愚者の天秤

                2019.12/18

 寒い寒い冬の到来を、舞い散る雪が知らせてくれる。中空に日が昇り、寒空のなかに暖かい色の陽射しが降り注ぐ。冷たくも柔らかな風が世界を包む時間帯のことだった。
 コーネリア王城にある一室で、第一王女セーラは書を読んでいる最中だった。そこに、コンコンと扉を叩く音が響く。
 扉を開けると、まだ年端もいかない妹姫が、従者も連れずに立っている。セーラ王女はにこりと優雅な笑みを浮かべると、妹姫を室内へ招き入れた。
『セーラおねえさま、このしょを』
『あら、それは……』
 舌足らずな愛らしい声に、セーラ王女はまたひとつ優しい笑顔を浮かべる。妹姫の持ってきた書は、セーラ王女もとうに熟読したものだった。今度は妹姫の手に渡り、そして読んであげることになる。かつて、母ジェーンに読んでもらったことを思いだし、セーラ王女は、ふふふと綻ぶように笑んでいた。
『寒いですから、寝台の中で読んであげますね……。長いから、飽きずに聞いていられるかしら?』
『だいじょうぶ!』
 そうして、ふたりは広い寝台に潜り込んだ。セーラ王女は妹姫に、書の内容が理解できるように、ゆっくり丁寧に読み進めていった──。

「おめでとう!」
「ありがとう! 次はあなたの番よ!」
 それは、平和になったこの世界の、あちこちで見ることのできる光景だった。コーネリアの城下街は人々で賑わい、教会では毎日のように婚姻式が執り行われる。新婚夫婦の祝福を祝う声と鳴り響く鐘の音で、噴水広場では連日お祭りのような騒ぎになっていた。
 今となっては、ごく当たり前の光景となっている。しかし、これが永久に感じるような長い闘争の果てに、最近になって光の戦士により得られたものであることを、街に住まう人々は知らない。

 ルカーンの予言した〝光の戦士〟が、長い旅と戦いの末に平和を取り戻し、王女を攫い闇に堕ちた猛者の異名を持つ騎士をも救う『光の戦士の伝説』──。
 コーネリアだけに限らず、世界中の誰しもが一度は耳にするこの『伝説』は、当然のことながら誰でも、幼子のころから親により口承で伝えられる。
 これは、セーラ王女も例外ではない。母ジェーンより、幾度と聞かされている。そして、次は妹姫の番……セーラ王女は書籍化された『伝説』の頁を読みあげていた。
 だけど。これは、なにも知らない者たちにとって、誰もが知る、けれど誰も知らない〝御伽噺〟にすぎなかった。『光の戦士の伝説』の真相を知る者は……ほんのひと握り──。

『それで? ゆうしゃさまは、そのあとどうしたの──?』
『……』
 残念ではあるが、『伝説』の終焉は描写されていない。無垢な妹姫のこの質問の答えを、セーラ王女は知らなかった。セーラ王女も同様に母ジェーンに尋ね、やはり同様の返しをもらっている。
 結末は、真実として語られることはなく、隠蔽されていた。それは、この世界に残された光の戦士の行く末を案じての、ルカーンなりの対処であった──。

***

 賑わうコーネリアの街で、また一組の夫婦が誕生していた。色とりどりの花が舞う。煌びやかな紙吹雪と祝福の声は風に舞い、離れた場所にいるひとりの青年の元にまで届いていた。
 遠くでその婚礼を見つめていた青年は、隣で立つ大男を促し、そっとその場を離れていく。歓喜に沸き立つ街の人々は、離れていくふたりがどこへ行こうと気付くことはなかった。

