隠者の行進

               2020/2.14

 夢の都と呼ばれる王都コーネリアの街の外れに、この王国の騎士団長を務めるガーランドという男の家はあった。
 家……というには少し小さく、少し老朽化している。住むだけなら、これで十分といったものだった。
 だが、大柄なガーランドには、少し手狭に感じられた。しかし、ガーランドはこの小さな家で満足していた。
 此処に住もうにも、騎士団の団長としての任務が忙しい。なかなか自宅に帰ることもできず、時として家に戻らず騎士団の自室で眠ることもある。それなのに、古くとも立派な居を構えてどうするのか……と、時々自問する。
 朽ちた家には寝るためだけに戻る。元々その程度の考えで購入したものだった。それはかなり前の話で、年月が経つほど家はさらに老朽化した。

 そして、ガーランドは当時の考えに後悔することになる。まさか自身に〝伴侶〟と呼べるような者が現れるとは。嬉しい反面、どう接していいかわからない部分もある。ガーランドはその青年に対し、あまりにも残虐なことを強いてきた。
 それでも、かの青年はガーランドを救うと何度も訴え、対峙するたびに声高々に言い放ってきた。
 この世界に戻り、また青年と再会した。互いに記憶が残されていたのは良かれであり、悪かれでもあった。異界の地で行われた無惨な行為を、この青年はしっかりと記憶に宿している。そのうえで、ガーランドの傍に在るという。

『私がお前を救い、その先まで導こう』

 言い放たれた言葉に救われた……などでは決してない。だが、ガーランドはこの青年をこのまま世間から隠してしまおうと思っていた。というのも、世には預言者の発した言葉が至るところで囁かれるようになっていたからだった。
 ガーランドは瞬時に見抜いた。この青年が預言者の指し示す〝光の戦士〟であると。平和なこのコーネリアに、光の戦士がまもなく現れるという。それは、同時にこの世界に暗雲が立ち込めることに繋がる。
 ならば、光の戦士を匿い、存在を滅してしまおうと。このコーネリアのすべての騎士を束ねる騎士団長の考えとしては、英断とは言い難い。それでも、青年はガーランドに黙ってついてきた。〝導く〟先にあるものを、この青年なりに見いだしたのかもしれない。
 以来、この朽ちた家に、ふたりで住むことになる。寝に戻るだけだったガーランドは、どれほど遅くなろうと騎士団の任務が終わるとまっすぐに帰宅した。たまに街の仲間たちにある商店街に立ち寄り、青年の好物である魚介類や果物などを購入してきた。
 ずっと老朽化した家に閉じ込めているのだから、少しくらいなにかしてやりたくて、またそれを楽しく思える己がいて、ガーランドは青年と日々を過ごしていた。

