第二章 悪夢の始まり
とある石造りの建物内で行われたこの戦いが、相当凄惨なものだと、周囲の様子から想像が出来た。
石壁は砕け、亀裂の入った石畳には真っ赤な鮮血が飛び散ったその場にて。元の鎧の色が分からないくらい血に塗れた青年とおぼしき者が、黒い巨躯の下で身を暴かれ、苦痛に顔を歪めていた。
『ガーラン、ド……教えて、欲し……い。この行為に、一体、何の……意味が、ある?』
『興が削がれる。黙れ』
『ガーラ……、教え、うぁっ、』
『黙れと言ったはずだ』
『っく、……うっ』
巨躯が身体を揺らす度に青年は苦痛に身を捩り、そのせいで青年の身体からは、鮮血が割れた鎧を通して滲み出している。
青年は呻き声と共に鮮やかな血を吐き出し、あまり永くはないことが巨躯からも見て判断出来た。それでもなお、巨躯は身を動かし青年を蹂躙し続けた。
『いいぞ、ウォーリア。もっと儂を愉しませよ』
今生の生が尽きるまでな……。
ガバッ
……今のは何だ。誰と、誰だ?
ウォーリアに寝所の寝台を提供したため長椅子で寝たガーランドは、全身に怠さを残しながら飛び起きた。窓を見れば朝日がほんのり射し込んでおり、まだ早朝だと判断出来た。
少し早すぎた起床にもう一度寝直そうと横になり、掛布を頭まで掛けた。だが、今見た夢が思い出され、二度寝どころではなくなってしまった。
……どう考えてもあれは組み敷いていた。
夢にしては現実味のありすぎる内容に、ガーランドは盛大な溜息をはいた。欲求不満か、儂は。
そういえば、とガーランドは起き上がり、隣の寝所の方に目をやった。突然眠るから急遽寝台を貸してやったが、その後は静かで物音ひとつ聞こえない。気配はあるので隣にいるのは分かっている。それでも、念のためにとガーランドは扉を開け、眠っているはずのウォーリアの様子を見に中へ入った。
……まだ寝ておる。相当疲弊していたのか。
ガーランドが寝返りを打ってもまだゆとりのある大きすぎる寝台だった。その寝台に横たわり、掛布に包まりスヤスヤ眠るウォーリアは年齢より幼く感じられた。
ガーランドが寝台に上がっても起きる様子がないため、ごろりと横になりしばらくウォーリアの寝顔を堪能することにした。
……夢で見たあれはいったい?
ウォーリアの寝顔を見て、ガーランドは急速に夢の内容を鮮明に思い出した。組み敷いていたのは紛れもなく鎧の色が違えど確かにガーランド自身で、組み敷かれていた血に塗れた青年は……確かにここで気持ち良さげに眠るこの青年だった。
……血塗れということは、そういうことなのであろうな。
「ん……」
夕べのウォーリアの様子から、ガーランドがひとつの結論を出していた。そのときにウォーリアが身動いだ。そろそろ覚醒の近い様子に、このまま見ていたらどのような反応をするだろう、とガーランドにイタズラ心が芽吹いた。瞼の動き始めたウォーリアを食い入るように見つめていた。
「~~~っっ⁉」
瞼が開き、アイスブルーの瞳と目が合った瞬間、ウォーリアが飛び起きた。同時に口を魚のようにパクパクさせ、必死に何かを訴えようとしている。だが、上手く声が出ないその状態に、ガーランドはドッキリ成功の如く吹き出し、大笑いした。
「悪趣味だぞ‼」
「悪かった。つい、な。身体の具合はどうだ?」
さすがに怒り心頭の様子に、ガーランドは笑いながらも素直に謝罪をし、ウォーリアの身体の調子を聞いた。これは泣き疲れて眠ったことによる身体の気怠さを指しており、これから王と謁見するのに具合を悪くしていては困るからでもある。
「……何もない」
「ならば良い」
羞恥から顔を朱くしたウォーリアにボソリと言われ、ガーランドもそれ以上言えなくなってしまった。
何ともいえない空気のなかで、ウォーリアがチラチラとガーランドを見ては眼を反らすを何度も繰り返してくる。それに、ガーランドは気になった。イタズラ心がもう一度芽吹き、眼を逸らしたウォーリアをその場に押し倒した。
「先程から何だ? 儂に何か言いたいのか?」
「違う」
「では何だ?」
顔を朱くして泣きそうな顔をするから、だんだんガーランドは自身が苛めている気になった。それでも止めることが出来なかったのは、きっとあんな夢を見たせいだ……ガーランドはそう結論付けた。
「言え、ウォーリア」
「……お前の顔を初めて見た」
「……」
……そんなことで?
