2023.3/15
『君のお兄さんは──』
随分と畏まった言い方をされたことに、ヴァンは後から首を傾げていた。ナルビナ地下牢獄からラバナスタへ戻ってきて別れる際に、バッシュは『レックスの墓参りに行きたい』と、名で呼んでいたはずだったのに。
まだバッシュのことが信用できなかったヴァンは、それでいろいろと反発もしたわけだが。それでも長い旅を続けるなかで、バッシュのことを知ることはできたと思っている。
「だからって──」
ヴァンは両の拳をぐっと握りしめた。思い出したくもない思い出が、昨日のことのように脳裏に映し出されていく。
レックスはバッシュのことを知っていても、バッシュはレックスをあの時まで知らなかったはずだった。一兵卒だったレックスは、本来なら将軍であるバッシュの側に寄ることもできないはずだったのに。
「……ヴァン?」
「っ。いや……なんでもないよ」
急に黙り込んだ矢先に独り言とくれば、傍にいたレックスが心配してくるのは当然だった。ヴァンは握りしめていた拳の力を緩め、頭を小さくゆるゆると振る。ここからは当人同士のことなんだから、ヴァンが関与することではなかった。
バッシュがレックスに対して、畏まった言い方をヴァンにしてきたことも、深く追求しないようにする。というより、してはいけない気がした。
この世界は元々神々が、戦士たちの安息のためをと思って創り出したものだった。
スピリタスが召喚したそれぞれの世界で敵対する者たちと、ヴァンたちはこの世界でこれまでも闘争を繰り返してはきた。それでも、この世界はレックスが見てきた凄惨な状況より、はるかにマシなのではないかと思えている。
といっても、ヴァンはレックスが連行された際に生き残った兵士から聞かされただけで、事実ははっきりと覚えていない。あのときは頭が真っ白で、状況を理解することも受け入れることもできなかった。
葬儀もレックスの知人だというシークがヴァンの代わりに執り行ってくれたし、それからのことはミゲロに任せていた。だから──。
「兄さん!」
「どうした? いきなり大声で」
レックスの眼前に立ち、ヴァンは大きく腕を広げた。びっくりして銀灰の瞳を丸くしているレックスをそのまま抱擁する。久しぶりに会った兄は、こんなに細い人だっただろうか。
ヴァン自身がまだ小さかったために、レックスには人知れない苦労を強いていたんだということに改めて気づいた。ぎゅっと抱きしめまま、腕を震わせる。
「ヴァン。……ありがとう。ごめんな」
「……兄さんは悪くないだろ。悪いのは──」
「それ以上は言わない。こうして、この世界で巡り会えたんだ。それでいいよ」
レックスは全てを許そうとしている。世の不条理を訴えることもせず、受け入れる様子がヴァンにも読み取れた。
「あんな、兄さん。オレさ……」
マリリスというモブの大蛇を討伐したときに、砂海亭の酒場のマスターに言われたあの言葉──。
『よくがんばったな。お前がアニキを亡くしたばかりの頃はどうなるかと思ってたが、もう大丈夫そうだな──』
その言葉に、ヴァンはようやく解放された気持ちになった。レックスを亡くしてから、ずっと気を張ってダウンタウンで過ごしてきた。それがどれほど荒んでいたことか。事情をよく知るパンネロがすごく気にして、心配してくれて。それでもヴァンは孤独感に苛まれながらも、日々に〝生かされてきた〟のかもしれない。
涙目になってそのことをレックスに口早に伝えていく。レックスはヴァンの頭を何度もよしよしと撫でてくれた。いつまで経っても子供扱いしてくることに、ヴァンはむすっと膨れてしまうが、不思議と悪い気はしなかった。
「ごめん、兄さん。今はバッシュのことが先なのにな」
「……しょうぐん、のこと──」
「えっ?」
そういえばさっきレックスにバッシュのことを伝えたら頬を赤くしていたことを思い出し、ヴァンは抱きしめていた腕を緩めた。レックスは頬をまた赤くしてしどろもどろになっている。
「将軍がオレのことを……? 嘘だ。この世界は都合のいい夢の世界なんだろ?」
「いや、たぶん違うと思う……。考え方は間違ってはいないだろうけどさ」
意志の力は場合によっては無限大の効力を発揮する。レックスが願えば確実に想いは実るはずなのに、まだ実感が持てていないようだった。
「うーん。バッシュも前途多難かもしんねーな」
レックスがバッシュに片想いしているのは、ヴァンも知っていることだった。そうでなければ、レックスはバッシュの隊に志願したりなどしない。当時は危険だからとヴァンは反対したものの、レックスの意思を優先させた。その結果があれだから、ヴァンはずっと後悔し続けていたというのに。
この世界から元の世界に戻るまで、まだまだ時間を要しそうだから、そのあいだにふたりで話をつけてくれればいい。元の世界に戻ったときに、レックスの墓前でヴァンとバッシュとで語り合えることができるように──。
Fin