時が分かつとき

                 2019.8/02

 時間の経過とは……時として、無情なものへと変貌する──。
 闘争の輪廻を繰り返し、私とガーランドはようやく結ばれることができた。私は幸せだった。
 闘争していたころは気付くことのできなかった、ガーランドの一面やしぐさを知ることができた。
 だが、幸せな時間というものは長くは続かない。どこかで終焉を迎えることとなる。今回でいうならば、老い……。
 ガーランドだけが老いていく。これはどうすることもできない。神々に慈悲を請うこともできない。生きているものすべてに、これは平等に訪れるものなのだから。異質な私を除いては──。

「お前と儂とでは生きる時間軸が異なる」
「……だから、なにが言いたい」
 私は少し苛立っていた。言葉を濁すガーランドに。私はぎっと睨みつけた。しかし、ガーランドには通じない。
 少し前からガーランドは具合を悪くし、寝台から下りることもままならなくなった。そうなると、身体は衰え、臥せることが多くなった。
「……ひとつ、問う」
「なにを……」
 ゴホゴホと咳き込んだガーランドは、やせ細った手を伸ばしてきた。私の髪をカサついたその手のひらでひと撫ですると、ぽつりとひと言囁いた。
「儂はじきに逝く。お前は?」
「それ、は……」
 私は口ごもった。ガーランドの言いたいことを理解したからだった。私のこの身は老いることをしない。この正された世界で、正確な時間軸を取り戻したガーランドは私を残し、このままこの世界から消えてしまうのだろう。
 私ひとりをこの小屋に残して──。
「嫌……だ」
「ウォーリア」
 私はガーランドの胸の中で涙を流していた。愚かではあると思う。泣いたところでガーランドを困らせるだけだというのに。結果が変わるわけではないというのに。
 それでも、私は悲しくて悔しくて涙を流し続けた。私はこのような結果を待ち望んでいたわけではなかった。
 だけど、あるべき世界で天寿を全うする。これが正しいことであるというのは、私にでもわかる。私は手の甲で涙を拭った。このままではガーランドは安心して逝けない。そう……思ったからだった。
「ガーランド、輪廻はまだ続いている。また……逢えることを私は願う」
「そうだな」
「これを……」
 私はガーランドにクリスタルを託した。光輝くクリスタルはガーランドの手の中で、急速に光を失い始めた。まるで光が闇に呑まれるかのように……。
「これがあれば、儂だとわかるか」
「そのようなもの、なくても私にはお前がわかる。お前の持つものが私には視えている」
だから、大丈夫……。 私がにこりと笑うと、ガーランドはこくりと頷いてくれた。そうして、穏やかな表情を見せ、ガーランドは優しい黄金色の双眸をそっと閉じていった。
 もう、ガーランドは目を開けることはなかった。これが、ガーランドとの最期の会話になってしまった──。

**

 あれから、どのくらい経っただろうか。私はガーランドと過ごした小屋に居続けていた。行くあてがなかったわけではない。
 住居というものは、誰も住まなくなれば途端に痛みだすと聞いた。そのために私はここに残った。いつか本当にガーランドが戻ってくるのではないか? 私はそればかりを願うようになっていた。
 それと、私には時間軸というものが存在しない。いつまでも外見の変わらない私を、街の人々は訝しむようになった。
 こうなると、私は街にも行くことができず、どうにかひとりでささやかながらも暮らしていた。後悔はしていない。これが、私の選んだ……望んだことなのだから。
 もうボロボロになってしまったガーランドの寝台の敷布と掛布も、まだ大切に使っていた。ガーランドの匂いが少しでも残っているのなら、繊維が崩れ生地が糸に戻るまで、私は使い続けたかった。
 そうして、ここにあるものは、ガーランドがいなくなってからも、なにひとつ欠けることなく私は使い続けた。
 いないのは、ここに欠けているのは、ガーランドだけ……。その事実に落胆しながら、私は日々を過ごしていた。

