第一章 夏祭り - 1/2

                 2018.8/05

 遠くでお祭りの音が聞こえている。幸いなことに本日は珍しく残業なしの定時で終業が出来たウォーリアは、更衣室で着替えをすませ、早々に帰宅すべく職場を走り出た。
 今日は同僚のフリオニールと一緒に、祭りに行く約束をしていた。彼女はいち早く帰途についていたはず……。
 気持ちだけが焦り、自室に到着するとウォーリアはカバンだけを室内に投げ入れた。流れる汗もそのままに、同じマンションの階違いに居住する彼女の部屋へと急ぐ。
「~~~~っ!」
 エレベーターがかなり上にいっている。ウォーリアは一階、フリオニールは二階に住むため、別にエレベーターに乗る必要はないと思われる。しかし、このマンションは非常用階段が外にあるだけで、建物内には階段がなかった。
 マンションの構造として、それは如何なものだろうかと毎回ウォーリアは考える。だが、結構な数のエレベーターと定期的に入るメンテナンスが、上階に住む住人達に安心を与えていた。
 他のエレベーターを見まわしても、同じように上階に向かうものばかりだった。下に向かっているものも、かなり時間がかかりそうだった。
 チン
 やっとひとつのエレベーターが一階に下りてきた。ウォーリアは慌てて乗り込み、二階のボタンを押す。ふう。安堵から大きな息を吐き、腕の時計を確認した。
……十分ほど遅れたか。
 約束の時間に遅れてしまったことを悔やみつつ、ウォーリアはフリオニールの部屋に到着した。呼び鈴を鳴らし、彼女が出るのを待つ。
「ウォル」
「フリオニール、すまない。待たせただろうか?」
「大丈夫だよ。さ、あがって」
 フリオニールが微笑みながら扉を開け、室内に招き入れてくれた。互いに部屋を行き来し、週末に都合が合えばお泊まり会を開くほど、二人は仲が良い。生活用品も互いの部屋に予備で置いているほどだった。
 ウォーリアはエレベーターの経緯をフリオニールに伝えていく。今はよくても帰りに支障が出るかもしれない。そのことを伝えても、フリオニールは笑い、ウォーリアの話を聞き流していた。
『エレベーターが上階まで行かなかったら、上階に住む人々の生活はどうなる? むしろ行かなきゃダメだろう』
 これがフリオニールの笑った理由でもあった。フリオニールがそう言うのなら。ウォーリアも気にするのを止めにした。
「とにかくさ。ウォル、汗だくだよ。着替えを出しておくから、先にシャワーを浴びてきて」
「しかし、時間が……」
「お祭り行って、花火見て、あとはいつものお泊まり会だろ。多少遅れても大丈夫だって」
そこは臨機応変に。ウォーリアの危惧を退け、にこっと屈託なく笑うフリオニールの笑顔に負けてしまい、ウォーリアは浴室へと向かった。
 三十五度を超える酷暑の中を走ったものだから、全身汗だくで確かに気持ち悪い。このまま着替えても浴衣に申し訳ない。そう考え、衣類を備え付けのカゴに脱ぎ入れた。あとでフリオニールが洗濯機に入れて、スイッチを入れてくれるだろう。
 どこまでも家庭的な彼女に、現在お付き合いしている彼氏などはいなかった。ただし、それはそこいらの男性より、はるかに高スペックなウォーリアに遠慮して、誰も近寄らないからでもあったが。
「ウォル、下着出しておくから」
「ありがとう、フリオニール」
 シャワーを浴びるウォーリアに、浴室の外から声をかけられた。フリオニールはきっといいお嫁さんになる。ウォーリアはシャワーを浴びながら小さく微笑んだ。