ガーランドは自身が撃沈する思いだった。確かに顔を見せたのは初めてかもしれないが、それだけでその反応? ガーランドは初めて見せたウォーリアの態度に心を奪われ、しばらく押し倒したままの体勢で二人は見つめ合った。
コンコン
「失礼します。ガーランド様、そろそろ時間です。早く支度を」
「分かった、すぐに行く」
扉を叩く音が聞こえた。次に聞こえたガーランドを呼びに来た城の者の声により、二人はパッと離れ、互い顔を逸らしたままで沈黙した。ウォーリアは胸に手をあて、自身の心拍数が落ち着くのを待ち、ガーランドは顔に手をあて天を仰いだ。
「……ガーランド、教えて欲しい。私はどうしてここで寝ていた?」
心拍の落ち着いたウォーリアは、どうしても気になっていたことをガーランドに尋ねた。ウォーリアは涙を流したあたりから記憶が不鮮明で、いつ眠り、ここに運ばれたのか分からなかった。
「お前が寝落ちしたからここへ運んだ」
「そうか……それはすまなかった」
ウォーリアは寝落ちの意味を解っていなかったが、ガーランドに迷惑をかけたことだけは察し、謝罪をした。ガーランドの顔にはうっすらとクマがあり、あまり眠れなかった様子が見てとれた。
「ガーランド、私はあの部屋で大丈夫だ。しばらく滞在しなければならないなら、これ以上お前の迷惑はかけれない」
……これ以上ガーランドの傍にはいれない。
「……ならば、あの部屋の鍵は至急手配し、今晩から安心して眠れるようにしてやろう」
……迷惑など思ってもないが。
「頼む」
鍵がなくともあの兵士長を相手に、ウォーリアなら大丈夫だろうとガーランドは初めは考えていた。だが、あの反応。あれでは確実に襲われていたことはガーランドにも明白だった。危険回避を理由に、ガーランド自身がウォーリアを離したくなくて、滞在中はこの部屋に留めておきたかった。
しかし、ウォーリア本人があの危険な部屋に戻ると言うなら、ガーランドに止める術はない。鍵を堅固な物に替え、あとはウォーリアに自衛してもらうしかない。
「お前はもう少しゆっくりしておれ。儂は準備を整えて先に行く」
ガーランドが目覚めた時は早朝でもそろそろ日が昇り、朝のいい時間に差しかかった。ガーランドは鎧を装備するため起き上がり、寝所をあとにした。
……何故眠れた?
