第一幕 運命の輪廻 - 4/5

                2022.10/09

第四章 秋の味覚

「……」
ウォーリアオブライト──ウォーリアはコーネリアの町の隅にある、きのこや種子類などといった山の幸を主に取り扱う店の前で佇んでいた。ウォーリアの目の前には、茶色のトゲトゲした球体がいくつも積み上がっている。
「おや、鎧のお兄さん。これを初めて見るのかい?」
「ああ、初めて見る……これは、食物なのか?」
店をきりもりする恰幅のいい女性に声をかけられ、気圧されながらもウォーリアは律儀に答えていた。どう見ても食べものというより、飛び道具的な扱いの武具にしか見えない。投擲武器ではないのかと尋ねようとしたら、女性は大きな声で笑ってバシンとウォーリアの背中を叩いてきた。
「お兄さんのような立派な戦士さんなら、確かにぶつけてダメージを与えられるかもねぇ。でもね、このトゲトゲしたイガの中に美味しい実が詰まっているんだよ」
「そう、……なのか?」
背中を勢いよく叩かれたウォーリアは、青の重鎧を装備しているせいで余計に衝撃が身に伝わっていた。下手な攻撃を受けるより、こういった悪気のない行動が一番堪える。これはウォーリアがこれまでに何度かこのコーネリアで受けて知り得たことだった。
コーネリアの町の住人は誰もが気さくで、戦士や一般人といった職業や人種などで比べるようなこともない。平和で良い国だと……ウォーリアも思っている。そのせいで失われたものもあるのだが。
「美味しい実……?」
「そう! ひとつ食べていきなよ」
「いや、別に購入するわけで──」
「いいからいいから!」
ただひとつこの町で問題があるとすれば、こうして過剰なまでに押しつけてくる一面があるところだった。誰彼構わずにしているのかと思えば、どうやらそうでもないらしい。この過剰な行為はウォーリアに対してのみに行われているように思えた。
現にウォーリアがこのトゲトゲの球体を見るまでに、この店にいた客に女性は押しつけるようなことをしていない。普通に商売をしていた。それが……ウォーリアが相手だと、途端にこうなった。
「いいかいッ! このトゲは痛いから注意してっ。中の実はそのままじゃ食べられないから──」
「──……っ、」

「ありがとね〜。お兄さん、これからもご贔屓に」
「……」
店の女性の勢いに根負けしたウォーリアは、袋にいっぱいの実を持たされて店をあとにした。げんなりした様子のウォーリアとは反対に、女性はにこにことして手を振ってくれている。
ほぼ押しつけられているので、価格はないに等しいものだった。しかし、それでは商売として成り立たないのでは? とウォーリアが問いたからか、女性は少しのギルだけを受け取ってくれていた。
『森や山に行けばタダで見つかるものなんだから、お金は受け取れない』
女性はそのように言っていたが、町での生活もあるのでは……と思ってのことだった。ウォーリアもひとりで旅をするようになるまでは、そのあたりのことはかなり疎かった。旅に同行してくれた仲間が、すべての金銭管理を行ってくれていたせいでもあった。
しかし、今はその仲間とも離れている。連絡を取る手段のない状態で、再び会える可能性を考えると……それは諦めたほうがいいのではと結論が出た。
そうして得た今の生活は、独りでは厳しく思えるが、それでも楽しく思えている。いつまで続けられるかわからない。それでも、ひとときの自由を楽しむのもよいかと、ウォーリアはのんびりと人里離れた場所で暮らしている。
もう役目は果たし終えているのだから、元の鉱石に戻るのかもしれない。このまま消滅してしまうのかもしれない。肉体の変化に不安がないわけではないが、それでも世界の平和を維持できるための代償であるのなら、それをも受け入れるつもりでいる。
帰りの道中で、ウォーリアはトゲトゲの球体をいくつか発見していた。女性の言っていたとおり、森の中にはコロコロと転がるようにトゲトゲの球体はたくさん落ちている。これなら安く提供してくれるのも頷ける。ウォーリアは手に大量の実の詰まった袋を持っていたのに、それでも球体も拾って持って帰った。

 ***

「……これを、どうするか」
ボロボロに朽ちた小屋を少しだけ修繕させたお粗末な家だが、ウォーリアの大切な住処だった。行くあてのなかったウォーリアは、それまではカオス神殿に身を潜めることが多かった。だが、それはすぐに見つかってしまった。当然だった。カオスのいない神殿に人の気配があれば、誰かが侵入したと疑われてしまう。そして、コーネリアに報告が入り、すぐさま騎士団が様子を見に訪れた。
