残痕想歌

                 2023.10/30

 その日は、満月の大きく見える夜だった。
 コーネリアから北上したところにあるカオス神殿で、怪しい人影を見たという情報が入り、ガーランド率いる騎士団は様子を探りに向かうこととなった。だが、神殿に人の気配などなく、情報は虚偽のものか、見間違えではなかったかという結論に達した。
 そのため騎士団はそのままコーネリアに戻ってきたものの、吹き荒れる空気の流れから、ガーランドはなにか感じるものがあった。コーネリア王城前の正扉で、ガーランドは騎乗していたチョコボから降りた。
「ガーランド様、どちらへ?」
「少し哨戒してくるとしよう。おぬしたちは騎士団へ戻り、報告書をそれぞれ提出するように」
「はっ!」
 部下にビシッと敬礼されたガーランドは、チョコボを預けてコーネリアの城下に向かっていった。

「儂の気のせいであったか……それならば、よい」
 町の警らがてら、ガーランドはコーネリアの王城の近くにある湖のほとりにまで脚を伸ばしていた。冷たく澄んだ空気を肺に取り込んでは、口当てから白い吐息を出して周辺を見まわしていく。
「む、」
 ふと、ガーランドは湖のほとりにひとりの青年が立っていることに気づいた。緩く風が吹くなか、その光景が異常だと気づくのに少し時間を要する。それくらい自然のなかに溶け込んだ不自然さだった。
 その青年はただの旅人だろうと一瞥し、ガーランドは立ち去ろうとした。だが、それはできなくってしまった。ガーランドはその青年に囚われたかのように目を奪われていた。
 青年は薄氷の張った湖で身を清めようとしているのか、装備を外していっている。綺麗な月の下に照らされた青年があまりにも美しく、そして神秘的で、ガーランドの目に鮮明なまでに強く焼きついた。
 ひとつ、またひとつと装備品を身から外しては、青年は草の少ない地の上にボトボトと落としていく。その手際のよさから、青年は着装にかなり手慣れていると窺い知ることができた。
 雲が少なく、月明かりが眩い夜は、互いの姿をすぐに捉えることができてしまう。冷たい湖水に身を浸けようとする青年の姿に惹かれ、ガーランドは息を呑む。立ち去ることができないのなら、青年に見つからないように隠れなければならない。だが、ガーランドはそれすらできずに、その場に佇んでいた。
「……? 誰か、いるのか?」
「っ、⁉」
 その声は、どこかで聞いたことのあるものだった。凛とした清涼さを持ち、それでいて聴くものを虜にでもしてしまいそうなほどの静やかな底力のある声は、兜で覆われたガーランドの耳にも届いた。
 喉から「うぐぅ」と引きつった声が出そうになったが、ガーランドは寸前でどうにか堪えた。聞かれたら間抜けすぎて、ガーランドのほうが立ち直れそうにない。
 気配を消し、じっとしていると、やがてまたゴソゴソと音が聞こえるようになった。誰もいないと認識され、青年は鎧をまた脱いでいっているのではないか。青年に気づかれなかったことに、ガーランドは安堵する。
 こうやって覗き見るのはよくないことだと、頭では理解しつつも、ガーランドは青年に近づいていった。氷混じりの湖で水浴びをするくらいなら、コーネリアの町にある大衆の湯浴み施設の利用をすればいい。それを教えるために近寄るのだと、ガーランドは心の中で問われたときの理由を、胸の内で何度も復唱した。
 ただの親切心のつもりだった。だが、ガーランドの気配を察したのか、青年はふっと振り返ってきた。そのときの凛然とした美しいアイスブルーのまなざしは、ガーランドにとって忘れられないものとなった──。

 それが、数日前の出来事となる。
 結局、そのときはうまく声かけできず、通りすがりを装ってガーランドは青年から遠ざかった。あれは失態だったと、ガーランドは今でも悔やんでいる。
