ふたりで一緒に

                2023.05/03

 最近はコーネリア付近で魔物が増え、騎士団のほうで討伐へ出向くことが多くなっていた。そうなってくると騎士団を統括するガーランドに負担がかかってくる。報告書などの書類と戦っては魔物を退治することに忙殺され、日々を無駄に繰り返していった。
 魔物盗伐は苦にならない。ガーランドの精神を削っているのはもっぱら書類系なのだが、これに関しては一向に減ることはなかった。この日も机に積まれた大量の書類に目を通し、必要に応じて国王への謁見の際に許可を得る。
 躰を思いっきり動かして発散でもさせたいが、こういう日に限って討伐は部下に任せられる程度のものだった。
「……帰ったぞ」
 一日の職務で肉体は頑丈でも精神に負荷のかかった躰は、ガーランドが思っている以上に疲弊している。自宅の扉を開けるのも億劫になっていたガーランドの帰宅を告げる声は、聴く者によっては震え上がるほど低く唸るようだった。
「かなり疲れているようだな……」
 出迎えてくれた青年が心配げにガーランドを見つめてくる。無垢な瞳に心配の色を滲ませてしまったことに、ガーランドは兜の中で苦笑した。青年の頭を緩く撫で、不思議な色合いの髪に触れる。ランタンの照明を浴びた青年の氷雪色の髪は、ガーランドの触れた箇所から波打つようにキラキラと輝いていった。
「遅くなったな。食事の支度をしよう」
 執事や使用人といった身のまわりの世話をしてくれる者の誰もいない、ふたりだけの手狭な住宅だった。コーネリアの中心区から離れた区画の外れに住まいを購入したため、利便性に富むことは決してない。しかし、ガーランドほどの大柄な体躯の者が麗容を備えるこの青年とふたりだけで暮らすとなると、周囲から妙な噂が出てしまうのも当然のことながら多少なりと生じた。
 それが騎士団まで届いてしまうのを避けるために、利便性を捨てて不便極まりない場所の住宅を購入したというのに。ガーランドに降りかかったのは、騎士団の多忙すぎる業務だった。
「いや、私は……。それより、湯が入っている。先に躰の疲れを癒したらどうだ?」
「そうか。ならば浸からせてもらおう。出たら食事だ。不要でも儂に付き合え」
 食事を躊躇する青年に対し、ガーランドなりの妥協案を提示した。青年は食が細く、放っておくといつまでも食べない。青年は食事を必要としないと言い張るが、食べられないのではなく食べないだけなのだから、ガーランドとしては食べさせておきたかった。
 食事から得る温かみを青年にも知ってもらいたい。そのためにガーランド自身が食欲のないときでも無理に支度をし、そしてふたりで食事をした。青年が魚介類を好むことはこれまでのことで知っているから、遠慮しがちなときによく出している。今宵も魚介料理になりそうだと頭で考え、ガーランドは湯浴みの準備をはじめていった。
「ガーランド、知っているか?」
 鎧を外しているときに声をかけられ、ガーランドは青年のほうを向いた。青年は湯浴みへ行くガーランドのために、浴布や替えの衣服を持ってきてくれている。少しだけ表情を緩めた青年は、ガーランドの目をまっすぐ見て続けてきた。
「〝はぐ〟ということをすると、疲れが軽減されるらしい。その〝はぐ〟というものがなにか、聞いたのだが……教えてはもらえなかった」
「……」
 ガーランドは返す言葉が浮かばなかった。どこから突っ込むべきか。それを先に考え、青年への答えが出てこない。そんなガーランドに対し、青年は首を傾げている。
「訊くが。それは誰から吹き込まれた?」
「隣の区画へ行ったときに教えてもらった。『ガーランド様にしてあげなよっ!』……と言われたから、してみようと思ったのだが」
「…………」
 ガーランドはひたいに手をあて、はぁと盛大な溜息をついた。利便性を捨てても結局は素性が筒抜けになっていることに、わかってはいたが改めて言われるとやるせなさだけが増加していく。
 とはいえ、それを知っていても周囲は騒ぎ立てることがない。近くにガーランドが住んでいると知っていて、周囲は存ぜぬふりをしてくれている。青年にだけこうして話してくれているのなら、特に問題としなくていい。それはガーランドにとってありがたいことだった。
「ガーランド」
「……なんだ」
 青年の足元には手に持っていたはずの湯浴み一式が落ちている。ガーランドが間髪入れずに青年を抱きしめたからで、これについての文句を言いたいのだろう。青年の無垢なアイスブルーの瞳がガーランドを見つめてくる。しっかりと抱きしめてからそちらに視線を下ろしても、青年はそれ以上なにも言ってこなかった。
 少しの時間を経過させ、ガーランドは腕を緩めて青年を離してやろうとした。
「……ガーランド」
 青年は足元に落としたものを拾うこともしないで、ぐっと背伸びをしてくる。ガーランドの耳元に唇が届くようになると、小声でそっと囁いてきた。
「これが……〝はぐ〟というものか? あたたかいな」
 当人にしか聞こえないくらいの小さな声であったが、耳元で囁かれたためにガーランドの耳にも届いている。ガーランドが思わず目を丸くすると、青年は寄せてきた唇を離して顔を背けてしまった。
 耳まで赤く染めた青年の姿に、ガーランドの疲れは一気に吹き飛び、思いがけない笑みまでもが溢れてくる。
「ああ……これがそうだ。それに、教えてくれたことは真のようだな」
「?」
 背けられた顔をひゅいと戻し、わからないといった表情でガーランドを見つめてくる青年の姿に、愛おしさすら込み上げてくる。青年の唇をさっと奪うと、ガーランドは腕を緩めて足元に落ちているものを拾っていった。
「続きは閨でしよう。せっかく用意してくれたのだから、湯が冷めぬうちに入ってくる」
「ああ」
 唇に指をあてて頬を染める青年を残し、ガーランドはそのまま湯浴みへと向かった。湯で疲れをさらに癒し、心身ともに落ち着けて出てくる。

