狂気

                 2019.4/30

 廻る廻る輪廻の最中、私はひとつの約束をしていた。だが、私には記憶がなかった。何故か〝約束をした〟ということだけが頭の中に焼き付いたように残っている。それが〝何か?〟までは私には分からない。
 戦いを繰り返せば、いつか思い出すかもしれないと……そう思い、私は戦ってきた。だけど、もしかしたら思い出してはいけないから……記憶からは抹消されているのかもしれないと、いつしか思うようにもなってきた。
 それでも、私は終わらない輪廻の戦いに決着をつけなければならなかった。女神のため、私と共に戦う仲間達のため、そして──。

 ようやく辿り着いたカオス神殿の謁見の間にて。玉座に鎮座していた混沌の筆頭は、その巨躯でもって私を威圧してくる。私が剣を構え、混沌の筆頭──ガーランド──を見据えると、ガーランドは腰を下ろしていた玉座より立ち上がった。そして、唐突に言い放ってきた。
「愛しておる。だから──」
──貴様を壊してもよいか?
「は? 何を言っている?」
 一瞬……そう、本当に一瞬、私の頭は真っ白になっていた。そして、私はガーランドの言葉を一蹴した。発言の意味が分からない。私がじっとガーランドの動向を窺っていると、ゆったりとした脚取りで上座から下座へと続く短い階段を下りてきた。
 ガーランドと私の間合いは徐々に狭められていく。だが、私も下がるわけにはいかない。剣と盾を握る手に力を籠め、いつでも応戦出来るように構えた。
「貴様こそ何をほざくか。その言葉通りの意味であろうが」
「……狂って、いる……のか?」
 私は刮目した。眼の前の男を。混沌に呑まれ、絶大的な闇の力を纏う──ガーランドを。
 いったい何があったのだろうか。決着こそ着かなかったものの、先日はこのような状態ではなかった。何があり、どうしてこのように闇の力を纏っているのだろうか……?
「怯えることはない。すぐ済もうぞ」
「……」
 じり……。気付けば私は一歩下がっていた。このままではこの男の闇に、私も堕とされてしまいそうで。
……違う! 今、私は何を考えていた?
 ぶんぶん……、私は目一杯頭を振った。私はこの男と真の決着を着けるためにここへ来た。自ら闇に堕ちるわけでも……堕とされるわけでもない。ぎり……私はガーランドを睨みつけた。間合いを確保し、一歩踏み出す時機を窺う。
「私の光がお前の闇を祓ってやろう」
「……小賢しい」
 キィン
 私はガーランドと戦った。重い一撃を盾で受け、剣で薙ぐ。ガーランドの武器は特殊で動きも不規則だが、よく見ていれば盾で受けるのは可能だった。私達は何度も剣を交えた。そして──。

「貴様は……全て儂のもの」
「まだ言うか、ガーラン、ド……?」
 ガーランドは膝から崩れた。私の勝利……とは言い難い。私も満身創痍で、立っているのもやっとだった。私はまだ何かを伝えようとするガーランドを見下ろし、そのまま固まっていた。
 狂気……かと思えばそうでもないのかもしれない。鋭く射貫くような黄金の双眸からは……今は闇の力を感じることはない。いつものガーランドに戻っている。
 私はいつの間にガーランドの闇を払拭出来たのだろうか? だが、それは一時的なものかもしれない。私は警戒を解くことなく、じっとガーランドの一挙一動を見つめていた。よろり、立ち上がったガーランドは戦いの際に外れ、床に転がった私の兜を拾ってくれた。
「っ⁉」
 まだ警戒を解いていない私の髪に触れようとしてくるから、私はピシィッと大きな手を払いのけた。だけど……ガーランドはお構いなしに私の乱れた髪を指で梳き、兜を被せてくれた。
「ガーランド……どうして」
 どうしてこのようなことをしてくるのだろう? 私は疑問に感じた。私がじっと見てくるものだから、ガーランドはどことなく気まずそうにしている。いったい、ガーランドの身に何があったのだろうか。
「貴様には礼を……いや、構うな」
「……っ!」

