勇者の目利き

                2021.6/06

 事の発端は、ウォーリアが露店で見つけたものを購入したことであった。どうやらひと目惚れして、価値も確かめることなくすぐに会計を済ませたらしい。
 この〝らしい〟というのは、ガーランドがその場について行かなかったからであった。騎士団の任務中にウォーリアが勝手に行ったことを責めることはしない。だが、そのことでウォーリアは落ち込んでいる。
 ガーランドが理由を訊くと、ウォーリアは言いにくそうにしていた。それでも根気よく聞きだすと、ウォーリアはようやく答えてくれた。
 その理由というのが『ガーランドから預かった金貨で、ひと目惚れを理由に購入したものが、たいした価値もないものだった。そのことにあとから気づいて返品に行っても、露店は影も形も消え失せていた』……と。
 ガーランドはかけてやる言葉を探した。理路整然として、物事を白黒つけたがるこの青年をここまで落ち込ませるとは……ウォーリアがひと目惚れしたというものが、むしろガーランドは気になった。
「どれを購入した?」
 室内を見まわしても、それっぽいものは見つからない。ウォーリアが意図して隠してしまったか。なにを購入してきても、ウォーリアが選んだのだからそこは寛大な心を持つつもりでいた。
「これだ……」
「……ほう」
 コトンとテーブルに置かれたものを見て、ガーランドは感嘆の声をあげた。その購入価格を聞いても、ガーランドは別段気にする様子も見せなかった。ウォーリアが選んだものは、空色と黄色のカップであった。まるで、互いの瞳の色の──。
「良いものを見つけてきたではないか。気に入ったのならば、価値は関係ない」
儂がこれを使えば良いのか? ガーランドは空色のカップを手に取った。ウォーリアの瞳の色と同じ色をした澄んだ空の色のカップを……。価値の云々、価格がどうこうより、ウォーリアが選んできたものだから、ガーランドはそれでよかった。
「そうだな。ならば、私はおまえを……」
 ガーランドがウォーリアの意図を汲んだことで、少しは気分が浮上したらしい。ウォーリアは柔らかい笑みで返してくれた。このことにガーランドは安堵すると同時に、ウォーリアがこれまでにないほど愛おしく感じていた。
「ウォーリア、出かけるぞ」
「今からか?」
 ウォーリアは露店で購入した高額なカップを返品しようと街中を走って、先ほど帰ってきたところだった。そしてガーランドといえば、騎士団の任務を終えて帰宅したところでもある。ふたりしてゆっくり落ち着いて、ガーランドはそれから夕食の準備にとりかかるつもりでいた。
 しかし、ガーランドはウォーリアの沈んだ心を、早いうちに打ち消しておきたかった。そのために帰宅直後であろうと、いそいそとウォーリアを連れだした。騎士の白銀に光る鎧を着装したままで──。

 ***

 コーネリアには軒を連ねる店舗と、店舗を持たない者が露店を開いてそれぞれ商売を行っている。秩序が保たれていれば、店舗の有無を問うことはしない。各自自由に行えるところが、このコーネリアを賑わせている大きな理由でもあった。
 ガーランドはウォーリアの手の引いて、コーネリアの街中をぶらりと歩いていた。正直なところ、かなり目を引く。ガーランドではない。ウォーリアのほうが……であった。
 騎士の鎧をまとうガーランドが、青年と手を繋いで歩いているなど、噂にならないほうがおかしい。しかし、ここにガーランドの思惑はあった。
 このコーネリアでウォーリアと過ごすうちに、『あの美しい青年は?』と聞かれたことはガーランドも何度とあった。そして、そのたびにガーランドは答えていた。『儂の大切な命の片割れだ……』と。
 決して嘘ではない。この世界でひとりだけ残されたかのように、ウォーリアはすべての人々から忘れられていた。それはガーランドも例外ではなかった。
 しかし、そのウォーリアをガーランド自身がその手を掴んで手繰り寄せた。それ以来、ガーランドは隠すこともせずに、ウォーリアを街の者に紹介している。
 誰のものかを理解させるために。ウォーリアを犯罪から遠ざけるために。ガーランド自身が伴侶を娶らない理由に、『家族を作れば人質にされる恐れが生じる』というものがあった。しかしウォーリアなら、自身の身は自身で守ることができる。それに、命の片割れである以上、ウォーリアの身に危害が及べばガーランドにも必然的に伝わる。
 光と闇のクリスタルに守られたふたりの関係だからこそ、これは成立するものであった。そうでなくば、ガーランドはウォーリアを自室に閉じ込めて、人前に出すことはしない。

 

