To the dictates of the wind - 1/3

                 2018.5/26

「覚悟しろ。今夜は寝かさない」
「んん……っ⁉」
 奔放な旅から帰ってきたバッツを、スコールはようやくこの胸の中に閉じ込めることができた──。

 

 

 To the dictates of the wind
  〜風の赴くままに〜

 

 

 気がつけば【行ってくる】の置き手紙だけで、すぐにいなくなってしまう自由な恋人の帰還は実に数ヵ月ぶりのことだった。
 出逢ったときにひと目惚れし、それからは片想いの日々だった。それがある日、片想いがようやく実って付き合いはじめた。そのときのことは、今でも鮮明に覚えている。
 あのときはまだ十七歳だったスコールも、いつしか成人して社会人となり、こうして日々を奮闘している。では、奔放な旅を続ける恋人のバッツはと言うと──。
……多才すぎるのもどうかと思うが。
 大学で取得できる資格や免許は、本人が不要……というより、当時は単位不足で取ることができなかったという。だが、医学・薬学に精通し、場合によっては、モグリ紛いのことを平然とやってのけたりする。楽器演奏や踊りに関しては、第一線のプロ級の腕前を持つ。そのうえ、料理の腕前も食材の解体からできるといった、常人では考えられないほどの多様なスキルをその身に仕込んでいる。
 本人に聞けば、大学は旅では学ぶことのできない知識を得るためだけに通っていただけで、本来ならば必要ではなかったとのことだった。
 では、大学で学べない知識とはなにか? なのだが、正直な話、全くといってなかったらしい。旅で触れたものすべてを吸収し、知識や技量として取り込んだバッツとしては、椅子に座って教授の長いオハナシを聞くのは苦痛でしかなかったそうだ。
 これは、スコールにも理解できることだった。単位取得のために聞きたくもない科目を選択しなければならないのは苦で、控えめに言っても時間がもったいないだけでしかない。それなら、自学自習でもしているほうが、まだマシともいえる。
 そういった理由から、バッツはある程度の必要単位だけを取り、そのまま退学して旅に出た。帰ってくる頻度は年に数回、下手したら年単位で戻って来ない。
 行き先がわからないため、スコールは行方を探すこともできず、いつか帰ってくるであろう恋人を待ち続けるしかできなかった。
……旅なんて行かず、ここにずっと住めばいいのに。
 現在、住所不定無職のバッツは帰る場所がない。大学を辞めて旅に出る際、住んでいた家も家財もすべて処分していた。もしかしたら、もう戻って来ないつもりでいたのかもしれない。
 どうにかバッツをこの地に留めておくことができたのは、スコールの真摯な告白だった。今行かせては絶対に戻って来ないと直感したスコールは、当時高校生だったにも関わらずバッツに想いを伝えた。
 片想いを長く拗らせていたスコールは、伝えたところで実るとは思っていなかった。しかし、バッツを繋ぎ留めたい一心で、柄にもない言葉を数多く伝えた。スコール自身、なにをバッツに伝えたのか……覚えていない。とにかく必死だった。
『そっか。お前の気持ちは嬉しい……ぜ』
 バッツは顔を真っ赤にしながら、それだけをスコールに言ってから抱きついてきた。これにはスコールも驚愕し、腕が泳いでしまった。バッツを抱き返すこともできず、固まってしまったのは黒歴史として残っているが……。
 これはもう何年も前の話だが、色褪せることなくスコールには昨日のことのように思いだすことができる。良くも悪くもスコールにとって大切な思い出だった。

 ◆◆◆

 スコールと両想いになってから、帰る家のないバッツは戻って来る場所をスコールの住むマンションの一室と決めたようだった。以来、バッツが旅から戻ってくると当たり前のようにリビングで寛いでいて、時には寝ていたりもしている。
 合鍵を渡しているのだから好きに使ってくれて構わないのだが、帰るときは連絡が欲しい。これは当初からスコールが思っていたことだった。
「久しぶり、遅かったな」
 この日もスコールが遅い帰宅をすると、すごく簡単な挨拶をして玄関に出迎えてきたバッツに目を丸くした。肩にかけていた鞄はずるりと滑り落ち、玄関マットの上でこてんと横向く。
 それをさっとバッツは拾い上げた。呆然としている様子のスコールの目の前で、手を左右に振る。スコールは信じられないものを見る目でバッツを見ていたが、やがて唇がふるふると動きだした。
「……いつ、帰ってきた?」
「さっき……いや、夕方かな。お前がいなかったから、晩メシはおれが勝手に作った。食べられるか? 先に風呂行くか?」
 ようやく硬直が解けたらしいスコールから返ってきた言葉がそれで、バッツは一瞬きょとんとした。それでもスコールの質問には律儀に答えている。