◆◆

「これ、は……?」
「ごめん、ウォルっ!」
 シャワーを浴びて戻ってきたウォーリアは、リビングの床に置かれている浴衣を呆然と見つめた。隣ではウォーリアがシャワーを浴びている間に着付けたのか、浴衣姿のフリオニールが顔の前で手を合わせて謝罪をしている。
 そこに置かれていた白地に青で面妖な模様の入った、地味なのか派手なのか良く分からない謎のチョイスの浴衣に、ウォーリアはふらり……、目眩を起こしかけた。
「ほんと、ごめん。オレ、注文を間違えたみたいなんだ……」
「だからって……」
これはないだろう。ウォーリアは喉元まで出かけた声を、なんとか押し止めた。
 浴衣は事前に二人でカタログやネットで吟味して、最終的にフリオニールがネット通販で安く注文をした。今日届く荷物の受け取りに、フリオニールはいち早く帰宅したわけだが、それにしてもこれはない。
 よく見ればその面妖な柄の浴衣は男性用で、いくら女性にしては高身長なウォーリアでもどうかと思えた。
「……悪い」
 琥珀の瞳に涙を浮かべ、フリオニールはせっかく着付けた浴衣を脱ぎだした。私服に着替えるために脱いだのだが、これに驚いたのはウォーリアの方だった。下着姿になったフリオニールを慌てて抱きしめる。
「君が謝る必要も泣く必要もない。わたしがこの浴衣を着よう」
「でも、それは……」
男性用……。フリオニールの口元にウォーリアは人差し指を押しあて、最後までは言わせなかった。指の腹で涙を拭いとってやると抱きしめた身体を離し、床に置かれた男性用浴衣を拾いあげた。
「この浴衣がここに届いたのは何かの縁だ。ならば……これはわたしが着るべきだ」
君はその浴衣が格別良く似合う。続けられた言葉と押しあてられていた指の体温を唇で感じ、フリオニールは頬を赤く染め、口許に手をあてた。その恥じらう姿が、ウォーリアには可愛らしく映った。
 同性なのにまるでタイプの違う二人は、端から見ると美男美女カップルにしか見えない。もちろん当人達にそのような自覚は一切なく、無自覚無意識で普通に行っている。
「早く脱いだ浴衣を着るんだ……。でなければ、わたしが君を見境なく襲ってしまうかもしれない」
今の君はとても淫靡で美しい……。ウォーリアは目を細め、フリオニールの今の下着姿を上から下までじっくり見つめた。
 フリオニールは浴衣に移らないようにと、レースが主体の白を基調とした一見清楚な下着を選んで着用していた。ボディがどちらかといえばダイナマイトなフリオニールには、逆効果となって現れている。すなわちとても淫らでいかにも、な──。
「ウォル。あなただって、いつまでも下着のままでいないで。その……」
目のやり場に困るから……。頬を赤く染めたまま、下を向いたフリオニールに思考を中断された。琥珀の大きな瞳で上目遣いで見られ、ウォーリアはくす、小さく笑った。
「君の肉体美にはとても敵わない。それにわたしを女性として見てくれるのは、君ともうひとりいれば充分だ」
「……」
……そのもうひとりが重要なんじゃないのか?
 くすりと小さく笑うウォーリアに、フリオニールは少し心配になった。〝男性にしか見えないから〟と言い、ウォーリアは時として男性の姿をして、男性のように振る舞う。ウォーリアは実際は誰もが二度見や三度見をするくらいの、スラリとした高身長の美女だった。豊満なボディを持つフリオニールとは全くの真逆で、程よく締まったボディを持っている。
 下着もフリオニールとお揃いで揃えた白のレースのものだが、ウォーリアが着用すれば文字通り清楚に映る。
「出張で今日は帰れないらしい。でなければ、わたしは今日ここに来ていない」
「……そうだな」
 彼氏優先。そう言われた気がして、フリオニールは苦笑するしかなかった。フリオニールには、ウォーリアがいるから近付いてくる男性はいない。
 ウォーリアの方は、男性もだが、主に女性が多く近付いてきていた。もしくは、遠目から見られることがよくあった。下手すると視姦レベルで見られていることもある。
 それはフリオニールが傍にいても関係がなかった。ウォーリアの全方位から、いつも見知らぬ視線が付いてまわっていた。
……あの人がいても、この人は全然変わらないからなぁ。
 ウォーリアの彼氏は出張が多く、フリオニールもあまり会う機会がない。だからこそウォーリアは彼氏最優先で、彼氏がこちらに戻って来れば、フリオニールそっちのけで逢いに行く。
 フリオニールも解っているから、いちいち言わない。ウォーリアの本質を見抜き、選んでくれた彼氏との恋愛を密かに応援していた。
「ん……? 今日は帰れない〝らしい〟って? 元々今日は帰れたのか?」
「そうではない。〝もしかしたら、今日は戻れるかも〟で、無理になっただけだ」
だから今日は君と一緒だ。そのようなことを一見美しい男性に言われては、いくらフリオニールといえども、鼓動が早鐘のようにトクトクと打ち鳴らし始めた。本当にこの人は心臓に悪いことを簡単に言ってくれる。
「それに……わたしは君の色々な姿が見られるから、とても楽しい」
「どこが……」
 一度脱いだ浴衣を再び着直すフリオニールに、浴衣片手に下着姿で仁王立ちするウォーリアはさらっと言い放った。
 言われたフリオニールは再び頬を染め、ウォーリアに背を向けて帯を巻いた。これ以上赤い顔について言及されるのは、恥ずかしい以外のなにものでもなかった。
「ウォル、本当にこの浴衣でいいのか?」
「構わない。それより申し訳ない」
「気にするなよ。着付けなんて、出来る方がすればいいんだ」
 着付けを一通り教わったフリオニールは、男性女性関係なく着付けることが出来る。手際よくウォーリアに浴衣を着付けてあげると少し離れ、おかしな箇所がないかチェックを入れた。
「よし……! これでいい。ウォル、メイクは?」
「今のわたしは男性だから不要だ」
「……」
……すっぴんでこれだもんな。羨ましすぎる。
 元が良すぎるウォーリアは、メイクをしなくても十分な美しさを保っていた。
 ふう。細く長い溜息をつき、フリオニールはドレッサーに座った。フリオニールも本来なら、メイクをする必要のない可愛い系の美女ではある。けれど、ウォーリアと違い、フリオニールは外出の際には必ずメイクをしている。
「わたしがしよう」
「えっ? いいよ、別に……」
「わたしの手で君を美しく咲かせたい。いけないか?」
「……」
……またそういう恥ずかしいことを。
 これだから女性達がウォーリアの性別を知っていても、なお近付いて来る原因になっている。このことを、本人は全く理解していない。天然怖い。フリオニールは小さい溜息をつき、ウォーリアにメイクを任せた。 
「さて、出来た。行こうか」