 装備を外しているところではあったが、青年の身に残っていた装備品から、鎧の色は澄んだ青であったことは夜目でもわかった。しかし、ガーランドが目を奪われたのは、それ以上に澄んだ青年のまなざしと、首に残る細身の剣による引きつれた斬撃痕──。
 それは大きく青年の首に残されており、遠目からでもはっきりわかるものだった。ガーランドは自らの首を押さえた。
「なにを馬鹿な……」
 白銀に光る騎士団の鎧は全身を覆う。首周りも然りだった。そのような状態で首を押さえるのは至難の業であるのだが、自らの首ゆえに難なく行える。
 ガーランドのアンダーは首全体まで覆い隠すものなので、兜で覆われたその素顔はおろか、首元すら人前で晒すことはなかった。ゆえに知られることはなかったのだが、ガーランドの首にも大きな斬撃痕がある。あの青年と全く同じものだった。
 共通の敵──魔物にやられたのか。ガーランドは考えた。しかし、ガーランドが記憶しているなかで、魔物に首を斬られた憶えはない。瀕死の重傷を負い、その当時の記憶が失われていたとしても、苦痛くらいは脳が憶えていてもいいはずだった。だが、それすらない。
 首に残されたこの傷痕がいつ、誰に、どうやって付けられたものなのか。これまでガーランドはずっと記憶や騎士団に残された報告書から探っていた。
 けれども、報告書には部下の兵士や騎士の負傷や死亡報告だけが記載されており、肝心のガーランドの名がどこにも記されていなかった。最近ではなく、かなり以前の可能性もあったが、ガーランドが騎士団長に就任してからのものであることは確かだった。
 ただ、騎士団長になってから少しの期間、ガーランドはこのコーネリアから出奔していた時期がある。この期間内の負傷ではないかと、ガーランドは睨んでいた。
「ガーランド様、お時間です」
「ああ、すぐに行こう」
 青年のことが気になるが、日々の任務はこなさなければならない。騎士団長を勤める傍らで、ガーランドは青の鎧の青年の行方を探していた。
 しかし、青年に関する情報は一切得ることができない。日々が忙殺されていくあいだに、ガーランドはあの青年が夢まぼろしか見間違いかと思えるようになっていった。

「……特に異常は見受けられぬな」
 毎日を騎士団で過ごし、私生活などとうに忘れてしまいそうになるころ、深夜にガーランドはひとりでコーネリアの周囲を哨戒していた。
 比較的晴天に恵まれるコーネリアの夜は、澄んだ星空を眺められることが多い。風は冷たいが温もった躰には心地よさすら感じ、ガーランドはざっくりと周囲を見ていった。
 湖畔にまで脚を伸ばし、ガーランドは近くの樹に背をつける。此処に来ればあの青年にまた会えるのではないか、考えたが現実はそう上手いことまわらない。さざ波に揺れる湖水の静寂な水音に耳を傾け、ガーランドは誰もいないこの空間にひとりで佇んでいた。
 思えば日々を騎士団で忙殺され、私生活といったものは蔑ろにしていた気すらある。後継が育ってきているので、ガーランドもそろそろ騎士団を引退することも視野に入れていた。
 王城内ではガーランドに対する羨望の視線すら飛び交っている。それは決していい意味合いのものだけではない。なかには妬みや僻みといったものも含まれていた。
 そのような場でコーネリアの騎士団を統べる騎士団長を務めるには、肉体以上に強靭な精神面が必要とされる。後継の育成にも力を注ぐのは、背景にそういった事情があるゆえのものだった。
 コーネリアを護るだけではない。コーネリアのために尽くす騎士すべてをガーランドは護ってきた。それゆえにやっかみを買うこともある。そのことにガーランドは心折れることはないのだが、それでも重ねる年月のなかで蓄積されていくものはあった。