「……羨ましいか?」
随分と長いこと花嫁を見ておったが……。祝福の言葉が聞こえることのない場所まで歩いてから、大男は青年に問いていた。
 青年は顔を上げて大男を見上げると、少しだけ口許を緩めていた。大男の心配そうな表情が青年の眼にも映り、少し申し訳なく感じていた。いつも殊勝なこの男が珍しい……。
「そうではない。……平和になって良かったと。そう、思った」
「……」
 大男は返せなかった。つらそうに無理な笑みを浮かべる青年の気持ちに、男も気付いたからだった。世を正した代償が、すべての者からの忘却なら。己などを救わないで、別の幸福な人生を送ることはできたのではないか。大男も不用意に問いてしまったことに後悔する。それに──。
「だが、私は後悔などしない。お前だけが……こうして、私を思いだしてくれたのだから」
 大男の考えていることを見越したかのように、青年は少しだけ表情を緩めた。あまり感情を出さない青年の不器用な笑みは、大男の心に直接響いてきた。
「そうか? だが、お前も人並みにあのような幸福を得たかったのではないか?」
「あの白い衣裳のことを指しているのか? それなら、私はいい。……もし、着たいのならば、ガーランドが着るがいい」
「……」
……どうして、そうなるのか。
 人並みな幸せから、どうして新婦の衣裳へ飛んだのか。間髪入れずに青年に言い返され、ガーランドと呼ばれた大男はその巨躯を屈ませた。力など、入るわけがない。
 しかし、表情を緩めていた青年の顔は、一変して元の硬質なものへと戻っている。とても冗談を言っているようには見えなかった。うっかり余計なことを口にすれば、面倒事が起きかねない。ガーランドとしても、気を引き締める必要がある。
 だが、ガーランドの心に、ひとつ引っかかるものが生じていた。純白の花嫁衣裳を身にまとい、幸せそうに新郎と微笑み合う新婦の姿を、青年はじっと見つめていた。
 はぁ、ガーランドは嘆息する。先に新婦の衣裳の話題に持ってくる程度には、青年の心を占めているのだろう。
……ふむ。これに、純白の花嫁衣裳を着せ、白く長いヴェールを着けて──。
 コーネリアの街の中心地から、少し離れた場所に作られたガーランドの家へと向かう道中で、ついつい考えてしまう。ガーランドの隣を歩く、飾り気のない黒の衣服を身に着けた青年をちらちらと横目で見ながら、想像を続けていく。
 婚姻式での新郎新婦はどのように誓いをするのか。何度か来賓として出席してきたガーランドなら、想像に容易い。
……盾を持つ左手には、白のブーケを。剣を持つ右手は──。
 ガーランドの脳内の想像のなかでは、青年は白の花嫁衣裳を身に着けている。先に考えたように、左手に白い花のブーケを持った青年は、白の長いヴェールで顔を隠していた。
『ガーランド……』
 ゆっくり差し出される青年の右手を取り、ガーランドは白い甲へ口づける。それからふたりで神父のいる祭壇へと向かう。
 神父の誓いの言葉のあとに、青年の細く長い指に指輪を嵌め、美しい顔を覆っているヴェールを上げ……。

「──、ガーランド!」
「……っ、なッ⁉」
 青年にしては珍しく強い口調で名を呼ばれ、ガーランドは巨躯をびくりと跳ね上げさせた。ドキドキとやかましい心臓を押さえ、ガーランドは青年を見下ろす。己の疚しい想像が、青年に見透かされてしまったのではないか。そのような心配すらしてしまう。
「……なんだ。どうした? いきなり大声で」
「先ほどからずっと呼んでいた。話しかけても、お前はうわの空で返事もないし……」
 青年は俯いていた。なにか思うところがあるのだろう。この青年は、普段からほとんど感情を表に出すことはない。話しかけるのもガーランドのほうからが多く、ああして青年が声も張り上げたことも、また滅多にないことだった。
「……すまぬ。少し考え事をしておった」
「そう、か。それなら……いい」
 それだけを答えて、青年は沈黙した。青年がなにも語らないのは、日頃からたいして変わらない。だから、ガーランドは……闇に堕ちた猛者と呼ばれた男は、青年の微細な変化に気付いていなかった。

