美酒に酔う

                2018.08/15

コンコン
ガチャ

「戻ったぞ」
 コーネリアの騎士団長であるガーランドが執務を終え、城内にある自室に戻ったのは、日付が変わるか変わらないかくらいの深夜帯だった。
……さすがにもう眠ったか。
 ガーランドがひとりで過ごすには広すぎるこの部屋には、いつの頃からかひとりの青年が、割り当てられた部屋からこちらへ勝手に移動してきて、以来寝食をともにしていた。
「ガーランド……」
「どうした⁉」
 部屋の同居人である青年──ウォーリアは、このコーネリアの客人でもあり、ガーランドが密かに想いを寄せる青年でもあった。その青年が室内で蹲り、苦しそうに呼吸を荒げる様子などを見ようものなら、いかにガーランドといえど冷静さを失い、ウォーリアに詰め寄った。
「ウォーリア、しっかりしろ。すぐ白魔道士を連れて来てやる」 
 蹲るウォーリアを慌てて抱き起こし、ガーランドはウォーリアの顔色や体温、心拍を目視と触診で確認していった。場合によっては白魔道士もだが、薬師も必要になる。
「ガーランド……身体が、熱い……、呼吸が、苦しい……」
「ウォーリア」
 はぁはぁと浅く荒い呼吸を繰り返すウォーリアの背中をガーランドはさすっていたのだが、どうも様子がおかしい。ガーランドはウォーリアの美しいその顔を覗き込んで刮目し、ため息をついた。
 普段は鋭い光を宿すアイスブルーの虹彩は潤み、頬は朱味を帯びていた。それに、ピシッと前口上をぶった切る青年の口調が……若干呂律の回らない口調に変化している。
 極めつけは室内に充満する独特の香り。これは、まるで……。ようやくウォーリアの状態に合点がいき、空いていた片手でこめかみを押さえた。儂のほうがこうなりたいわ。思わず嘆いてしまう。
「ガーランド、熱い……」
「……なにを、どれほど呑んだ? 答えられるか?」
 ウォーリアは細く長い指をスッと指してきた。ガーランドは指された先にあるテーブルをちらりと確認すると、酒瓶数本が行儀良く直立して並べられており、すべて栓が外されていた。
……これか。
 ふたりの記念日にひっそりと祝おうと、ガーランドは内密でウォーリアの好きな果実酒を手配していた。床に落ちていた伝票を拾いあげ、その受け取りサインを見るからに、どうやら今日届いたらしい。
……儂を待てず、先に呑んだか。
 いつもならガーランドの帰室を待ち、ともに食事を摂る青年が珍しい。よほど待てなかったのか、それとも……。
「ウォーリア、立てるか? 寝所へ行くぞ」
「あ……待て、ガーランド」
「どうした?」
 酔っぱらい相手に、これ以上の行為は無駄だと悟ったガーランドは、背中をさすることをやめて立ち上がった。テーブルに置いてあった水差しから、トポトポとグラスに水を注ぐ。グラスをウォーリアに差し出すと、きょとんとした顔で見上げられた。
……なんて顔を──。
 ガーランドの心拍数が一気に跳ね上がった。無自覚、というか無意識なのだろうが、その表情は危険すぎる。青年の危機管理能力は相当高いが、いかんせん無頓着すぎる。なので、そちら方面においては、ガーランドのほうがいつもヤキモキしていた。
 ウォーリアを男性だと理解していても狙う者は数多く、ガーランドが水面下ですべて揉み消している。当然その事実を、ウォーリアは知るよしもない。
 ふらり、ウォーリアは立ち上がると、ガーランドに近づいた。グラスを受け取るのだと思い、ガーランドがグラスを渡そうとすると、ウォーリアにぎゅっと抱きしめられた。
 腰に手をまわされ、グラスを手に持ったまま、ガーランドはピシィッと一瞬で固まった。
「…………ウォーリア、まず水を飲め」
平常心、平常心。ガーランドはウォーリアが酔って行った行動だと考え、腰にまわされた手を引き剥がそうと試みた。するすると撫でながら動かされるから、正直やり場に困る。
 室内に充満する果実酒の甘い芳香と相成り、このままではガーランドのほうが違う意味で、危険なことになりそうだった。
 ガーランドの胸に頬を寄せていたウォーリアは、すすす……と腰や背をさすりながら顔を上げた。とろりとしたアイスブルーが、ガーランドを見上げる形で見つめてきた。
 その煽情的な表情に、ガーランドは言葉に詰まった。なにも言えずに見下ろしていると、ウォーリアは腰にまわした腕を支えにつま先立ちで立ち、ガーランドにちゅっ、軽い口づけをしてきた。
 ガーランドはその黄金色の双眸が飛び出す勢いで大きく見開き、さらに固まった。この青年からのアクションなど、今まで一度たりとてあったことはなく、行為はすべてなし崩し的にガーランドが行っていた。
「お前が……飲ませてくれないのか?」
「な……に?」
 腰にまわした手がおかしな動きをする。酔っぱらいの行動ではないそれにようやく気付いたガーランドは、グラスを持ったまま青年を見下ろした。潤んだアイスブルーに妖しい艶を滲ませ、唇に人差し指を添えてくる。これは無自覚か、無意識か、それとも意図を含んでいるのか──。
「ガーランド、熱い……。私の熱を……冷ましてくれないか?」
 胸に頬を寄せ、すり、と甘える仕草をとられると、煌めく髪が胸にかかりくすぐったい。それにプラスしてその屈強な胸筋にかかる吐息が、ガーランドの心拍をさらに上げてしまう。
 いよいよガーランドの中で、理性というものがガラガラと崩壊をはじめだした。もう、どちらでもいい。どうにでもなれ。
「いくらでも冷ましてやろう……。覚悟せよ、ウォーリア」
 ガーランドの黄金の双眸の色が変わる。幸い明日は丸一日休みになっている。そのために、今宵は遅くまで職務に就いていたわけなのだが……。
 いつの間にか顔を上げていたウォーリアは、肉食獣のようにぎらついた瞳の色に変わったガーランドを、潤んだ瞳でじっと見つめていた。
「全力で……応えよう」
 ウォーリアはアイスブルーの虹彩に、妖しい艶を含めたままガーランドを見上げた。にこりと美しい笑みを見せると、今度は下を向く。
 まわした腕に力を込め、これから行われる行為を想像し、ふるりと小さく身震いする。互いが密着しているために、ウォーリアの心の臓は、ドキドキと早鐘のように高鳴りはじめた。
 ガーランドも気づき、口角を吊りあげた。なるほど、わかりにくい。頬を染め、瞳を伏せたウォーリアのその様子から、ガーランドはようやく理解した。
「その言葉、忘れるな」
この青年を限界まで啼かせたところで、儂にはなにも影響はない。酒の力をを借りないと、うまく誘うこともできない不器用な青年に、どのような快楽をくれてやろうか。いっそ、甘い責め苦に変わるまで、ずっと嬲るのもよいかもしれない。
 鎌首を擡げはじめた劣情に、ガーランドはウォーリアのまわした手を外させると横抱きに抱え、そのまま寝所へ入って行った。

