Halloween party - 2/2

「……すまぬ。怖がらせるつもりはなかったのだが、つい」
「おまえは……っ、私をどうしようと」
 美しいアイスブルーの瞳に涙の膜が張られていくのを見て、ガーランドは怯えるウォーリアの頬を撫でていった。無骨な手にはそぐわない優しい手つきで、ウォーリアの頬の輪郭をたどっていく。最後に指先がたどり着いたのは、ウォーリアの薄く開いた唇だった。
「やめ……」
 ウォーリアの中に滾る本能は恐怖により押さえつけられ、少しだけ理性が勝っていた。唇を指で這われ、ぶるりと震える。バッツに言われたままに『満たしてもらおうか』などと啖呵を切っても、このように組み敷かれては……完全に分が悪い。
「ほお、牙が伸びておる。八重歯のようで、なかなか愛いな」
「ッ!」
 ガーランドに親指の腹で唇を撫でられて、ウォーリアにはわけがわからない。今すぐこの男から離れろと、頭の中で警鐘が鳴り響いた。けれど抗えない飢えが、ガーランドの血を飲んでしまえとウォーリアを誘惑する。
 うるさいくらい心の臓を打ち鳴らす鼓動に、だんだん目頭が熱くなる。つつ……と、涙が零れて流れていった。泣いているみっともない姿を見られたくはなくて、ウォーリアはぎゅっと眼を閉じた。
「……そのような色香もまとうのか」
 普段は硬質なアイスブルーの瞳が、今夜は深い色に濡れている。見ることができたのはほんの一瞬ではあったが、まだ見る機会は得るだろう。口端を緩めたガーランドは、兜の口当ての部分を外した。そのあたりの草むらにポイと投げ捨てると、ウォーリアの顎を指先ですっと撫でる。
「ッ⁉」
 ウォーリアの背筋はぞわりと震えていた。血を与える与えないという問題ではない気がしてきて、ウォーリアは泣いていたことも忘れてガーランドを押し退けようとした。
「ぅ、だめ……っ、だ」
「飢えておるのではないのか?」
「だ、だからっ、私は我慢でき……ッ!」
 ガーランドにくいと顎を指で押さえつけられ、薄い唇が目の前に迫る。すべてが悪い夢なのではないかと思えるほどの予測できない展開に、ウォーリアは正常な判断力を失っていた。
 じっと見つめてくるガーランドの瞳に、ウォーリアの鼓動は驚くほど騒ついている。先まで紅く光っていたガーランドの瞳は、今は強く鋭い黄金色の双眸だった。まとう力で瞳の色は変化するのだろう。
 瞳の色の変化は闇の眷属なら誰にでもできる。となれば、ガーランドも闇の者……魅入られると言っていたコスモスやバッツの言葉を思いだしたウォーリアは、こくりと息を呑み込んだ。
「ぅンッ、」
 兜から見える鋭い双眸を見ることができなくて、ウォーリアは瞳をそっと伏せる。顔を背けることはできないので、唇はそのまま重なり合った。
「ふぁ……うっ、んん……ンっ」
 何度も角度を変えられて、重ね合わせるだけの口づけを繰り返される。たったこれだけのことでも、ウォーリアから理性の箍を外すには十分だった。
「ほう、これしきで?」
「が、らんど……やめ、」
 首を押さえつけられたままで、ぎゅうっと締めつけられる苦しみにも吐息が洩れる。口づけを受けたせいか、先ほどから悪化の一途をたどる飢えで、ウォーリアの喉は焼けつくように渇いていた。
 唇が離されてから絞りだすように声を出せても、ガーランドは手を退けようとしない。声をうまくだせないなら態度だけでもと思い、凛と涼やかなアイスブルーの瞳で睨みつける。が、ウォーリアは眼を見開いた。
 ガーランドの双眸は支配的な闇の紅色に染まっている。先まで黄金色だったはずなのに。ウォーリアの唇はカタカタと小さく震えた。
「この期に及んで、まだ嫌がると?」
「い、や……じゃ……、ない」