 しかし、もし騎士団を退団したとして、それからをどうするのか。コーネリアを護ることに尽力してきたガーランドとしては、それから先のことを見通すことができない。良くも悪くも〝ナイトの中のナイト〟として、ガーランドはこれまでコーネリアに従事していた。
「ガーランド様っ‼︎」
「どうした?」
 ガーランドは周辺の哨戒に出るとは伝えていたが、この場所に来るとは告げていない。それなのに息せき切ってここまで駆けつけてきた部下のひとりに、ガーランドは驚愕しつつも落ち着き払ったような声をかけた。
「騎士団に……お戻りください」
「……」
 荒い呼吸を繰り返すばかりで、うまく状況説明のできない部下を責めるわけにいかない。部下の呼吸が整うまで待つより、言葉どおりさっさとコーネリアに戻るほうが得策と考えたガーランドは、大きく頷いてからゆっくりと動き出した。
 動きは緩慢なようで、ガーランドの機動力はかなりある。大柄な体躯と相まって、ひとたび歩み出すと重戦車のような勢いすらあった。

 そうして戻った騎士団で、ガーランドは一枚の報告書に目を通していた。その瞳は驚愕に揺れている。兜で隠れてしまっていることは、幸いだったのかもしれない。ガーランドの動揺が、周囲に悟られることはなかった。
「カオス神殿に……魔物、だと? 馬鹿な……!」
 ガーランドがこのように述べたのには理由がある。かつてガーランドが数日間出奔していたとき、立っていたのはそのカオス神殿であった。意識がはっきりしない様子でガーランドは周辺を探ったのだが、そのときは魔物の類など感じることはなかった。
 それから少し日は経っているが、それでもこのような短期間に魔物が棲みつくとも思えない。神殿への入口となる正面大扉はコーネリア国王が固く施錠し、易々と入ることは能わない。それはガーランドとて同様であった。
 それに、先日もカオス神殿の近くで怪しい人影が目撃されたので、ガーランド率いる騎士団は様子を探りに行っている。それなのにまた目撃情報が寄せられた、もしくは──。
「誰かが……侵入したということ、か」
 固く施錠されたカオス神殿にも、抜け道というものは存在する。施錠された神殿の入口扉から入ることはできなくても、ところどころ崩壊した石壁をくぐって内部に立ち入ることは可能だった。だが、それが魔物にできるのか。よほど知恵のある魔物か、もしくは人間──。
「ガーランド様。追加の報告によりますと、神殿の近くで人影が目撃されたようです。もしかしたら、魔物に連れ去ら──」
「すぐに準備をせよ! 集められる者を先に召集し、人数が揃い次第すぐに発つ‼︎」
 人間が魔物に拉致されてしまったのなら、もう殺害されて食い散らかされているか、慰みものにされているかのどちらかになる。どちらにしても拉致された人間に未来はなく、絶望しか残されない。少しでも早く対処できれば、殺されているなら手遅れだとしても、魔物たちに性的暴行を受けている最中なら、救出することは可能になる。
 生きてさえいれば、療養院で手当をうけることも可能だが、果たして魔物連中に犯された人間に、まだ生きようとする意思があるのか……が次なる問題となってくるのだが。
 コーネリアの周辺は比較的穏やかだが、少しでも離れてしまうとゴブリン種やウェアウルフ種が生息する森に入ってしまう。ゴブリン種は特に性欲が強く、森に迷い込んだ旅人などが襲われるという報告がこれまでにも寄せられている。連中は老若男女問わず襲いかかる性質があるので、歳若い女性だけが被害に遭うとは限らない。
 連中は集団で人間を拉致し、被害者の性器や臓器が損壊するまで犯し続けては、最後に生きたまま食らっていた。そのやりくちは凄惨のひと言では済まされないほどであり、無念としか言いようがない。尊厳破壊された被害者を弔うことにもだが、身内がいれば報告に伺わねばならない。それも騎士団の業務のうちであった。