気配と空気の流れで異変を感じとったウォーリアは、すぐに神殿を飛びだした。あとは……いろいろと歩いているうちに、ここへたどり着いた。運命のようなものを感じ、ウォーリアはこの家とともにすることを決めたのだが……。予定外というものは、案外頻繁に起きてしまうらしい。
ガーランド──かつてのウォーリアの宿敵として、異界の地では何度も闘争を繰り返してきた男だった。そのガーランドは、闇でこの世界を覆う厄災として存在していた。
カオスを討ってほしいと願うコーネリア王家の望みを叶えるために、ウォーリアはもう一度ガーランドと剣を交えたのだが──。
結果はウォーリアの望んだものなのか、望まないものなのか……世界を救った代償として、すべての人々から存在を忘れられてしまった。
しかし、それをウォーリア自身は気にすることはなかった。いずれ消えてしまうかもしれない身の自身を、わざわざ覚えている必要はないと。そのために独りを選んでボロボロの小屋に住みついたのに。どうして、どうして……──ガーランドが現れるのか。
しかも、ガーランドも世界の人々と同じように、ウォーリアの存在を忘れている。覚えていてほしいわけではないが、それなら、関わり合いになりたくないのも事実だった。
闘争を渇望していたガーランドが平和を望む騎士に戻って、どこか寂寥感のようなものを胸に抱いてしまう。〝あの時のガーランド〟とは違うガーランドがここにいるのだと、頭では理解できても、心では理解ができない。
そのような思いに駆られるくらいなら、きっぱりと離れたほうがいいと思っていたのに──。はぁ、ウォーリアは小さな小さな溜息をついた。回想に囚われて目下のことを忘れてしまっている。
まずは目の前にある大量の実と球体をどうにかしなければならない。
「……?」
ここでウォーリアは首を傾げた。女性にあれだけ話しかけられたのに、このトゲトゲの球体も、中に詰まっていたこの実の名前もウォーリアは聞いていない。もしかしたら女性は口に出していたのかもしれないが、右から左で聞き流していたウォーリアに覚えているはずもない。
「確か……このトゲトゲから実を出せばいいのだった、か?」
家の中で迂闊に行うより、屋外でするほうがよいと選択したウォーリアは、数個の球体を持って外へ出た。ころころと球体を地に転がし、丈夫な棒を使ってポカッと一撃入れる。
球体はパカッと簡単に開いた。これにはウォーリアも驚いた。硬そうに見えて、意外と簡単にトゲトゲは開くのだと……。
中には色つやのよい実が三つ詰まっている。これはお店で女性に見せてもらって、実際に持ち帰らされたものと同じだった。しかし、問題はここから先だった。ウォーリアは女性の話をほとんど聞いていない。実の処理の仕方を聴き逃していたことに今頃になって気づいて、どうしようかと頭をひねらせる。
生の状態で食べることが危険というのは、山の幸では果物以外に多いので、まず火を通してみようと。ウォーリアは近くにある竈に火を起こした。ついでに湯も沸かしておこうと、水瓶の水をすくって鍋に入れて竈の上に置く。
「ふむ……」
中身をひとつひとつ出して火を通すより、このトゲトゲの球体を直接火にかけたら、中まで火が通るのではないか。考えたウォーリアは数個の球体を火の中に直接放り込んだ。まるで薪を投入するかのようにポイと投げ込まれたトゲトゲの球体は、パチパチと音を立てて焼かれていく。ついでに実のほうも、薪を入れる感覚でポイポイと放り込んでいった。
周囲は香ばしいいい香りが漂っていた。しかし、それは木や葉が燃える匂いと同質のものだった。しばらくすると、パチパチと音がしていた球体や実に変化が訪れた。
「此処におるか?」
「ガーランド?」
背後から声がかかり、燃えていく球体や変に膨らんでいく実を眺めていたウォーリアは、びくりと身を揺らした。肩越しに振り返れば、白銀の鎧に身を包んだガーランドが立っている。
「町でおぬしを見たとの情報が寄せられたが……、その姿で外へ出たのか?」
「狩りをしようと思っていた。だから……」
責め立ててくるようなガーランドの勢いに、ウォーリアは瞳をぱちくりしながら答えていた。しかし、腑に落ちない。
どうして尋ねられたウォーリアのほうが、こうした詰問のようなものを受けねばならないのか。ウォーリアは首を傾げたが、それより早くガーランドは周辺を見まわしだした。
「焦げ臭い匂いがしておるぞ。なにか焦がしてはおらぬか」