***

「……古くなったな」
「ガーランド?」
 ある日の朝のことだった。ガーランドは古くなった家の壁をさらりと撫で、眉を寄せていた。木壁には少し亀裂が入り、隙間風が時おり入ってくる。寒いこの時期には堪えるものだった。
 室内は暖炉で暖かくはなっているが、外気温との差が大きいため余計に負担がかかる。ふむ、ガーランドはひとつの決意を下し、ゴソゴソと物入れを探りだした。眼を丸くして見守る青年──ウォーリアの前で工具箱を取り出し、ひと言添えておく。
「この家を修理する。どのような事態になっても文句は受けつけぬ」
「……」
 状況についていけず、ぽかーんとするウォーリアが愛らしくて、ガーランドは苦笑いしていた。まさかかの〝光の戦士〟が、このような間抜けな表情を浮かべてくるとは。
 異界の地での闘争では、この青年は光をまとい前をずっと見据えてきた。まっすぐな強いアイスブルーの虹彩は、今もなお、鈍ることなく青年を輝かせている。
 硬質な麗容を備える青年の氷のような無表情を、これまでガーランドはずっと見続けてきた。ガーランドの秘めた想いを、かの青年はきっと知らないでいる。ガーランドは伝えるようなことを、かの青年に対して行わなかったからだった。
 そのために、残虐な行為が行われたことなど、かつての青年は知らないだろう。うまく伝えられない代わりに、そのすべを別の方向に向けてしまったなどと……。そして、そのことは今なおガーランドの心に、大きな氷結の刃となって貫いてくる。
 伴侶として迎えたつもりのウォーリアに、どこか臆病になっている。なにも伝えないガーランドのことを、ウォーリアがどう感じているのか……ガーランドは最近そのことばかりを気にしていた。
 そのために、触れることすらできずにいる。あれほど蹂躙してきたというのに、今はとにかく大切にしてやりたくて。〝伴侶〟まではいかなくとも、少なくとも〝家族〟としてありたい。そう……願うこともあった。
「家の修理? 私も手伝おうか?」
「……お前はいい。それより、身を温くしておれ」
 ガーランドは手のひらでウォーリアを制した。その気持ちだけで十分すぎる。平たく言えば、ガーランドひとりで行いたかった。妙な拘りを持つガーランドの、職人堅気のとしてのものだった。
 暖炉はつけたままでも、壁を修理するとなると剥がす必要が生じる。寒さに弱いウォーリアとしては、室内に居てもつらいことになるだろう。そう思っての処置だったのだが。
「ならば、私は温かいものを作っておこう。私だけではなく、お前だって作業すれば身体は冷えるだろう」
 ウォーリアの硬質ともいえる無表情は、いつしか少し柔らかいものへと変化していた。にこりと微笑われ、キッチンへと移動するウォーリアに、ガーランドはなにも返せず呆然としていた。唇が震えそうになるが、ぐっと堪えた。
「そこで火にあたっておれ」
 温かいものを作るなら、当然火は使う。暖房の熱気と相まって、ウォーリアに冷えを与えなければ、それで良かった。気を取りなおしたガーランドは、工具箱を片手に壁の修理を始めていく。

 コンコンと木槌の叩く音が響く。ある程度の修理を終えると、ガーランドはひたいの汗を袖口で拭った。ウォーリアのために暖炉に火をかけているが、実際のところ、ガーランドには不要のものだった。ガーランドはウォーリアに比べ、耐寒性に優れている。寒い冬空でも、薄着で身の鍛錬を行える。
 そのために暖かな室内は、ガーランドにとって暑いともいえた。修理の際に入り込んでくる凍えるような冷たい冬の空気が、汗ばんだ身体を急速に冷やしてくれる。
 そのおかげで、作業は順調に進めることが可能となった。そうでないと、ガーランドのほうがのぼせてしまうかもしれない。ふぅとひと息ついたガーランドは、隣にある寝所の壁も一緒にしてしまおうと立ち上がった。
「……」
 ぴくりとガーランドの鼻が動く。ウォーリアはキッチンでなにかを掻き混ぜている。昼食でも作っているのだろうか。ガーランドは窓の外で燦然と輝いている太陽の位置を確認した。
 まだ昼前だった。昼食の時間ではない。ウォーリアがなにをしているのかも気にはなるが、とにかく早く作業を終えたい。ガーランドは工具箱を持って部屋を移動した。
 ずっとなにかを掻き混ぜているウォーリアに、声ひとつかけずに──。

***

 カチャカチャと泡立て器で生クリームを泡立てていたウォーリアは、ガーランドが室内にいないことに気付き、作業の手を止めた。視線を上に上げて周囲を見れば、先ほどまでガーランドが修理を行っていた壁は、綺麗に直されている。あれなら隙間風が入ってくることもないだろう。ウォーリアは少し表情を緩めていた。
 これまでなにも言い出しはしなかったものの、ウォーリアは冬の寒さが本格的になりだしたころから、ずっと冷えと戦ってきた。
 ガーランドが亀裂の入った木壁をそのままにしているのなら、住まわせてもらうウォーリアはなにも言えない。寒さに耐え、極力暖炉の傍にいるように心がけていた。
 幸いなことに、暖炉の薪は大量に用意されている。これはガーランドが日課としている鍛錬のひとつに、薪割りを組み込んでいるからだった。
 そのおかげで、ウォーリアは毎日大量の薪を積み上げる手伝いをさせられる。それは、決して嫌なことではない。寒さを凌げる薪は、ウォーリアにとって大切な資源であった。それに、ガーランドと行える共同作業として、欠かせないものとなっている。
 ウォーリアは暖炉をじっと見つめていた。暖炉内では、パチパチと燃え尽きた薪の音が聞こえてくる。早く次の薪を投入してやらないと。
「……これでよし」
 薪をくべるとパチパチと勢いよく燃えだした。これならすぐに室内も暖かくなるだろう。ウォーリアはふと、ガーランドの修理した壁面に手をあてていた。
 とても頑丈に修理され、しかも補強までされている。これなら、当面の心配はなさそうだった。隙間風ひとつ入り込めないほどの丈夫な壁と化したことに安堵する。これで冷えることはなくなる、と。そして、ガーランドにも感謝した。そのために作業を急がなければならない。
 ガーランドが昼食を作る……なんて言い出せば、すべてが本末転倒となってしまう。ウォーリアはキッチンへ戻った。