**

 充満した果実酒の芳醇な香りに、酔わされたのは果たしてどちらか……。寝所まで漂う甘い香りは、ガーランドの情欲をさらに掻き立てた。
「ん……ッ」
 望みどおり口移しで飲まされた冷水に、ウォーリアは小さく震える。飲み終えると、とん、と押され、寝台に横たえされられた。
 煌めく髪が敷布に散らばると、頬に手を添えられる。するとり優しく撫でられると、ウォーリアはにこりと微笑んだ。無骨な大きな手に、その白い手を重ねて頬を何度も擦り寄せる。
「ガーランド……」
 ガーランドを見つめ、なにかを訴えようとするその唇を塞いでやると、ウォーリアは瞼を伏せた。触れるだけのものから少しずつ深くなる口づけに、ウォーリアはガーランドの肩に両手をおき、押してくるような緩い抵抗を見せだした。
「んん……っ」
 唇を離すと、瞼を閉じて眉根を力なく寄せるウォーリアが映る。ウォーリアがゆっくりと瞼が開けると、潤んだアイスブルーと目が合った。
 普段の強く硬質なアイスブルーの虹彩は、口づけだけでここまで潤んでいる。飲酒をしていることを含めても、これはかなり珍しいことだった。 
「ガーランド……もう、いい。これ以上は……いけない」
 アンダーの裾に手を入れようとしたガーランドの腕は、ウォーリアに掴まれた。ウォーリアはふるふると頭を振り、血色良くさくらんぼ色に染めた唇で、ガーランドに中止を訴えてくる。
 しかし、はじめに煽るような誘いをしてきたのは誰だったであろうか。ガーランドはウォーリアの言葉を無視し、行為を続行しようと白い首に唇で触れていった。
「待……て、ガーランド。もう……っ」
「誘ったのはお前だ。もう黙れ」
「違っ……、もう、やめ……ぁ」
 急に焦りだし、止めるように言われても、今のガーランドには難しい話だった。ウォーリアを無視し、アンダーを捲ろうとすると、室外でなにやら物音が聞こえだした。