ガーランドが寝所を出ると、ウォーリアはひとり身震いしてした。ガーランドは知らないことだが、ウォーリアは異界にてほとんど眠ることをしなかった。
仲間達を守るために常に周りに注意を払い、闇が支配しだすと、火を囲む仲間達から離れひとりで哨戒に出た。
休むときはその辺りの大きな樹や岩に背を預け、鎧を身に着けたまま、眼だけを瞑っていた。何度も仲間達に『テントで少し寝ろ』と言われても頑なに断り、私意を最後まで貫き通した。
……ここにこれ以上いてはいけない。
自身が自身でなくなるような気がする……。ウォーリアは考え、ガーランドより少し遅れて寝所をあとにした。
「これはお前のものか?」
ウォーリアが隣の執務室に入ると、白銀の鎧を装備したガーランドに夕べ持ち出した小剣を手渡された。ウォーリアは「そうだ」と言ってから受け取り、ベルト紐を腰布の上から巻き付けて装着した。
「良い小剣だな」
「ああ、以前の仲間にもらった大切なものだ」
銘柄はなくとも良いものであることはガーランドも気付いた。よく使いこまれているが、手入れもしっかりされているので、歯こぼれひとつしていない。下手な剣より余程戦力になりそうなクラスの小剣に、ガーランドは称賛しか出なかった。
小剣を褒めてもらえたウォーリアは、まるで自身が褒められたかのように嬉しくなった。これを譲ってくれたときのフリオニールを思い出しながら大事そうに触れ、うっすら笑みを浮かべた。
「そうか……」
義士のものか。なるほど。とても小さく呟かれた言葉を、ウォーリアは聞き逃さなかった。視線を小剣からガーランドに移し、驚きながらも言葉を出した。
「……記憶が戻ったのか?」
「? 何のことだ?」
「……」
……私の気のせいか。
だが、ガーランドから返された言葉は思っていたものとは違う言葉で、ウォーリアは肩を落とした。
**
ガーランドの部屋を出て、ウォーリアは自身に割り振られた部屋に戻り、青の鎧を装備した。部屋を空けていたので何か物色されたのではないかと危惧していたが、そのような様子もなく、椅子に座り安堵した。
実はフリオニールだけでなく、異界にて仲間達と別れる際に、装飾品などをウォーリアは受け取っていた。装飾品を身に着ける習慣がないウォーリアはポーチに入れ、大切に持ち歩いていた。
例外はひとつだけあった。バッツの青い石の付いた耳飾りだけは、今もウォーリアの両耳を飾っている。これは最後の戦いの直前にバッツが強引にウォーリアの耳に押し付けたもので、今でも外すことなくウォーリアは身に着けている。
異界にて皆が寝静まった深夜。二人の青年が互いの顔を寄せ、何かをしていた。
『痛っ』
『我慢しろ、これくらい。……よし、あとは化膿しないように薬塗っといてやるよ』
こら、触るな。バッツに注意されながらもウォーリアがヒリヒリと痛む耳に触れるとしゃらん、と儚い音を奏でる青い耳飾りが付いていた。
『バッツ、いいのか?これは君の大切なお守『違うぜ、オレはこれがある。それはお前に持っていて欲しいんだ』
バッツはウォーリアの言葉を遮ると、自身が身に着けている耳飾りをウォーリアに見せて笑った。
『何故?』
『みんな心配してるぜ。……早く決着付けろよな』
いい結果報告を待ってるぜ。屈託なく笑ったバッツがエクスデスに勝利したのは、その次の日のことだった。
……バッツ、君の思い描いた結果には、どうやら今回もならないようだな。
ウォーリアは耳飾りに触れ、ほんの少し口角を上げた。
コンコン
ガチャ
「おはよう、ウォーリア。眠れたか」
「……ああ」
「心配したんだぜ。オレ達寝てたら隣……ここな、ゴソゴソする音聞こえたからさ。オレと黒魔術士で追い払ってやったんだ。すぐ逃げやがったから誰かは分からないんだけどな」
「ウォーリア、あの騒ぎの中でも眠れたの?」
モンクと黒魔術士の話を聞き、ガーランドの言葉に嘘はなかったことに安堵すると同時に、見えない怒りが沸いてきた。あの厭らしい男は私を穢して、嗤い者にでもしたいのか?
「ウォーリア?」
モンクと黒魔術士が心配そうにウォーリアの顔を覗きこんだ。ウォーリアが怒りで急に黙りこんだからで、二人と目の合ったウォーリアは「すまない」と謝罪し、ガーランドの部屋へ移動したことを正直に伝えた。
「……マジか⁉ ガーランド様の部屋で寝たのか? アンタ、意外とスミにおけないな」
「何のことだ?」
「ありゃ、分かってない」
ガーランドの人となりは、このコーネリアに住む者のほとんどが知り得ている。縁談も数多く舞い込む高潔な騎士団長であるガーランドが、未だに独り身なのはこのあたりに理由がある。
そのガーランドが危険回避のためでも、自室に誰かを誘うなどまずあり得ない。ほぼ部外者のモンクや黒魔術士ですら察したというのに、本人が気付いていない。
「ウォーリア、ヒントを教えてあげる。この城内は広いんだよ。鍵が壊されたからって空いている部屋はまだたくさんあるんだ」
つまり、そういうことだよ。モンクと黒魔術士の言葉をウォーリアは完全に理解出来なかった。三人を呼びに来た白魔術士と共に案内されていた回廊を四人で歩いた。
……ガーランドは私を知らないはずなのに、何故私にだけそのような特別扱いをするのだろう?
