苦いお薬のあとは

                  2023.3/15

 木枯らしが吹くような寒い寒い季節、珍しいことにガーランドが風邪をこじらせてしまった。コンコンと咳き込み、大きな寝台で休むガーランドに、ひとりの青年が水の入ったグラスを手にして近寄った。
「無理はするな」
「熱は下がった」
 青年が近づくと、ガーランドは瞼を開けて答えてきた。その双眸はいつもの獰猛で鋭利なものと異なり、どこか虚ろで力が入っていない。熱が下がってもまだ躰はつらいのだろうと推測し、青年は持っていたグラスを寝台の傍にある台の上にコトリと置いた。
「飲めるようなら飲んでおいたほうがいい。あと、療養院から処方された薬も持ってきた」
 ガーランドが寝込むほどの風邪を引いたということで、コーネリアでは大層な騒ぎが起こってきた。療養院から医師が派遣され、ガーランドの躰を見てその場で薬を調合していったことを皮切りに、町中から様々な贈りものが騎士団のもとへと届けられている。これは部下の騎士がガーランドの見舞いに来てくれた際に教えてくれたことだが、本人不在のため受け取り拒否もできずにとりあえず執務室に置いているのだ、と。
 それを聞いたガーランドは顔をひくひくと引き攣らせていた。その気持ちはわからないでもないが、それだけガーランドがコーネリアの民から愛されているのだろうと青年は思っている。だからこそ考える。青年がガーランドと一緒にいていいのか……と。
 ガーランドと生涯を添い遂げたいと願う女性は多くいるなかで、ガーランドは青年と暮らすことを選択した。そのためにガーランドはコーネリアの郊外に、ふたりだけで住める程度の小さな屋敷を購入した。青年はどうしてそこまでするのか、と……かなり訝しんだが、それにガーランドはこう答えるだけだった。
『王城内にある儂の部屋に住むのと、どちらがよいか……聞いてからがよかったか?』
 疑問符で返された答えは、結局有無を言わせないものだった。しかし王城内に住まうより、よほどいいと考えた青年は渋々頷いた。そもそも青年はガーランドと住むことを想定していない。旅に出るつもりだったのに、どうしてこうなったのか……。
 ガーランドは青年のことをなにひとつ知らないというのに。青年もまた出自やこれまでのことをガーランドに伝えていない。記憶に残されていない以上、ガーランドは見ず知らずの青年とひとつ屋根の下で暮らす選択をしたことになる。
 青年はかつて、光の戦士と呼ばれていた存在だった。闇に堕ちたガーランドを救い、この世界の混沌に光を照らした──クリスタルに選ばれた戦士のひとりであった。だが、それも過去のことだった。この世界の者たちは、誰ひとりとして青年のことを憶えていない。
 奇妙な縁でこの世界で出会い、一緒に旅をすることになった仲間たちすらも青年のことを忘却してしまっている。
 覚えているのは青年のみといった状況で、いったいなにができるのか。青年は考えた。考えた結果、青年はあるひとつの決断をした。世界が平和になり、青年自身の役目は終えてしまっているのだから、今度はゆっくりと世界を見てまわるのもいいのではないか……と。
 光の戦士であることが知られてしまうあの青い鎧や剣や盾といった装備一式は、過去の世界から戻ってきたときにカオス神殿の祭壇に残してきた。取りに行こうとも思わない。誰かに盗まれて悪用されるようなことがあったとしても、あの一式は青年のために作られたものだからおそらく……。
「水をもらおうか」
「──……ああ」
 少し思い出に耽っていたところに声をかけられ、青年は空返事をした。あの装備品は持ち出されることはない。確固たる自身が青年にはあった。青年の身を明かすクリスタルもあの場に残しているから、なにかが起これば青年に知らせるはずだった。
 クリスタルが一般の者には聞き取れない特別な周波数の音階の共鳴音を起こし、青年に異変を教えてくれる。青年はこれまでそうしてクリスタルに輝きを戻してきた。だから大丈夫だと青年は大きく頷いた。
 本当ならガーランドと一緒に住んでいるこの小さな屋敷内のどこかに置いて、自分の手で管理をしたいところだが、そうもいかないのが現状だった。青年は戦うことをすでにやめている。
