猛者の贈り物 - 2/3

***

『……これまでに幾度と儂に殺められておることを、貴様は理解しておるのか?』
『理解など、不要。お前を縛る鎖を、今度こそ私は!』

 どこかで〝私〟とガーランドは戦っている。どこで? そして、どうして私はそれを知っている? 記憶には残していないはずなのに。すべてを忘れてしまったはずなのに。あの男への募る想いも。仲間たちのことも。

『貴様は死ぬたびに神竜の浄化を受ける。転生する代償として、記憶と経験をすべて奪われると知っておって、なおも挑むか?』
『……』

 戦う〝私〟に答えられるわけがない。ガーランドの言うように、新しく目覚めた〝私〟には、すべての記憶が抹消されている。なのに、あの世界にいた私には記憶があった。しかも、私の前……いや、もっと前からの〝私〟の記憶も。それは、どうして──?
 ガーランドと剣を交えている〝私〟は防戦一方で、この戦いにも勝ち目はないように感じられた。私は顔を背けた。この戦いを、見ていられなかった。だけど……。

『約束しよう、ウォーリア。彼の地で〝お前〟を見つけると』
『なっ⁉』

……『お前』?
 私は驚愕していた。同様に〝私〟も驚愕し、動揺を見せている。ガーランドの口調が少し変化したことに、〝私〟は眼を大きくして硬直してしまっていた。
 大事な局面で、このような動揺を〝私〟にさせることが目的なのだろうか? 私は固唾を飲んで、場を見守っていた。

『この世界はまもなく終焉を迎える。儂で最後だ……。お前の手で終わらせ、彼の地でまた逢おう。そのときは、儂の力で記憶をお前に戻してやろう』
『記憶……?』
『すべてではない。一部を残して……だ。それは、お前にとって必要のないもの』

……そういう、ことだったのか。
 私は涙を流していた。だから、私には大切な仲間たちとの記憶も、ガーランドとの戦いの記憶も残していたのか。〝一部〟──ガーランドは確かにそう、言っていた。それが、私を蹂躙してきたガーランドにとっての負の記憶……。

 向こうで戦う〝私〟とガーランドに、ようやく決着はつけられたようだった。私はあの戦いを知っている。あれは……私がガーランドと決着をつけた最後の戦いだった。
 転機が訪れたのではない。ガーランドが転機を作ってくれたのだと……私は知ることになった。どうして忘れていたのだろう。どうして新しいことばかりを覚えるのに夢中で、このような大切なことを、代償に失ってしまったのだろう。
 なにも言わないあの男は、わかりにくい態度でもって、私を想ってくれていたことを知った。だからこそ、非道な行為が行われたことを曖昧なものとして、ほかの記憶はすべて戻してくれたのか。私だけが、記憶のないことを仲間たちに憂いてしまっていたから……。

「どうして、……だ?」
 私は眼を覚ますと、ゆっくりと身を起こした。周囲をじっと見まわせば、見知ったガーランドの寝所だと理解した。
 しかし、部屋の様子はガラリと変わっていた。そこかしこが朽ちて、建物自体が老朽化しているように感じられる。それに、私の眠っていた寝台も、埃にまみれ、敷布も掛布もボロボロに劣化していた。
 いったい、なにが起きたのだろう? 役目を終えて、硬化したまま消えていくはずなのに、どうして私は目覚めたのだろう? 身を起こした際にしゃらりと音が聞こえたので、私は眼を向けた。カチカチとリズム良く奏でる音まで聞こえてくる。
「……どういう、こと……だ?」
 私は眼を丸くしたまま、ガーランドの懐中時計をずっと見つめていた。鎖の擦れる音はいいとして、時を止めた懐中時計はまた針を動かしている。私はずっと眠っていたのだから、電池の交換など行えるはずはない。しかし、誰かが行った……とも考えにくい。
 寝台もそうだが、床も一面埃にまみれている。これは家全体の掃除が必要だった。もし、誰かが侵入したのなら、床に足跡が残るはず。それがないのだから、誰もこの場所に踏み入れてないことになる。
 では、どうしてこの懐中時計は、再び時を刻むようになったのだろうか。動きだしたばかりなのだとしたら、きっと時間は正確ではないだろうと考え、私は寝台から下りた。
「ごほ……っ、これは、ひどいな」
 私が少し動いただけで、室内にもうもうと埃が舞い上がる。埃の攻撃を喰らった私は、衣服を埃だらけにされ、ついでに私自身も埃まみれにされていった。パンパンと叩きたいが、それをしてしまえば、また部屋中に埃が舞い上がってしまう。
「まずは……この部屋か」
 時計はあとにして、とりあえず、私は掃除から始めた。頭を切り替えるために、脳を使わない別の作業がやりたかった。