 この国にたどり着いてガーランドと出逢い、日々は経過していった。その期間に、ウォーリアはなにもしてこなかったわけでもない。ガーランドに料理を教わり、ひととおりの家事をする。この家に居させてもらうのに、ウォーリアは率先して動いていた。そのような、いつもの変わりない日常のなかで──。
『ばれんたいん?』
『そうだよ。好きな人にチョコレートをあげる日なんだ』
 通りかかった店屋の主人との対話で、思いがけず知ることになった。その〝ちょこーれと〟とやらをガーランドに渡し、これまでの感謝を伝えてみてもいいのでは……と。そのために、主人から素人でも作れる菓子の詳細な作り方を教わった。これからできる……そう、思っていたのだが。
「案外……難しいものだな」
 泡立て器すら使ったことのないウォーリアとしては、初心者向けでも難易度は高いものだった。拙い動作で泡立て、材料を投入していく。混ぜるだけの、至ってシンプルなものだった。
 ある程度の工程を済ませると、ウォーリアは手を止めた。
「……」
 どう見てもおかしい。ウォーリアは首を傾げていた。主人に聞いた話によると、もう少し……? しかし、ウォーリアは説明だけで、実際に現物を見たわけでもない。簡単に作れるからと意気込んで、悪戦苦闘して……挙句出来上がったタネが、違和感満載のものときた。
 ウォーリアは作りなおすか、とりあえずこのままいくか、少し悩んだ。だけど、結局このまま焼いてみることに決めた。今からタネを作りなおしていたのでは間に合わない。
 失敗か成功かは焼いてみるまでわからないのだから、それなら成功を信じて焼いてみるまでだった。

 待つこと暫し……。そのあいだに使用した器具を洗って食器籠に入れておく。少し水を切ってから綺麗に食器を拭いて棚にしまうのがウォーリアのやり方だった。
 オーブンから香ばしい香りが立ち込める。少なくとも失敗ではない。そのことに、ウォーリアは胸を撫でおろした。甘いカカオの香りが部屋を包み込んでいく。今だけ、この空間はとても甘いものに変わる。
 使用したカカオに願いを込め、ウォーリアは作成してきた。好きな人にチョコレートを渡して想いを伝える。とてもいい日だなと……素直に感じた。
〝救う〟以外では、ほぼガーランドになにも伝えていなかった。この家で過ごすようになり、そのことに気付いた。ガーランドが元々なにも言わないことは知っている。それなら、ウォーリアのほうが動こうと思い、こうして頑張ってガトーショコラを作ろうとした。素人でも作れるとの言葉を信じて。

 チン
「今行く」
 オーブンに呼ばれ、律儀に返事をする。扉を開ければもうもうと湯気が出ている。その湯気は甘いもので、思わずウォーリアの口許も緩んでしまう。香りだけは合格点、あとは……。オーブンから天板ごと出し、キッチンの作業台に載せる。しかし、ウォーリアはここで驚愕していた。
 これは、どう見てもガトーショコラと呼ばれるものではない気がして。主人から聞いたガトーショコラの作り方に、ウォーリア自身のアレンジを加えてしまったことが、大きな敗因となったのかもしれない。
 普段のウォーリアなら、大きな焼き型にタネを流し入れて、そのままオーブンで焼いてしまう。だけど、今回はひとつひとつ小さめのカップにタネを流し入れて作成した。そのほうが食べやすいことと、甘味が苦手なガーランドには少し苦めに、逆に甘味好きなウォーリアは少し甘めにと、作り分けができるからだった。
 これが逆効果となったのかもしれない。ウォーリアは項垂れていたが、こうなってしまっては開きなおるしかない。
 せっかく分けて作ったのだから、間違えることのないように区別をつける。ガーランドのほうには粉砂糖をかけるだけにしておき、自身の分には付け足して生クリームを添えた。
「……」
 ここまでしておいて、ウォーリアは納得ができていなかった。失敗作はどうしても失敗作以上にはならない。
 菓子の作り方の本でも図書館で借りておけば良かったと後悔するも、それは今さらでしかない。
……失敗した、か。
 失敗作にデコレーションまで施して、なにをしているのか。せっかく自身から動こうと、こうして形から作っているのに……前途多難もいいところだった。ウォーリアは消沈し、ちらりと失敗したものを見ては、小さく嘆息していた。

