馴れ初め - 2/3

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 大学内にある自身専用の部屋に着くと、ガーランドはまず熱い珈琲を淹れた。ずずっと啜りながら講義のための準備を始めていく。この日は一限目から講義が入っているため、手早く必要なものをまとめた。
 飲み残しの珈琲を机に残し、そのまま部屋を出る。講義を受ける生徒は一限目からということもあり、人数は少ない。このような早い時間の、しかも、民俗学という特殊な講義を受けようとする生徒は、真面目に話を聞いてくれる者が比較的多かった。
 反対に単位だけが目的で履修している者は、二限や三限などの少し落ち着いた時限を選択してくる。そういう意味でも、この時間の講義は、ガーランドにとって心穏やかに進めることができた。今までは──。

「……なにを持ってきておる」
 ガーランドは教室に入ってすぐに、ばっとなにかを隠した生徒を見つけた。大学なので、別になにを持ってこようが、個人の自由でしかない。しかし、ガーランドの目に入ったものは、なにかは特定できないが嫌な予感を受けるものだった。
「──!」
 生徒を厳重に注意し、隠したものを没収する。いくら個人の自由とはいえ、講義に不要すぎる私物を持ち込むのは、ガーランドといえど良しとしない。はぁ、ガーランドは盛大に嘆息した。よく、このような場所に……そう、思わざるを得ない。
 ほかの生徒の前で、ひとりの生徒を注意することなど滅多にしないことなのだが、ガーランドはあえて行った。そうでなくば、このような私物持ち込み程度で、今後、せっかくの講義が台無しになってしまいかねない。真面目な生徒が多いなかで、一部の生徒によるこういった真似事は避けてもらいたかった。
 乱癡気騒ぎも結構だが、遊ぶのなら講義室の外で勝手に行ってほしい。もちろん、個人の自由の範囲内で、犯罪に繋がるようなことは以ての外だが。
「あとで親御さんに連絡させてもらう。このようなものを大学に持ち込んで、いったいどうするつもりなのか……親御さんの前で説明してもらおうか」
 その生徒には、この持ち込んだ私物を処分するように伝えた。もちろん、家族の立ち会いのもとで。この生徒が持ち込んだものは、下手をすれば犯罪に使われかねない。
 そうなれば、責任を問われるのは大学であり、この時間に教壇に立ったガーランドも含められる。未然に防ぐためにも、御家族の立ち会いのもとでの処分と、大学には全く関係のないことと一筆したためてもらう必要があった。
 そうして、この時間は講義どころではなくなってしまった。事が大きくならないように、ほかの生徒たちへの配慮まで必要となってしまった。
 この生徒が持ち込んだものが、いったいなにであったのか。どうしてガーランドがそこまで怒る必要があったのか。これらは、ほかの生徒はもちろんのこと、講義を受けていない周囲にまで、波紋のように広まりバレていくことになる。自業自得なのではあるが、これからこの生徒は、好奇の目による針のむしろのような学校生活を送らなければならない可能性も生じる。
「……」
 はぁ、ガーランドは大きな溜息を何度も繰り返していた。それは、至って新品の、まだ個包装の袋すら破られていないシロモノだった。どうしてこのようなものを大学に、しかも、一限目から持ってくる必要などがあるのたろうか。ガーランドは理解に苦しんでいた。
 袋から中身が僅かに見える。ちらりと視界に入れてしまったガーランドの眉が、ひくひくと何度も動く。このようなものの処分を押しつけられ、いったいどうしろと──。
 脳内で何度も考えてしまうが、それは堂々巡りに陥ってしまい、なかなか考えがまとまらない。それでも、あのようなものを、この部屋に置いておくことは憚られた。

 一応、念のためにと学校長にも指示を仰いだ。勝手に決めて問題が起きれば、それはガーランドだけの問題では済まされなくなるからだった。しかし、学校長からは、思いもよらない言葉を投げられた。
『ガーランド教授のほうで処分してください』
『……は?』
『その生徒も親御様も重々反省し、この件は内密で処理を願うようにこちらに願い出てこられました。誓約書もいただいております。それならこちらとしても、これ以上事を荒立てる必要はないかと』
『しかし、私は……』
『お願いしますよ、ガーランド教授。あなたの生徒の起こした不祥事なのですから』
『……』
 要は事を大きくせずに、秘密裏に処分してしまえと。生徒や保護者がそのように申し出てて誓約書も提出したのなら、大学側も承諾するしかない。不燃物の日にこっそり出してしまうのが得策だった。
 そのため、ガーランドは没収物を鞄の奥底に詰めていた。大学で廃棄するより、自宅から処分しよう。そう、考えていた。それがのちに思わぬ事態を引き起こすとは、露にも思わずに……。
 はぁ、またしてもガーランドは大きな溜息をついていた。朝の幸福だった時間の余韻に浸る間もなく、一限目の講義にてこうして台無しにされる。なぜか、やるせない気持ちにさせられていた。