「焦げ……? っ、⁉⁉」
バァーン‼︎‼︎
ウォーリアが口を開くより早く、背後で大きな爆発音が重なり合うように何度も上がった。その次に水が跳ねる音、火が消える音、金属が跳ねる音など、入り乱れた音が聞こえてくる。だが、ウォーリアは後ろを振り返ることができなかった。
「なにを……、やらかした?」
なにかを察したガーランドは、先に訊いていたことの内容も忘れて青年に問いただした。青年はやってしまったような表情で口ごもっていたが、やがてぽつりと答えてくれた。
「……トゲトゲの球体と美味しい実を火に入れた」
「意味がわからぬ」
しかし青年の答えは、ガーランドに理解できるものではなかった。抽象的すぎる。ガーランドは兜に手をあてて天を仰いだ。
「実は──」
「…………そう、か」
青年から事情を聞き、ガーランドもようやく理解ができた。そして、兜の中でこっそりと表情を緩めてしまう。いくら名称を聞いてこなかったとはいえ、『トゲトゲの球体』などと名付けてしまうとは。嗤いを堪えていると、むすっとしている青年と目が合った。
「知らぬなら仕方あるまい」
ガーランドはこほんと咳払いをして、青年の頭をふんわりと撫でた。硬質なように見えて、青年の髪は意外とふんわりとしている。兜から奔放に跳ねる髪は、邪魔にならないかとガーランドは心配してしまうのだが、本人はどうやらそうでもないらしい。
「それより、それを見せてみよ。竈も気になるわ」
「わかった」
青年が青の鎧姿でコーネリアに行ってしまったことに、ガーランドは最初は驚いていた。だが、それ以上に青年がもらってきたという、その山の幸が気になった。その球体や実がなにを示すのか……該当するものはひとつしかないし、ガーランドもすでにわかっている。それでも一応、目でも確認はしておきたかった。それに水が弾けた音と金属音も心配だった。
「……酷いな」
青年に案内されてついて行ったガーランドは、予想以上の有様に出せる言葉を選んでしまった。竈付近に広がったあまりに酷い惨状に、ガーランドはもう一度兜に手をあてて天を仰いでしまう。
「鍋が……っ。これはもう、だめか」
青年ははぁと溜息を零していた。それもそうだった。第三者のガーランドでも思うなら、此処を生活の基盤に選んだ青年は余計に考えてしまうのも無理はない。
石を組み上げて作った竈は完全に崩壊し、置いていた鍋は飛んでいってしまっている。しかも、草の上に転がったその鍋は、鍋底に穴が空いてしまっているのが目視でもわかるほどだった。
竈の火は水がかかったのか、完全に鎮火している。それだけではなく、周囲の薪にも水がかかっており、当分使いものにならなさそうだった。
そして、爆発を起こした──青年曰くトゲトゲの球体や美味しい実は、真っ黒になって竈の周辺にいくつも転がっている。いったい……何個投入したのか、訊くのが恐ろしいほどであった。
球体や実の表面はプスプスと音を立てているが、この様子ではどちらの中身も炭になっているのではないか……というのが、ガーランドの見解であった。
「これはな、『栗』という。イガの中の実──おぬしの言う美味しい実を食うものだが……先に硬い殻を剥くか、火を通してから殻を剥くか。栗の下処理としては、だいたいがこのどちらかとなる。イガのまま、もしくは実の殻に切れ込みを入れずに火にかけると、中身が膨張して弾けてしまうのだ……」
このようにな。はぁとガーランドは大きな溜息をついて、散らばった栗の残骸を拾い集めていった。イガに包まれていたものは実を取りだし、最初から実のまま投入されたものはそのまま拾っていく。
項垂れていた青年も、ガーランドを手伝うように栗を拾ってくれている。何処かズレているが、それは物事を知らないことと、青年本人の生真面目さからきていることを、ガーランドはこの数日で学んでいた。
不思議な出会いではあったが、ガーランド自身もこの青年を気にかけるようになっていた。というのも、誰かが手助けしなければ、この青年が独りでこのような不便な場所に暮らすのは無理だと……見てわかるものだった。
命を救ってくれた恩人でもある青年と仲良くなれたのは、偶然なのか、必然なのかは判断は難しいところだが、ガーランドはこの出会いに感謝している。
王城で騎士として在るなかで、時として持ち込まれる社交界への誘いや縁談の申し込みといったものは、ガーランドにとって不要であった。今回も縁談を申し込まれ、騎士団の見回りを理由に、逃げるようにコーネリアを出てきている。ついでだから青年の様子を見ておこうと……町で青年の目撃情報を得たことをきっかけに、ガーランドはここを訪れた。そして、こうなった……。