***

「良い匂いがするかと思えば……どうした、これは?」
「……」
 ウォーリアは俯いたまま、無言を貫いていた。どうしたもこうしたも、ここにあるならウォーリアが作る以外で存在するはずがない。わかっていて聞いてくるガーランドを、どうしてか意地悪く感じた。
「言わぬなら構わぬ」
 ガーランドはウォーリアの様子から、失言だったことを察した。おおかた作りたいものと違うものができてしまったのだろう。普通で考えればあり得ない事象なのだが、この青年にはどうやら通じるらしい。
 まるで錬金術……ガーランドはそのように考えてしまう。原材料から全く違うものを生成する妙な調理能力は、いろんな意味で絶賛に値する。
 理由はどうあれ、ウォーリアが作ってくれたものなら、ガーランドは心にじんと込みあげるものがあった。この日をガーランドが知らないはずはない。
 粉砂糖のかけられたものは、間違っても黒焦げた怪しいものではない。それは匂いでわかることだった。それなら、遠慮することもない。ガーランドの表情は少しだけ緩んでいた。もちろん、ウォーリアには気付かれない程度にだが。
「ふたつあるなら、ひとつもらうぞ。作業は終えた。今宵から寒い思いはせずに済むであろう」
「……っ、これは、お前が食べるようなものではっ、」
「儂はそれが食いたい」
 隣の寝所の修理を終えて、ここに戻ってきたことは理解した。そして今宵から寒さに震えて眠ることもなくなる。これだけで、ウォーリアは嬉しくなった。俯いていたウォーリアは、ガーランドに礼を伝えたくて顔を上げた。
 しかし、突っ立って失敗作を口に入れようとするガーランドを見つめ、唖然とした。
「ガーランド、お前……手は?」
 ガーランドは手を洗っていないはずだった。隣の寝所からまっすぐにこのキッチンへ来て、手など洗えるはずもない。それなのに、素手でウォーリアのガトーショコラもどきを掴んで食べようとしている。
 ウォーリアは慌ててガーランドを止めた。ガーランドは不機嫌そうな表情をしているが、一応失敗作を皿に戻してくれた。ここで怯まずにウォーリアはしっかりと言ってやる。
「手を洗え。それからうがいだ」
 まず手洗い、木屑や粉塵を吸い込んでいるかもしてないと、うがいもあわせて行わせる。大の大人が腹を減らした子供のように、我を忘れて目の前の食べものにありつこうとするのは、悪くはないが節度には欠ける。
「手厳しいな……」
 くくっとガーランドは嗤い、シンクで手を洗いだした。続いてうがいを始める。ぼんやりと眺めていたウォーリアは小さな吐息を零し、失敗作を載せた皿をテーブルへ運んだ。
 意気揚々として作り始めていたのに、今はとても気まずい思いでいる。席に座ったウォーリアは、ちらりとガーランドの様子を窺った。ガーランドは茶を淹れてくれている。