「……」
 だが、家へ帰り着いてからも、青年は沈黙したままだった。夕食を作って一緒に食べる楽しいはずの時間も、風呂に入って部屋に戻ってからも、青年は黙っている。そして、一日を終え、就寝する直前の今現在も同様だった。
 青年は沈黙魔法をかけられたかのように、黙り込んでしまい、なにも話そうとはしない。もしかして、なにか怒らせるようなことをしたのだろうか。ガーランドは考えを巡らせた。そういえば……。ガーランドには思いあたる節が、ひとつだけあった。
 花嫁の純白の衣裳、これしかない。花嫁衣裳を羨ましいか? などと聞いておき、しかも、その姿を想像して、青年の言葉を聞かずに無視してしまった。はぁ、ガーランドに激しい後悔の念がよぎる。
……これは、きちんと謝っておくべきであろうな。
 この程度で、青年がヘソを曲げてしまうことにも驚きを隠せない。だが、原因を作ったのはガーランド自身であるのだから、ここはしっかりと謝罪しておく必要があるだろう。ガーランドはキリッと表情を改め、青年に向き合った。
「ウォーリア」
「ガーランド」
 互いが同時に名を呼び合った。息の良すぎるふたりは、顔を上げたり下げたりして、互いの姿をその瞳に映しとる。しかし、気まずい空気が流れてしまい、ふたりはなにも言えずに、黙ったままで見つめていた。
 このままでは埒が明かないと、ガーランドは先に青年から話すように促した。いつまででも青年と見つめ合っていたいが、今は対話をするほうが大切だった。青年──ウォーリアオブライトと以前まで呼ばれていた光の戦士──の想いが聞ける。ガーランドは少し緊張もしていた。
「ガーランド、お前は」
 青年はひと言だけ告げると、ガーランドからふいと顔を背けた。口許に手をあてたり、なにか考える素振りを見せていた青年は、一拍置いてから切り出してきた。
「……私といることを、後悔しているのではないか?」
「後悔……?」
 どうして、そのような言葉が出てくるのか。思いも寄らない予想外の言葉を告げられ、ガーランドは青年の背けられた姿を黄金色の双眸に映していた。
 青年はガーランドから顔を背けていたが、視線を感じると僅かにだけ顔を動かした。伏せていた瞼をそっと開ける。そのアイスブルーで、今度は逸らすことなくガーランドをじっと見つめた。こくりと息を呑み込み、青年は意を決したかのように、一気に紡いでいく。
「あのように……本当なら、お前は似合いの女性と結婚して、家庭を築けたはずではなかったのか? それを、望んでいるのではないのか?」
「はァっ?」
 思わず間抜けな声を上げていた。それくらい、ガーランドには衝撃的だった。幸せそうな新婚夫婦を見ただけで、どのように解釈をすれば、そのような解答を弾きだせるのか。ガーランドは顔に手をあて、天を仰いでいた。
「……続けよ」
 それでも、ガーランドは顔から手を離し、先を促した。どうして、そのような考えに至ったのか。それも知りたかった。
「私はあの長い闘争のなかで、お前と平穏に過ごせることを願い続けた。そして……今、お前と過ごせる日々を幸福に感じている」
「……」
 青年はぽつりぽつりと、か細い声で……それでも、まっすぐな揺るぎない強い眼差しを向けて告げてくる。ガーランドはなにも言えずに胸を詰まらせていた。
 なにかを言わなければ、告げなければと思えど、言葉が喉でつかえてしまい、音として発することができない。唇だけをはくはくと動かしていると、青年はさらに続けてきた。
「今からでも遅くはない。お前はお前で……望んだ道も、選べる道もあるだろう。闘争のときとは、今は違う。考えが変わってしまうことだって、当然のことだろう。もう、私を気にすることはない」
「いい加減にせぬか!」
 どうして新婚夫婦を見ただけで、別離を切り出されなければならないのか。ガーランドは怒りで震えそうになっていた。
 花嫁衣裳の会話のあとから、ずっと……青年は今までこのような愚かしいことを考えていたのだろうか。青年は花嫁を羨ましそうに見つめていた。そのため、ガーランドは衣裳を羨ましいのかと思っていた。
 しかし、そうではなかった。青年が新婦に重ねて見ていたのは、ガーランドの隣に立つに相応しい伴侶の女性の姿──。
 はぁ、ガーランドは深く大きな溜息をついた。この世界を正してから、誰の目にも触れさせないように、目立たせないように、青年と過ごしてきた。騎士団長として変わらない日々を過ごす傍らで、青年とこうして慎ましく過ごすことに、ガーランドも幸福を見いだしていたというのに。
「……」
 ガーランドは思案する。どうすれば、この愚かしい勘違いを正せるのだろうか。間違えてしまえば、この青年は此処からいなくなってしまうのでは? そのような嫌な予感すらしてしまう。
「少し……待っておれ」
 それだけを言い残し、ガーランドは家を飛びだしていった。驚愕に眼を丸くする青年を、たったひとり、この家に残して──。
 パチパチと薪の燃える暖炉の暖かい熱だけが、青年の心をこの場に留めていた。ぽたり、青年の頬から涙の筋が流れていく。両手で顔を覆っても流れる涙を止めるすべを、青年は知らなかった。

 深まった冬の澄んだ夜空に、大きな満月が顔を出している。柔らかな月の光は窓を透過し、限界にまで張り詰めた青年の心を優しく照らしていた。

***

 遅い夕食を摂り、入浴を済ませてから、セーラ王女と妹姫は再び寝台に潜り込んだ。先の『伝説』の続きを読んであげるためであったが、セーラ王女は少し懸念していた。もう、夜も更けている。そのような遅い時間まで、妹姫に書を読んであげたとしても、肝心の妹姫が起きていられるか……。
 それでも、妹姫はセーラ王女に屈託のない愛らしい笑顔を向けてくる。早く早くとせがまれては、セーラ王女も断りきれなかった。
『それで? ゆうしゃさまはどうなったの?』
『勇者様はすべての竜を統べる王、竜王バハムートの元へ赴いたのです。クラスチェンジするために。悪しき騎士に打ち勝つ力を得るために』
 くすり、セーラ王女は笑顔を浮かべ、先を読み始めた。もし、妹姫が眠りに就くようならば、続きは明日にしてあげればいいだけのこと。鈴の鳴るような涼やかな声が、部屋に響く。セーラ王女の詠うような音読に、妹姫も『伝説』の世界へと誘われていった──。

