第二幕 Beast Flare - 3/4

 
「今日の宿は此処だ。皆、御苦労であった」
 宿の前に到着した隊はガーランドの指揮の下、ここで部屋を割り振られた。一泊とはいえ、大人数が泊まれるだけの宿は町にそうそうなく、この宿場町では一軒しか該当しなかった。
「ガーランド様、ここは温泉が有名なんですよ。ガーランド様もいかがです?」
「あとで行こう」
……温泉宿、か。
嫌な予感しかせぬが……。部下の騎士が教えてくれた情報に、ガーランドは兜の中で変な汗流していた。
 温泉のある宿に到着したことで、隊の騎士や兵士たちは割り当てられた部屋で各々くつろぎだしている。数人がチョコボを馬屋へ連れて行くために席を外していたのだが、その者たちが遅れて戻ってきた。
「ガーランド様、チョコボも問題なく落ち着いております。では我々も部屋へ行きますので、のちほど……」
「すまぬな。今はゆっくりくつろぐがよい」
「はっ、」
 数頭のチョコボをここに残しておくため、ガーランドはあとから宿の者と話をつけなければならない。部下の騎士はその事情を知っているので、そのことを詳細を知っておきたいのだろう。
 ガーランドとしても、早く話をつけてゆっくりしたいところだが、まずはウォーリアを休ませてやりたかった。慣れないチョコボの騎乗で、全身の筋肉が強ばっているのではないか……思ってのことだった。
「ウォーリア。行くぞ」
「ああ」
 ガーランドが部下との会話を終えるまで無言で待っていたウォーリアは、声をかけられたことで大きく頷いた。ウォーリアは窓から見える景色に見入っていたのだが、白銀の鎧に身を包んで騎士団の者と同じような姿をしているというのに妙に人の目を引いている。
 いつもの青の重鎧ではなく、騎士団の鎧をわざわざウォーリアに装備させたのは、ただでさえ目立ってしまう美しい外見を少しでも目立たなくするためでもあったのだが……。結局は意味のないこととなってしまい、ガーランドは兜面に手をあてた。騎士団の白銀の兜を被ることで、ウォーリアの煌めく神秘的な氷雪色の髪だけは、鎧の色と同化して少し控えめに映っている。それだけが救いのように思えた。
「それでは、ガーランド様とお付きの騎士様のお部屋はこちらでございます」
 部屋の案内に呼ばれた宿の者に連れられ、ガーランドとウォーリアは移動した。

 ガーランドとウォーリア同じ部屋で手配されている。広い間取りで落ち着いた色合いの部屋だった。室内をひと目見て、ウォーリアは瞳を輝かせた。窓へ駆けるように向かい、外の景色を眺めている。
「私たちの部屋はここか? 外の景色が一望できる良い部屋だな」
 ガーランドに声をかけられたことで、ウォーリアは見ていた景色を中断していた。この部屋からも美しい風景が眺められること、先とは角度が変わったことで瞳に映る山あいも変化し、これだけでウォーリアの心は弾む。コーネリアで見る景色も美しいが、この世界ではウォーリアのまだ見ていないものも多い。視覚から得られる情報にただただ見入っていたウォーリアは、景色を見て落ち着いてからは室内に備え付けてあるものを眺めていった。
 ウォーリアの興味がすぐに移り変わっていくことに、ガーランドは苦笑を隠せない。衣類の詰まった籠の中身を探っているウォーリアに、ガーランドは念のためで声をかけた。
「ウォーリア。此処は温泉が有名らしいが、お前は入るべきではな」
「ガーランド、これはなんだ?」
「浴衣だ……」
 話の腰を折られ、ガーランドは呆れたように口を開く。ウォーリアは手にした衣服を翳すように大きく広げ、ガーランドに見せつけている。丈の長い異国の衣装のようなものは、ガーランドも知識として得ているものだった。それをウォーリアにつたえてやれば、瞳を輝かせて興味を示している。
「初めて見る……。これに着替えても?」
 ガーランドが頷くと、ウォーリアはいそいそと鎧を外して浴衣に着替えていった。悲しきかな、ガーランドとしてもウォーリアの浴衣姿を目に入れておきたくて、着させたくはなかったが袖を通させてしまった。
 アンダー姿になったウォーリアは、初めて見ることになった浴衣の仕組みに眉を顰めた。着慣れない者が着込むには難易度の高い浴衣を、ひとりで着ようとウォーリアは苦戦していた。ガーランドが手伝ってやればよかったのだが、こうしてウォーリアが悩ましく浴衣を着ていくさまを眺めては、兜の中で表情を緩めている。
 袖を通してから、ウォーリアはアンダーも脱がなければならないことに気づいた。そのため、浴衣を一度床に落とし、アンダーを脱いでから改めて着なおしていく。浴衣を着付けてから、ウォーリアは髪を結わえていった。このあと風呂に入るつもりであったから、髪が邪魔にならないようにしたものだったのだが……。