 誰もいない住居に、埃がここまで積もることはない。眠る私がいたとしても、それは例外ではなかった。この家は〝誰かがいる〟と認識してくれていたのだろう。すなわち、私が──。
「ありがとう……」
 床を丁寧に磨きながら、私はこの家に礼を伝えていた。老朽化しても眠る私を守ってくれていたのだと気付き、私はことさら丹念に掃除をしていった。朽ちた部分は業者を呼んで修繕しなければならない。
 役目を終えたはずの私が、どうしてこの時機に眼を覚ましたのか。どうして目覚めることになったのか。それは、時を刻みだした、あの時計が教えてくれるような気がした。

***

 家の掃除を終えた私は、身体を綺麗に洗ってから外へと出た。埃にまみれた姿で出るのもどうかと、私でも思えたからだった。そして、街へ着いた私は、あまりの変貌に戸惑うことになった。
……街並みが、変わっている。
 どうしたことか、私の知るコーネリアの城下街とは大きく異なる街がそこにあった。いや、コーネリアの街であることは間違いない。見慣れた噴水広場だけは、変わらずにそこにあった。
 私の眠るあいだに、街の景観がかなり変わってしまったのだと、周囲を見まわして判断した。いったい、私はどのくらい眠っていたのだろうか。ここまで変わるとなると、相当な年月が経過しているように思える。
……急ごう。
 街の景観に気を取られている場合ではなかった。私は目的を思いだし、街のなかを走りまわった。武器や防具を扱う路地の近くに、道具を扱う店舗があったはず。私は過去の記憶を頼りに、以前はあったはずの店舗を一軒ずつ探していった。
……見つけた。
 ようやく見つけた目的の店舗に、私の胸も逸る。早くこの懐中時計を修理してもらいたくて、私は店舗の扉を開けた。中には恰幅のいい主人と夫人がいた。ご夫婦で経営されているのだろうか? とにかく、私はふたりに時計を見せた。
「ほう! これはまた珍しい……!」
「まぁまあ、これは……また随分と珍しい時計ですこと」
 ご夫婦揃って似たような感嘆の声に、私は少しだけ口許を綻ばせた。なんとなく、時計を褒めてもらえた気がしたからだった。
「時間を、合わせてもらえないだろうか」
「じかん?」
 私はなにかおかしなことを告げていたのだろうか? この店舗の店主らしき主人は、訝しげに私をじっと見てくる。しかし、私がなにも知らないと判断したのか、主人は器具を取りだして時計の裏を開けだした。
「お客さん、見てみな」
「え、……っ」
 時計の内部を見せてもらい、私は口許に手をあてていた。驚愕が大きくて、言葉が出せなかった。
──時計の中には、時を刻むために内蔵されているはずの部品が、一切入ってはいなかった。
 どうしてこのようなものが、カチカチと針を動かして時を刻むのだろう。仕組みのわからない私は、答えを求めるべく主人に顔を向けた。
「歯車ひとつ入っていなくて、この時計はどうやって動いている? 今も針は動いているのに……」
 いったい、この時計の動力源はどうなっているのだろう。電池も部品も入っていない時計が動くなど……。私は首を傾げ、時計を調べていく主人の手元を見ていた。正確には、時計のほうを。
「〝魔法時計〟と呼ばれるものさ。もうなくなったものだと思っていたんだがね」
「魔法時計?」
「持ち主の〝時〟を刻んでくれる時計ですよ……」
「……っ、」
 主人に聞き返したのに、答えてくれたのは夫人のほうだった。それでも、聞きなれない時計の名称とその用途に、私は依然として驚愕していた。
……では、この時計はガーランドの〝時〟を?
 私は思い返していた。ガーランドが息を引き取ってから、この時計は時を刻まなくなった。では、この時計が止まったのは、ガーランドが……? ここで、重大なことを私は思いだした。時を止めた懐中時計は六時を指していた。
 時間をはっきり見たわけではない。だが、ガーランドが亡くなってから、私は日が暮れていたことに気付いた。あのときの季節は、雪の舞い散る冬だった。当然日は落ちるのも早いのだが、悲しんでいた私に気付けるはずはない。
……ガーランドが息を引き取ったのは、六時……ということなのだろうか。
 どうして、私はもっと早くに気付かなかったのだろう。ガーランドの〝時〟を刻んでいる時計ならば、ガーランドの命がなくなれば止まって当然なのに。悲しむばかりで、私はこの時計について調べようともしなかった。これは、私の完全な落ち度だった。
「珍しい……と言っていたが、この時計はすぐに手に入るものなのか?」
 私のこの問いかけに、主人は首をぶんぶんと振りだした。私はまた、おかしなことを聞いてしまったのだろうか。
