To the dictates of the wind - 2/3


 ◆◆◆

「……」
……寝ているな。
 目が覚めたらいなくなっているのではないかと危惧していたが、バッツは規則正しい寝息を立ててスコールの隣で眠っている。大きなヘーゼルの瞳が瞼で塞がれたままの状態は、スコールの内心で早く起きて瞳を見たいのと、もう少し眠っていてほしいというのを両天秤にかけさせた。
 スコールが周囲を見まわすと、散乱した衣類や互いの体液でドロドロのシーツがあったりと酷い有り様だった。だが、今日はスコールも休日で一日ゆっくり過ごすことができる。掃除や後片付けなど、あとからでもなんとかなると考えていた。
……そのために加減もしなかったしな。
 起きる気配のないバッツをひとり残し、スコールは衣類を抱えて部屋を出た。

「…っ⁉ うっそ、だろ……」
……寝過ごした。
 バッツが微睡みから覚め、ゆっくりと躰を起こすとスコールの姿は既になくなっている。バッツの枕元には着替え用の衣類だけが畳まれて置かれていた。
 バッツは衣類に袖を通そうとしたが途中で止めた。躰は拭かれているとはいえ、このまま衣類を着てもどことなく気持ち悪く感じるのではないか。そのため周囲を見まわして昨夜着ていた服を探したのだが……見つけることができなかった。
「あっちゃ〜っ、おれの一張羅」
……持っていかれたのか。
 洗濯機の稼動音が聞こえるから、きっと洗濯をしてくれているんだとバッツは理解した。とりあえずスコールの出してくれた服はシャワーを浴びてから着ようと思い、シーツで肩からすっぽりと覆ってから部屋を出た。

「……」
……服を置いておいたのに。
 てるてる坊主と化した状態のバッツを見て、スコールは飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。目を大きく開かせて驚愕したが、バッツの前でみっともない真似は見せられない。噎せそうになりながらも含んだコーヒーをどうにか飲み込み、てるてる坊主姿のバッツを凝視する。服を用意していたのに着ていないバッツの意図がわからなかった。
「シャワーを浴びていいか?」
「構わない。それに服を置いていただろう?」
 スコールが問うと、バッツはてるてる坊主の姿のまま苦笑いを浮かべている。奔放に跳ねたバッツの寝癖が愛らしく、それだけでスコールの胸に灯るものがあった。
「シャワー浴びてから着るほうがいいかなって。このシーツもどうせ洗うんだろうからさ、借りたぜ」
「……」
……そういうことか。
 バッツの性格を考えると、そういう選択肢を用意しなかったスコール自身にも非はある。言いたいことだけ伝えて、さっと浴室へと消えて行ったバッツを見送りながら、スコールはコーヒーをすべて飲んでから席を立った。
 昨夜バッツが大量に作った夕食のための料理と保存用の料理は、先に起きたスコールがすべてにラップをかけている。さすがに少しは乾燥をしてしまっていたが、食べるには問題ない。どうしても気になるなら、その部分は外せばいい。それだけだった。
……もうすぐだな。
 現在の時刻を確認し、スコールはコーヒーを淹れなおした。じきに客人も来る。少なくとも先ほどのバッツの姿だけは、誰にも見せたくない。早くバッツがシャワーを浴びて出てこないか、スコールの心配はそちらに向いていた。

「あー。さっぱりした。サンキューな、スコール」
 どうやら時刻には間に合った。まだ濡れた髪をタオルでガシガシと乱暴に拭きながら、笑顔でバッツは戻ってきた。用意していた服を着ていたのでスコールは特になにも言わず、淹れていたコーヒーをバッツに渡した。
「飲むか?」
 風呂上がりで躰が火照っていても飲みやすいようにと、スコールはあえてアイスコーヒーにしておいた。氷が入っているので、しゃらんとグラスにぶつかる音がする。
「おっ、サンキュー」
 キンキンに冷えたグラスを受け取ったバッツは、喉が渇いていたこともあって一気に飲み干した。少しだけ砂糖の入った微糖にしてくれているので飲みやすく、こくこくとバッツの喉を通過していく。すべて飲み終えてから、ぷはーと大きく息をついたバッツは、空になったグラスをスコールに返した。
「ありがとなっ! すっげー喉が渇いていたんだ」
「そうか。それよりもうすぐ皆が来る。早く用意をしたほうがいい」
「皆?」
 スコールの示す言葉の意味が理解できなかったバッツは、鸚鵡返しに問い返した。きょとんとしたその顔は年齢不相応に可愛く、スコールは思わず目を逸らした。あれを見つめていれば、また劣情を抱いてしまう。さすがに今のそれはマズイ。
「昨夜言っただろう。久しぶりだと喜んでいた」
「本当かッ⁉」
 平常心平常心……と、心の中で念じながらスコールは説明した。バッツを横目でチラリと見ると満面の笑みを浮かべている。呼んで良かったと、これから訪れるまだ来てもいない仲間たちに感謝をした。