 言葉を選ばないなら、はっきりいって誰もが関わりたくない事例だった。だからこその早期対応であり、今回ガーランドが急いで隊を編成したのもここに理由がある。魔物に輪姦されている場面や喰われているところなど、いくら救助とはいえ被害者も見られたくはないだろう。という配慮のもとだった。
「ガーランド様、小隊が編成できるほどなら招集できました!」
「よし。すぐに魔物の討伐とその者の救助へ向かう。まだ来ておらぬ者は集まり次第、援軍として駆けつけよ!」
「はっ! そのように伝えてまいります!」
 こうしてガーランドの隊は夜更けであるというのに、カオス神殿へと向かうこととなった。

 王城の裏門を開けて軍用チョコボや軍馬が出征に出ても、見送る民衆はいない。誰もが安眠している時間帯だった。
 町民の誰にも気取られることなくコーネリアを離れることができたのは、拉致された者が生存していた場合、少なくとも悪い結果になることはない。その者の正体を有耶無耶にし、詳細を隠蔽することができる。そう考えると夜を駆ける意味もあるものだし、部下を密かに召集できたことに安堵すらしていた。
「むっ」
 カオス神殿の外観が臨めるほど近接したころ、ガーランドはその場で隊を止めた。樹々が密集する森の中で、なにやら物音と叫び声のようなものが聞こえてくる。
 ガーランドを含めた全員が息を呑み、場は騒然と凍りついた。出征前にガーランドが予想していたことが、ここで行われている──。誰もが想像し、空気が緊迫したものに変化していった。
「静かに。騎乗しておる者はここで降り、相手に気取られぬように近づくぞ。目的は魔物の殲滅、および被害者の救助だ」
「はっ!」
 ガーランドの指示に反論する者は誰もいない。ここに集った騎士や兵士たちは隊列を崩すことなく迅速かつ密やかに進んでいった。地に落ちている小枝を踏むような失態をおかすようなこともなく、ガーランドの小隊は魔物たちの〝宴〟の傍に寄ることができた。
 気配を潜ませ、各々が樹の陰に隠れるなどの行動をとっていたが、やがてこの場にいた全員がまた息を呑むこととなった。
「な……っ、」
 びゅん!
 風を切るような大きな音が聞こえたその刹那、続いて魔物たちの奇声がけたたましいほど響いた。興奮しているとは思えない、異常とも感じられるその声々に、ガーランドを含めた隊の者はゆっくりと樹の陰から顔を出して様子を窺った。そして、皆が声を詰まらせて絶句した。
 魔物の中央に人が立っている。早く救出せねばと、ガーランドを含めた隊の者のすべてが考えた。しかし、誰ひとりとして脚が動かない。まるで全身がマヒしたかのように、カタカタと震えるだけであった。
 魔物の中心にいるその者を早く助け出さねば。その一心でガーランドは動かなくなった躰に叱咤するように、ぐぐっと一歩踏み出した。
「……私の声がわかるか? おまえたちは、ここでどのくらいのヒトを殺めた」
『△□○▽……○』
 青年は魔物に語りかけている。魔物との会話が通じているとは思えないが、多少なりとも話ができているようだった。ガーランドはせっかく一歩踏み込ませた脚をそれ以上動かすことはなく、状況を見守ることにした。手振りだけで、部下たちにもその旨を伝える。
 しかし、そのことよりもガーランドは先から聞こえてくるその者の声に聞き覚えがあって、どこで聞いたものか……その記憶を手繰り寄せることに集中していた。そのせいで、魔物の陰に隠れていたその者の姿がはっきりと見えていたのに、ガーランドは見逃してしまった。
「ガーランド様、どうやら男性のようです。青い鎧を身にまとう……この近辺では見かけたことのない者ですね。旅の者でしょうか」
「っ、⁉ 何処だ!」
 そのことを部下に指摘され、ガーランドは焦ったように周囲を見まわした。だが見えるのは魔物の頭部や後ろ姿ばかりで、青年の姿を捉えることはできない。
「あそこです。ほら……。ゴブリンどもの隙間から少しだけ姿が確認できます」