「結構あったな……」
周辺に散った栗をまとめてウォーリアの小屋の中に入れ、ざっとガーランドは眺めていた。ギリギリ使いものになりそうなものが二割、ほぼ廃棄となるものが八割であった。
「鍋もだが、これも……無理か」
ガーランドは仕分けるように栗を見ていたが、悲しげな表情の青年が視界に入り込んできた。初めて見る栗を楽しみにしていたのではないか。しかし気持ちが逸って、直接火の中に入れてしまうという暴挙に出たのなら……。青年の考えていることが手にとるように理解できたガーランドは、先の考えを覆した。
青年から丈夫な袋をもらい、もう一度栗を眺めていく。ほぼ廃棄の八割は、そのままでは使えないが、加工すればどうにか使えそうではあった。
「で? もらってきたという栗を、すべて竈に放り込んだのか?」
集めた栗を袋に詰めていたガーランドは、思っていたことを青年に訊いていた。爆発して跡形もなく散ってしまった栗も含まれているだろうが、それでも青年の話から数が少なく感じられた。
「いや、何個かはそのまま残してある」
「すべて儂が買い取ろう」
「……っ?」
ふむ。頷いたガーランドは青年に手のひらを向けて出した。これは無事な栗もすべて出すようにとの意図を込めていたのだが、青年に伝わったのかは不明だった。青年は言葉を詰まらせて、吃驚した顔を見せている。
「此処で生活するのに、ある程度の金が要るのだろう? コーネリアへその姿で出向いたのも……狩りと言ったが、魔物退治でもするつもりだったのではないか? もしくは……もう、してきたか」
「……」
ガーランドはやはり、とまた小さく嘆息した。青年はバツが悪そうにそっぽを向いてしまっている。
魔物退治をして報酬を得て、その金銭で生活必需品を購入することは、この世界のどこにでも見られるものであった。青年が実践していたところでおかしな行為ではないし、ガーランドにも止める権利はない。
しかし、それとは別で、これから寒い冬が訪れるというのに、このようなボロボロの家屋に青年が住み続けることに、ガーランドは懸念を抱いていた。今も壁から冷たい隙間風しか入ってきており、このままでは冬を越せるとは到底思えなかった。
おそらく、栗をくれたという店の者も、青年が魔物退治をしていることを知っていたのだろうと推測できる。栗は謝礼を兼ねてのものであろうが……そうなると青年が受け取らないと見越して、安い金額で押しつけたのではないか。
「……で、その栗にいくら払ってきた」
「二十ギル」
「そうか」
青年が市場に疎いために知ることはないだろうが、新鮮で艶々の質の良い栗が袋にいっぱい詰められて二十ギルであるはずがない。先の考えが当たっていたことに、ガーランドは小さく嘆息する。青年が市場価格に疎いのは、この場合良かれなのか悪しかれなのか……。
それに、この周囲は焦げた臭いで充満しているが、青年からほんのりと血の臭いも嗅ぎとれる。魔物特有の生臭い血の臭いはそうそう取れるものではない。
だが、もし……青年が血の臭いを消すためにここまでのことをしでかしたのなら──? しかし、ガーランドはその考えを途中で終了させた。青年は栗のことを本当に知らないようであったから、血の臭いを消すための処置でここまでのことはできぬはず……。鍋をひとつ無駄にするより、冷たい湖で水浴びをしてくるのではないか。
青年の水浴び姿を頭に描いてしまったガーランドは、ぶんぶんと何度か頭を振った。そのせいで兜の横角がビュンと危険な速度で周囲の風を切っているのだが、ガーランドの体躯が立派すぎて奇跡的にどこにも被害は出なかった。
「……では、その栗代だ」
「っ、⁉⁉ こんなに……っ、受け取れない‼︎」
ガーランドはテーブルの上にドンとギルの詰まった布袋を出すと、青年に押しつけた。懐にしまい込んでいたものであったが、たまたま都合よく持ち歩いていたことに、ガーランドはホッとしていた。手持ちがなければ、この交渉もできなくなる。
これに驚いたのは青年──ウォーリアだった。二十ギルがどうしてここまで増えるのか。五千ギル……いや、もしかしたらもっとあるかもしれない。
ガーランドに返そうと布袋を持ち上げるが、ズシッとする重みにウォーリアはクラッときた。両手を使って、ようやく持ち上げられるほどの重量の袋であった。
「うそ……だろ」
……このような重いものを、この男はいつも持ち歩いているのか?