 昼食を大学内の食堂で食べ、ガーランドはゆっくりと珈琲を飲んでいた。一限目の没収物のことで、腑に落ちない心を鎮めるためでもあった。だが、食堂に来ていながら、食べているのはウォーリアお手製の弁当である。
 ガーランドは食堂から見える校舎内の景観が好きで、昼休みは毎日のように美味しい弁当を食べながら満喫していた。ウォーリアは昨晩の残ったおかずを詰めるだけの弁当を作ることはせず、早朝から起きてはしっかり美味しい弁当を作ってくれる。
 今朝はガーランドが朝食を作ったこともあり、弁当は諦めるつもりでいた。だが、ウォーリアは空いた時間で弁当を作ってくれた。しかも、おかずもガーランドの食べ慣れたこの国のもので、思わずガーランドの箸も進む。完食したあとは、のんびりと過ごす予定だった。しかし、ふとガーランドは思いついたことがあり、食堂を出て自室に急いだ。

 生徒から没収した物や美味しかった弁当のことは、いったん頭の向こう側に追いやった。ガーランドは机の上に置いているPCを起動させた。
 カチカチカチカチ……
 マウスを操作し、Twitterを開く。タイムラインをざっと確認してから、次にチェックリストを遡る。昨夜は南瓜を調理するために、Twitterを見る時間が取れなかった。WoLがなにか更新しているのではないか。そう考えてのことだった。
……これ、は。
 ガーランドは驚愕に目を見張っていた。言葉が出ない。唇をふるふると震わせ、同様にマウスを掴む右手がカタカタと揺れていた。

【がーらん‼︎‼︎ドぅが私の料理を褒めてくれた‼︎‼︎ (写真付き)】

 衝撃は大きい。だが、落ち着いてよく見ると、なかなかとんでもない内容のものだった。ぶはっ。ガーランドは噴き出していた。誤字をしているにしても、これは相当ひどい。
 どこをどうやれば、感嘆符が絶妙な位置に入り、カタカナと平仮名を入力できるのか。スマートフォンから変換しているにしても、これは普通に打ち込むよりかえって難しいようにも感じられる。
 それなのに、こういうツイートに限って、RTの数がとんでもなく多い。面白さ故にRTされていることはわかるのだが、ネタにされている側としてはいい気分はしない。
 あまりにひどい誤字なので、ついガーランドはリプライを送る決心をつけた。カタカタとキーボードを叩き、文字を入力していく。

【FF外より失礼する。〝がーらん‼︎‼︎ドぅ〟とはなにを指しておる?】

 世界的にも有名な人物から、一般人宛てに返信がくるとは思ってもいない。そもそも〝WoL〟とあの青年が同一人物であるかなど、まだガーランドにも確証は得ていない状態だった。しかし──。

【………………もしかして、かーらんど……か? 私のツイートを見たのか?】

「…………」
また間違えてる。もはやどう突っ込んでいいのか、ガーランドはそこから考えてしまう。しかし、突っ込んだり嗤ったりする前に〝WoL〟がウォーリア本人であることが確定し、ガーランドは複雑な気持ちになっていた。
 少し思案し、ガーランドはカタカタと文字を入力していった。

【見たな。どうやらお前は相当な有名人のようだが?】

【お前ほどではない】

 数分と経たないうちにリプライが返ってくる。これは、ウォーリアがスマートフォンなりなにかしらの媒体で、Twitterを観ていることになる。チャットのようなことをこのTwitterでやることについて、ガーランドは戸惑っていた。
 というのも、ガーランドはチャットをするような経験がない。万人が見るようなTwitterというSNSで、個人的なやりとりはいただけないように感じていた。
 DMもしくは、鍵のアカウントで個人的なやりとりをするならいざ知らず、ガーランドもWoLも鍵などかけていない。どこから個人情報が漏洩するかわからない状態で、これ以上のリプライは送れない。ガーランドはキーボードを叩き、リプライを送った。

【帰ってから話をしよう】

 このリプライに、やはり数分もしないうちにイイネが押された。しかし、これまでのやりとりのうちの、WoLのほうには大きな世話ともいえるリプライが数点寄せられていた。
『誰とやりとりしてるの?』や『前のがーらんど? もしかして、本人とか?』など、いちいち個人のことに口を挟まないでもらいたい。ガーランドは若干の苛立ちとともにPCをシャットダウンさせた。
 昼からの講義の準備のためと、気持ちを切り替えるためでもあった。相手が世界的な有名人であれば、それこそ好奇の的にされても仕方がない。このような公の場で、見えるようなやりとりをするほうが悪い。
 ふー、胸に手をあて、何度も大きく深呼吸する。くしゃりと紙の乾いた音が、胸にあてた手から聞こえてきた。そういえば……。ガーランドはスーツの懐のポケットへ入れたままになっている、昨夜購入したものの存在に気が付いた。
……渡しそびれておったな。
 簡易包装しかされていないため、きっと紙袋はくしゃくしゃになっているだろう。それでも、今晩こそあの青年に手渡してやることを心に決め、ガーランドは講義の準備を始めだした。
 今晩は早く帰宅し、ウォーリアに事の真相を聞きだしたかった。そのためにも、余計な仕事で残業などをするわけにはいかない。ガーランドは気合いを入れ、昼からの講義及び業務にあたっていた。