 夕方近く、日が西の空に落ちかけた時間帯だった。バッツはこの部屋にたどり着いていた。持っていた合鍵で扉を開け、勝手知ったるかのごとく中へ入っていく。
『相変わらずだなぁ』
 室内にお邪魔したはいいが、いつもと変わらない生活感のない殺風景な室内空間に苦笑した。物をあまり多く持ちたがらないスコールらしいといえばらしい。
 バッツは手に持っていた手荷物を、まず自身に割り振られた部屋に置きに行った。室内は出かけたときと同じ状態が保たれており、時々は掃除をしてくれている。これだけでスコールの几帳面さもわかるものだし、かなり好きにさせてくれていることにも安堵する。
 荷物から着替えを取り出し、スコールが居ないうちにシャワーを借りた。さっぱりしてから、スコールが帰ってきたときに一緒に食べられるように……と、夕食準備に取りかかるために腕まくりをする。久しぶりにしっかりとしたものを食べさせてあげたかった。
 しかし、冷蔵庫を開けたものの、見事に缶の酒類と調味料しか入っていなかった。食材と呼べるものはなにも入っていない。使い古しのバターが箱のまま、無造作に冷蔵室の端に残っているくらいだった。
……食生活、どうしてるんだ?
 主食になる米や小麦粉すら備蓄されていない。パンも、パスタなどの乾麺の類もなかった。主食があればどうにでもなるだろうが、それもないなら食生活は完全に破綻している。
 バッツは首を傾げながらも少し思案し、それから一度自室に戻った。財布の中身を確認し、鞄を持って部屋を出る。合鍵を使って扉を施錠し、買い物に出かけた。日は暮れているので、急がないとスコールが帰ってくる。バッツは少し急ぎ足で近所のスーパーへと向かった。
『これだけあれば、少しはいけるか』
 数々の買い物を済ませてほくほく顔で部屋に戻って来てからは、夕食の準備をしていった。いつスコールが帰って来るかわからない。どうせなら、サプライズにして驚かせてやろうとバッツは考えていた。
 だから、二人で食べるには豪勢な料理ついつい大量に作ってしまい、ここからどうしようか……と考えていたこのタイミングでのスコールの帰宅だった。

「……」
「スコール?」
……もしかして、おれが誰だかわからない?
 また無言になって反応をしなくなったスコールに、バッツがそう考えてしまったのは、今までを考えると仕方のないことかもしれない。
「スコール、どうするんだ?」
「えっ⁉ ああ……。じゃあ、シャワーを」
 バッツが何度も聞いたことで、ようやくスコールが動きだした。鞄をバッツに持たせたまま、スコールは足取りもおぼつかない様子で浴室へ向かっていく。
「ふむ」
……どうやらおれのことは覚えていてくれているようだな。
 とりあえずバッツは安堵し、鞄を持ってリビングへ戻った。部屋の隅に鞄を置き、作っていたスープの温めなおしに今度はキッチンへと向かう。スコールの部屋はとても広く、二人ではかなり余してしまうほどだった。だからこそ、できることもあるのだが……。

「…………」
……なんだ、この量は? ホームパーティーでも開くつもりか?
 シャワーを浴びてリビングに戻ったスコールは、目を見開いたままピシッと固まった。
 リビングのテーブルには高級レストランのコース料理のような品のある料理が並べられている。それに加え、キッチンのテーブルには大量の大衆家庭料理が所狭しと置かれている。キッチンのほうはかなり無造作な置かれ方をしているが、どちらも食べきられないほどの品数と量がある。
「晩メシはリビングのこっちだ。悪い、そっちのはおれが勝手に作った。ちなみに冷蔵庫にはデザートもある」
「誰を呼ぶ気でいるんだ?」
 大量の料理を見て愕然としていたスコールは、このような夜更けに誰も来ないのはわかっていても、思わず問わずにはいられなかった。
 案の定バッツからは不機嫌な声とともに、ふいと顔を逸らされた。
「誰も呼ぶつもりなんかねーよ。おれはお前と一緒に過ごすつもりで、これだけの量を作ったんだ」
「……」
……この可愛いイキモノは、本当にオレより歳上か?
 不機嫌な顔をしていても、スコールにはその横顔に愛おしさが込み上げてきた。同時に、下腹に籠る劣情が頭を擡げはじめていた。ふー。スコールは大きく息を吸い込んでから、バッツの手を取って引き寄せた。横を向いていたバッツは気づかず、不意を突かれた形でスコールの胸の中に収まった。
「えっ?」
 なにが起こったのか把握できないまま腕の中に閉じ込められたバッツは驚き、スコールを見上げた。スコールの綺麗な蒼菫色の瞳に宿るギラついた肉食獣のような輝きにバッツは焦り、腕の拘束から逃れようと身を捩った。
「待てって、盛るな。その前にメシだろ、メシ」
「これだけの量だ。明日、皆を呼んで楽しく過ごせばいい」
「っ⁉」
「今日だけをここで過ごして、明日またどこかへ行くつもりだったんだろう? そうはさせない。あとで皆にラインを送っておいてやる」
勝手にどこにも行かないように……。スコールに心を完全に見透かされていたことに、バッツは内心で焦った。
 スコールが察したとおり、バッツは今晩だけ泊めさせてもらう予定だった。明日にはまた旅に出るつもりで、料理を大量に作った。別に作り過ぎたわけでも、パーティーを開くためでもない。
 料理が冷めたらタッパーや冷凍用の保存袋に詰めて、冷凍庫ストックを作っておきたかった。そうすればバッツがいなくても、パンなり米なりの主食さえ確保ができれば、あとはレンチン解凍で当面の食生活はスコールだけでもなんとかなるだろうと考えたゆえの行動だった。
 スコールにバレた要因になったのが、その料理の完成度だった。高級レストランで出されるような完璧な料理の側に、明らかに冷凍可能な大衆料理を大量に作って置いてあれば、いくら食に無頓着なスコールでも〝すぐにバッツは居なくなる〟と勘づいてしまう。
 この短時間でそれだけのことをやってのけたバッツの料理の腕前を褒める以前に、スコールはこれで何度目だろうと嘆息した。
「覚悟しろ。今夜は寝かさない」
「ん……っ⁉」
 抗議しかけたバッツの唇を塞ぎ、スコールはバッツを寝室に連れ込んだ──。