 ある日のことだった。
 コンコンと玄関扉を叩く音が聞こえてきた。
「此処に誰か居らぬか?」
「誰か用か?」
 ガーランドを失ってから、この小屋を訪れる者はいなかった。それは当然のことだった。この正された世界において、私を覚えているものは限られている。
 その者たちもまた、ガーランド同様天寿を全うしている可能性は高い。では、誰が尋ねてきたのか? 私は首を傾げながらも玄関扉を開けた。
「──っ⁉」
 私は言葉が出なかった。そこに立っていたのは、ヒルギガースかオーガかと思えるような大男だった。
 いや。魔物にたとえると、この巨躯に失礼か。とにかく、見覚えのある大男に私は口許に手をあて、カタカタと身を震わせた。巨躯は白銀の鎧を身に着けている。この鎧も見覚えがある。騎士団の下級兵士が身に着ける鎧だった。
「……私になんの用だ」
 震える声で私は聞いていた。このような小屋を尋ねてくるような大男……私には視えていた。誰か。それも、もうわかっている。
「これを見せればよいか?」
 ごそりと巨躯は懐を探りだし、ひとつの黒いものを出してきた。巨躯の出してきたものを見て、私の瞳からぽろりと涙が溢れだした。
「遅かったではないか!……どれだけ私を待たせると」
「……悪かったな」
 私は巨躯に飛びつくように抱きついた。勢いが勝ったのか、巨躯がまだ未熟なのか、ぐらりとバランスを崩された。
 ドシンと大きな音を立て、巨躯は盛大に尻もちをついていた。私は巨躯に庇われ、なにひとつダメージを受けてはいない。
「まだまだだな。この程度でバランスを崩してどうする?」
 尻をさする巨躯を見て、気付けば私は笑っていた。こんなに笑うのはいつ以来だろうか。少なくともガーランドがいなくなってからは、一度もなかったと思う。
「……まだ、この鎧の重さに慣れていない。これからだ」
「そうだな、これからだ」
 バツが悪そうに答えてきた巨躯の首に、私は腕をまわしていた。この巨躯の兜がとても邪魔ではあった。外して顔を見ていいものか……私は迷っていた。
「これを返しておく」
 尻をさすっていた巨躯は、思い出したかのように黒いものを私に渡してくれた。黒く変色してしまっているが、これがなにか……私は瞬時で見抜いていた。
「……ありがとう、クリスタル」
 私は受け取った黒いクリスタルを握りしめた。このクリスタルが、私とガーランドを再び巡り逢わせてくれた……。私はクリスタルに礼を伝えた。私の声に呼応するかのように、クリスタルは青黒く輝いている。
 漆黒に変わってしまったのは、クリスタルがガーランドの闇を封じてくれていたからだろう。私はあるだけの力をクリスタルに注ぎ込んだ。
「……っ⁉」
 ガーランドは息を呑んでいた。闇のような色をしたクリスタルは、青く輝きだした。少しずつ黒を払拭し、元の青色に変わっていく……。
 私の力を取り込み、青を完全に取り戻したクリスタルは、落ち着いたのか淡い光を放っている。
「それが本来の色か……」
「そうだな……。で、お前はガーランドでいいのか?」
 私のこの問いは『名はガーランドでいいのか?』の意味だった。しかし、どうやら巨躯には違う意味で受け取られたらしかった。
「俺が見えているのではないのか?」
 不機嫌な声色を放つ巨躯に、私はまたしても笑ってしまった。おかしい。どうして私はこのように笑うことができる? これまでは笑う方法すら知らなかったというのに。
「……いつまで笑っている」
「すまない。私の聞き方が悪かった。君の名は……ガーランドでいいのか?」
 私は笑うのをやめ、巨躯に向きなおった。クリスタルを腰のポーチに入れ、もう一度首に腕をまわした。
 兜の隙間から、黄金の双眸が窺える。この眼光の強さを、私は以前から知っている。私の心の臓は騒ぎだしている。早くガーランドに逢いたくて。
「ガーランドだ」
 巨躯はそれだけを口にすると、兜の留め具を外し、兜を外した。私は息を呑んでいた。
 そこには、見たこともない若い男がいた。私が先から身を乗せているのだから、ガーランドと名乗る巨躯当人であることは間違いない。この男はもしかして、私と同世代……いや、もしかしたら私より若いかもしれない。
「俺はお前を攫うつもりで此処に来た。俺と来てもらおうか」
「……私を攫う? どういうことだ?」
 なにやら物騒な物言いに、私の耳はぴくりと反応した。真偽を確かめたくて、私は巨躯の黄金の双眸を覗き込んだ。
「俺はこれから騎士団に入団する。部屋は狭いが、一応割り当てられた。そこにお前も住む。いいな?」
「……」
 私は黙って聞いていた。要はこの小屋を手離せと言いたいのだろう。しかし、この小屋はガーランドとの思い出の詰まった──。
 私は俯いた。今の若いガーランドについていくべきか、ここに留まるべきか……。
「案ずるな。すぐに騎士団長にまで上り詰め、此処へ戻れるようにしてやろう」
これが証だ。ガーランドは私の左手を取ると、薬指に光るものを嵌めてくれた。それは青い石のついた指輪だった。
「この地で採れる青の秘石だ。黒くは染まっていたが、そのクリスタルの元の色と同じであろう?」
「……そうだな」
 指に嵌った青く光る指輪を見て、私の心も決まった。私は少しだけ笑みを浮かべ、歳若いガーランドを見つめていた。あのころと変わらない優しい黄金色の双眸に、私の姿が映し出される。
「私はどこまでもお前と一緒だ。だけど、時々はこの小屋に戻りたい」
 小屋を完全な無人にはしたくなかった。時々でいい。換気のために窓を開け、風を通してやりたかった。可能なら掃除もしておきたい。
「構わない。俺が休みの日は、此処でゆっくり過ごすか」
 こくり、私は無言で頷き、瞼を閉じた。ガーランドのまだ逞しくはない胸に腕をまわし、きゅっと抱きしめる。ガーランドはここに在る。私とまた一緒にいてくれる。それだけで……私は充たされた。
 騎士団寮であろうと、この小屋であろうと、場所など関係ない。ガーランドがいればそれだけでいい。

 また、輪廻は巡ることになろうとも……ガーランドは私の元にこうして現れてくれる。それだけで、私はこんなにも幸福を感じることができるのだから。

 Fin