黒魔術士がほとんど答えのようなヒントを出しているにも関わらず、ウォーリアは真剣に考えていた。
**
「そちが光の戦士と呼ばれる者か」
謁見の間に四人は通され、玉座に座る王と隣に座る美しい姫の前で膝を折り、頭を下げていた。
面を上げたウォーリアとセーラ姫の顔立ちがとても良く似ているので、謁見の間に集まった騎兵隊長や近衛隊長など家臣達は皆驚いていた。兵士長だけは厭らしい目付きでウォーリアを見ていたが。
「これは……まあ、見事に瓜二つだな」
「私も夕べ兵士から報告を受けた時は我が耳を疑いました」
ガーランドは王の側でその時の状況説明を始めた。
『ガーランド様に謁見を求めている者がおります。いかが致しましょう?』
『このような時間にか? 明日にしてもらえ』
『はっ。しかしお伽噺から飛び出たようなとても美しい男性で、思わず心奪われそうになりました』
『何?』
『顔立ちはセーラ王女にそっくりな美しい男性です。見惚れていたら一喝されましたが……』
『今から行く』
『えっ? はっ、』
「なるほどな」
「王よ、我々はいつまでこの「おい、ウォーリア」
ガーランドと王の会話を黙って聞いていた四人のうち、ウォーリアが焦れた。王の前にも関わらず立ち上がり、周囲を青褪めさせることを言いかけたので、咄嗟に青褪めたモンクが止めた。
王とガーランドは顔を合わせ、セーラ姫は口元に手を当て、それぞれ笑い出した。青褪めていた周囲も次々に笑い出し、場は嘲笑に包まれた。
「用がないなら我々は失礼させてもらう」
「待ってください」
三人の静止を振り切り、謁見の間から去ろうとしたウォーリアを今度はセーラ姫が止めた。ウォーリアは訝し気にセーラ姫の方を向きなおると視線だけで「何か用でも?」と訴えた。
三人はいよいよ蒼白し、セーラ姫はまたしてもクスクス笑い出した。王やガーランドを含めたこの場にいた者達は黙ってセーラ姫の第一声に耳を傾けていた。
「いきなり連れて来られて、堅苦しい話なんて聞きたくもないでしょう? わたくしのサロンに四人共来てください。楽しくお茶でもしながらお話しましょう」
貴族以外の話相手が欲しかったのです。美しい笑顔を見せた姫に、周囲の方がどよめいた。
「姫、何を言っているのです!」
「ガーランドが連れて来たのでしょう? ならば悪い人達ではないはずです」
なんとも気さくすぎる姫の対応に、三人はあんぐりと口を開けた。王を見れば顔に手をあてており、家臣達も似たような態度をとっていた。どうやら相当奔放に育てられた姫のようだと三人は思い、顔を見合せ頷いた。
「セーラ姫さえよろしければ、我々はいつでも」
代表して白魔術士が姫の前で頭を下げ伝えた。姫は笑み、パン、と手を叩くと数人の従者が間に現れた。
「さあ、お茶の用意よ。あなた達、客人達をもてなして」
呆然と王や家臣達が見守るなかで、あれよあれよと言う前に四人はセーラ姫の手によって拉致された。姫の思惑に、ここで気付く者はこの場に誰もいなかった。
『くはぁっ、くっ、』
『だらしないわね、この程度で』
『はっ……くぅ、』
『ほら、もっとしっかりして』
『も……これ以上は、無理……』
『まだまだ、もっといきますよ』
『かはぁ、』
『ちょ……、王女、もういい加減止めてあげてください。これ以上は無茶です』
『あら、それならあなたが交替しますか?』
『いえ……』
『だったら黙っててくださらない? ほらもっと踏ん張りなさい』
『うぁぁ、くっ……』