 ガーランドと出会うきっかけも、思えば奇妙な縁かもしれない。広いこのコーネリアで再び出会えたのは、これまでの宿命がそうさせたのか、ただの偶然だったのか。何度考えても青年に答えは出せなかった。
 ガーランドと過ごすようになり、まだ日は浅い。それでもガーランドという男を見るには十分だった。かつて過ごしていた熾烈な死闘の繰り広げられていた世界でふたりは出会ったのだが、そのときには知らなかった、わかり得なかったことが、今は知ることができる。
 かつての宿敵は同居人となり、他愛のないことで話題に花を咲かせ、同じものを食べる。青年に食や睡眠は必要ないのだが、これについては以前に旅をした仲間たちを見て学んでいる。純粋のヒトではない青年が、この世界で人間らしく過ごすために不可欠なことだった。
「薬を……」
「その状態で飲めるか? せめて身を起こせ」
 つらつらと考えていたが、今はそれを中断させて切り替えた。ガーランドはのそのそと身動ぎをしているが、動くこともまだつらそうだった。青年はガーランドの躰に手をつけ、ゆっくりと身を起こさせていく。
 病人だから仕方ないのだが、ここまで弱々しいガーランドを見るのは初めてだった。異界の地では、敗れて地に伏したのは青年のほうであり、ガーランドはそんな自身を見下ろしてきたというのに。今は逆で、青年としては落ち着かない。ガーランドには健康で、豪胆でいてほしいと……心から願うのだった。
「む……」
「まるで逆だな。私のときは……」
 ガーランドと一緒にこの屋敷で住むようになり、青年はすぐに熱を出した。慣れない環境の変化に躰がついていけなかったのだが、発熱は青年にとって初めてのことだったので、どのように対処すればいいのかわからないでいた。
 そんなときにガーランドに見つかり、怒声とともに青年は寝台に運ばれた。そのときにされた横抱きが、青年にとっては忘れられないものとなった。恥ずかしいやら申し訳ないやら……発熱で熱くなっていた顔が、さらに熱くなったことを覚えている。
 そして、医師から処方された熱冷ましの薬がとにかく苦い粉末で、青年は飲むことを拒否した。飲まなくてもいつかは治るものだと確信のあった青年は、自然治癒に任せようとした。しかし、それを許してはくれなかったのがガーランドで、よりによって苦い粉末を水で溶いたものを口移しで飲ませてきた。
 熱に浮かされた青年に抵抗などできるはずもなく、口移しを受けることになったのだが……。唇が離されたあと、青年はガーランドをぼんやりと見つめていたが、どうも視線がいつもとは違うように感じた。心配をしてくれているのだが、別の感情も入り交じったような不可解なガーランドのまなざしは、ずっと青年の心に残されたままになっていた。
「私が飲ませてやる」
「ほう?」
 前にされた口移しを今度はガーランドにしてやろうと、青年は処方された粉末を水に溶いた。それからその水を口に含む。苦い粉末を水で溶いたのだから苦いのは当然なのに、青年はそのことを失念していた。口に含んだ途端、口内に苦いのが伝わり、青年は「ぅっ……」と呟いて口元を手で押さえた。
 グラスは青年の手から離れ、寝台の上に落下した。グラスは空だったので、敷布が濡れることがなかったのは僥倖かもしれない。
 ガーランドは身を起こしたまま、青年の様子をじっと眺めている。苦い薬水を口内に含んだまま、飲み込むことも、ガーランドに与えることもできず、つらそうにしている青年を見かねたのか。青年はガーランドに胸ぐらを掴まれ、ぐっと引き寄せられた。
「んっ……っ、んぅうっ」
 ガーランドに口づけされ、青年の頭は真っ白になっていた。なにが起きているのか、把握ができない。ガーランドの舌が強引に青年の唇をこじ開け、口内に入ろうとしてきた。そこで青年は気づいた。ガーランドの意図に──。
「んっ、……っ、ふぁっ……んっ」
 大人しくガーランドから口づけを受け、青年は逆口移し状態で薬水を飲ませていく。口に含んだすべての薬水がなくなると、ガーランドは舌で青年の口内をまさぐってきた。苦い成分を舌ですべて舐めとってくれているのかもしれないが、少しやりすぎではないか。思ったところで青年に抵抗はできない。それどころか……。