「私だけが……この世界に取り残されてしまった、のか」
 すべての者に忘れられた世界で、ガーランドだけは思いだしてくれたこと。行くあてのない自身をこの家に留めてくれたこと。それは、青年にとって、言いようもない喜びであった。
 だが、結果として、それはガーランドのためにならないのだとしたら? 青年は昼間の婚姻式を見ていて考えていた。本来ならば、ガーランドの隣にいるべきは相応しい伴侶であり、自身ではない。わかっていても、わかっているからこそ、青年はガーランドから離れることができなかった。
 ガーランドのこれからを見届けたくて。幸せをただ、ひたすら願いたくて。これは、青年の心に秘めた囁かな願いであるはずだった。それなのに、つい、想いを声に出して伝えてしまった。
 伝えるべきではなかったと、後悔ばかりが青年の心を占めていく。今さら、どうすることもできないのに。
「……月の在るうちに」
 小さくひとりで呟き、はぁと溜息をつく。ぼんやり佇んでいたつもりなのに、その手は無意識のうちに旅支度を始めている。部屋の物入れに押し込んであった衣類の予備や、もう使うこともないだろう光の宝剣、手入れをするための道具を取りだした。ポーションや毒消しなどと合わせて、丈夫な皮袋にすべて詰め込み、水筒に水差しの水を入れていく。
……これで、いい。
 暖炉の火は薪が燃え尽きると、勝手に消えてしまう。火事になる心配がないかだけ確認して、青年は家を出ようと扉に手をかけた。しかし、扉はどうしてか、外から開かれた。
「何処へ行こうとする?……ウォーリア」
「……ガーランド」
 扉を開けたガーランドと完全に鉢合わせをしてしまい、青年としては気まずい。はぁはぁと息を弾ませたガーランドに名を呼ばれ、青年は逸らしてしまいそうになる視線を上に向けた。青年の手は、皮袋の口をきゅっと握りしめていた。無意識のうちに行った行動だったが、ガーランドの目にはしっかりと留まった。
 明らかにおかしな荷物を青年が持っていることに、ぴくりとガーランドの眉端は動いた。そして、思い至った。この青年は、此処から出ていくつもりでいたのだと。
「お前は何処へ行くつもりでおった……?」
「……? 月に導かれるままに」
 行くあてもないのに〝何処へ〟と問われても、青年にも答えようがない。青年は窓に映る大きな満月に眼を向けた。優しい月の光は、青年の心を照らしてくれる。導いてくれそうな気がする。月明かりを背に、にこり、青年はガーランドに微笑んだ。
「ここに私がいれば、お前のこれからの邪魔に」
「今から行くぞ」
「えッ?」
 伝えたいことも伝えさせてもらえず、青年はガーランドに腕をぐいと引かれた。ガシャン! 大きな音を立て、皮袋が床に落ちる。皮袋が心配になった青年は腕を伸ばすが、ガーランドの力が強く、そのままズルズルと引きずられるように家を出た。
「どうして……このようなことを」
 寒空の下、ガーランドと青年はふたりでコーネリアを出る。ぶるりと青年が震えると、ガーランドは着ていた上着を脱いで渡してやった。勢いで出てきたものの、青年に防寒着のひとつも着せてやらなかったのは、ガーランドの失態でもある。だが、ガーランドにはほのおの魔法がある。元の威力が大きな魔法も、うまく小さく使用すれば、暖を取る程度にはなる。