◆◆

 道路の両端にひしめくように、様々な種類の露店が設置されている。色とりどりの浴衣や洋服で、人々は賑やかに行き交っていた。
 近くで開催されるお祭りは、世間的にも結構有名であった。時間帯によってはTVの取材が入ることもある。
 ウォーリアもフリオニールも取材に捕まった経験が過去にあるため、その時間帯は避けることに心がけている。花火までもて余した時間を、ブラブラと露店を巡ることにした。
……やっぱり見られてるなぁ。
 フリオニールは隣で歩くウォーリアをちら、と見た。美しい男性……に見える女性が、良く分からない柄の浴衣を着て優雅に歩いていたら、誰もが振り向くだろう。
 男性用浴衣が良く似合っているだけに、これは残念でしかならない。せめて浴衣の柄さえ……フリオニールの痛恨のミスが、いろんな意味でウォーリアに注目を浴びさせていた。
……もう少し控えさせるべきだったか。
 行き交う男女から視線を受けるウォーリアは、それがフリオニールが可愛いからだと思っていた。ウォーリアの渾身の可愛いメイクに、結わえた銀灰色の髪を綺麗に引き立てる大きな一輪の赤い薔薇のかんざしが、浴衣の大輪の薔薇柄と相まって大変魅力的に映っている。
 二人のこの認識は少し間違っており、正しくは女性からの視線を主にウォーリアが、男性からの視線をフリオニールが浴びていたのだが、両人共に気付くことはなかった。
「フリオニール、この人だかりだ。はぐれないように、わたしの腕に手をかけて」
「それって……?」
「早く。花火が始まればこの辺りはもっと混んでくる。はぐれてしまうと、きっと探すのが難しくなる」
これだけの人目があれば……。ぐいっと肘を出し呟くウォーリアに、注目を掻っ攫っていってるのはあなただよ、と心の中でフリオニールは突っ込んだ。
「でも……こうしてあなたと恋人のように、腕を組んで歩くのも悪くないかな」
「君の義兄さんに見つかれば、わたしは引き離されるだろうけど」
「大丈夫だよ。レオンハルトも、今日は帰れないと思うから」
 ウォーリアには彼氏だが、フリオニールには心配性な義兄と義妹がいた。近くに住居があるので、義理の兄妹は時々フリオニールの元を訪ねては、ウォーリアと衝突している。
 それは主に義兄のレオンハルトの方で、義妹のマリアは女性なだけあって、ウォーリアとも仲が良かった。都合が会えば、お泊まり会にも参加している。
「それよりウォーリア、あれを食べよう!」
「わたしは……チ「ダメか?」
「……構わない」
 フリオニールは少し優越感に浸り、ウォーリアにりんご飴を強請った。せっかくお祭りに来たのだから、ここぞとばかりにカップルの真似事をして楽しもうと考えている。
 今のところ、ウォーリアを狙うような者はいないようなので、フリオニールは安心して引っ付くことが出来た。
 ただ、ウォーリアに溜息をつかれたのが気にはなった。それでもすぐに、にこりと笑い、りんご飴の露店を見つけた。フリオニールも腕を組み、その店目掛けて歩きだした。
 すぐに見つかったりんご飴の露店のおじさんに、りんご飴を包んでもらった。受け取る際に、フリオニールは露店のおじさんから嬉しい言葉をもらった。
「はいっ!お姉ちゃん可愛いから、いちご飴もサービスだよ」
「おじさん、ありがとう!」
 にこっ、おじさんに満面の笑みを振り撒くフリオニールに、周囲からの視線が集まる。手渡したおじさんは、フリオニールの可愛さに見惚れ固まった。
 じっと静観していたウォーリアは柳眉を顰め、フリオニールの腰に手をまわした。
「この辺りは混んできた。人気のないところで一緒に食べよう」
「……うん」
 ちゅっ、ウォーリアはフリオニールのおでこに軽くキスをした。されたフリオニールは頬を染めて下を向く。ここは往来だぞ、なんてことを……。フリオニールはウォーリアに対して言ってやりたかったが、羞恥が勝ってしまい、結局は言えなかった。
 絶対に変な注目を浴びてる……。そう考えると、フリオニールはなかなか頭を上にあげられなかった。りんご飴といちご飴をそれぞれ手に持ち、腰に手をまわされたまま、フリオニールはウォーリアに連れられて細い路地へと移動した。

