2019.7/02
──忌々しい。
儂は常日頃から考えておった。戦い続けなければならないという運命に、儂は抗おうなど考えたこともなかった。それなのに、彼奴は輪廻の鎖に縛られておる宿敵を見て、哀れみの眼を向けてきよる。
『真実を知った今なら乗り越えられる』
『世界の運命がどうであれ私は諦めない』
それだけなら別に構わぬ。あの青年の主張など、聞く耳を持たなければよいだけだった。それなのに──。
『この戦いに真の決着をつけ、お前さえ救ってみせよう』
戯れ言も甚だしい。儂は鼻で嗤った。宿敵まで救うとかほざく意思をみせる、かの勇者は誰か。ウォーリアオブライト──ウォーリアか……。確かに、あの青年以外に儂を救える者など居らぬであろう。
だが、あの青年は儂に幾度と敗れておる。それでも、その言葉は儂の心に深く突き刺さっておった。救いなど……儂には不要だった。
かの青年により救われた先に、なにがあるのか。儂は考えたくもなかった。それより、どうして宿敵である儂を救おうとするのか。
青年にとって、今は倒すべき存在だとしてでも、それがいったいなんになる? 宿敵を倒し、目的を果たす。それで……それだけで、よいことではないのか?
儂はかの青年の意図が見いだせなかった。否、見いだそうともしなかった。どうせ、儂に戦いを挑んだところで敗れ、記憶をすべて失うのだから──。
**
「ガーランド」
「……貴様か」
カオス神殿の謁見の間で、互いに睨み合う。これから命を賭けた戦いを始める。儂は闇の気配をみなぎらせ、青年──ウォーリアを見下ろした。
この青年がなにを考え、なにをぬかすか……儂は愉しみにしておる部分もあった。
「私は……いつ、お前を救える?」
「は、今さらなにをぬかすか」
今度こそ、儂は盛大に嗤った。此度のウォーリアは随分と弱気なこと。記憶がない状態で、そこまでほざけたのなら、まぁ、及第点かもしれぬな。くくっ、儂は兜の中で、表情を大きく歪ませておった。
だが、ここまでだった。儂はこのウォーリアを即始末した。弱気な勇者に用はない。神竜に連れていかれる彼奴を、儂は兜の中で口端に弧を描いて見送ってやった。
謁見の間の赤の絨毯はところどころ破れ、石畳や石壁は剣を交えた際の傷が生じておった。ウォーリアが先まで伏していた場所には、おびただしい量の血液が遺されたままになっておる。
放っておいても使役するイミテーションどもが、此処を綺麗に片付けてくれる。儂はざっと一瞥し、謁見の間から出ようとした。
ふと、儂の視界になにかが飛び込んできおった。明らかにその場で違和感を生じさせておる。儂は近づき、違和感の正体を探った。
……これは?
儂は石壁に刻まれたなにかを発見した。縦横斜めバラバラで、統一性が全く見受けられぬ。だが、なにかを刻んだもの……ということだけは理解できた。意図なくできたものではない。
儂は見ぬふりをした。なにかを刻んだものであろうが、たまたま刻まれたものであろうが、儂には関係のないことだった。謁見の間の景観が損ねられた……その程度にしか感じなかった。
それなのに、妙に気にはなった。儂はこの石壁に刻まれたものだけは修復することのないように、イミテーションに強く言い放っておいた。
勝手に修繕されてしまうのなら、別にそれでも構わぬはずであった。だが……なにか引っかかるものを、この刻まれたものから感じた。それがなにかは、儂にもわからぬ。決してわかりたくもなかった。
こうして永い刻の戦いを繰り返すうちに、やがて儂はいつしか勇者に対し、歪んだ感情が内に芽生えておることに気付いた。
闇と混沌に堕ちた儂にとって、何事にも揺らぐことのない強い光を持つ勇者は眩しすぎたのだろう。この手で光を潰えさせ、堕としてしまいたいと思った。己の堕ちた闇よりも深い闇へ……ともに堕ちてほしいと。いつのころからか、そればかりを願うようになった。
……増えておる?
ウォーリアを屠り終え、神竜を見送ってからのことだった。儂は遺された血溜まりを跨ぎ、石壁へと向かった。
石壁に刻まれたなにかが増えておることに、儂は眉を顰めた。壁に手をつけ、じっと跡を指でなぞる。これが刻まれるようになったのは、いつからであったか。儂はいつしか、それを考えるようになっておった。
初めに見たのはいつだったであろう? 永い刻を繰り返す故、どのウォーリアのときか……それすら、曖昧なものになっておった。
……まあ、よいわ。
わからぬのならば、次のウォーリアの動向を見ておればよいこと。儂は早々に結論を出した。くだらぬことに余計な時間を割きたくはなかった。
これまで同様に、イミテーションに石壁以外を戻すように指示を出し、儂はこの場をあとにした。
「ガーランド! 今度こそ、私はお前を……救ぅっ、ぐっ、」
「……黙れ」
もう戯れ言など、聞きたくもなかった。永劫の輪廻を繰り返すなかで毎回聞かされておれば、いい加減苛立ちも募る。
ウォーリアの開口一番の叫びを、儂は巨剣で胸を貫くことで遮ってやった。ウォーリアは胸から大量に血を噴き出し、その場に伏した。
くだらなかった。この程度でやられるほどの実力しか備えておらぬのか?……それとも、屠りすぎて、劣化が始まったのか?