 はぁはぁと、互いの息遣いしか聞こえてこない。深夜といえど、さすがに真冬では、魔物や獰猛な肉食獣も姿を現さない。静寂な森を抜け、着いた先には朽ちたカオス神殿──。
「ガーランド。どうして、ここへ?」
 ここは、この世界ではない異界の地でも、過去の世界でも、ガーランドと何度も剣を交えた因縁の場所。どうして、ガーランドはここへ連れてきたのか。謁見の間に通された青年に、少なからずの不安が生じる。
 こくり、息を呑む青年を見下ろす。青年は緊張しているのだろう。不安を拭ってやるためにも、ガーランドは持っていた白銀の外套で青年を覆うように包んでやった。青年の美しい氷雪色の髪も、黒の上下の衣類も、すべて白銀の外套が覆ってしまう。
「……っ!」
 コーネリア王国の国花でもある、百合の印章の刺繍の施された外套は、ガーランドの騎士団長たる証でもある。そのような大切なものをどうして……。青年は口を開こうとした。しかし、ガーランドのとった行動により、それはできなかった。
 ガーランドの手には、小さな白い野の花で作られた花束があった。青年はすべてを理解した。このために、ガーランドは家を飛びだしたのだと。冬の夜に野の花など咲いているわけもなく、ガーランドは必死になって探し求めていたことも。このために、わざわざ……。青年の心は、胸は、大きく締めつけられる思いだった。
「受け取っては、もらえぬ……か?」
「ちが……そうではなく。……私、でいいのか? お前には、きっと相応しい者が」
 ガーランドの差し出してきた野花の花束を、受け取っていいものか……青年は判断できずにいた。ふるふると頭を何度も左右に振り、たった今理解したことを否定してしまう。ここで、ガーランドの胸に飛び込んでしまえば、互いが幸せになれなくなるのではないか。青年に葛藤が生じる。
「それが、お前だと。どうして考えが及ばぬ」
「いい、のか? 私で……?」
「お前しかおらぬ。勝手に見知らぬ誰かと結ばせようとするでない」
 ガーランドの手には、白い野の花で作られた粗末な束がある。差し出された小さな花束を、青年──ウォーリアは受け取った。そのうちの一本だけを選んで抜き、ガーランドの胸元のポケットに挿し込む。
 とうに過ぎてしまっているが、これが十二本の薔薇で行うものであることに、ガーランドも気付いた。くっと小さく笑んでしまう。
 ポケットに花を挿し込んで満足できたのか、ウォーリアはようやく花束を受け取った。それは、昼間にガーランドが想像していた花嫁衣裳をまとう、そのままのウォーリアの姿であった。
「これを」
「……っ!」
 ガーランドはウォーリアの白い左手を取り、白金に四つの石の埋め込まれた指輪を嵌める。この四つの石がなにであるか……ウォーリアは瞬時に理解した。このような大切なものを……。
 もういっぱいで溢れそうになる胸の内を、ガーランドに伝えたくて。でも、うまく伝えられなくて、もどかしさから涙まで溢れる。募る想いと比例するかのように流れ落ちる涙をそのままに、ウォーリアは今度こそガーランドの胸に飛び込んだ。
 胸の中で嗚咽を洩らすウォーリアをしっかりと抱き留め、ガーランドとしても安堵する。なんのために行くあてのない青年を、あの家に留めていたのか。ちっとも理解されていなかったことには、かなりの衝撃を受けた。だが、これから伝えていけば良い。時間など、これからはいくらでも作ってやることが可能になる。騎士団の任務を除いて……だが。

 噴水広場で見た婚姻式のように、煌びやかに舞い降る紙吹雪も、打ち鳴らす教会の鐘の音も、純白の花嫁衣裳もヴェールも。なにひとつ、この場にはない。けれど、それでも十分だった。
 崩落した神殿の天井から、明るい月の光が照らしている。まるで、これからのふたりを示唆してくれるかのような、柔らかく優しい光だった。青年の持つ強い輝きとは異なる月の明かりの下、ふたりは寒さなど関係なく抱きしめ合っていた──。

『あら。やはり……眠ってしまいましたか』
それでは、今日はここまでですわね……。パタン、書を閉じ、セーラ王女は小さな欠伸をしていた。さすがにずっと書を読みどおしだと、喉にも影響が出てしまう。
 セーラ王女は眠ってしまった妹姫に掛布をかけてやり、そっと寝台から下りた。従者を呼び、喉にいい飲み物をお願いする。
……この『伝説』の顛末──。わたくしは知っています。
 明確に言えば、容易に想像ができる。覚えているはずのない〝光の戦士〟の面影を、どうしてか、セーラ王女は脳裏に残している。ただ、完全に思いだすことはできず、面影の状態のまま、これまでを過ごしてきた。おそらく、これからもずっと……。

──光に愛された勇者様は、ずっと、そう……ずっと、大好きだった騎士様と幸せに暮らすことができました……。

 セーラ王女は小さくひとりで語る。決して母ジェーンは『伝説』の結末を教えてはくれなかった。というのも、母ジェーンも知り得ないことであったためなのだが。
 それでも、この『伝説』の顛末を王女なりに考え、その考えを抱いたままずっと過ごしてきた。疑うことはない。否定することもない。今のこの平和な世の中が、勇者の幸福な未来を物語っているのだから──。

 Fin