ただ、喉が……んっ。飢えに抗えなくなった本能は、否定的な思考そのものを崩していく。ウォーリアが自身の発した失言に気づく前に、ガーランドの唇が吐息ごと言葉を奪っていった。
「んぅッ! ふ、……ッふぁ、は……っ」
 ようやく素直に求めてきたウォーリアに、ガーランドは噛みつくように唇を塞いだ。ぎゅっと瞼を閉じて慌てだしたウォーリアの腰に手をまわす。逃げられないように閉じ込めてから、ガーランドは首を押さえつけていた手を離した。
「っふ、んぅ……っは、ん……ッ!」
 圧迫感のあった首から空気の循環が回復したはいいが、今度はガーランドに唇を塞がれていて満足に呼吸ができない。苦しくなったウォーリアは、ガーランドの背の装甲をガンガンと叩いた。そして、唇が少し離されると、ぷは、大きく息をついた。
「鼻で呼吸をしろ」
「ンぁ、っ、んぅ……」
 ウォーリアの唇を簡単に割って侵入してきた肉厚な舌先が、歯列をなぞって口内を巡る。くちゅりと舌の絡み合う湿った音に、ウォーリアはアイスブルーの視界をぼうっと滲ませた。
 背筋をぞくぞくと震わせる感覚が、気持ち好いのか悪いのかわからない。それでもガーランドにされるがまま、ウォーリアは舌での蹂躙を受けていく。
「ぅ、ふぅ……っん、」
 瞼を閉じて睫毛がふるりと震わせるたびに、涙がこぼれ落ちる。しかし、ここでやめるつもりはガーランドにもない。たかが唇を重ね合わせる行為に、ここまで夢中になってしまうのは、目の前で蹂躙を受ける青年がいるからに他ならない。
 今回は普段の闘争のあとに血を奪い飲むときよりも、なぜだかずっと満たされている気がしてならない。舌を交わらせるだけで絡みつく唾液が、まるで甘露のようでたまらない。
 瞼を閉じていてもうっとりと顔を蕩けさせるウォーリアの様子に、ガーランドは紅の瞳をゆるりと細めた。

「ッ⁉ んぅっ⁉」
 びくん、ウォーリアの肩が大きく揺れる。口内に鉄の味が広がっていく。どちらからの出血か……少なくともウォーリアではなかった。
 深く貪り合うように唇を交わらせていたはずだった。いつの間にか、ガーランド自身が唇を噛むことで血が流れ出てしまっている。
 ウォーリアは慌てて唇を離そうとしたが、腰にまわされたガーランドの逞しい腕はびくりともしない。
「ふ、ぅ……ッ! が、ぁら……っ、はな、……ッ!」
「飲め」
「ッふ、‼」
 小さく囁くガーランドの唇の端が、鮮やかなほど赤く染まっている。あまりにも蠱惑的な表情に、ウォーリアの鼓動はどくんと大きく飛び跳ねた。
 ガーランドは兜の留め具をパチンと外すと、再び覆い被さるようにしてウォーリアに口づけた。
「んンっ! んぅーッ!」
 口の中いっぱいに濃い鉄錆の味が広がる。ウォーリアはぎゅっと目を瞑った。ガーランドを押し退けようと肩を何度も押してみるが、流し込まれていく血液の味に抵抗を奪われていく。
 ガーランドの濃い血液は互いの唾液と混じり合い、甘く濃厚な味に変化した。ウォーリアの白い喉がこくんと上下する。とても甘い血液と唾液の混じった液体は、喉を鳴らすたびに食道を通過し胃へ落ちていく。今までに感じたことのない満ち足りた多幸感が、ふわぁっとウォーリアを包み込んだ。
「ん……、っふぁ、あ……っ、」
 宿敵の血液など、絶対に飲むものかと思っていた。けれどウォーリアの理性はどこかに吹き飛び、今は本能に任せてガーランドに縋りつくような態勢で必死に舌を伸ばす。
 もっと欲しいとねだるようなウォーリアの様子に、ガーランドはするりと頭を撫でてやった。ウォーリアが従順になったことで気を良くしたガーランドは、傷のついた唇を歪ませる。より深く唇を重ね合わせるために、ウォーリアの後頭部に片手で滑り込ませた。
「ん……ふぁ……っ、ふ……んァ、」
 ちゅくりと舌の絡ませ合う水音が、静寂な草原に響いている。風はなく、樹々は静けさを保った状態では、ふたりの逢瀬の淫らな息遣いや水音だけをこだまさせていた。