「……」
 ガーランドはまたも絶句していた。その者は、以前ガーランドがコーネリアの湖で出会った青年だった。冷たい湖水で身を清めようとしていたのを止めたのは、まだガーランドの記憶にも新しい。むしろもう一度逢いたいとすら考えていた人物にまた会えるなど、万にひとつの奇跡でも考えられないものだった。
 しかし、ここでガーランドは青年のおかれている現状に気づき、精神を尖らせた。青年は魔物──ゴブリンたちの集団に囲まれている。
 幸いなことに青年の装備に異変は見受けられない。どうやら性的暴行に関してはまだ未遂らしく、これだけでガーランドとしても胸を撫で下ろす。だが、魔物の集団に囲まれている以上、どのような被害を被るかは依然として予測はできない。これから襲われる可能性だってある。
 そうならないためにも、手に持つ巨剣を軸にして動かない脚をどうにか動かし、ガーランドはゆっくりと近づいていった。ガーランドと同様に動けなくなった部下はその場に残している。全身がマヒしている以上、下手に動かれて被害を拡大されては目も当てられない。それならば、最悪魔法を詠唱できるガーランドだけで行動するほうがいい。
 ガシャ‼︎ 鎧の擦れる大きな金属音は周囲に反響し、大きく響き渡った。そのせいで魔物はガーランドに気づきだしている。せっかくゆっくり近づいたのに無駄なことになったが、魔物に気づかれたところで怯むガーランドではない。
「そこのおぬしッ‼︎ その場を動くでないっ!」
「……」
 ぴくりと青年の柳眉が動くのを確認し、それからガーランドはゴブリンたちの集団の中に割って入った。醜悪な魔物は気持ちの悪い奇声をあげ、悪い意味でガーランドを歓迎している。
 ガーランドすらも獲物として捉えているのか、身につけた鎧を剥いで中身を引きずり出し、臓物を抉り出して狂宴を開くつもりか。どちらにしても獲物扱いされたことに、ガーランドは小さく舌打ちした。
 それでも、ゴブリンたちの目は青年からガーランドに移っている。それだけでも良しとした。これなら青年をこの場から逃してやることも可能となる。
 ガーランドは手に持つ巨剣をそのままに、空いた手を魔物にかざして詠唱をはじめていった。手のひらに凝縮されたほのおの渦が生じる。
 それを見た魔物は仰天し、ワタワタと挙動不審な動きをとりだした。向けられたほのおの渦になにかを察したのか、焦りを見せる魔物たちは青年を残してガーランドのほうへ一斉に飛び込んできた。
 この場合の〝飛び込んできた〟とは比喩ではない。大量の魔物に飛びつかれて襲われれば、いくら鎧で全身を守り固めていてもひとたまりもない。装備を剥がれ、生身の躰をを剥き出しにされたのちに、どういった扱いを受けるのか……それは先もガーランドが考えたものと同様であった。
 しかし、ガーランドは臆することなく、発生させたほのおの渦を飛びかかってきた魔物たちの中心に向けて投げ放った。
『□◎▽△……‼︎』
 ほのおを食らった魔物は全身火だるまになって地に転がった。しかし、そのほのおを利用し、手に持っていた木製の棍棒に火をつけてガーランドを襲う知恵ある魔物もいる。
 その魔物の攻撃を躱し、ガーランドはほう、と心の中だけて感嘆させた。知能の高い魔物が存在するなら、青年と交わしていた先の会話も成立していたのだろうと、想像に容易い。
 ほのおを使用したことで、周囲の樹々まで延焼しだしている。その原因はガーランドの魔法ではなく、火のついた棍棒を振りまわすことで周辺に着火させていっている魔物にある。その魔物の首を巨剣で落とし、ガーランドはその棍棒を手に取った。
「ふん、だが所詮は烏合の衆よ」
 魔物の武器を手にしたことで、ほかの魔物たちはわらわらと逃げていった。ガーランドは逃げだした魔物には目もくれず、火のついた棍棒をぶんぶんと振って完全に消火させた。