ガーランドはこの布袋を懐にしまって巨剣を片手で扱っているということを知り、ウォーリアの背に冷たいものが流れていく。〝猛者〟ではなくなったが、このガーランドは紛れもなく〝あの時に戦ったガーランド〟である、と否応なしに気づかされる。
ひとたび剣を向けられれば、今のウォーリアならどうなるか、予想がつかない。敗れるのか、勝てるのか。ついつい、ガーランドを前に警戒をしてしまう。
「……おぬしが儂のもとに来てくれればな。その金は不要になるのだが、な」
「……は?」
ピリピリとした空気をまとわせていたウォーリアだったが、今のガーランドの言葉で一気に力が抜けていった。言われたことの意味がわからずに、こてんと首を傾げる。それでも表情は訝しげにガーランドを見つめていた。
「当然であろう。金の工面などせずとも、儂の部屋でともに過ごせばよいだけではないか」
「それは……できない相談だ」
ガーランドの意図することが理解でき、ウォーリアは俯いた。この家がボロボロだから、『自宅で一緒に住もう』と誘ってくれているのだと。家の修繕に金がかかることを知ってのガーランドの発言と、ウォーリアは捉えていた。
その申し出はありがたいが、ウォーリアは元々ガーランドから付かず離れずの距離に居ようとしている。そこにズカズカと入ってきたのはガーランドのほうであり、ウォーリアは望んでいない。そのため、今回のガーランドの申し出も嬉しくはある。けれど、ありがたいものでも、ましてや肯定できるものでもなかった。
「おぬしなら……そう返すと思ったがな」
それは受け取っておけ。そう言うとガーランドは袋にポイポイと栗を詰め込んでいった。まっ黒焦げでどうにもならないもの、ギリギリ食べられそうだが水分が飛んでカチコチになってしまった栗の実、まだイガに入ったままの未処理のイガ栗など、すべてを袋に詰めたガーランドは、一度窓らしきものから外を見た。もう日暮れの空に変わっており、今からだとコーネリアに着くのは夜半になるかと思われた。
「ガーランド。寝る場所はひとつしかないが……おまえがそれに耐えられるなら」
「……」
前に傷を負ったときに寝かせてくれた簡素な寝台を使え、と……青年は暗に示してくれている。青年は深夜で真っ暗になってしまう帰路を心配して言ってくれているのだろうが、ガーランドは別の意味で捉えかけてしまった。
ふたりでこの狭い寝台で寝るとなると、どうしても躰を寄せ合わねばならない。そうなると……ガーランドは青年を襲──。
こほんとまたひとつ咳払いをして、ガーランドは青年の頭を先と同じように撫でていく。疚しい心を青年に見透かされてしまう前に、ガーランド自身で折り合いをつけねばならなかった。
頭を撫でていた手のひらで青年の頬もするりと撫で、そのついでに指の腹で唇をさっと掠めていった。青年の唇は柔らかく、疚しい心が大きく膨らんでいきそうになる。
「〜〜〜〜っ、⁉⁉」
「夜半は危険になる。用心はせよ。なにかあれば、コーネリアの儂を頼れ」
青年がびっくりして両手で唇を押さえているあいだに、ガーランドは袋を担いだ。疚しい心が躰をも支配しないうちに、ガーランドはひと言添えて小屋を出ていく。外は真っ暗になりかけているが、幸いなことに星の明かりだけで視界は十分すぎるほどだった。
大量の金を青年に預けて、もし暴漢どもに襲われでもしたら……という危険はあったが、おそらくそれはないだろうとガーランドは考えている。
というのも、青年が住まいに選んだこの場所は、それなりに魔物の目撃情報が多数寄せられている。町の者にすれば近づきたくない場所のひとつにあたる。そのような場所に青年が住んでいるのは、魔物の動きを把握しておくためだと……ガーランドは勝手に認識をしていた。
「帰ってから、処理をせねばならぬか」
持って帰る栗の重みに苦笑しつつ、ガーランドは明日の予定を思いだしていた。騎士団の任務のあと、遠征への手続き、それに雑務もあるが、なるべく早く帰宅できるように調整するつもりだった。せっかく青年から買い取った栗を無駄にはしたくなくて──。

 ***

「さて、これをどうしたものか」
青年の悲しげな顔を見るのに耐えきれず、思わず持ち帰った栗──正確には栗だったもの──をテーブルの上に大量に並べ、ガーランドはどうするか悩んでいた。本当は無事なイガ栗以外は処分したいところだった。だが、青年が食べようとしていたのだから、廃棄するのも憚られた。そのために持ち帰ってきたのだが……。
「なるようにしかならぬ、か……」
王城内にある自室で考えていても、浮かぶものはひとつしかない。こうなると、これまでは満足していた王城での生活は、かなり窮屈に感じられた。