「食べさせてくれないのか?」
「えっ……?」
 人気のない路地に入り、壁に背を付けたウォーリアは、少し脚を広げフリオニールの腰に両手をまわした。両腕と長い脚で優しく拘束する。
 浴衣なので、ウォーリアの白い脚が少しはだけているのだが、本人は一向に気にしていない。気になっているのはむしろフリオニールの方だった。ちらちらと見えるウォーリアの白い脚を見ては、目を逸らして、を何度も繰り返した。
「わたしは君に食べさせてもらいたい」
「それって……」
 ウォーリアの言わんとすることを正確に読み取り、フリオニールは困惑した。食べたければ二つ購入するか、そのまま齧りつけばいいだけなのに。それなのに、それをわざわざ食べさせろ、と。
 もちろんそこまでの触れ合いは、いくら仲が良くてもした試しはない。フリオニールはどうしようかと、下を向いたまま考えた。
「……」
……さすがに揶揄いすぎたか。
 真っ赤になって下を向いたフリオニールを見て、ウォーリアはそのアイスブルーの眼を細めていた。フリオニールの仕組んだ今回の仕組みに、ウォーリアは全て気付いている。
 浴衣はたまたま──もしかしたら、これも意図的かもしれないが──間違えたのだろう。それを見せることによって、ウォーリアが必ず着るであろうことも。着ることによってウォーリアがどういった行動をとり、その結果どういうことが起こり得るのか。これもすべて、フリオニールが考えそうなことだとウォーリアは思っていた。
 彼氏のいないフリオニールが、本当にそれを望むというのなら、ウォーリアは何としてでも叶えてやりたかった。
「……冗談だ。いちご飴をもらおうか。りんご飴は君が食べるといい」
「え? ……うん」
 くすりと笑い、腕と脚の拘束をウォーリアは解いた。安心したかのようなフリオニールの表情に、機嫌は損ねていないようだと密かに安堵する。
「……美味しいな」
「だろ! 酸味と甘味のバランスが絶妙なんだよな~」
 結局いちご飴を完食したあと、フリオニールからりんご飴を差し出され、二人で仲良く齧りついて食べあった。
 フリオニールとしてもりんご飴を完食するには少し大きく、ウォーリアに手伝ってもらえたのは助かった部分がある。口移しを言われたときはどうしようかと思ったが、冗談と言われ、安堵感と残念感が生じたのは、ウォーリアには内緒だった。
「次はどこに行く?」
「購入したいものがある」
「……珍しいな。ウォルが何かを欲しがるなんて」
 ウォーリアはあまり物欲がない。普段の買い物にもフリオニールが連れ出すくらいなのに、そのウォーリアの欲しいもの──。フリオニールも気になりだし、りんご飴を急いで完食して二人で路地を出た。