 たどたどしく舌を絡ませてくるウォーリアの姿が愛らしくて、ガーランドは上機嫌で口内を貪っていた。時おりうっすらと瞼を開けるが、すぐに閉じてしまう。ガーランドが兜を外していることに、気づいているのかいないのか──。

 月が少し傾いたことを確認して、ガーランドはゆっくりと唇を離していく。はぁはぁと胸を上下させるウォーリアに比べ、ガーランドは余裕ありげに唇をぺろりと舐めた。
 呼吸を乱したウォーリアは、ガーランドが離れた機にそっと瞼を開けた。霞がかかったような視界には、涙の膜が張っている。ぱちぱちとまばたきを繰り返すと、つつ……涙は流れ落ちていく。視界の霞が晴れると、ウォーリアのアイスブルーの虹彩は大きく驚愕に見開かれた。
「が、がーらんど、お前の……その、あたま……、それ」
「ん?……これか。見てわからぬか」
今宵は一年で満月が一番小さな夜だからな。出せずに隠し通せるかとかと思ったのだが。ふむ、ガーランドはなんでもないことのように言ってのけた。
「……」
 押し倒されたままの視線の先で、青白い月の浮かぶ空の前に、ガーランドの姿はそこにあった。ただ、いつ外されたのかわからない兜の長い角のあった場所に、ぴくぴくと三角形のものが揺れている。ガーランドの髪色と同じ色をしたそれは……紛れもなく獣の、耳──。
「な……、それ、は」
 うまく言葉が出てこない。ウォーリアは口元を両手で押さえた。ガーランドが闇の眷属であることはわかっていたが、獣の耳は予想もしていなかった。
「見てわからぬか?」
「……」
 獣の耳もだが、ガーランドが兜を外していることにもウォーリアは驚愕していた。口づけのあいだに行ったのだろうが、金属音も出さずにできるものなのか。ウォーリアが瞼を閉じて口づけに集中していたからとしても、ガーランドのこの手練手管は相当ともいえる。
「兜があると、耳が痛くてな」
 獣の耳に触れ、口角を歪ませるガーランドの唇からは鋭い犬歯がちらりと見える。
「おおかみ……、か」
「正解だな。早い話、狼男といわれるものだ」
貴様と同じ闇の眷属だな。三日月のような笑みを浮かべる唇は、いつの間にか艶々としている。ガーランド自身が噛みきったはずの傷は、跡形もなく綺麗に消えていた。
「な……」
「驚くようなことではなかろう。儂らは人間に比べ傷の治りは早い」
貴様も身に覚えはあるだろう。ガーランドに言われ、ウォーリアはハッとした。確かにそれはウォーリアにもあった。仲間たちとの手合わせの際に負った怪我も、一晩経てば治ってしまう。仲間たちはバッツやオニオンの治療を受けていたのに、ウォーリアだけは必要としなかった。
 ただ、自分はやたらと丈夫であると思っていたのだが……ヴァンパイアの身であるならば、あり得ることだと思えてくる。
 それにしても、ガーランドが狼男とは。狼男であるならば、これまでの闘争でウォーリアを敗って血を奪ってきたこと、ヴァンパイアと同等……それ以上の身体能力を持ち得ることも理解できる。今までの事象に、すべて納得がいってしまった。
「教えてやろうか。ウォーリアオブライト」
 徐々に事の仕組みを理解していくウォーリアの思考を見透かし、ガーランドはもう一度口づける。深く重なり合った唇から、再び血液の混ざった唾液が送り込まれた。
「っん、ふぅ……ぅっ」
「どうして儂が血を飲ませたか……裏があると貴様は言ったな」
 唇を離し、ガーランドはウォーリアの耳元にでそっと囁く。耳にかかる吐息が擽ったくて、ウォーリアはびくんと躰を揺らした。
「っ、」
「ヴァンパイアが他者の血を飲む……すなわち、その者に従属するという意味となる」