ガーランドほどの者となると、それなりの邸宅を持っているのが当然とされている。だが、ガーランドは独り身を貫くと決めていたので、決まった住まいに落ち着くことはしていなかった。看取る者がいない邸宅に独りで住まうなら、王城の与えられた部屋で不自由なく過ごすほうがいいと、これまでは考えていたのだが……。
「ふむ。自由な時間を得られるならば、悪くはないのかもしれぬ」
ここ最近、足繁く通っている青年のボロボロの小屋は、ガーランドの目から見ても粗末なものだった。でも、そのなかで青年は楽しそうに日々を過ごしていることも、同時に見てきて知っている。不器用な青年の生活のさまを見ていくうちに、ガーランドの考え方も少しずつ変化していった。
決まった家屋を持ちたくないと思っていたガーランドも、自宅と呼べるものがあれば青年を招きやすいのでは、と思えるようになっている。今日『儂のもとに』と伝えたが、その場所が王城内の一室のことではなく、青年にはもしかして自宅があると思われているのではないか。
青年がガーランドのもとへ来てくれたときに、それが自宅ではなく王城の部屋であったなら……口には出さないであろうが、青年は戸惑ってしまうのではないか。
そう結論が出てしまうと、これまで満足して過ごしていたこの部屋が、突然くすんで映るようになってきた。青年を招くことができ、ガーランド自身も心身を落ち着かせられる場所……この年齢になって、ようやく求めるものが見つかった。もう壮齢近くになるというのに、遅いとは思わない。むしろ、見つかって良かった、と思えている。
こうなってくると、ガーランドの次の行動も早い。明日も早朝から騎士団での鍛錬があるため、早めに行動をしておきたい。それに、早くしないと早朝の仕込み番がやってくる。ガーランドはテーブルに並べていた栗を袋に戻し、慌ただしく部屋を出た。大量の廃棄寸前の栗と一部の無事な栗とイガ栗の詰まった袋を手にして──。

「ガーランド、様……ッ⁉」
「すまぬ。場所と器具を借りるぞ」
個人宅が欲しいとガーランドが思えた理由がここにもあった。料理をしたくなったときに、王城の調理場を借りなければならない不便さも割合として大きい。
ガーランドは深夜から仕込みをしている宮廷料理人に許可をもらい、栗の調理にとりかかった。
まず無事だった栗とイガに包まれたままの栗は実を出してから水に浸し、黒焦げと化した栗の残骸は可食部だけを丁寧に取りだした。どうにか使えそうな大きめの粒は細かく刻んで糖蜜で絡め、それ以外は丁寧に裏ごしを繰り返して栗の粉末に変えていく。
この作業だけで時間はかかったが、おかげで水に浸していた栗のほうもいい具合に外皮が柔らかくなっている。栗をひとつひとつ鬼皮まで向いてアク抜きをしてから、砂糖と混ぜて煮込んでいった。甘く甘くふっくらするまで煮詰めて置いておく。そのあいだに次の作業へと移る。
手際良く手を動かすガーランドに、周囲の料理人たちはポカーンと見ているだけだった。というのも、鎧兜に身を包むガーランドが黒焦げ栗を用いて調理をしている……というだけで、十分な迫力がある。
目の当たりにしている料理人たちの一部は、ガーランドの手腕にほぅと羨望のまなざしを向けている者もいた。『ナイトの中のナイト』と言われるガーランドが、まさか料理の腕前も超一流とは……。目の前で作られていく栗料理に、周囲は釘付けになっている。しかし、そのようなことにガーランドは構っていられない。
「そこの者」
「はいっ、」
ガーランドは近くにいた料理人のひとりに声をかけた。作ったはいいが、その後のことを考えていない。できあがったものを持っていくための包みが必要なのだが、あいにくガーランドの私物ではないので許可を得なければならない。ここにも不便を感じていた。
「その箱……もらってよいか」
「どうぞ」
こくこくと何度も頷く料理人を眺め、ガーランドは空き箱をひとつ手に取った。ちょうどよい大きさの箱は完成品を詰めて持っていくのに適している。
できあがったものを箱に詰め、ガーランドは窓の外を見た。東の空が明るくなりだしていた。そろそろ早朝の料理人が来てもおかしくない時刻になってくる。
「すまぬ。此処の片付けを頼んでもよいか」
「はっ、はい!」
ガーランドは調理の合間に洗い物は済ませているが、片付けまでには至っていない。器具を片付けていれば、それこそ時間を超過してしまうことになる。料理人に任せたものの、そのせいで言われてしまうようなことがあれば、勝手に此処を使用したガーランドにも責任がある。
ふむ。小さく頷いたガーランドは、近くにあった紙を手に取った。さらさらと筆を滑らせていく。
「咎められるようなことがあれば、これを見せて儂の名を出すがよい。儂が勝手に行って、片付けをすべて任せた……と」