「……」
 湯浴みから出てきて、ガーランドはバチバチと目を何度もしばたかせた。ふたりだけのそう大きくないテーブルの上に、食事の用意がされている。普段はどれほど疲れていようが、帰宅時間が遅くなろうが、ガーランドが作ってきた。青年は料理をしたことがないはずだったのに、いつの間に……考えていると、青年が教えてくれた。
「おまえが最近は忙しいことを知ってか、近所のご夫人たちが……その、『ガーランド様に食べさせてあげなっ!』て」
「……」
 ガーランドはまたしてもひたいに手をあて、溜息をついた。筒抜けどころではない。最近の騎士団の事情まで知られていることに、いい意味でも悪い意味でもコーネリアが平和な町であることに気づかされた。
 だが、用意された食事に罪はない。作る手間が省けたものとして、ガーランドはいただくことにする。もちろん、青年も一緒に──。

 閨でふたりは広い寝台の汚れていない場所に横になった。ふたりとも素肌のまま、ひとつの大きな掛布に包まれている。
 体力を使い果たしたのか、青年は静かだった。意識をなくしているのだろうと判断し、ガーランドも眠ることにした。日付はすでに変わっているが、夜が明けると一日が始まる。
 同じことをまた繰り返すのだと思うと、日中はうんざりするような日常だが、夜はこうして癒される時間が訪れる。そう考えると、繰り返されるだけの日々も悪くはないと思えた。
「……?」
 きゅっと手を握られたような感覚を得て、ガーランドは首を傾げた。青年は眠っている。寝ぼけて無意識に行っているのか。ガーランドが様子を見ていると、青年は胸に頬をくっつけてきた。暖を求めるように胸に頬を寄せてくる青年は、小さな声で「ずっと隣にいてほしい」と──。
 寝言なのか、寝ぼけたふりをして本心を伝えてきたのか。なかなか本心を吐露しない青年が告げたこの言葉は、ガーランドの心を大きく撃ち抜いた。青年の乱れた髪を手櫛で整え、ガーランドは決意する。
「お前が望むのならば、いくらでも──」
「……」
 青年からは返事がない。すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえるから、青年は完全に寝入っている。なかなか眠ろうとしない青年を寝付かせるためにガーランドもいろいろと画策したものだが、こうしてしっかり眠ってくれるなら。これまでのことを思い返し、ガーランドはくくっと苦笑するのだった。
 青年が手を握ってくれていることをいいことに、ガーランドは指を絡ませていった。ガーランドが寝付くまではこのままにしておく。寝てしまえば外れてしまうかもしれないのなら、今のうちにと青年の手の甲に口づけをしておいた。
 ふふ、眠る青年が表情を緩めたことで、ガーランドは嬉しさを抑えきれず興奮してしまい、結局は眠れない夜となってしまうのだが──。

 Fin