冬の嵐

                 2021.12/20

 窓の外で、びゅうびゅうと風が鳴っている。冬が深まっていく、この時期特有のものだった。大気に流れ込む冷たい空気が、時として激しい嵐ともいえる強い季節風となって、コーネリアの各地に呼び込んでくる。
 青年の肌はそうした天候の変化ですら敏感に感じとる。そのせいで、昨夜から躰全体が落ち着かない。なにかの前触れのようにも感じてしまう。風の強さのせいでわかりにくいが、風音は湿っぽい。おそらく雪が舞うように降っているのだろう。青年の耳と肌は感じていた。
 青年が寝台に入って、掛布の中に潜り込んでからしばらく経つが、強い風の音が気になって寝つくこともできない。元々睡眠をほとんどとることなく過ごしてきた青年にとって、一晩くらい起きていても別に問題はなかった。
 それよりも、どうにも躰が落ち着かず、心を休めることができないのは、この雪や風のせいで古い記憶が蘇るせいでもあった。
 ここではない異界の地で、まだ仲間たちと過ごしていたころのことだった。不安定な大気の荒れに、青年や仲間たちは何度も辟易してきた。
 大気や世界そのものが創られた偽りのものであったとしても、自然の圧倒的な力の前では、その下で過ごす生きるものはなすすべがない。
 強い風で煽られたり、壊れてしまうことのないように、と。テントの芯が倒れることのないよう堅固なものにし、仲間たち数人単位で集まって身を潜めるようにして、吹き荒れる脅威が過ぎ去るのを待つ。
 異界の地において、青年はどちらかといえば、寄り添うように身をくっつけ合う仲間たちを嵐の脅威から守るために、吹き荒れる風をものともせずに立ちはだかって盾となっていたのだが。自然の猛威をその身に受けようと、青年は仲間たちがテントの中で怯えることのないように、ずっと耐えてきた。そんななかで、青年が眠れるはずもない。
 嵐の脅威が落ち着いて、仲間たちがようやく眠りに就けるころに、青年は独りで哨戒をしていた。この機を狙い、奇襲をけしかけられる可能性も十分に考えられるからであった。
 そういった経緯から、青年は落ち着いて眠ることをしてこなかった。否、できなかった。それゆえに、こういった音があると、余計に眠ることができないでいる。
「……」
 がたがたと窓硝子が揺れている。このまま眠らずに外でも見ていようと考えた青年は、むくりと身を起こして寝台から出ようとした。しかし、それはできなかった。
「……」
 この風の強いなか、ぐっすりと寝入っているのだと……青年は思い込んでいた。けれどそれは間違いだとすぐに気づいた。青年の隣で寝息を立てていた男は、青年の手を握りしめて離そうとしなかった。
 とても温かい、青年の手よりもずっと……ずっと大きくて、厚みのある、鍛え抜かれた剣士としての手だった。今はもう、闇の力を感じることはなくなったが、以前はこの大きな手で何度も青年の胸を貫いてきたのだと……考えると胸が締めつけられるようだった。
 手のひらから伝わってくる熱に浮かされないように、そっと離そうとすると、ふいに声をかけられた。
「眠れぬのか?」
「……私はっ。元々……眠ることは──」
 言葉が途中で止まってしまったのは、眠っていたはずのガーランドが薄く目を開いて、青年をじっと見上げていたからだった。しばらくガーランドと見つめ合っていたが、ハッとした青年はさっと視線を逸らした。
「……眠れぬのは、外がやかましいからか? それとも、儂とともに眠ることに問題があるのか?」
「……」
両方だ、と。言ってやりたかったが、喉元でぐっと押さえ込んだ。それを言ってしまえば、この男は出ていってしまう。この寝台の本来の持ち主であるはずなのに。それをさせてはいけないと、青年は誤魔化すように続けた。
「私のことは気にしないでほしい。それより、明日も早いのだろう? おまえは早くね──」
「お前が眠らぬと、儂も眠れるはずがなかろう」
「──……っ、」
 では、先ほど眠っていたのは? 眠っていたのではなく、ふりをしていたというのか。驚愕に青年が瞳を大きくしていると、ぐいっ、と強い力で引き寄せられた。そしてあっという間に躰を倒されて、男の胸の中に抱き込まれてしまう。
「〜〜??? っ、な……っ⁉」
「こうしておれば、気にもならぬであろう」
 ガーランドの胸の中に閉じ込められた青年は、ごうごうと鳴り響く外の風の音ではなく、強い心音を直接耳で感じることとなった。とくんとくんと規則正しく鼓動する力強さは、この世界で確かにガーランドが存在していることを示している。
 なるほど、これでは確かに風の音は気にならない。むしろガーランドの心音のほうが気になってしまう。青年は瞼を閉じて、今だけ……と心地よい鼓動を耳から取り込むことにした。
「怖がることも、不安になることもない」
 そう言って、ガーランドはゆっくりと背中を撫でてくる。まるで小さな子どもをあやすかのように、ゆっくりと、何度も……何度も。
 この風の音が怖いとも不安だとも、青年はひと言も言っていない。反論しようと思ったが、触れ合った体温と、背中を上下する優しい手のひらの動きと重みが心地好い。何度も繰り返されていくうちに、青年からは離れることができなくなっていた。
──大丈夫。だから、怖がるな。
 そう、言われている気がした。
「……今だけだ」
 むうっと唇を少し歪ませ、青年は素っ気ない返事をした。それでもガーランドの鎖骨の下あたりに頭をぎゅうぅっと押しつけて、青年は瞼を閉じた。
 かつて戦ってきたときは、こうして休まることをしてこなかった。ここにきてぬくもりを知ることになり、青年自身が混乱や困惑をしているのかもしれない。
 それでも、仲間たちが身を寄り添わせるようにと、くっつけ合っていたのは、このような意味があったのだと──。ここにきて、青年はやっと理解することができた。
 これなら、外が嵐でも、大雪でも、凍てつくようなひどい寒さでも、いつだって安心できる。盾として独りでテントの外に出ていたころは、絶対に気づくことのできなかったものだった。
「すまな……、っ」
 青年に初めての穏やかな眠りが降りてくる。これまでに感じたことのなかったものに、青年は抗いようもなかった。重くなった瞼を何度も動かして小さな抵抗を試みる。だが、温かい体温と、優しくそれでいて力強い心音と、背をやさしく撫でてくれる温かい大きな手のひらは、入眠を導入するにはこれ以上ないものであった。
 青年が眠りに落ちるころ、嵐の音は、もう耳には届いてこなかった。

 Fin