 ピンポ~ン

「ほら来た。早く用意をしてこい」
「急だな、おい」
「急でも集まってくれるほど、アンタに皆は会いたがっているんだ」
「そっか……」
 用意といっても別段何かをしなければならない、というわけではない。ただ、頭を拭いたタオルを片付けたり、シャワーを浴びるために外したアクセサリー類を身につける程度のものだった。
 しかし、チャイムが鳴っても出迎えがないために、扉は勝手に開かれた。スコールの住まいだというのに、客人たちはどかどかと我が家のように突入してくる。
 これはマンションのセキュリティ不備などではなく、前もってスコールが扉の鍵を開けて、仲間たちが自由勝手に出入りができるようにしていただけであった。
「ひっ、さしぶりィッ! 元気にしてたかぁっ、バッツ?」
 開口一番、元気な声をあげてリビングの扉を開けたのはジタンで、そのあとからティーダやフリオニール、オニオンにティナが入ってきた。そして最後にクラウドとセシル、ウォーリアが顔を見せた。
「まぁ……案の定、といったところか」
「うるせーよ」
 クラウドはバッツの顔を見るなり、ニヤリと意地悪げな顔で笑ってきた。言い当てられたバッツは顔を赤くしており、クラウドから顔を背けている。
「まあまあ。二人とも、それくらいにしようね」
「……」
 クラウドとバッツの微妙な空気をセシルが霧散させた。しかし、セシルもどこか含んだようなにこやかな美しい笑顔をバッツに向けている。ウォーリアに至ってはバッツを黙視するだけだった。

 まだ学生の時分だった当時、バッツと同級生だったセシル・ウォーリアと一学年先輩のクラウドは、常に行動をともにしていた。どこへ行くにも四人で一緒だったため、バッツのことに関してはスコールより深い部分を知っている。
 それとスコールの同級生のジタン・ティーダ、部活動の先輩であったフリオニールとマネージャーのティナ、そしてティナの従兄弟のオニオンと……。皆、年齢も関係もバラバラなのに、なぜか馬が合い、事あるごとに今でもこうして十人で集まっている。
 集合場所は様々で、セシルの豪邸だったり、フリオニールの経営するカフェだったり、ウォーリアが勤める警備会社の一室だったりと、その時々に応じて変化はあるのだが……。これは主に、招集をする側の住まいになることが多かった。
 全員が社会人となった今でも、誰かがラインなりメールを一斉送信するなりすれば、翌日だろうと全員欠けることなく必ず集合してくれる。本当にいい仲間たちだと……皆が皆、言葉に出さなくてもそれぞれが思っていた。
 ちなみに有給を取得できなくて参加が危ぶまれる場合は、セシルに相談すれば大概が対応をしてもらえる。セシルは国家的権力を持ち得ているので、企業の大物だろうと逆らうことはできない。翌日に全員が集合可能なのは、そういった裏事情が実は存在している。