 ガーランドにもらったこの懐中時計はとても古く、かなり年季の入ったものだった。ガーランドはどこで、この時計を手に入れてきたのだろう。少なくとも、私と暮らしていたころに、ガーランドは所持していなかった。私はそう認識している。
「魔法時計はですね。高度な技術で作られたものです。扱えるのも、高レベルの魔道士のほんの一部くらいと聞いていますよ」
「では……」
「簡単には手に入らない……ということです」
 時計を見るために集中している主人に代わり、夫人が先から答えてくれている。私はここでも首を傾げた。簡単には手に入らないものを、ガーランドはどうやって得てきたのだろう。ガーランドが騎士団を引退してからは、あの家で過ごすことが多かった。遠出することもなく、一日一日を大切に過ごしていたように思うのだが……。
「時間は正確だよ。ところで、これは誰の〝時〟を刻んでいるんだい? もう、十八年くらいは動いてるぜ」
「……は?」
十八年? 私は聞き違えたのだろうか? 修理……というか、点検の終えた主人は、時計の裏側を元に戻して私に返してくれた。私は時計を受け取ったまま、ぽかんと主人を見つめていた。言葉が見つからない。十八年……? そんなにも長い時を、私は──。
「その時計は持ち主の〝時〟もだが、持ち主そのものも示しているんだ。お客さんのでないのなら、早く持ち主に返してやりな」
「持ち主そのものも示す……?」
「〝時〟ではなく〝命〟を刻む時計……と言ったほうがわかりやすいか? その時計が動く限り、持ち主は生きている。失くしたのなら、きっと必死になって探すと思うぜ」
「……」
 主人の言葉に、私は納得していた。ガーランドは『肌身離さず持て。失くすな』と言っていた。ようやく私の中で、わからなかったことのすべてがわかり得た気がした。
 命を刻む時計を私に託し、ガーランドは眠りに就いた。輪廻は繰り返される。きっとまた、どこかで転生し、私の元へ現れるために。ガーランドが転生しても、私にもわかるようにと。そのために、ガーランドはこの時計を……。
「ご主人、ありがとう。時計の代金を……」
 私は胸に時計を押しあて、主人に尋ねていた。あまり持ち合わせはない。足りなければ取りに戻るだけだった。だけど、主人は私を見つめると、ガハハと笑いだした。
「お代はいいよ。珍しいものを触らせてくれたんだ。逆にこっちが金払わなきゃならねぇくらいだ」
「そういう、もの……なのか?」
 私はきょとんとしていた。足りないものと思っていただけに、少し拍子抜けしてしまった。これはこれで嬉しいが、やはり対価は支払うべきだろう。私は思い、主人に鋏を借りた。
「お客さん……っ、」
 躊躇など、私にはなかった。私は髪を束ね、一気に鋏で切り落とした。じゃきんと大きな鋏の刃の合わせる音が店中に響く。眼を丸くしているご夫婦に、私は髪の束を差し出した。
「この髪に価値があるのかは、私にもわからない。だけど、時計を見てくれたのだから、受け取ってほしい」
 金銭を受け取ってくれないのなら、物質で。よくある等価交換だった。受け取ってもらえなかったなら。そのようなこと、私は考える余裕もなかった。だけど、ご夫婦は互いに顔を見合わせている。私の行ったこの行為は、迷惑でしかなかったのだろうか?
「いや、十分お釣りが出るよ。お客さんの髪、この辺には無い色だからさ。高値になるぜ」
「うしろがバラバラになっているわね……。綺麗に整えてあげますよ」
「……ありがとう」
 私の気持ちを汲んでくれたのだろう。ご夫婦は優しい笑みを浮かべている。主人は私の髪を受け取ると、大事そうに箱に入れてくれた。夫人はうしろが乱れたひどい有り様の私の髪を、鋏で丁寧に整えてくれた。
「これで、大丈夫ですよ」
 長い髪がなくなり、うなじまで見えてしまう長さに切り揃えられた。軽くなったこととは裏腹に、少し首筋が肌寒く感じるようになった。慣れれば大丈夫だろう。……私の髪は伸びることがないのだから。私は自身の行ったことに、後悔はしていない。
「ありがとう」
 私はご夫婦に何度も礼を言い、店を出た。あの家を飛びだしたころは日も中空にあったというのに、もうすっかり日暮れに差しかかっている。私は軽くなった慣れない長さの髪に触れ、次に懐中時計の蓋を開けた。時はしっかりと刻んでくれている。
……お前は、どうして。
 十八年も前から時を刻みだしたのなら、どうして私を迎えにこないのだろう? どうして私を今ごろになって目覚めさせたのだろう? 疑問点はいろいろと浮かんでくる。
 とにかく、家に帰ろう。私は急ぎ足になり、家路を急いだ。