猛者の贈り物 - 3/3

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……誰か、つけている?
 帰路に着こうとする私の背後から、何者かの気配がする。周囲は暗く、街から遠く離れた場所に差しかかっているため、誰かがいればすぐに察知できる。
 強盗の類だろうか。私は神経を研ぎ澄ませ、周囲を窺った。自らの身を守るものは、なにも持っていない。目覚めたばかりの私の拙い体術で、どこまで迎撃できるだろうか。私は気配のした樹々のあたりを、じっと見据えていた。
「……良い目つきだ。喰らいつきたくなるな」
「誰だ……っ、」
 ガサガサと小藪を掻き分け、ひとりの男が出てきた。私と同年代くらいの、まだ若い騎士だった。コーネリア王国の騎士団で支給される白銀の重鎧に身を包んではいるが、兜は被っていない。黒い髪に鋭く光る黄金の双眸を持ったその男は、ズカズカと私の傍へ寄ってきた。そして──。
「何故髪を切った? お前の姿は、決して変わることがない……失った髪は戻らないのだぞ」
「……ッ」
 男は私の腕と腰を掴むと、グッと引き寄せてきた。私は男の冷たい白銀の鎧の中に収まり、硬直してしまっていた。どうして、この男は私の髪のことを知っ、て……?
「せっかくの美しい髪が。それに、色好いうなじが丸見えではないか。……俺のものなのに、周囲に見せつける気か」
「……」
 なにを言っている、この男は。理解し難いことを次々と言われてしまい、私は男の胸の内で硬直したまま俯いていた。……それが、長身なこの男に、うなじを見せつけている行為だとは気付かずに。
「ウォーリア、何故髪を切る必要があった? 生活に困窮しない程度には、〝儂〟が貯蓄を残していたはずだが?」
「──っ!」
 声が……出ない。私は顔を上げて、男を見つめていた。この鋭利な黄金色の双眸には見覚えがある。……ありすぎる。
 男は憤慨しているのに、私はぽろぽろと涙を零していた。男が誰か、やっと私にもわかったからだった。男の胸の内にいることをいいことに、私は冷たい鎧に手をつけて頬を擦り寄せた。この冷たい感触が、どこか懐かしかった。
「答えろ、ウォーリア」
「……私は後悔していないし、髪が失くなるくらい構わない。あの時計に対しての、正当な等価交換だ」
「……なにがあった? 落ち着いてからでいい、説明しろ」
 この上から目線なところも、以前と全く変わらない。だけど、わかりにくい優しい一面も、少しも変わってはいなかった。男は私の頬に流れる涙を指の腹で拭ってくれた。この優しい手つきに、私は瞼を閉じて大人しく享受していた。

「うまく説明できるかは、わからないが……」
「構わない。すべて話せ」
 かくかくしかじか……
 ようやく涙の落ち着いた私は、説明のつかない頭で頑張って男に顛末を伝えていった。要領を得ていないので、説明としては不十分だったかもしれない。しかし、男は呆れたような表情で私を見下ろしてきた。
「……愚か者が」
「お前にだけは、言われたくはない」
 どうして、そのように言われなければならないのか。相変わらず理不尽なものの言い方しかしてこないこの男を、私はぎっと睨んでいた。せっかく落ち着いた涙も、別の感情でぽろりと流れそうになっている。
 そもそも、ガーランドが前もって、しっかり説明していてくれていれば。私も時計を見てもらいに行くことなんて、しなかったはずなのに。
 私の視線を一身に受けてか、若いガーランドはふいと顔を背けてきた。どうしたのだろう? 私は睨むことをやめて、じっとガーランドを見つめていた。
「涙目の上目遣い……こんな場所で俺を誘ってるのか?」
「……お前のほうが、よほどの愚か者であろうが」
 心配した私も、きっとガーランドが言うように愚か者なのだろう。互いに〝愚か者〟と罵り合って、私たちはなにをしているのだろうか。あまりの滑稽さに、私は表情を崩していた。ガーランドが没してから、私は笑むことをしていなかったことを思いだす。
「そうやって笑っていろ。氷のような無表情も俺は好きだが……感情のあるほうが良いな」
「……っ、」
 思っていることをズケズケと言ってくるのは、まだこの男が若いからだろうか。私がガーランドを知っているのは、壮齢を迎えるころだから、かなり落ち着いた雰囲気と物腰を持っていた。ズケズケ言ってくるこの男も、歳の経過とともに落ち着くのだろうか。私は頬が熱くなるのを感じながら、つい……考えてしまう。
「時計を持っているか」
「……この時計は?」
 若いガーランドに問われ、私は懐中時計を手渡した。あの主人が言っていたように、本来ならば時計の持ち主が所持するほうがいい。
 私はガーランドがあの時計を、どこで入手してきたのかを知りたかった。素直に教えてくれるかはわからない。時々ガーランドは、私に意地の悪いことをしてくるから。
「……昔から所持していて、ずっとしまい込んでいた。あのときまで、お前に見せることは一度もなかったがな」
「そうか」
 ガーランドの元々の私物なら、私に知る由もない。しまい込まれていたものを、私に譲ってくれたのか。ずっと持っていた時計を返したことで、私の手のひらは喪失感に見舞われていた。だけど、この喪失感もすぐになくなった。
「……ッ!」
「手が寂しそうにしていたからな。あと、なにか聞いておくことは?」
 空いた手をぎゅっと握られ、私はやはり胸の内で固まってしまった。前々から思っていたが、この男は遠慮というものを知らないのだろうか。言葉ではなにも伝えないくせに、こうやって態度で示してくるのも、前と全く変わっていない。
「当たり前だろう。〝儂〟も〝俺〟も同じだ。お前がずっと〝ウォーリアオブライト〟であることと同じように」
「……そうだな」
 見た目こそ違えど、本質は変わらない。そう言いたいのだろう。私は瞼を閉じた。ガーランドという男の一面を垣間見た気がする。