「おおっ! これをバッツがひとりで作ったんスか?」
「すっげー。俗に言う飯テロってヤツか?」
「これ……食べてもいいの?」
「構わない。全部食べてくれ……残すことのないように」
 目を輝かせるティーダとジタンに控えめながらも訊いてきたティナに、スコールはバッツの苦労も気にせず呆気なく言い放った。
「せっかく作ったのに……」
「この人数だ、諦めろ」
 気合いを入れて大量に作ったにも関わらず、料理は仲間たちに瞬殺されていく。食べ尽くす勢いの仲間と料理を複雑な顔で交互に眺めるバッツと、それを見てスコールは鼻で笑って答えている。
 バッツとスコールの会話を横で聞いていたクラウドは、それぞれの意図に気づいて肩を竦め、セシルは苦笑し、ウォーリアは瞼を閉じて我関せずを貫いている。フリオニールに関しては御愁傷様……と目でバッツに語っていた。心なしフリオニールの目尻に光るものがチラッと見える。
「──粗方、片付いたな」
「これだけじゃ足りないッスよ」
「なに?……あれだけ食べて、まだ足りない、と?」
 スコールは殆ど空になった皿を見て満足げになっていたが、ティーダのひと言に一転して愕然とした。その様子を見てバッツは笑った。
 意外にもスコールは想定外の事項が起こると対処に困り、辟易してしまうことがある。バッツはつい助け舟を出した。
「しゃーねーなっ。バッツ様が追加でなにか作ってやるよ」
「バッツ。ひとりじゃ大変だろうから、俺も手伝うよ」
「サンキュー、フリオ」
 バッツの作った大量の料理はジタンとティーダ、それにティナが主になって食べ尽くしている。結局、フリオニールに手伝ってもらい、追加で料理を用意した。
 その間にジタンとティーダはお菓子や酒やつまみの買い出しに出かけ、オニオンとティナは洗濯物を干すのを手伝った。

「ほら、第二段ができたぜ。みんな、たらふく食えよー」
 バッツとフリオニールが揃えば、調理の作業スピードは数倍以上跳ね上がる。ジタンとティーダが買い出しから戻ってくれば、すでにテーブルの上には大量の料理が出されていた。それでもバッツとフリオニールの手は止まらない。次々に出されていく料理に、スコール以外の全員で挑んだ。
「ぷっはー。もう食えねー」
「ほんとっス。食えねーッス」
「食べ過ぎだよ、二人ともさ」
 腹を押さえて満足そうに寛いでいるジタンとティーダに、オニオンは冷ややかな目を向けた。少しくらい遠慮したら、と言外に含んでいる。歳下に睨まれても怯むことなく、ジタンはオニオンの頭を撫でた。
「だってよ。次にバッツの手料理が食えるの、いつになるか……わからねーんだぜ。今のうちにさ、たらふく食っとかねーと」
「そーいうことッスよ。オニオン」
「気持ちはわかるけどさ……」
 頭を撫でられて、髪をくしゃくしゃにされたオニオンは口を尖らせた。その様子を見ていたクラウドは、オニオンの肩をポンと叩いた。
「まぁいいじゃないか。最近はバッツが戻らないと、皆で集まる機会を得られないからな」
「そうそう。以前みたいに頻繁に集まれないからね。バッツの帰還を理由に、みんなで集まって楽しみたいんだよ」
「皆が揃わないと意味がないからな」
「……そうだね」
 クラウドに続いてセシルとウォーリアが擁護する言い方をしたので、オニオンはなにも言えなくなった。 この三人の言い分は、オニオンも同意見だった。それでも、少しくらいの遠慮がないと、バッツはゆっくりできないのではないか。オニオンが言いたいのはここにあった。
 ジタンとティーダ、それにオニオンの互いの意見がわかるだけに、歳上の三人は目を合わせてそれぞれ口元を緩めた。