「こうか?」
「……」
……根本的に違う。
どう着ればそうなる? 髪をうしろで高く結わえ、ひとつの髪留めでまとめている。普段は隠れているウォーリアのうなじが丸見えで、目のやり場に困るほどであった。浴衣の合わせは合ってはいるが、着崩れを早くも起こしており、目も当てられない状態になっていた。しかも結びにくかったのか、帯を前で大きく結んでいる。その帯の位置は高めで、胸の下あたりにあった。高く結わえた髪といい、まるで遊女のようにも見えて……。ゴクッ、ガーランドは喉を鳴らした。
「おまえは着替えないのか?」
温泉とやらに、私は先に行っているぞ。どこか嬉しそうにしているウォーリアに、ガーランドなにも言えない。否、言葉など出るはずもない。ガーランドは急いで鎧を脱いでいった。ガーランド自身、騎士団内でも鎧を外した姿を見せることは少ないのだが、今回は例外だった。
 浴衣ではなくアンダー姿になったガーランドは、慌ててウォーリアに声をかけた。あのような姿のウォーリアを人前に出すことだけは避けたい。それ以上に危惧することが別にあった。
「待て、ウォーリア。その姿は……」
 ガーランドはかなり焦っていた。呑気に浴衣に着替えていては、ウォーリアが勝手に行ってしまう。そのためにアンダーの姿のままであったのだが。とにかく、ガーランド用の大きな浴衣を手に、ウォーリア追いかけた。
「……どうした? そんなに慌てて」
「……」
 なにもわかっていないウォーリアに、ガーランドは脱力をしかけていた。しかし間に合ったのだから、そのことは流すことにした。そうでないと、ガーランドはウォーリアに事細かに説明をしなければならなくなり、これだけでひと晩がすぎてしまうかもしれなかった。
 明日からまた強行にでなければならない。ウォーリアが行ってみたいと望むなら、温泉にゆっくり浸かって疲れも癒してやりたかった。
 宿の廊下をふたりで並んでゆっくりと進む。わざと歩く速度を落とし、廊下から見える景色を目に入れることにした。樹々の合間から見える小動物や、空高く羽根を広げて飛び立つ鳥にウォーリアは興味津々のようであった。そのたびに脚を止めて風景を眺めるウォーリアを、ガーランドは隣から微笑ましく見ていた。
「温泉から見える景色も格別らしい。此処で止まっておっても構わぬが……」
「すまない」
 律儀に謝ってくるウォーリアをガーランドは手で制し、またふたりで歩きだした。明日には出立しなければならない。そのためガーランドとしては、景色を眺めるのに時間を費やされたくはないというのが本音だった。

「ここがそうか。景色も見事だ……」
 到着した温泉に、ウォーリアは感嘆の声をあげていた。それもそうだった。屋外に岩を切りだして作られた大きな露天風呂は、周囲の景色が一望できる高台に作られている。これを自然が作りだしたものと考えるだけでガーランドとしても感嘆するものだし、ヒトが使用できるまでに工夫して加工したことにも称賛したいくらいであった。
 自然を損なわず、景観の美しさだけを抽出したようなこの空間に、ウォーリアは魅入っていた。しかし、魅入るだけでは風呂に入ったことにならない。露天風呂は屋外でも、脱衣場は宿の屋内に設置されている。ガーランドとウォーリアは景色を眺めるのをやめ、一度脱衣場へと向かった。
「人でいっぱいだな」
「我らだけではなく、一般の者も来ておるからな」
 脱衣場に入ったウォーリアは、あまりの人の多さに驚いていた。性別で分けられているため、男性しかいない。しかし、騎士団の者に加えて、観光や旅の途中で訪れた者も多く利用していた。
 子どもは少ないが、全体的に若者から高齢者が多い。これならウォーリアが混ざっても、周囲に違和感なく溶け込むのではないか。ガーランドの危惧するところはここにあった。だが、それが同時に解消してくれそうで、ホッと胸を撫で下ろした。
「ガーランド、ここが空いているぞ」
 ウォーリアはちょうどふたつ空いている籠を見つけ、ガーランドを手招きした。早く温泉というものに浸かってみたいこと、美しい風景を一望できることに、ウォーリアの関心は向けられていた。そのため、ガーランドが危惧しているその内容までに、ウォーリアは気づいていない。
「待てッ! まだ脱ぐでないッ‼︎」
 今もガーランドが止めようとするのを無視し、ウォーリアは着ていた浴衣の帯に手をかけ脱ごうとした。帯はしゅるりと衣擦れるような音を立て、ウォーリアの足元に落ちていく。
「おおっ、」
「えっ、ここは男用だろ? なんで女が混ざっているんだ?」