バターン‼

「「はい、ガーランド様ダウトォ‼」」
「……はぁっ?」
 突然寝所に乱入してきた珍客たちに、ガーランドはウォーリアのアンダーを胸元までたくし上げた状態で、ピタリと動きを止めた。なにが起きたのか脳が理解できず、思わず間抜けな声が口から飛び出る。
「君たち……っ、」
 ガーランドが固まっているあいだに、ウォーリアはするりとすり抜け、珍客たちの元へ駆けていった。
「ウォーリア、大丈夫か?」
「ガーランド様、これを見て」
 この珍客たちは、ウォーリアがこの世界に立たされたときに、新しく見つけてきた仲間だった。人懐こい印象を持つモンクと少し真面目そうな黒魔術士で、あとひとり女性の白魔術師がいる。モンクはウォーリアに、黒魔術士はガーランドにそれぞれ話しかけていた。
「……なッ⁉」
 『ドッキリ大成功‼』の札が黒魔術士の手にある。落ち着いて話を聞きだすと、〝賭けに負けたウォーリアがガーランドを誘いだす〟というドッキリ企画だったらしい。
 どうすればうまくガーランドを誘えるか……悩んでいたところに、都合よく果実酒が届いた。そこからは、ウォーリアなりに考えて行った行動……とのことだった。
「…………くだらぬ」
 ガーランドは脱力と同時に、やり場のない怒りがふつふつと燃え盛りだした。この場に白魔術師がいないのは、濡れ場だったことを想定してのものだろうか。はぁ、ガーランドはひたいに手をあてた。
「いや~。ガーランド様があそこまで見事に引っかかるとはな。やるな、ウォーリア」
「ウォーリアって意外と演技派なんだね。ボク、見方が変わったかも」
 わなわなと震えるガーランドを他所に、この珍客たちは笑いを堪えている。さすがにガーランドの憤怒は爆発寸前であった。
「……ほう。ならば、貴様らも同罪か?」
 怒気を含むガーランドに、ようやくやりすぎたと勘づいたらしい。青褪めて逃げの体勢をとるモンクと黒魔術士とは対称的に、衣類を正したウォーリアは、平然とガーランドに向き合った。
「ガーランド。私があの程度の酒で潰れると、本気で考えたのか?」
「……」
……そうだった。
 ガーランドは部屋に入るなり、蹲って苦しそうにしているウォーリアを見て焦り、その事実を完全に失念していた。度数のたいして高くない果実酒を数本開けたところで、酔うことのない青年を改めて見下ろした。
 先まで朱く染めた頬や、潤んだアイスブルーはなりを潜め、ウォーリアは普段の氷のような冷たい無表情に戻っていた。
……完全にやられたな。だが──。
 黒魔術士の言うとおり、意外と演技派なのかもしれない。だが、さすがに容認できるものと、できないものがある。今回は完全に後者なそれに、ガーランドの怒りゲージはついに限界突破し、たつまきを繰りだす構えをとった。
「ふざけるな……、貴様らァー(怒)」
「やべっ‼ 逃げろ、ウォーリア」
「大人気ないですよ、ガーランド様っ!」

 ガーランドの怒声と雷はコーネリア城中に響き渡り、当分のあいだドッキリ禁止令が発動されたとか。

 Fin