つまり。儂の血を飲んだ〝お前〟は、これで儂のものとなる。ウォーリアは息を呑み込んだ。理解できない。それならば、これまでウォーリアは闘争に敗れて血を奪われてきた。その説明が成り立たない。
「ならば! お前は……私から血を奪い、時と記憶を──」
 愕然とガーランドを見つめていると、青白い月の光に照らされた狼の耳がぴくんと動く。ようやく紡ぎだせた言葉は途中までだった。
 月の光を浴びるガーランドの口元から覗く犬歯は、少しずつだが伸びている。ウォーリアの背にゾッとしたものが走る。先まであの唇で口内の蹂躙を受けたのだと、今さらながらに実感した。
「はっ、そのようなことか? 決まっておるだろう……血の輪廻と呼ばれるもので縛っておるからな」
「……どういう、ことだ」
「ふん。儂がお前の血を奪うことで、お前は儂から離れられなくなる。記憶を失い経験を神竜に奪われても、おまえは何度でも儂を求めてこの地に降り立つことになる」
「ふ……ざけた、ことを」
「ふざけてなどおらぬ。それに儂の血を飲まねば、お前はいずれ消滅するであろう。クリスタル鉱石に含まされた血は、浄化を受けるごとに薄まっていくからな」
「っ……な、」
 つまり、ガーランドがウォーリアの血を奪うのは〝血の輪廻〟で縛るためで、今回血を飲ませたのはウォーリア自身の体内に含まれたヒトの血が薄まっているから……と。非常にわかりにくいガーランドの説明に、ウォーリアは唖然とする。

 押し倒されたままで見下ろされる状態においても、ウォーリアの気高く凛としたアイスブルーの虹彩は揺らぐことがなかった。
 口づけと衝撃の事実に少しは揺れ動いたものの、今はまた強い輝きを放っている。ぎりっとガーランドを睨み、唸るように反論した。
「だったら、なにもお前の血でなくとも……」
「ならば秩序の小童の血を奪うか? 儂だからこの程度の血量で済むが、小童どもなら失血死させるほど飲まねばならぬ。それに、血液補給はマメに行わねばならぬゆえに、お前が満足するごとに小童どもは浄化を受けることになるな」
「────っ、⁉」
 口端を歪めて説明するガーランドの表情が、まるで勝ち誇っているかのように思えて、ウォーリアは悔しそうにぎりりと歯噛みした。ゆらりと動く耳まで機嫌が良さそうに見えて、余計にウォーリアの心をざわつかせてしまう。
「いくら小さくても満月の光はお前に最大の力を与える。同時に血を求めて抗えない飢えも生じさせる……月の光の下で、その真の力を発揮させるか? ウォーリアオブライト」
 組み敷いた状態で満足に動けないウォーリアに向けて、わざと煽るように語りかける。ウォーリアが最大の力で挑んできたとしても、ガーランドは返り討ちにするだけの余裕は十分に持っていた。というのも、ガーランドは狼男──同じく満月下で最大の力を発揮することができる。
 ヴァンパイアの上位であることを見せてやりたくて、地に背をつけるウォーリアの青の重鎧に手をかけた。留め具など外すことなく、強引に鎧を身から引き剥がしていく。
「ッ、なに……を」
「決まっておる。この青白い月の光のあるうちに、お前の身も心も、全部儂のモノにしてやろう」
満月の日にわざわざ儂を呼び寄せてくれた礼としてな……。くいっと顎で満月を示し、青白い月をウォーリアに見せつけた。雲ひとつない澄んだ星空のなかで、小さな青白い満月はふたりに月の光を照らし続けている。
 ガーランドの黄金色だった双眸は、情欲に満ちた色を含んでいる。これからなにがはじまるのか。理解ができていないウォーリアは表情を不安げにして、ぶるりとガーランドの腕のなかで震えている。
 それが余計に唆るのだと……上半身の装備を剥いだウォーリアにのしかかり、ガーランドはゆっくりと喰らっていった。

 ふたりを見守る青白い満月が、山の陰に隠れてしまうその直前まで──。

 Fin