夢を見せて - 2/4

***

「……」
……まだ寝ておる。
当然か。ガーランドは窓から差し込む朝日に目を細めていた。かなり遅い帰宅ののち、青年を風呂に入れ、そこからの食事ときた。眠りに就いたのは明け方近く、この時間にガーランド自身起きられたことが奇跡に近いかもしれない。
 ふぁ……、ガーランドは大きな欠伸をしてから躰を大きく伸ばした。コキコキなる肩が年齢を物語る。くっ、ガーランドは苦笑していた。
……寝顔はあどけないな。
 隣で眠る青年の表情を覗き込む。眼が閉じられていると、表情に硬質な冷たさは微塵も感じられない。すーすーと規則正しい寝息をたてる青年を見ていると、とても魔物の類とは思えなかった。確かに肌は美しい陶器のような白肌を持っている。
 するり、ガーランドは白磁のような頬に触れた。キメの細かい滑らかな肌は、ガーランドの大きな手のひらに吸いつくかのようにしっとりと水分を含んでいる。
……おかしい。
 さすがにガーランドも疑問を持った。どうして頬に水分がある? 汗かとガーランドは考えた。しかし、汗ではないことは明白だった。しっとりと湿っているのは頬と眼の周りのみ。
……泣いておったのか。
 ガーランドの寝台は大きい。ガーランドがふたり並んで寝ても、余りあるくらいの大きさの寝台の半分を青年に提供した。そうでないと、青年は床で眠ると言い出して聞かなかった。床で眠ると聞かない青年の誘惑に負けそうになりながらも、ガーランドはどうにか抑えつけなんとか睡眠を取ることができた。
 しかし、青年の泣く理由がわからない。空腹で眠りに就いた……というのも、ひとつの可能性として考えられた。あと、もうひとつの理由として──。

『……お前は、私をどうしたい?』
 青年は急にしおらしくなった。見れば身をカタカタと震わせている。ふたりで大きな寝台で眠ることに、なにか妙な考えを抱いてしまったのだろう。容易に想像はついた。
『……なにもせぬ。それより、儂は眠い』
お前は此処で寝ろ。寝台の半分を提供するように寝転がり、空いた場所を指さした。こういう夢のような現実は、さっさと眠りに就いて逃避したかった。実際ガーランドは眠くなっていた。壮年に近づくにつれ、睡眠の重要性は理解している。可能な限りの睡眠時間を確保したいものだった。
『……私は、床でいい……』
『……』
 しおらしくなるのは構わない。だが、そこは違う。ガーランドはだんだん面倒になりつつあった。眠くて機嫌が悪くなってきたのも、理由のひとつとしてあった。
『いいから来ぬか』
『……ッ、』
 ガーランドは青年の腕を掴み、強引に引っ張った。青年を胸の中に閉じ込めると、ガーランドは背をとんとんと一定の間隔で、優しく何度も叩きだした。
 初めは怯えを見せていた青年は、やがて大人しくガーランドのとんとんと叩かれるのを享受していった。ガーランドは青年の様子を窺いながら行っていたのだが、青年の瞼が重そうに動きだしているのを確認した。長い氷銀の睫毛は、ふるふると何度も小刻みに震えている。眠気に抗おうとしているのは一目瞭然で、ガーランドは畳みかけるように、青年を締めすぎないように強く抱きしめた。
『……温かいな』
 それだけを言い、青年は瞼を完全に閉じた。
 青年が瞼を閉じ、寝息が規則的なものに変わっても、ガーランドはしばらくとんとんを繰り返していた──。

『約束しよう。必ずお前を迎えにいくと』
『そのような口約束、誰が守れるか!』
 コーネリアの傍にある大きな湖のほとりで、ふたつの人影はあった。夜も更けた誰もいない深夜に、月明かりだけがふたりを照らしている。
『儂を待てるか? 二千年の先に、次こそは結ばれよう』
『今では……駄目、なのか』
 ひとりの……おそらく青年だろう人影は、壮齢なのであろう大男の人影にすがりついた。泣きじゃくる青年の頭を何度も撫で、壮齢の大男は説得を繰り返している。
『これは体のいい夢にすぎぬ。結ばれることは……決してありえぬ』
『ガーランド、私は──っ、⁉』
 涙を浮かべて見上げた青年のアイスブルーの虹彩には、異形と化した男の姿があった──。

