただけではなく、影で見守り支えてくれている。
セーラ姫が生誕してから、ガーランドは長く側で仕えてくれた。そんなガーランドへの恩返しのように、セーラ姫は考えてくれている。互いが想い合っているのなら、性別など関係はない。いつか自身でこの国に新しい風を呼び込んでみせる。そのためにも、このふたりは必要なのだと──。
国王には内緒で、王女はいろいろと画策していた。そのあたりの事情は、ウォーリアはもちろんのこと、ガーランドですら聞かされていない。
ウォーリアは客人として、騎士に稽古や手合わせを鍛錬の一環として行い、時に王女の護衛につく程度のことを条件に、この王城に滞在している。
「……」
互いに無言の状態で、茶を啜る音だけが広い部屋に響く。ウォーリアが顔を下げたまま無言を貫いてしまっているので、ガーランドは小さく嘆息した。ことり、茶器をテーブルに置き、鎧を装着するために立ち上がった。もたもたしていれば、兵が呼びに来る。
「飲み終われば鎧を装備しろ。じきに呼び出しがかかる」
「……わかった」
国王への謁見に、アンダー姿のままではいけない。茶を急いで飲み、ウォーリアも白銀の鎧を装備していった。