だが、儂は考えを改めた。そのようなこと、それこそ儂には関係のないことだった。自ら屠られに来るのならば、それ相応の対処を儂はするまでなのだから。
……ほう。
くっ、儂は口端を歪ませた。命を落とす間際のウォーリアが、這いずるように動きだしたからだった。
闘争に敗れ命を落とした者は、すべての記憶を失う。何度と屠るなかで、どうやらこれだけは……ウォーリアの記憶に留めておるらしかった。
「……っ、」
儂が見ておるとも気付いておらぬのか、命が尽きようとするまでに行いたいからであろうか……おそらく、両方。儂は確信しておった。
ウォーリアは持っておった光の剣で、ガリガリと石壁になにかを刻み始めた。この様子から、これまでの闘争中にも、どうやら儂の目を掻い潜って行っておったと窺える。儂の知らぬ間になにをしておるのか……。儂は若干の呆れと多大な苛立ちを感じておった。
緊迫した殺し合いのなかで、宿敵の目を盗み、壁を彫るなど……。光の加護を受け、何事にも揺らぐことのない勇者が行う行動では決してなかった。儂は巨剣を構えた。もはや、殺意しか芽生えなかった。
一時に感じた歪んだ感情も、今はなりを潜めた。宿敵に背を向け、一心不乱に石壁になにかを刻む。この勇者のなり損ないに、今一度鉄槌を食らわせてやりたかった。
「……くっ」
はぁはぁと荒い呼吸を抑えることもせず、時々吐血をする。胸からのおびただしい量の出血により、もう永くないと……背後に居る儂でもわかる。それでも、このウォーリアは刻み続けた。儂は……石壁から目を離せなかった。離すことができなかった。
「……でき、た」
カラン……
ウォーリアは剣を落とし、その場に伏した。儂はなにもしなかった。否、できなかった。巨剣を構え、ウォーリアの背後から……刻まれていくなにかを、ひたすら凝視しておった。そして、理解した。
儂の唇がカタカタと震える。なにか言ってやりたいのに、それすらできぬ。儂は巨剣を石畳に突き立て、伏したウォーリアを抱き起こした。
もう、命の灯火が消えようとしておるのか、その力強いアイスブルーの虹彩は虚ろなものになっておった。
「ガーランド……、次は、ゴフッ」
「……黙れ。命を縮める」
儂はウォーリアの腰にあるポーチを探り、ポーションをあるだけ取り出した。栓を開け、直接胸の傷にかけてやる。このようなことをしても、僅かな延命にしかならぬことは、儂とて理解しておる。
それでも、儂は施してやりたかった。この青年から、真意を聞きだしておきたかった。刻むものが完成した以上、次のウォーリアでは記憶を完全になくすおそれがあるからだった。
「教えろ。何故に、あれを刻んだ」
「……お前に敗れれば、私はすべての記憶を失う。だから、遺しておきたかった。私の気持ちを。私自身が、忘れないためにも……」
「……今までがそうか?」
ウォーリアは苦悶の表情を浮かばせておる。肺にまで到達した傷では、話すこともつらいのだろう。それでも、儂は聞きだそうと必死になっておった。もう……殺意など、何処かへいってしまっておった。むしろ、別の感情が芽生えだしておった……。
「すべての記憶を失っても、なぜか壁に刻むことと内容だけは頭に残っていた。だから、私は……今までも、お前が目を離した隙に少しずつ刻んでいった」
「そうであったか……」
ようやく、儂は合点がいった。どうしてこの青年に、あのような歪んだ感情を持っておったのか。どうしてここまでムキになって、屠り続けてきたのか。……このウォーリアでは、もう遅かった。次のウォーリアを待つのが賢明か。儂が考えていたときだった。
「これで〝私〟はお前を救えたことに……なるのだろうか? 消えゆく私を、こうして最期に抱き留めてくれて……ありがとう」
「なに?」
なぜか不穏な空気を感じ取り、儂は吐血を繰り返すウォーリアを見下ろした。目が合うと、にこりと初めて儂に笑みを見せてくれた。
あまりの儚げな美しい笑みに、儂は息を呑んでおった。それに、どきりと儂の胸は急速に高まっていった。どうしてこのような現象が起こる? これでは、まるで──。
儂は先に芽生えた感情の正体に気付いた。同時に遅かったことも知る。
「〝私〟は消える。もう、逢うことも叶わない。お前を救えたのなら……私の役目は終わりだ」
「なっ⁉」