「難しく考えるな」
「……」
 無口なウォーリアに茶を出してやり、ガーランドも着席した。ウォーリアが落ち込む原因を探るために、そして、なによりガーランドが早く食べたいために、ガーランドはウォーリアの作ったものを改めて手で掴んだ。
「これ、は……?」
 先ほどウォーリアが止めていなければ、ガーランドは指の力でこの菓子を潰していただろう。それくらい、柔らかいものだった。このまま掴んでいては、口内へ入れるより先に崩れてボロボロにしてしまうだろう。判断したガーランドはもう一度皿に戻し、添えられたフォークで軽く刺してみた。
「ウォーリア。なにを作ろうとした?」
「がとーしょこらというものらしい。作り方を教えてもらった」
「……」
 言葉が出ない。ガーランドは一瞬耳を疑った。しかし、逆に納得もした。ダークマターを生成するかと思えば、ウォーリアの錬金術は別の意味で成功していたらしい。
「……なるほど。見た目も固さもガトーショコラのそれと、まるで異なるから、失敗したと思ったのか」
「……」
 ガーランドに図星を指され、ウォーリアはテーブルと睨めっこしていた。顔を上げることもできない。ばれんたいんにかこつけて、ガーランドと少しでもいい雰囲気を作りたかっただけだった。それなのに、どうしてこのような尋問を受けるのか。
「見ろ、ウォーリア。お前の作ったものを」
「え?」
 ガーランドは先ほどフォークで突き刺した失敗作をウォーリアに見せてやった。柔らかい生地の中からとろりとチョコレートが溢れ出てきている。
 ウォーリアは眼を丸くしていた。話に聞いていた〝ガトーショコラ〟は火の完全に通った焼き菓子であったはず。つまり、完全に失敗していることになる。ウォーリアは眉を寄せて項垂れた。
「フォンダンショコラ……と呼ばれるものに近いな。これはこれで美味いぞ」
「……っ、」
 ガーランドはとろりと溢れたチョコレートを匙で掬い、ぱくりと口内に含んだ。火の通りが微妙でガトーショコラにならず、どうやらフォンダンショコラのようなものに変化したらしい。
 カップに作るために、ウォーリアはオーブンの火加減を短めに設定していたのだが、それが見事に影響した。失敗したと思われたガトーショコラ……否、フォンダンショコラもどきは、火の通りが今度は絶妙で、中からとろとろとチョコレートが顔を見せてくる。冷えていれば半生で、また違った味わいを見せてくれただろう。
「ありがとう、ガーランド」
 ウォーリアは完食してくれたガーランドに対して、そのひと言しか出てこなかった。感謝が大きくて、うまく伝えることができない。本来の伝えたかったこととは全く違うものだったが、これが今のウォーリアには精一杯の告白だった。
「儂はなにもしておらぬ」
 素っ気ない態度をとるガーランドに、ウォーリアは少し表情を緩めていた。そして、改めて失敗作を自身でも口にする。すでに冷めたフォンダンショコラもどきは、中のチョコレートが少し固まっていた。
「……少し甘かったか?」
「チョコレートの菓子とは……まぁ、そういったものが多い。糖分を減らして苦く作られるものも存在するが」
 粉砂糖を振り、横に生クリームまで添えてある。思った以上に甘いフォンダンショコラもどきは、ウォーリアの胃にみるみる収められていく。ガーランドの話を聞きながら、ウォーリアは安らぐような心地よさを得ていた。
 ガーランドもそうだった。壁の修理で疲れた身体に程よい甘さの菓子を出され、心身ともに回復していった。エリクサーを飲むより、よほど効果があるようにすら感じてしまう。それくらい、ウォーリアのこの菓子は美味いものであった。

