輪廻の誓約

                2023.01/11

 二柱の神々が熾烈な戦いを繰り広げる世界で、ある青年が大いなる意思によってこのカオス神殿に降ろされた。記憶の定着ができていないためなのか、その青年からは生命の鼓動すらあまり感じられない。
 虚ろな眼をしたその青年に近づこうとすると、横から入ってきた薄紫色の髪をした小娘に奪われてしまった。
 初めはさしたる興味もなかったが、それでも少し残念には思えた。あの青年が空っぽの器の状態であったなら、混沌の戦士に仕立て上げることもできたであろうに。だが、その考えも途中でやめてしまった。
 眼を虚ろにしたあの青年が、この世界で長く保つとは思えなかった。身体を弱らせ、じきに命を落とす──儂はそう考えておった。
 だが、そうはならなかった。青年は調和を司る女神より力を得た。その結果、青年は次第に混沌の戦士に挑むまでに成長していった。
 まさかとは思った。生命活動すら危ぶまれた青年が、ここまでの力をつけてくるとは。これは完全に予想もつかぬことであった。
 しかも、皇帝などはその力を欲するために、余計な画策を練ろうとすらしだすではないか。否、と。儂は言いきった。
『あれは儂が見つけ、調和に育てさせた戦士だ。儂の手で、あれと決着をつける』
 半分以上偽りではあるが、そう告げれば反論する者は出てこなかった。無論、皇帝もであった。調和の女神に与えられたあの光は、危険となりうる力だった。
 なるべく早いうちに芽を詰んでしまいたくて、儂は青年がカオス神殿に訪れた際に勝負を挑んだ。そのときに見た。
 青年の虚ろであった瞳は、まっすぐで翳りもなく、力強さと凛然さを放っておる。あの時の弱々しい青年ではなくなり、今はもう立派な秩序の戦士であるといえた。
 これほどの光を放つ青年に成長したのなら、皇帝が欲しがる理由も頷ける。だが、これは儂のものだ。誰にも邪魔はさせぬ。一種の執着心と独占欲に駆られた儂は、青年と何度も剣を交えた。

『……この程度であったか』
 しかし、勝負は意外と呆気なく終わりを告げた。青年の胸には儂の巨剣が深々と刺さっておる。神竜の迎えが来るのも、もはや時間の問題であった。
 浄化を受けるか、消滅するか……。おそらく後者であろう。儂は少し残念がった。ここまでの光を放つ戦士を、儂はこれまでに一度も見たことはなかった。ようやく見つけた……そう、思えるほどであったのに。
 命尽きようとする青年を見下ろし、儂は溜息をついた。これでまた待たねばならぬことに、諦念すら抱いてしまう。
 しかし、青年はここでなにかを告げてきた。それはか細い声であったが、儂にも聴きとることは可能だった。
『私が、お前の呪われた輪廻を……いつか、断ち切る……か、ら──』
 そこで、青年はこと切れた。儂の輪廻のことをこの青年は知るはずもないのに、なぜ知っているのか。問いたところで、亡骸となった青年に答えられるはずもない。
『……面白いではないか』
 青年は「いつか断ち切る」と儂に言い残した。すなわち、これは誓約に近いものであると、容易に解釈できる。たとえ、拡大解釈であったとしても、青年自身が宣言したのだから、儂はそれを待つとしよう。
 果たして、何度目の輪廻でこの誓約は交わされるのか──。何度、この青年を手にかければ成し得ることなのか。それは今後の戦いを経ることで、密かな愉しみとしていようではないか。少しずつ強くなる青年の成長を見届けることもできるゆえに。
 神竜が現れぬうちに儂は口当てを外し、青年と口づけを交わした。鉄の味のするひどい口づけであったが、これは青年との誓いのものとして、これから刻まれることになる。
 青年の身に儂を刻み、決して他を見ぬよう……これも誓約と呼べるものかもしれぬ。儂のこの忌まわしき経緯を、この青年が打ち破ってくれると真に願い、最期の手向けとする。

 この青年の手で、この呪われた輪廻を終わらせてくれることを、心から望むことを──。

 Fin