ガーランドとウォーリア ※ガーWoL

                 2022.7/12

 それは、唐突に起きたことだった。コンコンと扉の叩かれる音のすぐ後に、ガチャと開く音が立て続けに響いた。このような礼儀に欠けることをする人物に心当たりはある。ガーランドはどう説明すればいいのか……毎度のことで通例となりつつあるこの環境に、頭を悩ませた。
「……ウォーリアか。このような時間にどうした?」
 それでも、建前上の声はかけねばならない。昼休みといえば、生徒は思い思いのことをして過ごすものであるのに、生真面目なウォーリアは毎日のようにこの国語準備室へ来る。
 そして、今日も国語準備室にこもってテストの採点をしていたガーランドの元へ、ウォーリアはこうして訪ねてきた。ガーランドも鍵をかければよいのだが、貴重な昼休みに訪ねてきてくれる生徒を無下にはできない。たとえ、相容れないと言われている間柄の生徒であったとしても──。
 勝手にウォーリアが扉を開けて入ってくるものだから、ガーランドとしても無視している。最初のうちは「帰れ」と追い返していたのだが、それをすると休み時間ごとにウォーリアはこの準備室にやってくる。昼休みに招き入れるだけで済むのなら……これはガーランドなりの妥協でもあった。
 ウォーリアは扉を開けてから周囲を窺っていたが、やがてするりと室内に侵入してきた。ウォーリアが室内に入ったのなら、周囲に生徒はいない。そのあたりをウォーリアはしっかり見て行動している。そのため、ガーランドは採点中であったが赤ペンを机に置き、席を立った。ウォーリアの傍へ寄ると、ガーランドは勝手にやって来て室内に入ってきたことを咎めることもなく、そのまま扉に鍵をかけた。
 こうして、この準備室を教師と生徒──一組の男女の密室空間へと変えてしまった。

 鍵をかけられたことに、ウォーリアは動じることもない。むしろ余計な邪魔が入らなくて済む。ガーランドにわからないことを聞こうと、ウォーリアのようにこの準備室に来る生徒はたまにいる。そうなるとふたりきりのこの空間は途端に空気の悪い険悪な場になってしまう。それはウォーリアとしても避けたいところであった。
 鍵がかかっているのならこの準備室は不在となり、コンコンと扉を叩かれることがあっても室内に誰も立ち入ることはできない。ウォーリアにだけ与えられた特別な時間として、こうして昼休みを満喫していた。
 ガーランドに案内されるまま、ウォーリアは室内にある備えつけのソファーに腰を下ろした。ふわんと弾む柔らかいソファーは、ガーランドが座ってもまだ余裕があるくらい大きなものだった。おそらく特注品……それも、ガーランドに合わせてこの学園が用意したのだろうとウォーリアでも想像のできるものだった。
 しかし、今はソファーのことではない。気を引きしめたウォーリアは、テーブルに持ってきた教科書とノートを広げてガーランドに見せた。
「ガーランド先生、ここが理解できないので教えていただきたい」
「明日の授業内で聞けぬのか、お前は……」
「……待てなかった。駄目であった、か?」
「別に構わぬがな」
「よかった」
 ウォーリアが不安そうな顔をして見上げて聞いてくるから、ガーランドのほうが折れてしまった。小さな溜息を零し、ウォーリアの隣にそっと腰を下ろす。ふわふわのソファーはガーランドが座ると、ギシッと音が鳴ってしまう。これはガーランドの体躯が人より恵まれているからであり、ソファーに問題があるわけではない。現にウォーリアが腰を下ろしてもソファーは悲鳴をあげることなく、ふわふわとバウンドさせてくる。
 ガーランドが隣に座ることで、ソファーがふわっとウォーリアを持ち上げる。一瞬だけ無重力を感じたウォーリアはガーランドに躰ごと預けて、にこりと微笑んだ。
 学園内では例外なく、ガーランドは誰にでも〝貴様〟と呼ぶ。そんな堅物のガーランドが唯一プライベートな空間でのみ、ウォーリアに対してだけ〝お前〟と使う。
 これは、ふたりだけの秘密の二人称だった。それを知っているから、ウォーリアは普段は誰にも見せることのない笑みをガーランドに向けた。
「しかし、バレたらどうする気だ……?」
 ウォーリアの国語科の問いに答えながら、ガーランドはふと呟いた。勉強を見る教師と教えてもらう生徒とはいえ、この空間にいるのは男と女であった。しかも、相容れぬ間柄と言われている者同士で──。
 万が一誰か第三者に見つかり、あらぬ誤解でもかけられてしまうと、社会的に叩かれるのは教職員のガーランドのほうになる。ウォーリアだって、教師と密会をしていたと嫌疑をかけられれば、停学や最悪の場合……退学などの処分を受けることになりかねない。
「見つかるようなヘマを私はしていない。あとはこれを……」
 ウォーリアは持ってきた鞄のほかに、別で小さな紙袋を所持していた。朝に持っていた弁当袋とは違う見覚えのない紙袋に、ガーランドは先から少し気にはなっていた。ウォーリアが言いださなければ、部屋を出るときにでもガーランドは訊くつもりでいたのだが……。こうしてウォーリアのほうから言いだしてくれたことに、安堵すると同時に嬉しくもあった。ウォーリアはガーランドに対して隠し事をしない。その日あったことを、都度教えてくれる。今回はこの昼休み中のようであった。
 ウォーリアはガーランドに紙袋を手早く渡した。それからガーランドが飲みかけで置いていたコーヒーに口をつける。
 コーヒーにはいつもミルクを多めに入れるウォーリアには、エスプレッソをストレートで飲むガーランドが自分用に淹れたコーヒーは苦すぎて飲めなかった。それでもひと口だけ飲み、カップをソーサーに戻した。
「間接キスも口づけに入るのだろう?」
「……いきなりなにを戯けたことを」
「セシルとバッツが先の休み時間に話をしていた」
「……全く。今時の小童は」
マセた小童どもめ。ガーランドは思ったが、まだまだ年若い男子校生にこのテの話題を出すな。というのがまず難しい。思春期なら興味のある事項だけに、ガーランドも否定はできない。誰しもが通る道であり、避けられないのなら問題だけは起こさないでほしい。これは教師側からすれば懇願に近い。
 しかし、ああ見えてあの三人はウォーリアにつるんでるように見せかけ、実は周囲からウォーリアを守ってくれている。ガーランドもその事実を知っているからこそ、あの三人にはあまり大きくは言えない。
 今日はクラウドが私用で不在であった。だが、ガーランドが一番信用しているのはこのクラウドであり、可能な限りウォーリアの傍についていてほしいとすら思っていた。