 延焼しだしたこの森は、ガーランドがつなみを起こすことですぐに鎮火した。つなみといっても大がかりなものではなく、少しの水流を出す程度に留めている。火災の次は水害に遭わせては、なにも悪くないこの森の景観を損ねるだけでなく、自然形態そのものを崩してしまう。
 人の手が入っていないなら不必要な破壊は避けたいと、ガーランドは散っていった魔物を無視して部下を呼び寄せた。そのあとで青年の姿も探す。
「何処かへ行ってしまったのか……?」
 魔物と火のついた棍棒に気を取られているあいだに、青年はいなくなっていた。それは部下からの報告からでも明らかになった。青年はガーランドがつなみを起こした時点でこの場を去ったのだと。
 月光は先ほどまで森のなかまで煌々と照らしていたが、時おり厚い雲がかかってあたりを闇色に戻していた。青年の姿が確認できたのはその月の光によるもので、今は暗く生い茂った樹々で周辺がはっきりしない。背の高い雑草や、踏み荒らされてできた獣道などが確認できる程度だった。
 どうして青年をその場に引き留めておかなかったのか。ガーランドはその部下に恫喝しかけた。しかし、寸前のところで押し留めることができた。そのような指示を出していないのだから、部下を責めるわけにいかない。
 なにより青年が自主的に避難していったのなら、それを止めるのも不自然となる。魔物になにかしらの被害を受けていたのなら、青年に限らずともこの場から早く立ち去りたいだろう。それはガーランドも納得できるものであった。なにか明確な理由があって、青年をこの場に留めない限りは……だが。
 しかし、その明確な理由を見つけることができなくて、青年が立ち去ったことにガーランドは安堵した部分もあった。少なくとも歩くことはできるのだから、青年には安全なところまで逃げてもらいたい。可能なら騎士団で保護したかったが、それを不要と捉えたから青年も消えたわけで。それを追いかけるほどガーランドも無粋ではない。
「また……会えるであろうか」
 会いたかった人物とすれ違うかたちにはなったが、一応は会うことができた。機会があればまた何処かで会えるかもしれない。ガーランドは少し残念に思いながらも前向きに考えるようにした。
「今の者が報告にあった者かもしれぬ。もし見つけたらすぐに報告せよ。我らはこれからカオス神殿を探り、その後帰還する。各自、出立の準備を!」
「はっ!」
 今回の遠征はカオス神殿に棲みついたかもしれない魔物を探ることにある。魔物に連れ去られた者は方向が同じだったからという理由だったのだが、ガーランドとしてはこちらに重点をおいていた。しかし、それが有耶無耶になってしまったのだから、次にすることを優先させた。
 安全な場所に残してきたチョコボに騎乗し、ガーランドの小隊はカオス神殿に向かって進みだした。とはいえ、すぐ近くまで来ていたのだから、そう時間はかからず到着することになった。
 チョコボを神殿の周囲にある大樹の根元に寄せて見張りの部下数人を残し、ガーランドたちは神殿に入っていく。
「ふむ……」
 荒れ果ててはいるが、かつてはなにかを祀られていた神殿たのだから、造りはしっかりしている。ところどころ崩壊や崩落の跡が見られるが、まだまだしっかりとした外観を誇っていた。
 なにより人を寄せつけない荘厳な雰囲気が神殿全体から漂っている。それに魔物の多い混沌の森の奥深くに建立されていることと相まって、この場に人間が近づくとは思えない。
 魔物が棲みついた可能性を考え、ガーランドはその気配を探っていく。中庭は荒らされた形跡はなく、草が自由に生えてしまって景観を損ねてはいるが、手入れすれば素晴らしいものであることは見てわかるものだった。
 噴水らしきものも中庭にそのまま残っている。水が動いているなら、ここに住むことは可能であるが、供給を絶たれているならそれも難儀なことかもしれないと、ガーランドはざっくりと外観を見てまわって判断した。