「その時計について、私にも教えてほしい」
 ご夫婦からいろいろ聞いてきたが、やはり持ち主であるガーランドの口から聞いておきたかった。私は改めてガーランドを見つめて問いていた。
 そろそろ胸の中から出してほしいのに、ガーランドは離そうとしてくれない。力強い腕で腰を引き寄せられ、手を握られては、私も身じろぎすらできずにいた。
「なにもしなければ、その時計は動かないただの時計にすぎない。魔法時計として使用するなら、時魔法を唱え、時計の所有者になる必要がある。代償として、持ち主の寿命が縮められる。時計に命を吹き込むのだからな」
扱える者が限られるのは、そのためだ。私はガーランドの説明を、どこか呆然と聞いていた。まるで次元が違う。時魔法を使える者は、確かに数が少ない。ガーランドはその、数少ない使用者のひとりなのか。
 ガーランドが四大元素の魔法の使い手なのは、これまでに幾度と戦ってきた私が一番良く知るだろう。けれど、そのなかに、時魔法は含まれていない。あのようなものを唱えれば、すぐに勝負はついただろうに。
 ガーランドは純粋な戦いを好む騎士だから、時魔法のような時空そのものを操る魔法を、闘争の舞台には持ち込まなかったのだろう。私は胸がじんわりと温まっていくのを感じていた。なにも伝えようとはしないこの男の、本当の優しさを知り得たようだった。
「その時計は、俺そのものを示している。命をなくせば針は止まり、命を得れば動きだす」
「そうか……」
 主人に教えてもらったとおりだった。では、今のガーランドは十八歳……ということになるのか。私の外見年齢と随分近くなり、傍にいても気がねする必要はなさそうだった。
 前のガーランドとは親子ほどの差があったから、外では手繋ぎどころか、くっつくことすら躊躇していた。もちろん、今のガーランドにも、外で行うことはないが。……今は別だ。ガーランドに私は囚われているし、街の外れのこの場所に人は訪れない。
「もっと早く教えてくれれば、時計が動き始めたときに探しにいけたのに」
 硬質化していた私がそのように伝えても、完全に無意味なものでしかない。わかっているからこそ、ガーランドはじろりと私を睨むように見下ろしてくるだけだった。
 私がこの時機に目覚めるようにしていたのは、きっとガーランドだろう。憶測でしかないが、おそらく時計にかけられた魔法は……。
「赤ん坊や幼少期の俺を、お前には見られたくなかったからな」
「そうだな」
 恥ずかしいのか、ぼそりと呟くガーランドを見上げ、私はくすくす笑ってしまった。ガーランドの主張も、わからないこともない。
 赤子とはいえ、無抵抗状態でオムツを替えられている姿や、あやされている姿などを見られてしまったなら。もし、ガーランドの記憶が、赤子のころからあるのなら。きっと……羞恥だけでは済まされないだろう。自尊心というものが、ズタズタに破壊されてしまうかもしれない。
 私だって、ガーランドにそのようなことをされれば……。つい、考えなくてもいいことを想像してしまい、私の顔は一気に紅潮してしまった。

