夢を見せて - 3/4

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 あれから、時は少し経過した。
 コーネリアの王国では吸血鬼が出たという情報が、ほとんど聞かなくなりだしたころだった。しかも、同時に白の魔物やカオスといった情報も、寄せられることはなくなった。
 そうして、白の魔物やカオスについては、コーネリア及び近隣諸国から、いつしか完全に風化されようとしていた。

「白の魔物……? 今ごろ、どうして?」
 謁見の間にて、ガーランドは国王より話を聞かされ、衝撃を受けていた。思わず声が上擦る。吸血鬼はあの青年のことだから、ガーランドと一緒にいる以上、情報がなくなるのは当然だった。しかし、ここにきて白の魔物とは……。
 ガーランドは白の魔物と吸血鬼が同一の魔物で、それはあの青年を指しているのだと、ずっと疑い続けてきた。それは、青年にも告げることなく、ガーランドの胸に秘めてきたものだった。
 告げてしまえば、あの青年はいなくなる──。そのようにガーランドは考えていた。そのために、騎士団に報告することはなかった。青年を傍においておくことで、監視を兼ねることにもなる……とも考えなおし、ガーランドの傍にはいつも青年がいるように仕向けていた。
 だが、ここにきてのこの現実に、ガーランドは拳を握りしめた。今度こそ覚悟を決めなければならない。
「それは、わしにもわからぬ。ガーランド、今度はお前にも出てもらうぞ」
「……はっ、」
 ガーランドと青年は、あの家で一緒に過ごすようになっていた。時はしばらく経過しているが、ガーランドの見ている限り、青年におかしな様子は見られなかった。
 時おりガーランドに血液を求めてはくるが、ガーランドは青年を胸に抱こうとはしなかった。精を搾取するまでもない微量な血液しか、青年は求めてはこなかったからだった。
 そんなガーランドの元に、討伐命令が下る。討たねばならないのは吸血鬼ではなく、今回は白の魔物……。だが、ガーランドは今回の報告で完全に察し、そして確証を得ていた。〝白の魔物〟があの青年であることに──。

