特別な魔法

                 2018.4/20

 ウォーリアオブライト──ウォーリアは、セシル・ノクティスとともに、壮大な古城の見える湖の近くで、日中にガーランドと一戦を交えることとなった。
 熾烈を極める戦いは夜半まで続き、その後、巨剣を収めたガーランドは、ウォーリアたちとそのまま行動をともにすることとなった。
 それから──夜が明けた次の日のこと。

 

 大きな湖が遠くに映る、まるでコーネリアを模したような湖岸で今晩は休もうと、日暮れ前から四人で枯れ枝を集めたり、テントを張ったりしている。
 慣れない作業になるかと思えば、ここはセシルが率先して指示を出し、どうにか日暮れまでにはすべての作業を終えることができそうだった。しかし、飲料水は確保できても、夜を越すための薪になるものや、躰を休めるための場所はどうしても必要となる。
 この世界において、特に飲食は必要としないようだった。それは、この世界に君臨する二柱の神が、戦士たちをそれぞれの住まう世界から召喚したためである。
 元々、肉体そのものが召喚されたわけではないのだから、疲弊した躰だけを休めればいい──本来ならば。だけど、それを良しとしないのが……セシルだった。
 舞台がコーネリアともなれば、広大な湖がそこにある。飲料となる水は澄んだ湖から賄えることもあり、日暮れも相まっての決断となった。もちろん、異を唱える者は誰もいない。長旅に慣れていないであろうノクティスを気遣ってのこともあった。

「あとは……水だね。ウォーリア、頼むよ」
「……」
 広大な湖の向こう側には、白亜の古城がそびえ立っている。湖のほとりに立つウォーリアに水を汲むための桶を渡すために、セシルはそっと近づいていった。
「ウォーリア?」
 どこか妙な感じがしていた。セシルが声をかけても、ウォーリアは振り向こうとも返答もしてこない。セシルは気になり、もう一度ウォーリアの背後から声をかけた。
 古城をぼんやりと見ていたウォーリアは、セシルの指示を聞いていたのか、聞いていないのか、ぽつりと呟いてきた。
『…………び』
「ん?」
 なにやら聞き慣れない声が、ウォーリアから発せられた。何事かと思い、ウォーリアの背後にいたセシルは横に並び、顔を覗き込む。ウォーリアはどこか一点を、虚ろな眼で見つめている。
『……せ……び』
「ウォーリア?……えっ?」
 周囲をふわりと柔らかな風が舞い、周辺の樹々は葉をハラハラと散らしている。それでも、ウォーリアは微動だにせず、口許だけが小さく震えている。湖に小さな水紋が生じては、パンッと弾ける。
 どう考えても不自然な現象だった。この舞台で風が吹くことはあまりないことなのに、葉を落とすほどの強風、それなのに柔らかい……。魔法を詠唱したとしか考えられなかった。
 だが、ウォーリアに風の魔法を使うことはできない。それなのにどうして? セシルの頬に冷たい嫌な汗が伝っていく。無言になったセシルは、ウォーリアに刮目していた。
『とくれせんたぼーび』
「…………はい?」
 突然発せられた聞いたこともない言葉の羅列に、セシルは首を傾げた。どこか妙な韻を含んだような音だった。真面目な表情で、ウォーリアがなにを言っているのか……セシルは理解に苦しんでいた。
「なんだ……? それ……」
 湖岸から少し離れた場所で、テントを完全に固定するための杭を、ノクティスは打ち込んでいた。そのノクティスにも声は届いたのだろう。その場で木槌を振り上げたままの状態で、セシルと同様にノクティスもしっかりと固まっていた。
 ノクティスは固まったまま目を泳がせ、唇は震えている。なにかを言おうとして言えずにいるらしく、呂律のまわらない状態で、どうにか言葉を絞りだしていた。
『とくれせんた……び?』
「……なにを唱えておるか」
 一生懸命なにかを呟いているウォーリアに、ガーランドは呆れの声をかけていた。はぁと、溜息すら出てしまう。というのも、ウォーリアが呟いていたのは、このコーネリアに住まう者なら、子供以外は誰しもが覚えているものだった。
「かなり前にマトーヤから教わったものなのだが……、私だけがうまく唱えられないで今日に至る」
コーネリアで出会った仲間たちは、皆マトーヤから習得して唱えることができたのに……。ギリリと唇を噛み、拳をぎゅっと握りしめる。唱えてもうまくできないことに、憤りすら感じていた。
「……」
 悔しがるウォーリアの横で、ガーランドはぽかんと間抜け面を曝していた。これは、予想外すぎて声を出せなかった、が正しい。幸か不幸か、厳つい兜のおかげで、間抜け面を曝すことだけは回避できたが。
 まさかここで、あの世界だけの魔法を唱えてくるとは。ガーランドはもちろん、話に耳を傾けていたセシルとノクティスも考えていた。
『とくれせんたぼーび。……とくれせんたぼゅしっだ』
「……なんか増えたな」
「ノクト。ウォーリアは放っておいて、僕たちでやってしまおう」
 湖に向けて何度唱えても、ウォーリアの魔法はうまくはいかないらしい。湖面が揺れるか、風がふわりと吹くだけだった。これはこれで、魔法が使えないウォーリアからすれば、成功例に近いのかもしれない。しかし、唱える魔法が異なるのだろう。
 ウォーリアがなにを唱えようとしているのかなんて、セシルとノクティスにわかるはずがない。知っているガーランドに任せるのがいいかと判断した。ウォーリアに渡すつもりだった水桶を両手に持ったセシルは、さっと場を離れてテントを設営中のノクティスの元へ向かった。
「ノクト、僕たちで行こうか」
「いいのか? あのままで……」
「大丈夫だよ。……多分」
 セシルは嘆息し、ノクティスと協力してさっさとテントを完璧に設営しておいた。テントはふたつ。ふたりずつに別れて使用することになる。防音対策もバッチリにしておけば、なんとか夜の面も大丈夫だろう。
 綺麗に張れたテントに満足したセシルは、ノクティスを連れて水を汲みに場を速やかに離れた。この場に残るのは……。