 あまり長い時間ここを締め切っていれば、いずれは誰かが扉をノックするかもしれない。それに、じきに予鈴も鳴ってしまう。そろそろウォーリアを教室に戻したほうがいい。ガーランドは判断を出し、ウォーリアに伝えた。ウォーリアが素直に従ってくれるとは思えなかったが。
「コーヒーを飲んだら戻れ。よいな」
「……」
 案の定、不機嫌全開の顔を見せたウォーリアに、ガーランドは目を細めた。ウォーリアがなんのためにここへ来たのかも、今のガーランドなら理由がわかる。解けない問題を訊きにきたというのは建前で、本当は紙袋を渡すためにこの昼休みを使って来たのだと。そして、その中身は──。
「今日はもう終わりだ。それから今晩は好物のオムライスを作ってやるから、課題を全て終わらせて待っていろ」
「本当だな?」
「ああ、約束だ」
 それを伝えると、ウォーリアははにかむような小さな笑顔をガーランドに向けてきた。これだけでガーランドはくらりと目眩がしそうになる。ウォーリアの今の姿と相成って、この場に押し倒してしまいそうになったが、ここはどうにか思い留めた。
 今のウォーリアは男子学生にしか見えないが、やはり隠しきれないものがあった。胸……だけは下着で押さえるようにしているが、膨らみを完全に潰させるわけではなく、男子の学生服からふっくらとわかるようになっている。
 どう頑張っても、女子が男子の制服に身を包んでいるようにしか見えない今のウォーリアの姿は、見るものすべてを魅了してしまう。すらりとした高身長も気にならないくらい、ウォーリアは男装女子としてこの学園に容認されてきた。男女問わず人気のあるウォーリアを守るために、あの三人がいるわけだが……。
 それでも、ガーランドにとって気が気でならないことは多々ある。それはおいおい説明することにして、ガーランドはソファーから立ち上がると、扉の内側から人の気配がないかを探った。気配があればもう少しウォーリアをこの部屋に匿うし、なければ部屋から出して教室に戻す。この準備室にウォーリアが出入りしていることは、このふたりだけの秘密であった。もちろん、クラウドをはじめセシルやバッツですら知らない──教えていないことだった。
 表向きはそりの合わない教師と生徒だが、実は恋仲にあるなんて、知られたら……問題が生じてしまう。せめてウォーリアが卒業するまで、この秘密を貫く必要があった。
 こうした理由から、ふたりは相容れぬ間柄という関係性を作りだし、授業中に言い合ったり、喧嘩腰になったりしているのだが……。
「今のうちに行け。あとは帰ってからな」
「ああ」
 ガーランドはウォーリアを部屋から出すと、ソファーにどすんと腰を下ろした。ウォーリアを襲ってしまいそうになる衝動に、最後まで抗えたことを褒めてやりたい。あの男子制服を脱がした先にあるウォーリアの隠された裸体のことを考えるだけで、ガーランドは昼からの授業にも力を入れられそうだった。
「そうであった」
 ウォーリアが持ってきた紙袋の中身を覗き込み、ガーランドは感嘆した。なかなか愛らしいラッピングのタルトとクッキーが入っている。手作りなのはすぐに見てわかることだが、いつの間に作ったのか……。今日のウォーリアのクラスの時間割に、家庭科など入ってはいなかった。ということは、休み時間のうちに作ったことになる。僅かな時間で作り、昼休みに届けるなど……かなり時間に無理をしたのではないかと思え、これだけでガーランドの胸ははちきれそうになっていた。
 タルトをひとつ、手にして口に入れる。甘酸っぱい風味が口の中いっぱいに広がっていく。これだけで午前中の疲れも癒してくれそうだった。もっとゆっくり食べたかったので、あとは食べずに机の引き出しにしまいこんだ。五限が終わればコーヒーを淹れなおしてじっくり味わうつもりで、ガーランドも準備室を出る。念のために人の気配がないかの確認をして、次の教室へ向かっていった。