「楽しかった、それに美味しかった。スコール、また呼んでくれよ。バッツにまた食わしてくれって伝えておいてくれ」
「バッツに『行くのはいいんスけど、できたらもっと早く、マメに帰ってくるように』と伝えておいてほしいッス」
そうすれば、もっと集まる機会が増えるッスよ。そう言い残し、ジタンとティーダは先に帰っていった。二人はこれから仕事があるらしい。
「オニオン、私たちも帰ろうか。ありがとう、楽しかった。それにごちそうさま」
「そうだね。今日はありがとう。スコール、後片付けもしないでごめんね」
「いや、洗濯のほうは助かった。客人にさせることではないのに……悪かったな」
 ティナとオニオンには洗濯物を干してもらい、挙げ句取り込みまでしてもらっている。洗濯物の内容からなにかを察したであろうオニオンは、ほんのりと顔を赤くしながらも畳んで隅に置いてくれていた。
 シーツを担当したティナには『仲が良いって素敵ね』と、わかっているのかいないのか……微妙な言葉を残された。
「さて、俺も帰るよ。久々に料理を手伝えて楽しかった。バッツにまたやろうなって、伝えておいてくれ」
 バッツに次ぐプロ級の腕前の持ち主であるフリオニールも「これからディナータイムで忙しくなるから」と言い残して帰って行った。今日はフリオニールがいなかったら、バッツひとりでは手がまわりきらなかったかもしれない。そう考えたら、フリオニールには感謝するしかない。
 帰っていく客人を都度見送り、パタンと扉を閉めてスコールはふぅとひと息ついた。もてなしたのはバッツがほとんどだが、スコールもいろいろと動いている。慣れないことをして、さすがにスコールも気疲れしていた。
「っ、⁉」
 リビングで少しゆっくりしようと、脚を踏み入れた直後だった。スコールは驚愕し、それから唖然とした。
「──そうだな、ウォーリア。覚えておくよ」
「それがいい」
 アルコールを含ませたバッツとウォーリアは、スコールが席を外していた僅かな隙に、キスができそうなほど顔を寄せ合って小声で話をしている。互いの息遣いすら感じられそうなほどの親密度に、スコールの眉間に大きな皺が寄せられた。
「ありがとな、ウォーリア」
「君たちはもっと話をす──」
「バッツ。これを片付けるの、手伝ってくれるか」
 二人の危険な距離感を視界に入れてしまったスコールは、眉を顰めたままでバッツとウォーリアの会話を強引に遮った。
 バッツもウォーリアも、唐突に入ってきたスコールをきょとんとした顔で見つめてくる。ヘーゼルとアイスブルーの無垢な四つの瞳で見つめられたスコールのほうが逆に居たたまれなくなり、ぐっと小さく唸った。眩いもので浄化される悪者の気分にどうしてか、重ねてしまう。
「くっ、」
 二人の無垢なまなざしを遮るように手のひらを目の前にあてたスコールは、生暖かい目でにこやかに三人を眺めているセシルと、首を小さく左右に振って肩を竦めるクラウドの姿を近くで捉えた。
「まぁ……ほどほどにな?」
「なんの話だ?」
「さてな」
 一連を見られていたことにバツが悪くなったところへ、クラウドが意味深けなことをスコールに言ってくる。スコールはクラウドの言葉の意味が理解できない。クラウドを睨みつけると、隣にいたセシルが柔らかい物腰で詠うように付け加えてきた。
「じゃあ、僕たちもそろそろ」
「お暇させてもらおうか」
 クラウドのフォローの言葉かと思っていたスコールは、やや少し拍子抜けをしていた。そこにウォーリアまでも続けてくる。
 最後まで残ってまったりとアルコールを摂取していた歳上連中が、ここでようやく腰を上げだした。自分たちが使っていた食器の類をキッチンへ運び、簡単な後片付けをてきぱきと行っていく。
 すべて完了すると、三人そろって玄関口に並んだ。もちろん、バッツとスコールも一緒にいる。
「スコール、頑張ってね。でもね、風はその場に留まることができないから」
「無理に留めておこうとは考えないことだ」
「クレームだけは寄越すなよ」
 セシルとウォーリアはともかく、クラウドの言っていることは意味が全くわからない。スコールは首を傾げながらも三人を見送った。