 歩いているウォーリアの眼を奪ったのは、たったひとつの指輪だった。しかし、そのことにガーランドが気づくのは、もう少し先のこと──。
「……」
 とある露店の店先で、ぴたりとウォーリアが脚を止めてしまった。そのためにガーランドも脚を止める。
 そこは装飾品を扱う露店であった。薄い木板に布を敷いただけの陳列棚には、首飾りや耳飾り、指輪などが所狭しと並べられている。
 過度な装飾のものや、鷲や髑髏などが彫り込まれた厳つい印象のものも多く揃っている。ウォーリアはこういうものに興味があるのかと、ガーランドは並べられた品々に目を走らせた。
 露店で扱われているくらいなので、装飾品に施された彫り物の細工も粗く、名工と呼ぶにはまだまだといったものが多く並んでいる。
 それに、装飾品に嵌め込まれている石も、宝石と呼ぶにはほど遠い。気の利いたものでターコイズなどの鉱石が、宝石の範疇内といったところだろうか。
 ウォーリアの光の剣や兜に嵌め込まれた宝石に比べれば、かなり差のある代物でしかない。ウォーリアの視線を奪うに値しないと、ガーランドは思っていたのだが。
「……」
 言葉を出さずに眼だけを輝かせて、価値の低そうな装飾品の入ったごちゃごちゃの籠の中身を見ているウォーリアに、ガーランドとしても信じられないものがあった。ウォーリア自身が装飾品を身につけないこともある。だが、こうしたものにも装飾品としてしての、それなりの良さというものがあるのだろう。
 装飾品など、身分証明といざとなった場合の身元証明の遺品としてしか、ガーランドは考えが及ばなかった。そのため、ガーランドとしては、こういった陳腐ともいえる装飾品の相場を知らないでいる。ガーランドが装飾品を身につけるときは、身が業火に焼かれても溶けることなく指に残る強金属の指輪程度であろうか。
 ウォーリアが見ている装飾品の値札を、ガーランドはそっと窺った。『模造宝石』と籠に貼られている値札に提示されている金額は、決して安くはない。だが、手が届かないほど高額のものでもない。
 ふむ、ガーランドは考えた。気に入ったものがあるのなら、ひとつくらい購入してもよいのではないか、と。先のウォーリアのカップのこともある。礼と称してそれとなく贈ってやれば、ウォーリアは喜んでくれるであろうか。
 伴侶への贈り物としては、やや無骨すぎる気もする。しかし、相手が女性ではないし、そこはそれほど問題することでもないだろう。自身の贈ったものをウォーリアが身につけていると思うだけで、ガーランドの気持ちが昂っていく。
 ガーランドは逸る気持ちを抑え、ウォーリアの視線を捉えていった。ウォーリアの見つめるその先にあったのは……籠の中でひときわ輝くひとつの指輪だった。それを目にした途端、たかが模造宝石……と侮っていたガーランドの心は一転した。ウォーリアの見ていたものは、輝きがほかの装飾品とは異なっている。
 細く繊細な銀製の輪に、紅い模造宝石が装飾された指輪は、明らかに女性用のものだった。それは、ウォーリア自身が身につけるために物色しているとは、到底思えない代物であった。ガーランドは下ろしていた手をぎりりと握りしめた。
「それが……気に、入ったのか?」
 もやもやと燻っていくどす黒い心をどうにか落ち着かせ、なるべくさりげなく聞こえるようにウォーリアに声をかける。
「ああ、そうだな……」
 そんなガーランドの不機嫌さに気づいていないらしいウォーリアからは、曖昧な返事だけが唇から聞こえてきた。気になっていないのなら、とうに視線を外しているであろう。だが、ウォーリアは今をもって、視線を指輪に注いでいる。
 ウォーリアに女性の影がないといえば嘘になる。ウォーリアはかつて、コスモスと呼ばれていた調和を司る女神のもとで、ガーランドと闘争を繰り返した。もしかしたらあの女神は、ウォーリアにとって初恋と呼べるものを育ませたのかもしれない。憶測でしかないことだが、考えるほどガーランドの胸にちくちくと刺してくる。
「そういうものを好むのか?」
 ウォーリアが好むわけがない。装飾品に疎いであろうウォーリアでもわかるくらい、その指輪は女性のためのものだった。そうとわかっていながら口から溢れ出たこの言葉は、ウォーリアへの悪態か、嫉妬に駆られたものか、ガーランドなりの責めの言葉か、いずれにせよ判断がつかなかった。
「そういうのではない。ただ、綺麗だな……と思って」
 ウォーリアは口の端を緩め、穏やかな表情を浮かべている。しかし、視線は依然として指輪に向けられたままでいた。
「……」
……綺麗だと? あの模造宝石がか?
 ウォーリアがこれまでに見てきた宝石やクリスタルの輝きに比べれば、所詮はただの模造品でしかない。露店で売られている数千ギルの指輪ごときが、値のつけられないクリスタルや宝石を目にしてきたウォーリアの視線を奪っていいはずはない。
