有限の時を融かして

                2020.2/11

「私は役目を終えると消えることになる。そのことは……お前のほうが詳しいだろう?」
 はにかむように告げられて、ガーランドは言葉を失っていた──。

 元々作られたものであるのだから、いつかはそうなる。何度となく輪廻を繰り返し、命の奪い合いを行ってきた。神竜に連れていかれる青年を、これまで何度もガーランドは見送っている。しかし、今回のことに、どうも納得がいかなかった。
 まさか、そのような事象が赦されるのか。これが本音だった。だが、当の青年──ウォーリアオブライトに告げられれば、ガーランドとて嘘だと一蹴はできない。青年の紡ぐ言葉を、ただ呆然と聴いているしかできなかった。
「ある特定の期間に、秩序の聖域には雪が降り積もる。その雪で私は作られたらしい」
だから、役目が先か、私の身体が溶けるのが先か──。どうして今までのように作らなかったのか。どうして雪人形に心を込めたのか。誰を責めればいいのか。ガーランドはふぅと嘆息し、心を一度落ち着ける。それから、ガーランドは目の前にいる青年を改めて見なおした。
 外見上は今までと変わらない。異なるのはその肉体の素材と、聖域に雪が在るまでのあいだの命……ということらしい。ならば、ここでさっさと引導を渡してしまうほうが早いように思えた。
 何故に光の戦士をこのような氷雪で作りだしたのか、ガーランドにわかるはずもない。だが、そのことがガーランドに躊躇を与えるものだとしたら? 光の戦士の心までも氷で創り、ガーランドへ鈍ることのない氷の刃を向けさせるつもりなのであれば……それは愚でしかない。
 この〝ウォーリアオブライト〟は完全な失敗作だと言える。放っておいても溶ける氷で作られた青年など、ガーランドの相手ではなかった。戦うまでもないだろう。

 完全に戦意を消失させたガーランドは、巨剣を床に突き刺した。放っておいても潰えるこの命を、どうしても失わせたくなかった。どうせなら己が一戦で……そう思うのに、巨剣は手放す。この矛盾に抗うべく、ガーランドは青年の細首に触れた。外気の凍えるような空気のせいか、ひやりと冷たく感じる。
「お前の熱が私を融かすそうだ。その意味までは私も不明だが」
 青年の言葉に、ガーランドは触れていた手を素早く離した。触れるだけで溶けてしまうなら、それこそ本末転倒ではないのか。完全な失敗作を作りだし、どうしてこのように己が元に向かわせる。ガーランドは苛立ちすら感じ始めていた。
「お前の手にかからなくとも、私は雪解けとともにこの命を失うだろう。雫となり大地に染みて、この地と一体化……する?」
「……」
……どうしてそこは疑問形か。
 突っ込みたかったが、心の中だけに留めておいた。この青年の、否、ウォーリアの言い分もわからないでもない。要は雪解けまでに触れて欲しいのだろう。どうやら意図までは、ウォーリア本人にも理解できていないようだが。
 きょとんと首を小さく傾げるウォーリアに、ガーランドは嘆息する。不覚にも愛らしいと……その仕草を見て感じてしまった。
「もしかしたら。お前の熱に触れたなら、私が融けるより早く、お前のほうが凍てつくかもしれないな」
「……」
 さらっと事もなげに言い放つウォーリアに、今度こそガーランドは絶句した。この言葉の意味を理解しているのか、単に抱擁程度を指しているのか。どうも言動からは判別がつきにくい。
 ガーランドは青年の顎を指先で押し上げた。くいっと上を向く青年に鋭い猛禽のような目を向ける。
「……それを、儂に向けるのか。もし、儂が邪な心を持ち、その心で貴様に触れたなら」
「私は溶けるだろう……な。融けるとこは能わず、雫となる」
だけど……。ガーランドの言葉を遮り、ウォーリアは続ける。ガーランドはウォーリアから目を離すことなく、ぴくりと眉を動かした。まだ続きがあるのなら、すべて告げさせてからの方がいいだろう、と。
「また次の年に降り積もる雪で、私は作られるだろう。新しい〝〟は、お前のことを覚えてはいないだろうが」
一緒だろう? これまでと。命を奪い合い、神竜の浄化を受けることと同じだという。確かに違いはない。しかし、納得はしかねる。
「ガーランド。お前のその剣で私の胸を貫くのと、春になり自然に命が終えるのと……お前ならどうしたい?」
「……」
 随分残酷なことを平気で口にしてくる。ガーランドははぁと嘆息する。どうやら、その心までもが本当に凍てついているらしい。ガーランドはその凍った心をどうにかしてやりたくなった。
 まっすぐに前を見据える光満ち溢れるかの青年と、この雪で作られた青年は、似て異なるものとしか思えない。しかし、青年の心をここまで凍らせてしまう一旦を担ったのは、確かにガーランドである。そのために、この青年が作られたのなら、ガーランドが融かしてやる必要があった。
 己が身でどうにかできるものなら……雪ではなく、ヒト──これも言い得て妙だが──にしてやりたい。
……しかし、融かすとなると──。
 ガーランドは逡巡していた。これは、ガーランドにしては珍しいことだった。柄にもなく迷い、渋る。
 ガーランドが迷えば迷うほど、青年の表情に翳りが浮かぶ。氷のように美しい青年の美貌は、悲しみに満ちていく。ガーランドが気付く前に、ウォーリアは顎に添えた指を払ってきた。パン……、少し乾いたようないい音がこの神殿内に響き渡る。
「私のために、お前が迷うことはない」
次の年に逢おう……。悲しみの表情を見せるウォーリアの儚げな姿に、ガーランドは腕を伸ばした。だが、ウォーリアのほうが一歩早く、ガーランドの横をすり抜けていく。
「ウォーリア!」
「次に逢うときは……違う私だ」
 ガーランドに背を向け、ウォーリアは歩き出した。その背の寂しそうなことから、もしかしたらこの青年は望んで此処に来ていたのだとしたら──?