 ◆◆◆

 リビングに戻ると、妙な寂寥感だけが残されていた。全員で揃い、楽しい時間を共有したあとは、例外なく絶対に起こるものだった。誰に呼ばれ、どこに集まろうと関係はない。今回もスコールには大きくのしかかるような疲労感とともに喪失感までを抱いていた。
「楽しかったけど疲れたな。なにか飲むか?」
 バッツも同じ気持ちを抱いていたのか、スコールに向き合って疲労の見える笑みを浮かべている。バッツはフリオニールとずっと料理を作っていたのだから、本来ならば早めに休ませてやるべきではあった。
「悪い、なんでもいい。頼む。バッツに任せる」
 だが、スコールはバッツに甘えていた。理由は……ジタンやティーダと同じだった。ソファーに深く腰かけたスコールは、心身の疲労感が勝ってしまって躰が重くなってしまっている。もう動くのも億劫になっていた。
「おっけー。バッツ様が特製カクテルを特別に作ってやるよ」
 疲れているはずなのにそれを見せようとせずに、バッツはぐっと腕まくりをして食器棚からシェーカーを取りだした。
 シャカシャカシャカシャカ……
「おれのお任せってことで、ひとつ……」
 シェーカーになにやら入れて、バッツはカクテルらしきものを作っていく。シェーカーを振る規則正しい音が室内に響いた。
 カクテルを作るバッツの背中を見ながら、ソファーの柔らかさに気持ちを持ってかれていたスコールは目を薄く閉じていった。シェーカーの規則正しい音も相まって、スコールに眠りを誘っていく。
 このときに瞼を開けていれば、バッツの行った不穏な動きにスコールは気づけていたはずだった。だが、生憎と睡魔に襲われていたスコールはその瞬間を完全に見落としていた。
「──ル。起きろ。……これでいいか?」
「っ、⁉ ……っ。これは……?」
 バッツの声が少し含んだように聞こえたのは、スコールがまだ半分は意識を覚醒させていなかったからだろうか。バッツに声をかけられなかったら、スコールはこのまま寝落ちしていたであろう。
 スコールは頭をぶんぶんと振って眠気を払拭させ、カクテルの入ったグラスを受け取った。朝のアイスコーヒーとまるで逆の状況に、スコールはふっと苦笑する。
「特に名のあるカクテルではないぜ。おれのオリジナルだから、名前はない。不味くはないと思うけどな」
「……」
……バーテンダーまでできるのか。本当に多才だな。
 こくりとひと口含むと、甘酸っぱい柑橘類と爽やかなミントがスコールの口内に広がっていく。甘味はほとんどなく飲みやすいカクテルは、スコールの好みを完全に熟知したものだった。
 アルコールだというのに、スコールは一気に煽った。すべて飲みきってから、グラスをバッツに渡そうと手を伸ばす。
 バッツは目をぱちくりさせながらも、スコールからグラス受け取った。気持ちいいくらい一気に飲んでもらえたのは嬉しいが、アルコールの一気飲みは躰によろしくない。
「それ、結構度数高いんだけど?」
「明日に響かないように作ってくれているんだろ?」
 スコールの言葉に、バッツは目を細めて口角を上げている。その含んだような妖しい表情に、スコールは目を見開いて見入っていた。
「……なんだ、気づけていたのか」
 誘うようにバッツは笑み、スコールの隣に座り込んだ。ソファーのスプリングがギシッと鳴る。スコールは目を見張り、本能的に萎縮した。危険をバッツから感じ、ゴクッと息を呑み込む。アルコールを摂取してふわふわとしていた感覚は一気に霧散していく。バッツの黒い笑みに、スコールはソファーに腰かけたまま後退ろうとした。
 スコールの畏怖した様子に、バッツはくっと笑った。
「冗談だよ」
 バッツはそれだけを言って、スコールから離れるためにソファーから立ち上がろうとした。しかし、それはできなかった。
「っ、アンタは……っ!」
 スコールはバッツの腕を掴んで引き寄せた。バッツをソファーに押し倒してそのまま組み敷く。バッツの両腕をまとめて頭上に縫い留め、動きを制限させた。そのくらいしないと、その気になればバッツはすぐに逃げてしまう。
 早業でスコールに組み敷かれたバッツは、脳内を整理するのに数秒はかかっていた。スコールのこの突然の行動に、バッツの表情は黒い笑みから驚愕に変わっている。
「待てっ、待て待て……っ」
「くっ、」
 バッツがこうして慌てふためいてオタオタするさまは、実は結構珍しい光景だった。先ほどの黒い笑みは完全に消え去り、いつもの奔放なバッツに戻っている。
 バッツは動かない腕を力任せにぐいぐいと動かして抵抗しているが、そこに真剣さは含まれていない。言葉では嫌がるようでも、本気で抗う様子のないことに、スコールがここでとめてくれると信頼されているからだとわかってしまう。
 それらすべてを含め、慌てるバッツを見ていて可愛くも愛おしくも感じてしまう。スコールはバッツのひたいに軽くキスをした。
「ぅえ……?」
「アンタは──」
また行ってしまうのか? びっくりしたのか妙な声を出したバッツのことは無視し、自身の喉から出かけた言葉をスコールは呑み込んだ。今、それは伝えてはいけないものだと──あの三人が残した言葉になにが含まれ、そしてスコールになにを伝えようとしていたのか……を、ここでようやく意味のすべてを理解した。