「お前が白の魔物だったのか……」
 家に戻り、青年に問い詰める。青年は項垂れるように俯き、両の拳をきゅっと握りしめている。
『お前を騙す形になり、すまなかった……』
「……」
 青年は別に騙してなどいない。黙ってはいたが。怒る気力も呆れる気力も失ったガーランドは、黙々と鎧を脱ぎ始めた。ガーランドにも、それ相応の覚悟はできていた。
『私は元々カオスに逢うためにここへ来た。もう、逢えたのだから、本来なら目的はとうに果たされていた。なのに……』
「カオス?」
 意外な名を聞き、ガーランドの手は止まった。そういえば、ここしばらく〝カオス〟の名を聞いていない。コーネリアの付近に出没した情報は、青年と過ごすようになってから、一度も騎士団に寄せられてはいなかった。
『ガーランド……お前がカオスだ』
「はァっ⁉」
 驚愕が大きすぎて、ガーランドは間抜けな叫び声をあげていた。それは、決してありえない。ガーランドは口をはくはくと動かし、青年の言葉を否定しようとした。だが、衝撃が大きすぎて、身体中のなにもかもが麻痺しているようだった。指先は震え、思うように動かない。
『……私の力で、お前の内に眠るカオスを抑えている。私はお前で、お前は私。私とお前の均衡が保たれている限り、お前はカオスになることはない』
「まさか……」
 ガーランドは目眩を起こしそうになった。しかし、思い返した。誰も目にしたことのないと言われている、カオスを知っているのは、どうして己自身だけなのかを。どうしてカオスは現れなくなったのかを。それは、この青年の言うように、ともに過ごしだしてからだった──。
『ガーランド。白の魔物が現れたと……噂があるのだろう?……討伐命令が出ているのなら、私は……』
 青年はなにもせずに、この家で日を過ごしてきたわけではない。これまで過ごすなかで、青年は騎士団でのガーランドを見てきた。コーネリア王国のすべての騎士たちを統べる、騎士団長としてのガーランドを。
……もう、私の役目は必要ないかもしれない。
 青年は思い始めていた。カオスをガーランド自身で押さえつけられているのなら、青年が寄り添う必要はない……と。
 青年はガーランドから離れようとした。しかし、それをガーランドは赦そうとしない。
「……儂から、勝手に離れようとすることは赦さぬ』
『……ッ、』
 ゾクリ、青年の背筋は凍るように固まった。ガーランドに腕を掴まれ、ぐいっと引き寄せられる。固まった青年はガーランドの胸の中に閉じ込められ、カタカタ震えていた。
『なにを怯える? 儂を押さえられるのであろう?……やってみよ』
『……カオス、か』
 なにが引き金になったのか、青年は理解できなかった。ただ、ガーランドからカオスに変わってしまったことだけは、脳が理解していた。外見はガーランドのままなので、対応に遅れたのも原因のひとつになる。
 蒼白する青年を胸に閉じ込め、ガーランド──否、カオスは満足していた。長きにわたり押さえつけられてきた。それは、腕の中にいる光の力を携える青年と、このガーランドという男の元々の力──。
 紅くみなぎらせる双眸で、青年を見下ろす。カオスは優越感に浸っていた。普段は何事にも揺らぐことのないこの青年が、己の腕の中で縮こまり、小さく震えている。
『……お前は、私をどうしたい?』
『なにを……』
 カオスはぴくりと耳を動かした。どこかで聞いた覚えのある問答に、思わず首を傾げる。
 青年はどこか諦めたような、悲しげな表情をカオスに向けていた。その憂いた美しい表情に、カオスは息を呑む。どこかで聞いた覚えがあるもなにも、これは青年が寝台で眠るときに言っていた言葉ではないか。カオス──否、ガーランドは思いだしていた。
『そうだな……お前が欲しい。血液などで身を繋げるのではなく、お前の心ごと……儂がもらい受けようか」
『カオ……、ガーランド、か?』
 くっ、ガーランドは苦笑していた。どうして今まで独り身を貫こうと考えてきたのか。その理由はガーランドにもわからなかった。ただ、カオスがいる危険な状況で、家族を作ることに抵抗があった。
 しかし、伴侶となる者が元々傍にいたのなら、周りの女性に目を向けることはない。この青年にしか心をときめかさないのなら、それも当然のことだろう。
 ガーランドは驚きに満ちた青年を胸の中に閉じ込めたまま、耳許でそっと告げた。それは、この青年に一度も伝えてこなかった言葉でもあった。
「苦労をかけることになるぞ。それでも良いのなら……儂と来い」
「ガーランド……」
 紅く染まっていたガーランドの虹彩が、黄金色のいつもの色に戻ったことを確認し、青年はこくりと頷いた。互いの虹彩に互いを映し、やがて顔を寄せて唇を重ね合わせた。
 誓いの口づけのような触れるだけのものであったが、青年は満足していた。ガーランドの胸にそっと頬を寄せ、瞼を閉じた。
『ガーランド。だけど、私に討伐命令が……』
「ならば、ふたりで消えるか」
『……』
 青年はなにも言えなかった。ガーランドの言葉は嬉しい。だが、そのためにガーランドの築き上げた地位を奪わせるわけにもいかない。
「構わぬ。早くコーネリアを出ぬと、後々面倒になる」
『なっ、』
 ガーランドは青年を胸から出してやると、大急ぎで荷物を詰めていく。白の魔物が討伐対象になっているのなら、騎士団長として呼ばれるのも時間の問題だった。そのために、それまでにここを一刻も早く離れておきたい。
 例え、お尋ね者として、今後追われることになったとしても、この青年とならうまくいく。ガーランドには変な確信があった。
 そうして、ガーランドと青年は、この日を境にコーネリアから姿を消した。その後、ふたりの姿を見た者はいない。

***

「ガーランド、どうして……」
 二千年の時を経て、光の戦士こと、ウォーリアオブライトはカオスとなったガーランドと対峙する。しかし、ガーランドの傍らには、ウォーリアオブライトと同じ顔の青年が──。
「ガーランド……」
『ウォーリアオブライト。お前は私で、私はお前。二千年の時を、私は待っていた。次はお前の手で、カオスの呪縛からガーランドを解き放ってほしい』
 ガーランドの傍にいた青年はウォーリアオブライトの傍に近寄ると、そっと手を差し出してきた。ウォーリアオブライトが青年の手を取ると、この世界の均衡は崩れ始めた。
 ここから、世界は大きな変革を迎えることとなる──。

 カオスはウォーリアオブライトによって討たれ、この世界の均衡は保たれることになる。そうして、カオスと化していたガーランドは元の姿に戻った。だが……。
「君は……いいのか?」
『言っただろう。お前は私で、私はお前。ガーランドを頼む──』
 青年はウォーリアオブライトの腕の中で、光となって消えていく。役目を果たした青年はにこりと笑み、ウォーリアオブライトにすべてを託した。青年の光の力を受け継ぐ、この光り輝く光の戦士に──。