 カオス神殿の正門扉の鍵はコーネリア国王より預かっている。中庭を見てまわったガーランドは、ついに内部へと脚を踏み込ませるべく、鍵を動かして大きな錠前を外した。
「……入るぞ。皆、気を引き締めよ」
「はっ!」
 小隊のすべてで突入するのではなく、半数ほどはこの場に待機させておく。これは内部で異変が起きたときにコーネリアへ報告へ出せるようにしておくためのものだった。というより、ガーランドが単独で探索するほうが都合がいい。しかし、それだと隊を召集した意味が薄れてしまうので、形式だけになるが一応の編成であった。

「此処は祭壇か。しかし、此処はどこかで……」
 カオス神殿の奥にある大きな謁見の間のさらに奥にある祭壇を見つけ、ガーランドは首を傾げさせた。見覚えがあるようで、ないような……曖昧なものが脳をかすめていく。
 祭壇には黒い水晶が煌めいていた。その近くには薄青に輝く水晶が添えるように置いてある。それは見るからに不自然な光景だが、これがあたかも自然で不変のものにも思え、ガーランドは触れることに躊躇いが生じた。
「ふむ、異常はなさそうだな。魔物が潜んでおる様子も見られぬ」
 魔物にしろ人間にしろ、潜伏するなら多少の痕跡が残る。それがこの神殿内のどこにも見つからなかった。気配すら感じることができないのなら、無人であったと報告して間違いはなさそうだと判断し、ガーランドと隊はカオス神殿をあとにした。気にはなったが、黒く煌めく水晶と青く輝く水晶をその場に残して──。
 チョコボと残してきた部下と落ち合い、ガーランドの隊はコーネリアへと向かう。出発のときほどの迅速さは欠け、帰還は少し時間をかけていた。これは急ぐ必要がなくなったためと、部下の身を案じてのものだった。夜通しの行軍となるので休息を何度か挟み、コーネリアへ凱旋できたのは夜が明けて昼に近い時間帯であった。

「御苦労であった、ガーランドよ」
「……はっ、」
「そちが早くに対処してくれたおかげだな。被害が──」
 帰城してすぐに報告とカオス神殿の錠前の鍵の返却のためにコーネリア国王に謁見したガーランドは、せっかくの労いの言葉を右から左へ流していた。
 平常のことゆえに早く終わらせたいのに、こういうときの国王の話は世間話を含ませてくる。そのために無駄に長くなることがあり、今回も長くなりそうな予感をヒシヒシと身に感じ、ガーランドは兜の中で誰にも聞こえないような小さな溜息をついていた。
「失礼します! 国王にご報告です!」
「むっ、どうした」
「では、これにて失礼させていただく」
 ガーランドの願いが通じたのか、謁見の間に兵士がひとり慌ただしく乱入して国王へと告げていく。この機に乗じたガーランドはさっと立ち上がると、国王に深々と頭を下げて退室する。
 国王はまだガーランドに用があるような素振りを見せていたが、それは見ないようにした。それより、兵士の情報がガーランドは少し気になった。だが国王の耳に届けられたものなら、すぐにでも騎士団へ報告が入る。それを待てばよい。

「カオス神殿はどうだ?」
 休む間もなくガーランドは騎士団へ戻り、残務をこなしていく。執務室にあるガーランドの机上には、目を通さねばならない書類が山積みになっている。遠征へ出る直前よりかさの増した書類の中から一枚を手に取り、ガーランドはじっくり文書を読み込んでいった。
「カオス神殿に関するものは、今のところ……そうですね、なにも届いていないようです」
「そうか」
 報告も一報もなにも届いていないのなら、異常がないということになる。消えたあの青年のことが頭によぎるが、異常がないカオス神殿にガーランドが私用で行くのは難しい。休暇を得た際に、様子見がてらぶらっと立ち寄ってみるのもいいと考え、この日は雑務処理で一日を終えた。

続きは製本にて──