「あと二年……待てるか?」
「どういうことだ?」
 なにが二年なのだろうか? 二年先にはなにがあるのだろうか? 相変わらずの言葉足らずぶりに、私は眼を細めて苦笑を浮かべていた。相変わらずすぎて、どこか嬉しくなった。
 私が笑ってしまったものだから、ガーランドは少し不機嫌な表情で、強く抱きしめてきた。抱き潰されるということはない。だが、硬質な冷たい鎧にいつまでも抱きしめられていれば、身体が冷えてしまいそうだった。
「お前の〝時〟が刻めるようにしてやろう」
「……っ、それは?」
 私は驚愕していた。言葉が詰まり、うまく伝えることができない。私は細めていた眼を大きく見開き、じっとガーランドを見上げて見つめていた。早く答えが欲しくて、空いている手でトントンと胸部を叩いて促した。
「俺はそのために、命をかけた。前の〝儂〟では、年齢がな……離れていたから」
「……」
 非常にわかりにくい説明だったが、要約するとこうだった。私と釣り合う姿でいたいから、命を縮めるとわかっていても、時計に魔法を込めた……と。老いた姿では、私に正式に申し込むことができないから、なにも伝えてこなかった……と。ここまで黙って聞いていて、私は涙が溢れるのを感じた。だから、あのときにガーランドは──。

『お前と同じ時を過ごすために、儂はその時計に魔法をかけた。その時計をずっと持っておれ。そうすれば、次の儂がお前に伝えよう。少し眠り、儂を待っておれ。輪廻の先で、また逢おう』