念のために一筆したためたものを料理人に渡しておく。ガーランドの名を直筆で入れておけば、この料理人が叱られるようなことにはならない。これで問題はなくなったことを確認して、ガーランドは手荷物を持って自室へと向かった。
これから朝の鍛錬と、それから続いて騎士団の任務がある。青年のところへ向かうのは夕刻以降になるだろうが、それでも逸る気持ちを抑えて、ガーランドは本日の任をこなしていった。

 ***

「光の戦士よ、居るか?」
そして夕刻──。ガーランドは王城で作った手荷物を持って青年の住むボロボロの小屋を訪ねていた。コンコンと扉を叩けば、昨日のような鎧姿のままではなく、アンダーの上下と腰布姿の青年が顔を出してきた。
これにガーランドは安堵した。青年が鎧をまとっていないなら、魔物を討伐に出向いていないことになる。青年の剣技の腕を信じていないわけではない。それでも、ガーランドの目の届かないところで危険なことをするのは、極力控えてほしいのが本音だった。
「どうした? 昨日の今日で……」
この小屋を訪ねて来る者など、ガーランドしか知らない。そのためにウォーリアは鎧も装備せずにそのまま出迎えた。扉を開けると、やはりガーランドが立っている。しかし、ウォーリアは首を傾げて問いていた。
ガーランドが二日続けて来ることは、実は珍しいことだった。たいていは数日空けてから訪れるのだが……。ウォーリアが訝しんでいると、ガーランドは手に持った箱をずいっと出してきた。
「……?」
急に箱を出されても、ウォーリアはどうしていいのかわからない。受け取っていいのか、受け取らないほうがいいのか、少し躊躇った。
「おぬしに栗を食わしてやりたくてな」
「くり……」
ウォーリアの躊躇いを察したのか、ガーランドが説明してくれた。これにウォーリアはピンと来るものがあった。これは昨日ガーランドが買い取ってくれたものだ……と、理解を得た。そうなると受け取る以外の選択肢はなく、ウォーリアはガーランドから箱を受け取った。
昨日の爆発させた栗がどうなったのか。テーブルに置いてからおそるおそるウォーリアが箱を開けると、中からふわんと栗の香りが漂ってくる。香りもそれなりに強いが、中に入っているものも十分なくらい立派だった。
「これ、は……っ」
栗の香りの漂うケーキは、飾りのなにもない焼き菓子にも似た四角いものだった。ただ、生地の中には細かく砕かれた栗が入っているのが見てもわかる。
「これが? 昨日の……栗、か?」
「そうだ。爆発で水分のなくなった栗を粉末にして生地に練り込み、粒の大きいものには糖蜜を絡めておる」
「昨日の、栗を……ここまで」
ウォーリアが驚愕する理由は主にふたつある。爆発させた栗をケーキにしてくれたことにも驚いた。だが、それ以上に食べられないほどガチガチになってしまった栗の実を、粉々に粉砕させたというガーランドの腕力に、慄然としたウォーリアは言葉を詰まらせた。
昨日、ウォーリアも焼けた栗を拾っている。そのときに水分が抜けてカチコチになった栗を粉末にするなど考えにも及ばなかったし、方法を知っていたとしても、ウォーリアにそれができるとは思えなかった。
ウォーリアが片手で持てないほどのギルが詰まった袋を、軽々と懐から出してくることもだが、ガーランドはあの巨剣を元々片手で扱っていたではないか。考えれば考えるほど、ウォーリアの中でひとつのことが確信に変わっていく。
──もしかしなくても、私はガーランドに手加減をされて生かされていたのではないか、と。
二柱の神々が支配していたここではない異界での闘争のことを思いだし、ウォーリアはゾッとするものを背中に感じてしまった。
異界の地で幾度となくガーランドと戦い、そのたびにウォーリアは命を落としてきた。最後の戦いでようやくガーランドに打ち勝つことができ、こうしてこの世界に立つことができている。
しかし、それがガーランドの思惑に沿ったものだとしたら? ウォーリアはガーランドの思うように動き、この世界に来たことになる。そして……厄災へと変貌したガーランドと──。
「余計なことは考えるでない」
「……ガーランド」
カチャカチャと音を立てて、ガーランドは茶を淹れてくれている。茶器一式も茶葉も、すべてガーランドがこの家にと持ってきてくれたものだった。食器を揃える余裕のないウォーリアにはとてもありがたいもので、これは返すことなく受け取った。そして、それ以来ずっとウォーリアも愛用している。
ガーランドの腕力を見誤っていたのは、間違いなくウォーリアだった。ガーランドは騎士に戻っても、普段から騎士団で鍛錬を繰り返している。魔物退治程度にしか剣を振るわなくなったウォーリアとでは、力に差が出てしまうのは当然のものであった。