「……似ていないか? この色」
 ウォーリアは露店の亭主に許可を得ると、指輪を手に取って空に翳した。晴れ渡る太陽光に受けて、指輪はキラキラと紅く乱反射している。ウォーリアは眩しそうに眼を細めた。
「ほら、この深い紅が……閉ざされたあの世界の燃え盛る火の海のようで」
 ウォーリアは躰をくるりとガーランドに向けると、複雑そうな表情で口端だけを上げた。
「つらいことも多かったが……大切な仲間たちと、そしておまえとの記憶だ。つい……懐かしくなった」
「……」
 ガーランドの心臓はどくんと音を立てた。忘れていた閉ざされた世界での記憶──この世界に戻されたときに、ガーランドはすべてを忘れていた。思いださせてくれたのは、忌まわしい過去を懐かしく思えるようにしてくれたのは、紛れもなく目の前に立つこの青年だった。
「それに──」
 ウォーリアは続ける。その表情は柔らかくもあり、とても美しいものだった。ガーランドだけではなく、周辺をただ歩いているだけの街人の心まで、鷲掴みにしてしまいそうなほどに。ガーランドは思わず躰でウォーリアを覆い隠した。ちらりと見れば、露店の亭主までもが顔を赤くしている。
「闇に染まるガーランド、これはあの時のおまえの瞳と同じ色だ……もう、見ることはないと私は思っている。だからこそ、これが気になった」
「だが、それは女性用だぞ」
 だから、ガーランドは嫉妬した。この世界には存在しない調和の女神を想ってのものだと思い込んで。
 それなのに、ウォーリアの心はちゃんとガーランドに向けられている。一瞬でもウォーリアを疑ってしまったことへの罪悪感に、ガーランドの胸は軋むように痛んだ。
「女性用……? そうだな。だが、私はどうしてもこれが……おまえに似ているから、誰かの手に渡るのは嫌だな……と」
 照れくさいのか、その頬は愛らしく薔薇のように染まっている。ウォーリアは手で隠すようにしているが、それが照れ隠しであることは、容易に想像がついてしまう。
「〜〜っ、」
 そのような可愛らしいことを思ってくれていたウォーリアを、少しでも疑ってしまったガーランド自身が恥ずかしく思えた。純粋でまっすぐで、不器用な青年にここまで想われていたことに、嬉しく思えたと同時に、独占欲がふつふつと湧きあがる。
 ガーランドは懐を探ると財布を取りだし、ささっと会計を済ませた。一緒に銀製の鎖も購入して、ウォーリアに手渡した。
 あまりの手際の良さと、ガーランドからの突然の贈り物に、ウォーリアは眼を丸くした。ただ呆然と、手のひらとガーランドを交互に見つめている。
 ウォーリアの手のひらに載せられた贈り物──銀製の鎖と紅い模造宝石の嵌め込まれた指輪……改めて指輪を見たガーランドは、兜の中で驚愕の表情を見せていた。
 模造宝石と最初から思い込んでいた──籠の値札にも『模造宝石』と記載されている指輪の石は、紛れもなく本物の柘榴石だった。なるほど……ガーランドは納得した。これなら、宝石を見慣れたウォーリアの目に適う。この場合は、記載を誤った亭主に問題はある。
 何事もなかったかのように指輪を鎖に通し、ウォーリアの首にかけてやる。パチンと留め具をつけてやれば、ウォーリアから驚愕の声があがった。
「まて! このようなもの……私が勝手に思っただけでっ」
 呆然としていたが、ここで我に返ったらしいウォーリアが慌てて首を振ってくる。その顔は頬どころか、全体が薔薇色に染まっていた。一切の否定をしてこないところが好ましく、ガーランドの気分も高揚していく。
「いいから持っておけ。というより、身につけておれ」
「しかし……」
「儂の目の色に似ておるのであろう? ならば、それをお前が身につけておれば、儂のものであるとの証明にもなる」
 模造宝石と記載はされているのだから、その値を支払って正当なものであるのだが。ここは本来の価値の金額を、ガーランドは追加で亭主に手渡した。今、ウォーリアに伝えたことへの照れを誤魔化すためでもあった。
「〜〜〜〜っ、」
 ガーランドが伝えたのは、嘘偽りのない本音であった。それがウォーリアにも伝わったから、薔薇色に染まる顔をさらに真っ朱に染めて、意味不明なことを口にして俯いてしまった。
 いたたまれない。全身で訴えてくるウォーリアが愛おしくて、ガーランドはふと顔を上げる。
 頭上には、閉ざされた世界ではほとんど見ることのできなかった快晴が広がっている。眩しいほどの青が広がる今日というこの日も、この愛しき伴侶が思い出の色として記憶に残してくれるだろうか。
 ウォーリアが選んできたカップと、澄み渡る空の天色は、ガーランドを闇から救い出してくれた青年の瞳の色と同じ色なのだから──。

 Fin