「ふぅんッ! ンンッ!」
 ガーランドは寝台に背中からパタンと倒れた。口づけを受けている青年も連動して倒れ、ガーランドの上に乗る。ガーランドの両腕は青年の背と頭を押さえつけている。これでは青年が身を起こすことはできない。

 どれくらいの時間が経過したのだろうか。青年の口内に残っていた苦味はすべてなくなり、舌は感覚を失って麻痺をしていた。ガーランドの躰の上に乗ってしまったことで、互いの心音が伝わってくる。ガーランドも青年自身も鼓動はかなり早くなっていた。
「……っ」
 唇がようやく離されても、呂律のまわらない青年はなにも言えないでいた。ガーランドの首筋に頭を乗せ、乱された呼吸を整えていく。
 文句のひとつでも言いたいところだが、できないので顔を上げてギッとガーランドを睨みつける。少し涙目になっているので、あまり見られたくないがそうは言っていられなかった。
「……薬は苦いが、お前は甘いな」
「っ、⁉⁉⁉」
 苦い薬水から解放されたことには礼を言いたい。けれどガーランドに言われたことは、意味はわからないが今の場にそぐわないものであると理解はできる。
「うるしゃ、……っ。おまえなんて、かってに」
 なぜか気恥ずかしくなり、青年はぷいとそっぽを向いた。呂律のまわらない舌は、思うように動いてくれない。ガーランドが含み笑いをしているのが、胸の動きで青年にもわかった。ガーランドの胸や腹が動き、上に乗る青年の身も揺れている。
「勝手に……か。そうだな。次はお前をいただくとしようか」
「っ、おまえっ!」
 ガーランドの手が青年の背や双丘をするすると撫でていく。これに青年はびくんと躰を震わせ、ガーランドを睨んだ。この体勢はよろしくないと青年の頭に警告が出ている。ガーランドに触れられた箇所が、過敏になって疼くように震えてしまう。
「そろそろ我慢も限界でな。愛いゆえに手を出せずにいたが……こうして自ら誘ってくれるのではな」
「さそってなど……」
 青年はガーランドをどこにも誘っていない。それより、ガーランドの力の入っていなかった黄金色の双眸は、今は鋭利なものに変化している。貪欲さを滲ませた双眸に見つめられ、青年は口ごもった。それより、ガーランドをそろそろ寝かせてやらないといけない。
「がーらんど。くすりをのんだなら、はやくねろ」
「甘い躰を喰わせてくれるなら、早く眠れるかもしれぬな」
「〜〜〜〜っ、⁉」
 青年の視界が大きく揺れる。ガーランドを見下ろしていたはずだった。だが、一瞬にして青年はガーランドを見上げるようになっていた。ガーランドが青年を抱きしめたまま身を反転させたのだと気づくと同時に、完全に逃げ場を失ったことを悟った。これではもう、逃げることはできない。
「意味は知っておろう?」
「……」
 この世界を長く旅をしてきて、少しばかりの知識なら青年も持っていた。けれど、ガーランドからそういった対象で見られていたことには気づいていなかったし、青年自身がなにより無頓着すぎた。躰に触れられた時点で勘づいていれば、逃げられたかもしれないのに。
「苦い薬を頑張って飲んだんだ。甘いものを欲しても悪くはなかろう?」
「私は……甘くないぞ」
 逃げられないなりに、青年は精一杯の反撃に出る。呂律がまわるようになり、言葉はうまく発せられても現状はなにひとつ変わっていない。それでも潤んだ瞳で青年が睨めば、ガーランドはくっと小さく嗤ってきた。そして嗤ってはいない双眸で、青年を睨めつけるように見下ろしてくる。
「甘いな。抗いもせずに儂にこうして囚われておるのならな」
「……」
 情欲を含んでいることが、言葉の端々から感じられる。言葉を失った青年に畳みかけるように、ガーランドは艶やかな黄金色の目を細めて告げてきた。
「儂を元気にさせてくれたこと、その身をもって味わうがいい」
その前に、儂が味わうがな。ガーランドに言われたことは青年の耳に入ることはなかった。青年はこれからガーランドに翻弄されてしまうのだから──。

 Fin