「──、そろそろ起きろ」
『……』
 不意に身を揺すられた青年はゆっくりと眠りから覚めていった。硬質なアイスブルーで、身を揺すってくる大男をじろりと睨みつける。
 青年は少しばかりの怒りを覚えていた。せっかく視ていた心地よい夢を、このようなことで妨害されたことに。そして、それを行使したのが当人であることに。
『……なぜ起こした?』
「朝だ。儂は王城へ行く。お前は此処に居れ」
『……』
 たったそれだけを伝えたいがために、わざわざ起こしたというのか。青年は不機嫌を隠そうともせず、ガーランドをぎっと睨み続けていた。
「この家の中のものは、自由に使え。一応朝食と昼食も作っておいた。口に合うようなら食べておけ」
 ガーランドはそれだけ伝えると寝所を出た。鎧を身に着け、出発の準備をする。青年に何度か尋ねてみたが、何処から来たのか、本人にも記憶がないと言う。ガーランドは訝しんだが、とにかく先に王城へ行かなければならない。
 詳しい話は帰宅してからにしようと思い、ガーランドは家を出た。青年をひとり、残したままで──。

***

「──吸血鬼、ですか?」
「昔、封じていたのだが、封印は解かれておったとの報告が入った。まだ近くに潜んでおるかもしれん。被害が出る前に捕らえよ」
 謁見の間にて、コーネリア国王から吸血鬼の報告を聞き、跪いていたガーランドは衝撃を受けていた。カオスに白の魔物だけでも限界に近いのに、吸血鬼まで加わるとは……。ガーランドは兜の中で目眩を起こしそうになっていた。しかし、それはどうにか踏みとどまった。別の報告が寄せられたからだった。
「吸血鬼の特徴ですが、白の魔物と同様に不明ではあります。しかし、黄色の外套を羽織っていたとの目撃情報は得ました!」
「……っ⁉」
……黄色? 金糸雀色のことか。
 それが、あの青年が身に着けていた金糸雀色のマントのことだとしたら? ガーランドの背中に冷たい汗が流れる。こくりと生唾を飲み込み、どうにか動揺を周囲に気付かれることのないように振る舞う。
 特徴を聞いてガーランドはおおいに焦っていた。家に押し込んできたあの青年と、特徴は完全に合致する。とにかく、帰ったら事情を聞こうと、ガーランドは謁見の間をあとにした。
 謁見が終われば騎士団長の任を勤める。気が気ではないが、とにかく平然を装い、どうにか一日の任を無事に終えることができた。ガーランドとしても安堵から肩の力が抜けかけた。しかし──。

