髪の手入れ

                 2021.8/30

 出自のせいなのか、生来のものなのか。濡れたままでいたそれの持つ特有の髪を乾かしてやろうと触れてやれば、バシッと手を払われてしまった。今さらなにを警戒するのか。
 確かに以前は他者……儂にだが、髪を触れさせようとはしなかった。それでも風呂上がりに濡れたまま放置するあれを見かね、根気強く何度も触れてきた。そのせいか、最近は触れさせてくれるようになったというのに。
 はぁ。嘆息もしてしまうが、ここで折れてしまうと床に甚大な被害が出てしまう。放っておけば自然に乾くものだが、それでも無視はできぬ。ガシッとこれの頭を掴むように押さえつけ、肩にかけてあった浴布でガシガシと水気を拭ってやる。しかし、どうやら力加減を間違えてしまったらしい。「痛い……」と小さな抗議の声が俯く頭から聞こえてきた。
「ガーランド……もう、いいから」
「まだこれからだが」
 乾かせば終了、とはならぬのがこの面倒な髪質であった。このままではこの髪は輝きを保つことはできぬ。儂は小さな小瓶を手に取ると、中身を手のひらに出した。どろりとした粘度ある液体は柑橘系の香りがしておる。鼻腔を擽るような心地よい香りが周囲を充満していくのを感じ、それをこれの髪に塗り込んでいく。
 一本一本丁寧に塗り込めば、これの髪は美しい鉱石のように複雑な色をまとって輝いていく。まるで原石が宝石に変わる瞬間を見ておるようで、この時を見るのが儂の小さな楽しみになっておった。これを光り輝かせられるのは、すなわち儂だけであると……。
 香りについては儂の好みの部分もあるが、選択についてはあながち間違ってはおらぬようだった。季節により香油を変えておる。時には桃であったり、柚であったり……今回は蜜柑というものを選んでみた。悪くない香りだと思うが、これが気に入るかどうかは使用してみるまではわからぬ。使っているとふんふんと香りを嗅ぐ音が耳に入った。
「いい……匂いだな」
「ふん」
 語彙の少ない奴め。もう少し情緒のある回答ができぬか。とは思うが、そのことで問答するのも面倒ではあるし、なによりこれの選ぶ言葉は偽りのものではない。以前は真を隠してしまう青年ではあったが、拙くもこうして正直に吐露してくれるなら良しとしておくか。儂は黙々と髪に香油を塗り込んでいった。
「ガーランド、……もう、乾いた。……から」
「……む、」
 ある程度の時間が経過すると、これも飽きてしまうのか、別のことをしたいのか、中断を望む声が耳に届いてきた。儂としてはもう少し丹念に塗り込んでやりたいが、無理もできぬ。
 しっかり乾いて香油も塗り込めたことを確かめるために、髪をかき上げてから白いうなじに顔を寄せた。髪の中に鼻を入れるくらい埋め、うなじ付近の香りを嗅ぐ。うむ、しっかり塗り込めておる。これの髪全体から柑橘系のほのかな香りが出ておることを確認し、手櫛で髪を梳いてやった。
「どうした?」
 くすぐったかったのか、これは肩を少し震わせておる。これの様子を背後から窺っておったが、やがて結論にたどりついた。口角を少し上げ、もう一度髪をかき上げる。無防備に晒されたうなじに誘われるように顔を寄せ、その白い首筋に顔を埋めた。
「……どうした?」
「おまえがっ、」
「儂が?」
「〜〜〜〜っ、」
 相変わらず隠す奴だ。……最も、この場合は伝えたいことを言えぬだけであろうが。乾かすためとはいえ、少し度がすぎたか。
「首が冷たいな。冷やしたか」
 顔を寄せたまま、空いた手でするりと首筋を撫でてやれば、面白いようにびくりと躰を震わせる。白い首筋が少しずつ朱をまとうさまを視界に入れ、軽く唇を押しつけてやった。それだけでびくんと揺れる躰が初々しくて、思わず目を細めてしまう。
「温めてやろうか、それともこのままでよいか。今は風邪を引く時期ではないが」
「っ、」
 突き放すように首元で囁き、顔を離す。熱を帯びたならそれまでのこと。儂は知らぬ。勝手にするがよい。……まぁ、この不器用な青年にそれができる話であれば、だが。
「おまえは……ずるい」
「儂は髪を手入れしてやったにすぎぬが?」
 ふるふると震えだした青年の躰を抱きかかえ、そのまま寝台へと運ぶ。下ろしてやれば、顔を真っ朱に染めた青年に潤んだ眼で睨まれてしまったが。
 それを意図してやっておるなら、どちらのほうがずるいのやら。無意識になら……それこそ、だが。そろそろこの青年にそれを教えてやる必要があるか。……否、教えてはもったいないか。

 冷たかった青年の身が熱を帯び、やがて熱を放つまで……時間がかかることはなかった。
 問題は、せっかく手入れした髪をもう一度手入れしてやらねばならぬことになることくらいか。だが、この青年を手に入れるための時間の犠牲と思えば……。

 Fin