『記憶を失おうと、都度伝えてやろう』
『これは約束だ、違えるでない。例え……儂が混沌に呑まれようと──』
生涯でこの手に欲しいと思えるのはお前だけだ──

 私は約束を思い出していた。頬に何かが伝っていくのがわかる。視界が霞み、上手くガーランドの黄金の双眸を見ることが出来なくなっていた。
……そうか。
 眼の前に在るこの男は、ただひたすらに私を想ってくれているのか。混沌に呑まれてしまうほどに……。
 一度は混沌に呑まれても、私と戦うなかで〝ガーランド〟を取り戻してくれたのか……私の、ために──。
「ガーランド、私はお前を永きに待たせていたのか?」
 私は剣を下ろした。このような関係など……本来なら決して赦されることではない。だけど、互いが望むのなら……それも悪いことでもないのかもしれない。女神や仲間達はどう思ってくれるかは分からないが……。
「ガーランド」
 私は腕を伸ばした。ガーランドは私の意図を汲み取ってくれたのか、私をその重厚な胸の中へ入れてくれた。
 私はガーランドが先に発した言葉を思い返していた。混沌に呑まれた状態だったのなら、それはガーランドの発言ではないのかもしれない。だけど……。
『すぐに済む』と、確かにガーランドは言っていた。これが何のことだか、私には分からない。『壊してよいか?』も。だが、この男が与えてくれるものならば、私は受け入れよう。
「私はお前にならば構わない。この生命でいいのなら、この生命が欲しいのならば、お前の好きに……」
 私はガーランドを見つめていた。女神にも仲間達にも会えなくなるかもしれない。けれど、私がガーランドを待たせていたのなら、その結果として混沌に呑まれる要因になってしまっていたのなら……私が償わなければならない。
 例え、神竜による浄化が待っていようとも……。この男の手を取ってしまった……これは私の望んだことなのだから──。

 

「何か勘違いをしてはおらぬか?」
「何のことだ?」
 私を抱きしめたガーランドの声が頭上から降ってくる。私は顔を上げてガーランドを仰視した。依然視界は潤んでおり、ガーランドの兜から覗く黄金の瞳を窺うことも出来ていないが。
 ガーランドは太い指で私の涙を拭ってくれた。私は瞼を閉じ、無骨だけど優しい手にそっと手を重ねた。すり……せっかくだからと頬を寄せた。だが……。
 カラン……
 ガーランドの大きな手が私の兜の牙に触れ、被せてくれたのに兜はまた赤の絨毯の上に落ちてしまった。私が落ちた兜に眼を向けていると、顎に指をかけられた。
「何を、ぅうん……っ」
 私は唇を奪われていた。眼の前の男に。いつの間に口当てを外したのだろうか。私が逃げることの出来ないように、その大きな腕で私を包み込んでいる。
「んぅ、……んっ」
 決して嫌ではない。何故だろう? この男のこの口付けを知っている。私の身体が……何故か知っている。ぶるり、私は身を震えさせた。
「……嫌であったか?」
「違う……。お前は私の知らない私にも……このようなことを行ってきたのか?」
「……」
 ガーランドは何も言わなかった。ということは肯定なのだろう。私はどこか気落ちしていた。ガーランドのこの手が私ではない私を……。
「……手に入れられぬ苛立ちから、好きに嬲り、手にかけてきた」
「ッ⁉」
「貴様は記憶をなくすからな。何度伝えたところで結局は無駄になると……儂は考えるようになっておった」
 ガーランドの声が震えている。慟哭……してくれているのだろうか。表面上に出すわけではなく、心の中で。
「私が……私では駄目なのだろうか」
 私はガーランドの心に触れたくなった。今の……闇を纏わない本当のガーランドの心に。無言になってしまったガーランドを私はじっと見つめていた。頬に添えられた手はそのままで、じわりとガーランドの体温を感じる。
 私が何を勘違いしているのか……考えてもよく分からない。ガーランドの口振りは、私を混乱させようとする意図が見え隠れしている。私は無言のガーランドに手を伸ばした。
「お前の言葉は難しくて、私には分からない」
だから……教えて欲しい。私は口当てを外したガーランドの唇に、そっと指を添わせた。この唇が何を語り、何を私に教えてくれるのだろう? その結果、私はどうなってしまうのだろう? ガーランドの口振りからは、どうも浄化ではないように思えるのだが……。
「……これから知ればよい」
「教えてくれるのか?」
「そうだな……」
その代わり、あとには戻れぬぞ。耳許で囁かれ、私の身体は大きく震えていた。真の決着をつけない私達の関係を、皆はどう思ってくれるのだろうか? それでも私は構わなかった。私はガーランドにこの身を委ねさせた。
 もし、これを〝堕ちる〟と言うのならば……、私はとうに堕とされているのだから──。

 Fin