「白の魔物……ですか」
「近隣より目撃情報が寄せられた。どうやらこの近くに来ておるらしい」
 今日はもう上がろうかという頃合いだった。よりによって、国王に直接呼ばれてしまうとは……。ガーランドは考えたが、ここは任を優先しなければならない。ガーランドは心に決め、国王と向き合った。
「では、討伐に……」
「いや、ガーランドは今回残れ。ほかの部隊に出てもらう」
「それは……どうしてでしょうか?」
「どうして? もし、お前が討伐に出ておるあいだに、白の魔物がここコーネリアを襲ったら、誰が迎撃する? お前はコーネリア周辺を、しっかり警備しておいてほしい」
「……」
 腑に落ちない部分はあるが、国王の命令は絶対である。ガーランドは渋々了承し、謁見の間から退室した。
 吸血鬼に白の魔物……どちらも、このコーネリアにいるらしい。はぁ、重荷を感じ、ガーランドは嘆息した。
 騎士団寮に戻り、部下の騎士たちにそれぞれ命令を出す。待機を命じられたなら、鍛錬よりすぐに出撃できるように、準備を整えておかなければならない。
 謁見を終えてからも、ガーランドは騎士団でひとり思案していた。どうも妙な胸騒ぎがする。
「ガーランド様、よければどうぞ」
「すまぬな」
 部下の騎士の淹れてもらった茶を飲み、ガーランドは先ほどの国王の話を思い返していた。吸血鬼にしろ、白の魔物にしろ、どうもあの青年と特徴が合致してしまう。吸血鬼とは、あの青年のことであることは間違いない。だが、あの青年は人を襲うなどするようには思えなかった。
「白の魔物、……か」
 吸血鬼に該当者がいる以上、ガーランドが気にするのは白の魔物のほうだった。ぽつりと呟いたつもりが、どうやら部下に聞かれていたようだった。
「ガーランド様、白の魔物を見られたのですか?」
「いや……別の部隊が討伐に乗りだすことになるはずだが」
 騎士に問いかけられ、ガーランドはどう答えたものか、少し詰まってしまった。騎士は興味深い表情を浮かべ、なにか思い出そうとしている。
「なにか、知っておるのか?」
「私の聞いた話によりますと、白の魔物はカオスを探しているとか……。そのためにこの周辺をさまよっているとか聞きました」
「カオス?」
 意外な名を告げられ、ガーランドは刮目していた。そういえば、カオスが出没したという情報は最近寄せられていない。ガーランドは口当てを着けた。茶器を騎士に返し、話の続きを促す。
「白の魔物はカオスに嫁入りするためだとか、命を狙っているとか……このあたりの情報は曖昧なのですが、聞いたことはあります」
「は?」
 騎士のひと言がかなり衝撃的で、ガーランドは兜の中で間抜けな表情を作り出していた。
……カオスに嫁入り? あの青年が白の魔物ではないのか?
 白の魔物と吸血鬼が同一の魔物なら、きっと青年を指すのだろうと、ガーランドは考えていた。しかし、カオスに嫁入りときた。カオスとは種族が全く異なるのではないのか? では、白の魔物はあの青年ではないのか? ガーランドが考えだしたときだった。
「白の魔物は相当の美人らしいです。噂によれば男女の区別もつかないほどだと」
「……」
 人違いならぬ魔物違い。ガーランドはそう判断した。あの青年は確かに美人とも言えるが、男女の区別はつく。どこかでガーランドは安堵していた。青年が白の魔物なら討伐対象になるのだから、匿うなり逃がすなり討伐するなりの選択肢を迫られる。しかし、その懸念はなくなったガーランドは、ホッと胸を撫で下ろしていた。しかし……。
「白の魔物は男を探し求めているそうです。該当する男がいれば、その目を紅く光らせて、惜しみもなく身体を差しだすそうで……。私も一度会ってみたいものです」
討伐命令が出たのでしたら、白の魔物も終わりですかね。苦笑する騎士の横で、ガーランドは呆然としていた。魔物違いと思っていた。だが、後半の話は耳を疑った。紅い眼を見せた青年は言っていたではないか。
『お前といると……落ち着くな』
 ガタリ、ガーランドは席を立った。ガシャガシャと派手な音を立て、帰り身支度を急いで行う。
「……すまぬ。儂はしばらく休ませてもらう」
「ガーランド様? ガーランド様……っ」
 ガーランドは騎士団を、王城を飛び出していた。先の話をすべて鵜呑みにしてはいけない。まずは青年に問いただしたかった。

「戻ったぞ。居るか?」
『……おかえり』
 大急ぎで家に帰ると、青年は長椅子に座って書を読んでいた。青年はちらりとガーランドを見て、素っ気なく返事をしてきた。それだけのことなのに、ガーランドはホッと胸を撫で下ろし安堵した。もしかしたら、姿をくらましているのではないかと考えてしまっていた。
 この青年が該当する吸血鬼及び白の魔物であったなら……ガーランドは緊張していた。急いで戻ってきたことと緊張による鼓動で、胸は張り裂けそうなまでになっている。
「お前は……吸血鬼、なのか?」
 青年の傍に寄り、単刀直入に聞く。変にまわりくどい問い方をするより、表現としては不適切でも理解は得られる。ただし、もし違っていた場合、それは失礼では言い表せないほどのものであるが……。
『……そうだ』
 だが、青年はガーランドを見上げ、はっきりと答えた。これにより、ガーランドは兜の中で大きく落胆している。青年が該当者だと頭では理解していても、心のどこかでそれは外れていてほしかった。この青年を果たして討伐できるだろうか。ガーランドの脳内で警鐘が鳴り響く。
『私は探している。そのために……このコーネリアに来た』
「……なにを?」
 ガーランドの心臓はドキリと跳ね上がった。部下の騎士が言っていたことのそのままを、この青年は伝えてきた。ごくり、ガーランドは生唾を飲み込んだ。
『……その前に、私は腹が減った』
 青年の声は、ガーランドを驚愕させるには十分だった。テーブルの上に置いていた、今朝作っていったはずの料理はすべてなくなっている。青年には多すぎるかもしれない……そう、思いながら作った料理がすべて平らげられていることは、ガーランドとしても素直に嬉しい。しかし、青年とは食料とするもの、そのものが違うことを思い知らされた。
 思い返せば昨夜も大量の料理を平らげて、足りないと言っていた。吸血鬼の本来の食料を得ないと、本当の意味で腹は膨れないのだろう。
『すまない。お前たちとは食べるものが違う……から』
私はお前と異なる種族故に、申し訳ない……。食べるだけ食べておいて、こういったことになり、青年は罪悪感を抱いていた。ガーランドに素直に謝り、少し俯く。
 兜で完全に隠れているガーランドの表情が気になって、それでも知ることも憚られて、青年はちらちらと視線だけを上げたり下げたりしていた。
 ちらちらと青年に上目遣いで見つめられ、ガーランドの心臓は別の意味で跳ね上がっていた。兜で隠れているおかげで、どうにか締りのない表情は隠せている。ふー、ガーランドは深く息をつき、青年と向き合った。鎧も兜もそのままで、青年に続けていく。
「聞くが。探しものをしておったというお前は、何故儂についてきた? 儂に『来い』と言われたからか?」
『それは……』
 どう説明したものか。青年は悩み考えた。どのように説明したところで、目の前にいる男に理解してもらえるのは難しそうに感じる。それならば……青年は包み隠さず、ガーランドに言葉を紡いでいった。それは、ガーランドとしても驚愕し、言葉を失うほどであった。
『私は……お前を探していた』
 ガーランドが青年にとっての血液適合者であること。多少多めに血液をもらっても、ガーランドならば倒れることはなさそうであること。青年が告げると、ガーランドは完全に沈黙していた。人間からすれば、考えられない事象なのかもしれない。青年はどこか他人事のように、驚愕に固まるガーランドを見つめていた。