「箒どものほざいておる〝サッサカサ〟の意味に気付かねば、いつまでも成功せぬわ」
「ガーランド……」
 あまりの馬鹿らしさに、ガーランドは完全に呆れていた。はぁ、これみよがしな溜息と頭部にあてた手が、その状態を物語っている。
 ガーランドのあからさまな態度に、ぴくりと柳眉を動かすものの、ウォーリアもふぅと小さく息をつく。過度なほどの集中と緊張に、ウォーリア自身も少し疲弊していた。
「……あの箒たちの言っていることは、私もわかっている。だが、それでも──」
「湖に向けて詠唱しても、魔力のない貴様には無駄なこと。やるならば、これくらいせぬか」
 少し項垂れているウォーリアを見かね、ガーランドはウォーリアの隣に立った。湖の全体を一瞥したガーランドは、小声で詠唱を始める。すると、途端に湖面に大きな波紋が拡がり、ぶるぶると湖と大地が振動を始めた。
「湖が……⁉」
 湖面の水が大きくせり出してくる。ガーランドが水に関する魔法を唱えていることだけは、ウォーリアも理解できた。つなみではないようなので、そのまま見守ることにする。それでも、目の前で起こる事象に、ウォーリアは大きく息を呑み込んだ。
 ガーランドが詠唱して、しばらくが経ったころ、ようやく湖面は落ち着きを見せるようになった。ただし、それまでにはなかった大きな球体が、ぽかりと湖に浮かんでいる。ポタポタと雫を湖面に落とすその球体は、ガーランドが作りだした湖の水の球──。
「……その水球に向けて唱えてみよ」
「……」
 ウォーリアは黙って水球を見つめていた。ガーランドにまさか、このようなことができるとは。いつも攻撃的な魔法ばかりを唱えるガーランドを見てきたウォーリアにとって、意外でしかなかった。
 しかし、ここまでのものを作りだせるのなら、転じて攻撃に使うことも可能になる。そしてこの水球をぶつけられ、まともに食らってしまったなら? そう考えると、ウォーリアの身はぶるっと震えた。
 だけど、いつまでもこのままではいけない。あの大きな水球を空中に維持させるだけで、ガーランドの魔力や精神は費やされていくだろう。そう思うと、ウォーリアのほうも急がねばならない。意を決したウォーリアは、ぎっと水球を見据えた。
「……っ、」
 マトーヤに教えてもらった魔法を唱えるために、手を伸ばそうとした。すると、隣に立っていたガーランドの大きな指に、するりと触れてしまった。
「指が……、すまないッ」
 ウォーリアは慌てて手を胸に押しあて、瞼を閉じて俯いた。互いの指が触れるくらい、これまで幾度とあったことなのに……なぜ今さら。ウォーリアの白い頬は、ほんのりと朱く染まっていく。
 胸に押しあてた手が、鎧越しなのに熱く感じてしまう。高まった体温に気付かれたくなくて、ウォーリアはガーランドとの距離を少し空けようとした。しかし……。
「さっさとせぬか。その水球は長く保たぬ」
「っ、わかった……」
 胸に手をあてて俯くウォーリアに、ガーランドは焦れていた。このような茶番に付き合わされ、ガーランドとしては面倒でしかない。
 だが、先に触れられたウォーリアの指の感触は、ガーランドにも伝わってきた。そのせいでウォーリアが俯いてしまっている、その理由にも。
 はぁ、ガーランドは兜の中で盛大に嘆息した。面倒ではある。しかし、この難しい青年の取り扱いを誤ると、あとでさらに面倒なことになりかねない。ガーランドはウォーリアの胸にあてた手を取ると、ぐっと引き寄せて強く握りしめた。
「……っ」
 俯いていたウォーリアは、突然のガーランドの挙動の意図を見いだせなかった。距離を空けたはずなのに、当のガーランドに戻されて、アイスブルーの虹彩を不安げに揺らめかせる。ガーランドの意図がわからず、じっと厳つい兜から覗く黄金色の双眸を見つめていた。