 脱衣場全体からぶわっとどよめきの声があがり、ウォーリアは瞬時に周囲から注目を浴びていた。当のウォーリアといえば、眼を丸くして周囲の視線を受けている。浴衣は脱ぐことなく袖は通ったままだが、それでも半分近くはだけていて、同性とわかっていても色っぽく映ってしまう。
 ウォーリアを〝男性用脱衣場に間違えて入ってきてしまった女性〟と思い込んでいる者も多く、性的ないやらしい視線でもって見てくる不届きな者もこの中にいた。ウォーリアが高い位置で髪を結わえてうなじを見せていることも、此度の原因の一端にもなっている。
「愚か者が……っ、」
 ガーランドは持っていた自身の浴衣で、慌ててウォーリアをすっぽりと隠した。ウォーリアには黙っていたが、色よく見えているうなじには、ガーランドがつけた朱い所有印が数箇所刻まれている。これだけでウォーリアの色香が周囲に振り撒かれることになった。
 そのことについて、ガーランドは自覚を持てとウォーリアに怒るつもりでいた。だが……。
「ガーランド様」
「どうした?」
 部下の騎士に声をかけられ、ガーランドは少し身を屈めた。高身長のウォーリアと一緒にいるときと違い、中柄な騎士と話すとなると、大柄のガーランドは視線を下げる必要が出てくる。この脱衣場自体の天井が低く、ガーランドは先から頭を掠めていることもあってのことだった。
「魔物の目撃情報を得ました。詳細は温泉を出てからいたしますが、先にお耳に入れておいていただきたく……」
「……ふむ」
「あと。落ち合う予定の部隊のことでもご報告がございます」
「──そうか、そのようなことが。すまなかったな、わざわざ」
 わざわざガーランドを探し、声をかけてくれた部下を無下にできない。簡潔に聞いただけではあるが、ガーランドは部下をひと言労うと、次にウォーリアに視線を向けた。しかし、ガーランドが部下と話をするために目を離した一瞬の隙に、ウォーリアは複数の男性に絡まれていた。
「ウォーリア!」
「このおっきい人……お連れさま?」
「そうだが?」
 ガーランドが男たちのあいだに割って入り、ウォーリアを庇うように立つと、周囲の男たちは途端に顔色を変えていった。憤怒の形相のガーランドに怯えて縮こまっている者が多いが、それでも中には果敢にもウォーリアに問いかけている者もいた。
 ウォーリアは悪びれる様子もなく、その果敢な者に答えている。これにはガーランドも憤怒の炎が業火に達しそうになった。
「ふぅん? ここが男用と知って、わざわざ連れてきたんだ」
「………貴様と儂を、一緒にするでないわ」
 にまにまといやらしい目つきで、背後にいるウォーリアを覗き込もうとするある意味勇敢な──この場合は不届きとする者に対し、ガーランドは手で制した。屈強な体躯でウォーリアを背に隠し、その者に手のひらを向ける。
 ガーランドはこの者に向けて、なにか魔法を繰り出そうとしている。仮に威圧のためのものだとしても、ここで行っていいものではない。ウォーリアはガーランドという目前の壁をすり抜け、二人のあいだに立った。
「ガーランドっ!」
 さすがに場の空気を読んだウォーリアは、ここでガーランドの名を叫んだ。〝ガーランド〟がコーネリアの騎士団長の名であることを、知らない者を探すほうが大変なくらいこの世界では有名なことであった。そのため、ガーランドが本物でも偽物でも、この場を鎮める十分な抑止になる。ウォーリアなりの咄嗟の判断だった。
「えっ? がー……ランド、って……?」
「ふん」
 ガーランドと聞いて、周囲からどよめきがあがる。それもそうだった。ガーランドは常に鎧を着装しており、素の姿を一般の者が知ることはない。ガーランドが本物でも偽物でも関係なく、こうして周囲がざわめくのなら、ウォーリアの判断は正解だったといえる。
 しかし、ガーランドはそのようなことを気にはしていなかった。心に宿した黒い嫉妬の炎をどう鎮火させるか。このままウォーリアと温泉に浸かろうものなら、余計な注目を浴びることになる。浴衣を脱ごうとするだけでこれでは、先が思いやられるというものだった。
「戻るぞ、ウォーリア」
「まてっ、私はまだ……」
 中途半端に浴衣を脱いでいるために、はだけた状態のウォーリアの手を引き、ガーランドは歩きだした。ガーランドがかけてやった自身の浴衣はウォーリアの肩にかかったままだが、はだけた浴衣と相まって、ことさら色香を引き立たせている。
「温泉など、入る必要もないわっ! 行くぞッ」
 これ以上、今の姿のウォーリアを人目に晒したくない。ウォーリアが視姦されている気すらしてしまう。ガーランドはこの場で激昂してしまいそうになるのを抑えつけ、この異様とも思える脱衣場をウォーリアとともに早々に退出した。