『風はその場に留まることができないから』
『無理に留めておこうとは考えないことだ』

 セシルとウォーリアの残していった言葉が、スコールの頭を突き刺すように響いた。スコールはバッツに旅には出てほしくなかった。ここに居て欲しかった。だが、バッツの意志を無視することはできない。
 バッツは今はここに留まっているだけで、またすぐに旅へ出てしまう。そのことは容易に考えられることだった。スコールの冷蔵庫の中身から食生活を察して、保存できる料理を大量に作ってしまうくらいなのだから──。
 ただ、この部屋を心と躰を落ち着かせる場所として帰って来てくれるのなら、スコールは『行くな』と反対をしてはいけない。帰りを問い詰めてもいけない。
「──……っ、」
 目の前の恋人が限りなく遠い。キスができるほどの距離にいて、互いの息遣いを感じあい、躰はとっくに繋げているのに、それでもバッツの心が遠くに感じる。
 悲痛な表情を浮かべて見下ろすスコールに、バッツは真摯なまなざし向けていた。逆にスコールは、バッツの力強く輝くヘーゼルの瞳を見つめている。薄暗い室内灯のなかでの、互いの瞳の輝きや表情が窺えるほどの近距離で、二人は暫し見つめ合う。
「なくな、スコール」
「なっ⁉」
……泣いてなんかいないぞ。
「お前の心が哭いている。なぁ、おれはそんなにも信用ないのか? お前に信頼してもらえていないのか?」
 すっかり見透かされたスコールは、バツの悪さからバッツの躰にどすんに体重を預けた。
「うげっ! 重っ、どけよっ!」
 バッツからはクレームが入り、スコールの体重から逃れようと身を捩られた。あまりやりすぎると今度はスコールのほうが揶揄われてしまうので、すぐに躰を持ち上げてバッツを自由にした。腕はまだ拘束したままだが。
 ふぅと大きく息をついて、スコールはもう一度改めてバッツの揺るぎない力を秘めたヘーゼルのまなざしを覗き込んだ。
「そんなことはない。オレはアンタを信じたい。……バッツ、聞いてもいいか。次はどこへ行くんだ?」
「言えない。言えばお前は追いかけて来るだろ」
「……」
……やはり行くのか。
 考えが完全に的中してしまったことに、スコールは眉を寄せた。スコールのせっかくの男前が眉間に皺の寄った渋面になっていることに、バッツはくすくすと笑った。スコールの悩みを払拭させるかのように、落ち着いたいい笑顔を浮かべている。
「そんな神妙な顔をするなって。おれはまたここに帰って来るよ。おれの帰る場所がここしかないの……お前が一番よく知っていることだろ?」
「っ⁉」
「だから待っていてくれよ。旅が終われば、おれはずっと一緒にいる。あともう少しなんだ。おれの中で答えが見つかるのは」
「答え?」
「それは……な・い・しょ。なあ、いつまでこのままなんだ? おれ、もう腕が限界なんだけど」
「ああ。悪かったな」
 ずっと頭上で縫い留められているので、腕がいい加減痺れてきた……と。バッツの訴えにスコールは腕を離し、両腕をゆっくりと下げていく。バッツの両腕は血液循環が滞って、少し動きが鈍くなっていた。
 動かなくなった両腕をスコールはさすっていく。血液循環が回復すれば、バッツの腕は元通りに動くようになった。
「これで大丈夫か」
「ああ。ここまでされたのは……初めてかもな」
「うるさい」
 バッツに指摘されてムスッとした表情をスコールは浮かべていたが、やがて二人ともくすりと笑みあった。
 くすくすと笑いあうのが終われば、スコールは無言でバッツに顔を近づけていく。触れるだけのキスを何度も繰り返し、それから顔を離していった。
「ん……」
 触れるだけのキスというのに、バッツの顔は真っ赤になっている。ぷいと瞼を逸らしたバッツに、スコールの情欲は見る見るうちに上昇していった。
「ここでするか? ベッドへ行くか?」
「……聞くなよ。ここはあとで思いだすから……嫌だ」
「了解」
 要するにソファーで事に及ぶと、事あるごとに思いだして恥ずかしい……と。真っ赤にした顔で言い訳をしているようだが、逆にかえせば「ベッドならいい」と言っているバッツが愛おしい。
 スコールは目を細めてバッツの照れるさまを見ながら、膝裏と腰に腕をまわし、その細身を持ち上げた。バッツは落とされないようにとスコールの首に手をまわし、きゅっと力を込めてくる。バッツの可愛い行動にスコールもそろそろ限界を覚え、横抱きにしたまま寝室へ向かった──。