「不安なら、こうして握っておいてやる。さっさと始めろ」
「……ありがとう」
 この世界に招集され、誰しもが不安を感じていた。それは、ウォーリアも例外ではなかった。ノクティスがいる以上、セシルに洩らすわけにもいかず、ウォーリアはひとりで溜め込んでいた。
 セシルにも見抜けなかったウォーリアの心情を、ガーランドはさっと見抜いた。ぎゅっとウォーリアの手を握りしめ、さらに詠唱を続ける。
「ガーランド?」
 知らない言葉の羅列が、ガーランドの口許から聞こえてくる。なにかを唱えていることはわかる。だけど、それがなにかまではわからない。ウォーリアはガーランドを見上げ、唇を震わせていた。
「水球を堅固なものにしたまで……さっさとやれ」
「……」
 こくり、ウォーリアは頷いた。マトーヤから教わった魔法を、今のこの時機で唱えようとしたのも、不安と緊張からくるものだった。
 あの世界でしか通用しない魔法を唱え、安心感を得ようとするのは間違いではない。だが、創られたこの世界では、効果など得られるはずもない。別の大きな力が働かない限りは──。
『……とくれせんたぼーぶっ、』
「……っ、⁉」
 ぶはっ、ガーランドは盛大に噴きだした。これだけのことをさせておいて、ここにきて噛むか? かあぁっと顔全体を朱に染めて、ウォーリアはバツが悪そうに睨んでくる。揺れる無垢なアイスブルーに一瞬見惚れたものの、こほんと咳払いをして、ガーランドはなんとか誤魔化した。
 バシャッ!
 しかし、噴きだしたことで、ガーランドの集中は削がれていた。湖面の上に浮いていた水球は、重力に従い湖に落下している。大きな波紋を残し、水球は跡形もなく消滅していた。
「ガーランド……」
「……二度はせぬ」
 堅固な水球が湖に落下した衝撃で、湖面の傍に立っていたふたりは、弾けた飛沫をまともに浴びている。全身からポタポタと雫を滴らせ、ウォーリアはガーランドを見上げてきた。
 普段の凛然とした青年からは信じられないようなすがる眼で見られ、ガーランドの心も揺れ動いた。だが、鬼の心で突っぱねた。そんなに不安を感じるなら……、ガーランドは兜の中で口端を歪めていた。
 幸いにもテントはふたつ設営されている。割り振りを操作すれば、ウォーリアをこの腕の中で好きに……。くっ、ガーランドの顔が黒い愉悦で大きく歪む。
「はい、ガーランド。レッドカードだよ」
「騎士か……いつの間に」
「セシル、ノクティス……」
 ずぶ濡れで手を繋ぎ合うウォーリアとガーランドのあいだに、セシルは強引に割り込んできた。澄んだ紫菫色の瞳をガーランドに向け、じろりと睨みつける。
「ガーランド、僕から先に言っておきたいことがあるからね。でも、とりあえずふたりとも、先に躰を拭いて」
全身ずぶ濡れじゃないか……。美しい顔を歪めて怒るセシルに、ちっ、ガーランドは舌打ちした。
 セシルはウォーリアとガーランドとの関係を知る、数少ない人物でもある。セシルの妨害を食らえば、ガーランドとしても都合が悪い。
 セシルのうしろには、両腕に水の入った樽を持ったノクティスが佇んでいる。ウォーリアは濡れた躰を気にすることなく、ノクティスに声をかけた。
「すまない……。これは私の役目だったのに」
「いいよ。それより……いいのか?」
 ウォーリアはノクティスから樽をひとつ受け取り、ともに運び始めた。セシルとガーランドの様子が気になるのか、ノクティスはちらりと振り返り、ウォーリアに問いかける。
「ああ、あの二人は仲良しだから」
 それに対する、ウォーリアの回答は素っ気ないものだった。ウォーリアにすればいつものことなので、気にする気配すら見せなかった。