「心の臓が止まれば、もう……神竜も迎えには来ない。亡骸はその辺に遺しておいてほしい。……勝手に消えゆくだろう」
「ふざけるな‼」
儂は憤怒しておった。なにを勝手なことを、勝手にほざいておるか。誰が救えただと? 誰が救っただと? 誰も救えておらぬし、救おうとする者は忽然と消え失せる? 戯れ言も大概にしてもらいたい。
儂とウォーリアは強い繋がりでもって、こうして繋がれておることに違いはない。しかし、その繋がりが断たれてしまったら……? そして、彼奴はすべてを受け入れてしまったら……? そのような考えが唐突に、儂の脳内に沸き立った。
ぎり……、儂はきょとんとしておるウォーリアを睨みつけておった。随分勝手なことをほざいて、満足すれば勝手に消えゆこうとする、この名ばかりの勇者の青年を。
「ウォーリア。こうなれば、ともに堕ちようぞ」
だが、こうまでして儂を縛る鎖から解き放とうとしてくれた、この青年の想いには応えてやりたかった。儂を縛る鎖を解く方法など、縛られておる儂が一番よく理解しておる。儂は決断した。
「ガーランド……。お前の行くところに……私も行きたい」
「……ともに、いくか」
儂はこの繋がりを失うことに苛立ち、恐怖さえ覚えておった。 それを払拭するために……此処に在ることを認めるために、ずっと屠り続けてきたのかもしれぬ。それが、このような結果を生み出してしまうとは。
因果──。まさにこれであろう。儂の心は晴れ晴れとしたものになっておった。最後の際にこのような感情を根付かせてくれたウォーリアに、儂は改めて礼を伝えたかった。早くしないと、ウォーリアの命は失われる。儂は急いで兜を外し、ウォーリアの剣を手に取った。
「ガーランド……」
これまで蒼白しておったウォーリアは、なぜか顔を朱くしておる。いつ失血死してもおかしくないほど出血しておるくせに、なぜ頬を朱らめるのか……まぁ、原因がわからないでもない。
だが、残された時間は少ない。儂は急いでウォーリアに光の剣を持たせた。剣を持つ力すらないようなので、儂が手を添えてやる。まだ、ウォーリアは生きておる。まだ、失われておらぬ。今のうちに……。
「……ガーランド」
「一撃で、頼む……」
ウォーリアの手にかからなければ、この輪廻は繰り返される。ウォーリアが生きておるうちに、まだ在るうちに、儂の命が途絶えなければならない。儂は首に添えた剣を引くように、ウォーリアの手を動かした。不思議と……恐怖は感じられなかった。
……これで、よい。
あれだけ〝救う〟とほざいた青年の本質に触れ、儂の心は氷解していくようだった。そういう意味では、確かに救われたのかもしれぬ……。
「ウォーリア、先にいく。お前もあとから来い」
「ガーラ──」
涙を流すウォーリアの姿を見つめたまま、儂はこうして命を落とした。後悔はない。これまで、石壁に刻まれていたなにかの謎が解け、こうしてウォーリアの手にかかれた。儂の歪んだ感情も、正しいものへと導いてくれたのだから。
【ガーランド、アイシテイル】
主を失ったカオス神殿の謁見の間の石壁には、いつまでも刻まれたものが消えることなく、そのまま遺されることとなった──。
**
数多にも及ぶ永い刻の闘争は、ウォーリアにより無事解き放たれた。儂は元ある世界に戻り、それから長い年月を待つことになった。
もしかしたら、この世界には来ないのではないか? そのような不安も頭によぎった。だが、かの青年は約束を違えるような男ではない。そのあたりは、儂のほうが詳しいであろう。
いつか、儂の元に現れる。そう思い、コーネリアの街の外れにある自宅小屋で、のんびり待つことに決めておった。いつか、ウォーリアと住めるようにと、貯蓄を崩して購入した……とても大きな買い物だった。
騎士団に所属しておる故、日中はこの小屋を留守にする。小屋と王城、どちらかに居るようにしておけば、ウォーリアが訪ねてきてもすぐにわかるだろう。ウォーリアの外見はかなり目立つ故に。
ある日のことだった。門扉を守る兵士から儂に面会の申し出があったと報告が入った。面会者の容姿を聞いた儂は、すぐに駆けていった。そうして、門扉前にいたウォーリアを、この腕の中に閉じ込めた。
「ガーランド……」
「遅かったな」
そう言ってやれば、ウォーリアは小さく囁いてくれた。聞き逃すほどの小声を、儂はなんとか耳に入れることができた。