もし、力の差が気になるのなら、ガーランドに手合わせでも願い出ればいい。闘争をあれほど望んでいたガーランドなら、その申し出を断ることなく受けてくれるに違いない。
ただ、そのことが理由で、ガーランドがかつてのことを思いださない保証はない。そのために、ウォーリアのほうからは言い出すことはできなかった。
ウォーリアが眉を歪めてガーランドを見つめていると、バチッと目が合った。兜を被っていても、ガーランドの強い双眸はギラギラと鋭利に輝いている。
「この世は平和……とは、言えぬからな。まだまだ魔物は多く潜んでおる。日頃から心身を鍛えておくのは、騎士の努めであるといえよう」
「そうだな……」
ガーランドの言葉に、ウォーリアは少し安心していた。もし、ガーランドが異界で闘争を繰り返したガーランドであったなら、きっと──。
『この世界での闘争は生死を分けるものではなく、単に儂の闘争心を満たすだけのものよ』
戦うことで意義を見いだしていた男であったから、このくらいは言いそうなものだった。もちろん、今の目の前にいるガーランドのほうから手合わせなり闘争を望まれれば、ウォーリアも応えるつもりでいる。ガーランドが本当に渇望しているのなら、だが。
「おぬしもコーネリアの周囲の魔物が気になるから、この場に留まっておるのではないのか? もし、おぬしさえ良ければ、騎士団に──」
「ガーランド。私は……経歴のない戦士だ」
誰も覚えていない戦士を騎士団に誘うなど、酔狂に等しい。王城や近隣を護る騎士は、経歴や身辺のしっかりした者でなければならないはずだった。世間に疎いウォーリアでも、そのくらいのことは知っている。万が一素性の不明な者を雇い入れ、その者が間者であったなら……それで国家転覆でもしたらどうなるのか。
「そうか? おぬしの素性は詮索せぬが、身分や経歴などなくても十分通じるとは思うがな」
「それでも。私には向かない」
執拗に騎士団へ誘ってくるガーランドの意図がわからないが、それでも受けることはできない。ウォーリアが毅然とした態度で断ると、ガーランドもそれ以上は言わなくなった。社交辞令なのか、本気で言ってくれたのか。ガーランドの思いが見抜けない。ウォーリアの心に引っかかるものが生じていた。
「その話は終わりだ。それより食ってみろ」
「そうだな。では」
ガーランドの態度と発言が気にはなるが、栗のケーキが気になるのも事実だった。昨日、お店で女性に味見で食べさせてもらった栗の味は、すでにウォーリアは覚えていない。ガーランドの作ってくれたこのケーキの味を、初めて食べる栗の味にしよう……と。ウォーリアは考えていた。
皿に載せられたケーキは、昨日爆発させた栗からは想像もできないものとなっている。基本的にウォーリアはあまり食べるといったことをしない。出自が鉱石であった……ということも起因しているために、食べなくても躰には別に支障がない。
ただ、この世界では飲食を多少はしておかないと、周囲に怪しまれてしまうことを学んでいる。そのために少しは食べるようにしているのだが……。
「……いただきます」
このことは特に聞かれることもないので、ウォーリアも自分から教えることもしていない。それでも、せっかくガーランドが手間をかけて作って持ってきてくれたのだから、ウォーリアは大人しく栗ケーキを食べようとした。
「これを添えると美味いぞ」
しかし、ケーキにフォークを刺したところで、ガーランドに止められた。ウォーリアがきょとんとしているあいだに、ガーランドはケーキになにかをしていった。
「これは……?」
「無事であった栗で作ったものだ」
皮を剥いてアク抜きした栗をコトコトと煮て甘露煮にしたものと、それを一部使用して作ったクリームだった。ウォーリアは唖然としていた。ケーキだけではなく、追加でここまで作ってくるとは、予想外もいいところだった。
「……美味しい」
甘露煮とクリームの添えられたケーキを食べ、ウォーリアは素直に感想を述べていた。食を知らないために感想を伝えるのは難しいが、味の違いはわかる。これは美味しい部類だと……ウォーリアは初めて食べる栗の味に満足していた。
横ではガーランドが兜の中で締りのない顔をしてウォーリアを見つめていたのだが……食べることに夢中で、そのことには気づかない。
「これから、森の中でも美味いものがたくさん獲られよう。おぬしが望むなら、儂が──」
「……」
ガーランドの言葉に耳を傾けながら、ウォーリアは聞こえないふりをしていた。これ以上は踏み入れてほしくなくて、完全に聞き流している。せめてこの距離感を保てるように、今より近くなりすぎないように……ウォーリアは願うばかりであった。