「ウォーリアには絶対、無理をさせちゃダメだよ! 僕が何度言っても、あなたは聞かないんだから……!」
「それを儂に言うのか? 儂を唆してくるのは、むしろ」
「あなたのほうが大人でしょ? 加減くらいしてあげてよ!」
 ウォーリアとノクティスは、口論しているガーランドとセシルの様子を眺めていた。ずぶ濡れの躰を綺麗に拭き終えたウォーリアは、ノクティスのつけてくれた焚き火にあたり暖をとっている。もうすぐ完全に日が暮れるというのに、ガーランドはまだ躰を拭いておらず、漆黒の重鎧からは雫が滴っている。
 セシルとガーランドの口論の内容が、どうにも穏やかなものには感じられず、ノクティスの顔はひくりと引きつっていく。反対にウォーリアは平然としていた。会話の中心となっていることに、ウォーリア当人は気付いているのに……だった。
「とにかくッ! 今晩はあなたとウォーリアは別々のテントだからね‼」
「ふざけるな! 貴様ごときの指図など受けぬわっ‼」
 夜が更けても、セシルとガーランドの攻防は続いていた。残されたウォーリアとノクティスは、焚き火にあたり口論を聞かされている。ふたりの口論以外では、パチパチと薪の燃える音だけが周囲にも響いていた。
 静寂とは無縁なほどのセシルとガーランドの口論が繰り広げられるなかで、げんなりとした表情を浮かべるノクティスは、おそるおそるウォーリアに問いただした。
「えーっと。あれは……なんの口論だよ」
「……いつもあの調子だが?」
 二人の口論の内容を早々に理解したノクティスは、頭を抱える事態に陥った。ひとりだけ状況を理解していないウォーリアは、きょとんとした表情で、口論を繰り返す二人を順番に見つめている。けれど、ノクティスはここで気付いてしまった。きょとんとした表情に隠された、少し寂しげな瞳の輝きに。
「って。なんで、アンタがそんなに悲しそうにしてるんだよ……」
「私が?」
「いいよ、わかっていないなら」
 手をひらひらと振り、ノクティスはこの話を無理やり終了させようとした。天を仰ぎ、盛大な溜息をつく。
 だけど、ウォーリアはそうはならなかった。二人の口論を見つめ、首を傾げている。
「そういえば」
「……? どうした?」
 なにかを思いだしたかのような口振りをしてくるウォーリアがどうしても気になり、ノクティスは上げていた顔を下げる。ウォーリアはなにかを考え込んでいるかのように、どこかぼんやりとしていた。しかし、ウォーリアが口を開くとノクティスにとって、意外ともいえる言葉が飛び出してきた。
「姫とガーランドがああやって、私の前で揉めていることがあったな、と……思いだした」
「はあ……。姫、ね」
 中世欧州の騎士物語に登場していそうな様相をしているかと思えば、本当にそうくるとは。しかもガーランドも一緒ときた。ウォーリアとガーランドが世間体から見て両想い、もしくは恋仲一歩手前であることは、だいたいノクティスにも予想はできるし、そのくらいで偏見を持つことはない。当事者の問題なのだから、いちいち口を挟むこともない。
……ん? て、ことは。
 ノクティスは表情を曇らせたウォーリアをちらりと横目で見てから、次にセシルを窺った。セシルはまだガーランドと口論を続けている。
 ノクティス自身も王族ではあるが、この世界では一個人でいるつもりだった。現にセシルだって妻子ある国王であるというのに、ここでは気品のある気さくな人物でしかない。
……その〝姫〟とオッサンは、ああやって日頃から揉めてるわけね……。
面倒くさいことになりそうだな。はー、ノクティスは大きな溜息をつき、顔を手で覆う。
 ノクティスの思いに気付いてか気付かぬか、ウォーリアはセシルとガーランドを憂いげな顔で見続けている。ああして口論を繰り広げるさまを、そのお姫様とおそらく家臣であるガーランドと重ねているのだろう。ノクティスは予想をたてる。
 セシルがそれだけのものを持ち得ているのなら、反論を繰り返すガーランドも相当のものだと。延々と繰り広げられる口論を聞かされて、ノクティスは半ば呆れていた。
「で、そのお姫様はあのオッサンに対して、ああやってセシルみたいに窘めていたわけだ」
「……?」
「こっちのこと」
 なんとなくだが、ノクティスは理解した。セシルがどうしてあのように、ガーランドに忠告を繰り返すのかも。
 たった一日、されど一日。人の恋愛事情に深入りしたくもないが、させられてしまう予感を胸に、ノクティスはセシルを見つめていた。きっと、自身もセシルと同じように、恋愛に疎そうな鎧ふたりのあいだに入らなければならない。それを思うと、ノクティスはなんとも気が重くなる思いだった。

                  ──了