「…………恥ずかしかったから、逢う勇気が出なかった」
死の間際に兜を外したあのときのような朱い頬でぽつりと洩らされれば、儂とて目を見張る。次にくらりときた。この青年はこんなだったか、と。
とにかく、ウォーリアを胸の中に隠しておるとはいえ、此処は門扉前。人だかりも当然ある。儂は門扉を守る兵士に早退を伝え、ウォーリアを連れて王城を飛び出した。
「すまない。お前にも予定はあっただろうに……」
「構うな」
「ガーラ……え?」
自宅小屋にウォーリアを閉じ込め、儂は性急にウォーリアの青の鎧を剥がしていった。ウォーリアは驚いて固まっておったが。儂はくっ、嗤った。どうもこのウォーリアは、どこか抜けておるような気がしてならない。
そういえば。儂は思い出した。儂の最期を見てくれたあのときのウォーリアも、どこか抜けておった印象を受ける。
「……なぜ、私の鎧を脱がす? うわっ……⁉」
鉄靴以外の装備を外し、儂はウォーリアのアンダーもバッと脱がせた。急に脱がされ寒いのか、ウォーリアは両腕を縮こませて震えだした。
「……あのときの傷を見せてみよ」
「……」
そう言ってやれば、ウォーリアは腕を下げよった。儂はウォーリアの胸に残る、剣の痕を指でそっとなぞっていった。縫合されないまま自然治癒した痕は、醜く引きつれた状態で残されておる。儂が指を動かすだけで、ウォーリアはびくりと身を揺らしておった。
「同じだな……。儂も、お前も」
「なに、が……?」
わかっておらぬようだったので、儂も鎧を脱ぎ捨てた。儂のは目に見える場所に残されておるので、すべてを脱ぐ必要もない。ウォーリアの美しいアイスブルーの虹彩が、驚愕に見開かれるのがわかる。
「お前が救ってくれた……大切な証であろう?」
「ガーランド……」
儂はウォーリアの手を取り、首の痕に触れさせてやった。ウォーリアは瞳に水膜を張らしておる。
儂は今一度、ウォーリアの胸に手をあてた。とくとくと躍動しておるのが、手のひら越しに伝わってくる。ウォーリアは生きておる。もう、失うこともない。
儂はこの世界で再び出逢い、幾多の対峙をしてきた青年の名を改めて紡いだ。
「ウォーリア。今度は此処でともに在ろう。……愛しておる」
「〜〜ッ」
──美しい涙を流して泣きじゃくるこの青年に、儂の理性は崩壊寸前であったことを付け加えておく。
*おまけ*
「……懐かしいな」
「そうだな。……此処だ」
別の日。儂はウォーリアを連れ、廃墟と化したカオス神殿へ来ていた。歴代のウォーリアが刻んだものを、本人にも見せてやりたかった。最後に刻んだときは息も絶え絶えの瀕死状態で、まともに見ておるとは思えなかったから……というのが、まぁ真実ではあるが。
【ガーランド、アイシテイル】
神殿自体は捨て置かれて朽ちておるのに、刻まれたものだけは綺麗なままで残されておった。まるで此処だけが、なにかの加護でも働いておるかのような……。
……まさかな。
ちらり、儂は隣におるウォーリアの様子をそっと窺った。ウォーリアは口許に手をあて、ふるふると震えておる。頬は紅潮しておる。刻んだものがこうして残るとは、やはり完全に理解しておらなかったようだった。
「……私は、このようなものを刻んでいたのか?」
「意味がわからずにやっておったのか?」
「違う……。これを、ここに刻むことだけを記憶に残していた。内容は頭にあった……だが」
このようにはっきり残ってしまうとは……。ウォーリアの恥じる気持ちもわからなくはない。ここまでの盛大な告白がこのように残されるとは、当時は考えられなかったのであろう。儂も朽ちた神殿で、此処だけが当時のまま残されておるとは思っておらなかったが。
「ならば、儂も刻んでやろう。……貸せ」
「ガーランド?」
儂はウォーリアから光の剣を借り、ガリガリと石壁に文字を刻み込んだ。刻み終えた儂は満足し、剣をウォーリアに返した。
「ガーランド……」
「涙を流すならば、今度は此処で致す」
どうも、この青年は一度涙を見せれば、とめどなく流してしまうらしい。意外と涙脆い青年を抱きしめ、儂はまたしても理性と葛藤する結果となってしまった。
【ガーランド、アイシテイル】
【ウォーリア、アイシテオル】
石壁に刻まれたふたりの恋文は、神殿が完全に崩壊しても、まるで碑のように残され、消えることはなかった──。
Fin