 ふたりのあいだに重苦しい空気が流れていく。青年の説明を聞き終えたガーランドは、ふー、溜息をつく。
「……理由はわかった」
『お前の……血を少しでいい。分けてもらえないだろうか』
「すまぬが……それは断る」
 申し訳なく感じるが、ガーランドはここではっきりと断った。この青年が討伐対象にされている吸血鬼で、血液を提供したことが騎士団や国王に知られでもしたら……。ガーランドは先ほどの警鐘の原因を知り、頭痛がする思いだった。
「少し待て……茶でも淹れよう」
 頭を切り替えるために、どうしても別の作業がやりたくなった。ガーランドは鎧と兜を脱ぐと、部屋の片隅にまとめていった。すべて脱ぎ終えると、暖炉にかけてあるケトルの湯を手早く茶器に注いでいく。
『それなら……いい。すまなかった。私は出ていく』
「なに?」
 淹れた茶を青年に出しても、青年は首を横に振るだけだった。青年は悲しそうな眼をガーランドに向け、口端を小さくだけ笑むように動かした。
『適合するのはお前だけではない。昨夜、お前の言っていた宿とやらへ行く。血液をくれる者に、私はこの身を捧げてくる……』
「なっ?」
『血液を頂く代わりとして。私の精はその者にとって強力な貧血防止薬となり得る。私が血をもらったところで、なにひとつ問題は発生しない。ただ……』
その者が私の精を口にできるか……だが。青い顔で少しばかりの強ばった笑みを見せる青年に、ガーランドは呆然としていた。
 ここで、この青年を宿に行かせ、知らぬ相手に身を捧げさせても良いのだろうか。この青年をここで手離しても良いものか。ここに留めておいて、精はともかく血液の提供くらいはしてやろうか……。ガーランドの脳内は、この青年に対してのことで、いっぱいになっていた。
「行く必要はない。血なら……儂のを飲め」
 ガーランドはかなりの葛藤の結果、青年をこの家におくことに決めた。例えこの青年が、討伐対象とされている吸血鬼でも、この家なら匿ってやれる。
「ここに居れ。儂以外の者に血を求めるでない」
『……ありがとう』
 もし、見つかってしまえば……。そのような考えも、一緒にガーランドの脳裏を掠めていく。それでも、ガーランドは青年を放ってはおけなかった。青年を外に出さないようにして匿おう。決意を固めたガーランドは、改めて青年と向き合った。不器用な笑みで互いに見つめ合い、奇妙な縁ともいえる同居生活は始まった。
「礼など要らぬ。これからは、運命を共有するのだからな」
 決して大げさなことではなかった。ガーランドがこれからしようとしているのは、間違いなく騎士団の規律、及び王国の法律に違反する行為なのだから──。