「お前はっ、本当に……愚か者だ」
 外見などで、私の心が変わるとでも考えたのだろうか。どうして、そのように考えるのだろう。私はガーランドが信じられなかった。
 ぽろぽろと頬を伝い流れる涙を拭うこともせずに、今度は両手でポカポカとガーランドの厚い胸の装甲を叩き続けた。
「〝儂〟が死ねば、お前が役目を終えることもわかっていた。そのような状況で、お前に伝えられるわけがないだろう。故に、ある程度の年月が経過すれば、お前の硬質化が解けるようにもしておいた」
「…………っ、」
だから、この時機なのか。ガーランドが手を離したのをいいことに、私はポカポカと胸を叩いていたが、それもいつの間にか止めてしまっていた。
 私はガーランドの胸にひたいをつけ、嗚咽を洩らしていた。この男はどうして、こんなにまでも不器用なのだろうか。どうして先に伝えてくれないのだろうか。
「二年経てば、お前にも時が刻めるようにしてやる。俺と同じ時間軸を過ごせるように、な。今度はともに老い、ともに逝くことになるが……構わないな」
「……」
 トドメを刺すように告げられても、泣きじゃくる私に答えられるわけがない。こくりと頷くことしかできなかったが、ガーランドは理解してくれたようだった。
 髪の短くなった頭を何度も撫でられ、次第に私の心も落ち着いていった。ガーランドの行動理由がわかれば、怒りたい部分もあるが、やはり嬉しい。ひとり残されるだけでなく、硬質化してしまう私の身を案じて行ってくれたのが、ようやく理解できたから。
「……ありがとう」
「だから、待っておれ、と。今度は離さない。お前は俺のものだから、離れることも赦さない」
 どうやら、独占欲とやらの強さも以前と変わらないらしい。これは、前のガーランドにも言われたことがあった。だからこそ、私はあの家で、ガーランドとずっと長い年月を過ごしてきたわけなのだが。
 頬に伝う涙を手の甲で拭い、私はガーランドを見つめていた。これまで私はガーランドに、なにも聞くことはなかったし、私もなにも言わなかった。募る想いを伝えることすらしないで、胸を痛めるだけだったのだが……今度は、伝えてもいいのだろうか。私から口にしても大丈夫なのだろうか。私の胸中で葛藤してしまう。
「……」
 私の視線に気付いたのか、ガーランドと目が合う。こうして見つめ合うのも久しぶりで、私は強い黄金の双眸に惹き込まれそうになっていた。私たちは暫し無言で見つめ合っていた。すると、ふいとガーランドは顔を背けてしまった。
 どうしたのだろう? 私が覗き込むように見つめると、ガーランドは少し照れくさそうにしている。だけど、顔を背けていたのはごく僅かな時間で、すぐにガーランドは私と向き合ってくれた。
「お前の時を刻むのは二年後だが、伴侶にするのは今でも構わないか……」
「え……?」
ハンリョ? 今、伴侶と言ったのか? ガーランドを見つめたままで、私は口許に手をあてていた。せっかく止まった涙がまた溢れる。
 ガーランドは口許にあてていた私の左手をとると、甲に唇を押しつけてきた。まるで誓いの口づけのようなガーランドのしぐさに、私の胸は高鳴りだしていく。
「前は言えずにいた。理由はわかるな。だが、今度は違う。今度こそ、俺はお前を伴侶として迎える」
「……」
 この上から目線は治しようがないみたいだから、気にしないようにする。肉体の若さというものもあるのだろう。そう、無理に納得して押し留めた。
 というのも、ガーランドのくれた言葉は、私が一番欲しかったものだから。別に伴侶というものに拘るつもりもなかった。だけど、伴侶でないと葬儀に参列すらできないのなら、そのようなつらい思いは、もうしたくなかった。
「お前も、私の伴侶だな」
 私たちは先から密着していたのだが、今はもっとくっついている。もう、離れる必要などないのだから。もっと寄り添えるように、もっと繋がれるように、私たちは抱きしめ合っていた。
「お前には、これをやろう」
「いいのか? それは……、持ち主が持つべきでは」
「肌身離さず持っていろ。俺になにかあれば、今度はその時計が知らせるように、魔法をかけておいてやろう」
 魔法に関しては、私は詳しくはない。だけど、ここまで力の差があるのなら、私は異界の地でどうやってこの男に勝てたのだろう。そこの部分はどうしてか明白になっておらず、ずっと曖昧なままでいる。
 ガーランドが転機を作ってくれたことだけは、私も思いだしてわかるのだが……。都合の悪い部分の記憶だけは、最後まで戻してくれなかった。ということは、あの勝負もガーランドにとって、都合が悪かったのだろうか?
「そろそろ帰るぞ。ここで俺の夕食にされたいのなら、今すぐに喰ってやるが」
「……」
 この言い方もやっぱり相変わらずで、私はつい、笑ってしまった。外見はどうあれ、中身はガーランドなのだから、私は別に構わない。先に受け取ったガーランドの時計を握りしめ、私はガーランドの唇にちゅっ、口づけをしてやった。
 驚く若いガーランドの表情が面白くて、私はこの男がずっと好きだったのだと実感できた。
「お前は……俺が我慢しているのが、わからないか」
「どうだろうな。お前は肝心なことを、私には一切教えてくれないからな」
「っ、」
 ぐっと言葉を詰まらせるガーランドが意外で、私のほうもじっと食い入るように見つめていた。だけど、急に私に羞恥が襲いかかり、今度は私がふいと顔を背けた。あのように私から口づけをすることは滅多になく、いつもされるがままに受け入れてきた。
「え?」
 顔を背けていたはずなのに、私は顎に指をかけられて、ふいと上を向かされた。ガーランドの鋭く光る黄金の双眸に、色がこもっている。この色は私も良く知っている。獰猛な男の、色──。
「教えてやろう。お前の気の済むまでな」
「教えてほしい。お前の隠した、真実を……私に」
 ガーランドの黄金色の双眸に、顔を朱く染めた私の姿が映っている。あまりの羞恥に、私は瞼を閉じた。意図していなかったのだが、これでは……口づけをねだっているようで、私の朱い顔はさらに熱を帯びていた。
「んっ、」
 唇を優しく塞がれ、私は反射的にガーランドの首に手をまわしていた。触れるだけの優しい口づけが心地好くて、私は夢中でこの行為を受けていた。
「真実は……すべて伝えたつもりだが。まだなにかあるのか?」
「今はいい。それより……」
 唇が離され、ガーランドは意地悪く口角を上げている。やはり、この男は狡い。ここで、そのように話を振ってきて。この男の狡猾さは私も知っているはずだったのに。悔しさと気恥ずかしさから、今度は私のほうでガーランドの唇を奪ってやった。
──もう、絶対に離れない。次に逝くときは一緒だと……そう、誓って。

 Fin