「ごちそうさまでした」
 完食すればガーランドの淹れてくれた茶を飲み、ようやくウォーリアも落ち着いた。失敗作と思われたものがこのようなものに変化し、一番驚いていたのはウォーリア自身だった。
 ガーランドが気付いてくれなければ、気落ちしたまま廃棄していたかもしれない。そう思うと、ウォーリアの唇からは自然に声が出ていた。とても意味不明な……それでいて、意味ありげな言葉を紡ぐ。
「ガーランド。私は……甘いぞ?」
「なに?」
 異界の地で闘争以外に行われた負の行為を、ウォーリアは記憶に残している。ガーランドもそのことを知っているはずだった。この小さな家でふたりで生活するようになり、ウォーリアはガーランドに寄り添うように、片時も離れることはなかった。騎士団の任務のときは仕方がないとして──。
 生活をしていくなかで、ガーランドの男としての現象も、同性なのだからウォーリアは存じている。ただし、これまでの経緯があるので、ウォーリアも声をかけずにいた。
 だけど、今日なら……。
「溶かしてくれるか? お前の、その想いで」
 初めてだった。このようなことを伝えるのは。ウォーリア自身が驚いている。唇は緊張して震え、うまく話せたのかもわからない。じっと見てくるガーランドの双眸から眼を離すことなく、ウォーリアも見つめ返した。
 互いを映す瞳の色に少しずつ変化は訪れる。しかし、それを遮ったのはガーランドだった。席を立ち、ウォーリアの傍へ寄ると、腕を引いて抱きしめる。カタン……、ウォーリアの腰かけていた椅子が背もたれから倒れ、木の乾いた音だけがふたりのあいだを通り抜けた。
「意味を理解しておるのか?……〝貴様〟は、」
「っ、私なりの感謝のつもりだ」
「……」
 はぁ、ガーランドはこれ見よがしに嘆息する。意味をわかってのこの発言は、相当人が悪い。かつての異界の地での蹂躙があったからこそ、ガーランドはウォーリアをとにかく大切に扱おうと考えているのに。
 たどたどしくて、意味は伝わらないものと思っていたが、どうやらガーランドには伝わったらしい。ウォーリアはガーランドの厚い胸に耳を押しつけ、拍動を何度も確かめた。互いにこの地で生きている……。命を削るような戦いではなく、こうして失敗作を食べながら、落ち着いた時間を共有できる。本当なら、これだけで良かった。
 互いに依存し、こうして身を寄せ合って過ごすことに、ウォーリアは小さな幸せを見いだしていた。導くつもりだった先で見つけたこの小さな幸せを噛みしめ、これまでのことも忘れることなくずっと──。
 ガーランドの下した判断が英断かどうかは、ウォーリアにもわからない。ウォーリアが〝光の戦士〟として世に出てしまえば、またガーランドと悲しい戦いを繰り返さなければならなくなるだろう。今度は時の鎖に縛られ堕ちたガーランドと……。
「喰ってよいのか? 後悔はせぬか?」
 壁を修理する際、ガーランドは隙間風が侵入しないように頑丈にしておいた。それは、言い方を変えれば防音にも繋がる。ついでに……と、隣の寝所まで修理しておいたことは、ガーランドにとって都合が良かった。啼かせようと思えばいくらでも可能になる。音が外に漏れる心配はない。
 あれほどのことを行って、今さら手を出すことに戸惑うことも奇妙ではあるのだが、ガーランドはやはり一歩引いていた。だが、ウォーリア本人がそれを望むのなら、ガーランドは引く必要などない。肝心なのは、ウォーリアの心構えであり、互いがどう想い合っているか……。
「ウォーリア」
「早く……。この先は、本当の意味でお前と繋がってから」
 ごくり、ガーランドの喉が鳴る。どこでこのような言いまわしを身につけてきたのだろうか。頭は抱えるものの、強く澄んだアイスブルーの虹彩は、色めく艶を秘めている。
「これまでは、私がお前を導くために躍起になってきた。これからは……お前が私を導いてくれないか」
「言われずとも」
 先を越され、しまったと……後悔する。ウォーリアにここまで言わせて、ガーランドも黙っていられない。導く先にあるものを、こうしてふたりで見続けるのも良いかもしれない。
 ウォーリアの想いを受け取るかのように、ガーランドは強く抱きしめてから、ゆっくりと抱き上げた。落ちないように横抱きに抱えなおし、隣の寝所へ向かっていく。
 ウォーリアはこの先に行われることを先読みし、頬をかあぁっと染めていく。羞恥に震え、顔を首筋に埋めるウォーリアの耳許にそっと囁いた。
「隙間風はもちろん、防音まで完璧だからな。盛大に啼かせてやろう」
「〜〜ッ⁉」

 こうして、甘いチョコレートを食べたあとに、甘いウォーリアを胸に抱き、これまでのわだかまりは取り払うことができた。もっと早く、互いに話し合えば良かったかもしれないと思う反面、ふたりとも不器用なことは承知している。
 こういう機会を得て、ウォーリアが切りださなければ、ガーランドはいつまで経っても胸の内に秘め込んで、なにも語ろうとはしなかっただろう。
 ガーランドは胸の中で寝息を立てるウォーリアの涙に濡れた頬をさらりと撫で、ようやく心落ち着けることができた気がした──。

 Fin