「待て、ウォーリア!」
「ガーランド?」
 ガーランドは駆けた。この謁見の間から出ようとするウォーリアの腕を引き、冷たい身体をその胸の内に背中から閉じ込める。身体のあまりの冷たさに、ガーランドの身も震える。同時に、この青年の告白が虚偽ではないと……信じていなかったわけではないが、改めて思い知った。
 ウォーリアと触れ合う箇所から、瞬時にガーランドの身体は凍りついていく。漆黒の重鎧には霜が下りていく。氷結に伴うピリピリとした苦痛に、ガーランドは呻き声ひとつ立てずに堪えていた。なにか洩らしてしまえば、それだけでウォーリアは離れてしまうだろう。
 ぐっと堪えているのに気付いてしまったのか、ウォーリアは顔を上げて心配そうにガーランドを見つめてきた。
「私に触れるなら──私が融けるか、お前が先に凍るか……か」
私のために凍りつきたくはないだろう? どこまでも突き放す言い方をしてくるウォーリアに、ガーランドも限界だった。それならば、告白せずに巨剣の錆になっていれば良かったものを。なまじ聴いてしまったものだから、どうにかしてやりたく思えたのに。ガーランドの胸中などまるで理解していない氷の心を持つ青年は、僅かながらの笑みを浮かべてきた。
「私は……お前の手にかかるなら。どちらの行く末をたどっても構わない」
「……」
 ふわりと微笑うウォーリアが、とても儚げで美しく思えた。ガーランドは何度も瞬きを繰り返し、ウォーリアの表情を見つめている。この青年の凍てついた心を融かしてやりたいと……心底から思い、ガーランドの気持ちは固まった。
「後悔は……せぬな」
 触れているだけで凍えそうなウォーリアの身体を横抱きに抱え、ガーランドは歩きだした。不測の事態だったのか、ウォーリアは眼を丸くしている。
「ガーランド?」
「融かしてやれば良いのだろう? 此処で致されたいなら話は別だが?」
「……」
 ぽっと頬を朱く染めるウォーリアに、ガーランドは満足していた。この言葉の意味を理解しているうえに、少なくとも否定はしてこない。くくっ、ガーランドは兜の中で小さく嗤っていた。

 カツカツと地下へと続く階段を下りていると、ウォーリアは全身をガーランドの胸に預けてきた。
「お前は温かいな。私の身体など、すぐに溶けてしまいそうだ……」
「融かしてやる。ついでにその先の高みも教えてやろう」
「……それは、私の肉体が雪ではなくなってからでいい」
 羞恥が勝るのか、ぷいとそっぽを向くウォーリアの柔らかい耳朶に唇を寄せる。熱い吐息とともに言葉を紡げば、たちまちウォーリアの顔全体が紅潮していく。
「なにを言うか。融かさねばならぬのだろう? 貴様の……凍てつく心も、その肉体もな」
「〜〜っ、」
 どうやら〝融かす〟ことの意味を理解していなかったらしい。ようやく自身の発言の意味を理解したのか、ウォーリアはガーランドの肩に顔を埋めてきた。羞恥でガーランドを見ることもできないのだろう。
 あれほど大口を叩いておいてのこの仕草は、ガーランドの箍を外すには条件として十分すぎるものだった。
「ウォーリア。二度と雪などで作られることのないよう、此処で閉じ込めておいてやるわ」
「それは……」
「はっ、意味など貴様で考えろ」
 それだけを告げ、ガーランドは長い回廊を歩いていく。ウォーリアは覚悟を決めたのか、ガーランドの逞しい首筋に腕をまわしてきた。ふわりとした氷雪の髪がガーランドの装甲の隙間の肌に直接かかり、少しくすぐったい。
「私は、お前に融かされたい」
 たったひと言だが、しっかりガーランドの耳に届いた。ガーランドがウォーリアの隠した表情を覗き見ると、氷銀色の長い瞼を閉じている。つつつ……と流れだした涙を見て、ガーランドも安堵した。この青年の本当に望んでいたことを、ガーランドは導きだせたのだと。
 巨剣で貫かれることと雪解けを引き合いに出し、ガーランドに迷わせる。それでいてウォーリアの本心も、はっきりとは決まっていない。心は凍てついていても、持ち得る本当の〝心〟までは氷結してはいなかったのだろう。わざわざガーランドに選ばせて、望みの答えを得ると安堵し涙を流す。
 つくづく不器用であると、ガーランド自身も言えたことはないが思ってしまう。揺らぐことの赦されないこの青年に、そういった感情は不要のものと、最初から欠如されているのかもしれない。
 安らぎに満ちたような柔らかな表情を浮かべるウォーリアの白雪のようなひたいに唇を押しつけ、ガーランドは自室の扉を開ける。
 融かす前に伝えたいこと、胸の中にしまい込んできた想いを、この不器用な青年に隠さず教えてやろうと。これだけで、ウォーリアは融けてしまうのではないか。そう思えるほどの甘い時間をくれてから、ゆっくり肉体を融かして雪から〝ヒト〟へ変えてやろう。
 ガーランドの想いに気付くことのないウォーリアは、きゅっとガーランドの首に腕をまわしたままで小さく囁いた。
「私だけでなく、お前も私の身体で融けて──」

 Fin